例年よりも早く梅雨が明け本格的な夏が到来するや猛暑、酷暑の連続で、近くの熊谷では日本最高気温の41.1度を記録したとなるともはや作業環境ではありません。
現場で作業する職方たちの身体を心配してしまいます。
以前この稿でも書きましたが、縄文前中期に年平均気温が現在よりも10℃も高かった時期があり、
平地や海浜に住んでいた縄文人は海岸線の後退とその暑さに耐えられず移動をはじめ長野県の山岳地帯に移り住んだとされます。
今の感覚からすればなぜこんな高所にと思う八ヶ岳山麓や茅野付近に井戸尻遺跡など多くの遺跡が見つかることからも分かります。
そんな縄文人の顰に倣って長野県北アルプスにある上高地へ一時の涼を求めに行ってきました。
松本駅から新島々駅まで松本電鉄という2両編成のローカル線で行きますが、
休日限定企画ということで車内で松本交響楽団のコンサートマスターの方によるヴァイオリンの生演奏が聴けたのは僥倖でした。
揺られながらの演奏も大変かと思いましたが、
松本の田園風景を見ながらモーツァルトなどのポピュラーな音楽を聞かせてもらうという珠玉の時間を過ごさせてもらいました。
新島々から上高地へはマイカー規制のためバスにて向かいますが、約1時間半の道中は梓川沿いを遡っての曲がりくねった道程となります。
その間東電によるダムが3ヶ所もあるのを改めて知りました。秘境と言われながらここまで開発が進められていることを肝に銘じなければなりません。
大正池前のバス停で降りて昼食をとったあとガイドさんと一緒に河童橋まで2時間半かけてのトレッキングとなりました。
上高地へ最初に来たのは大学生の頃でしたので40年ぶりの再訪となりますが、驚いたのは大正池が小さく見えたのとかつてはあった池の中の立ち木が皆無だということ。
説明によれば雨などの際に土砂が流れ込み池岸線が年々後退していること、
埋まった土砂によって底が浅くなり池でなく川になってしまうため浚渫をしていることを教わりました。
焼岳の噴火によって梓川が堰き止められたのは大正4年(1915年)ですからもう100年以上経ったことになりますが、
最初に来た40年前はもっと池が大きく枯れ立木が林立して幻想的な雰囲気が横溢していたことを覚えています。
自然とは移り変わっていくものだということを実感させられます。
しかし梓川を湛えて前方に鎮座する穂高連峰の雄姿は40年前と全く変わりなく見えます。北アルプス最高峰にして富士山、
北岳に次いで日本3位の標高3,190mを誇る奥穂高岳を中心に明神岳から西穂高岳まで屏風を立てたように岩肌が屹立し
その中央には太古の氷河で削られた摺り鉢状の岳沢カールが下流に向かって延びています。多くの山岳景勝地の中で最も絵になる場所のひとつと言われるところで、
時間があればカメラではなく絵筆を取りたくなるような風景が広がっています。
それまで猟師や木材伐採の作業員しか入ったことのなかった秘境が明治8年に宣教師ウェストンによって発見・紹介され、
さらに昭和8年の釜トンネル開通によって一気に人気の山岳スポットとなりました。
河童橋からの眺望もさることながら梓川の澄んだ清らかな水がなんとも清々しい清涼感を醸しています。
雪解け水のどこからともなく湧き出す幾多の伏流水が集まってできたその川の水は7℃ほどの水温と言われ、手を差し込むと数秒で痛くなるほどに冷たいものでした。
翌日は河童橋からさらに奥の明神池を目指してみました。
湿原と熊笹が交互に繁茂する植生を見せる歩道脇にはニホンザルが集団で現れて無警戒に笹の若葉をほおばっています。
カラマツソウの白い花、ヤチトリカブトの紫の花、コマドリやアオジの鳥のさえずりなど知らなかった花や鳥の見方もガイドさんから教えてもらいました。
1時間くらい歩くと穂高奥宮に着いて一服。さらに明神橋で梓川を渡ると目的地の明神池に着きます。
そこには明神岳をあたかも御神体に見立てたように簡易な向拝が池の桟橋に設けられ手を合わせられる仕掛けになっています。
澄んだ池には多くのイワナが生息し池畔の店では塩焼きが名物として振舞われています。
涼を求めての避暑のはずが平地で40℃近い気温を記録したこの日は標高1,500mの上高地でも日中30℃を記録しガイドさんを呆れさせていましたが、
朝晩の涼しさだけは別格で見たこともない満天の星空の下で冷房のいらない夜を過ごせました。
かつて「神の降りてくる地」という名から神降地、転じて上高地と呼ばれるようになったと古事は伝えます。
たしかに天を衝く3,000m級の峰々の稜線と白い雲と澄んだ水を見ていると古人が想ったように天から神が降りてくるような感覚に囚われる風景です。
ひとは自然の持つ圧倒的な風景に包まれたときその存在の小ささを知り謙虚さを覚えるといいます。紺碧の空と白い雲、降り注ぐ光と頬を伝う風とあくまで透明な川の水、
それらを全身に浴びるように嬉々として緑の葉を茂らせる樹木。必要なもの全てが揃っているような、ほかのものはいらない充足感を覚えるのはなぜでしょうか。
大正池が自然の風雨により40年ほどでもその姿を変えていくように上高地自体も自然の移り変わりの摂理に身を委ねるべき部分はあると思いますが、
観光地として気軽に行き来できる分、なるべく人の手の加わるのを抑え後世にこの豊かな風景を残さねばならない責務のようなものを今生きるものとして感じています。
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