もう十数年ほど前になりますが、ハリウッド映画でトム・クルーズや渡辺謙が出演して日本でも話題になった「ラストサムライ」という映画がありました。
戊辰戦争のころを舞台にしたと思われるストーリー構成になっており、私も劇場で見て少しばかり日本に対する誤解と脚本が少し粗いのが気にかかりましたが、
各シーンのロケ地が美しかったのを印象深く覚えています。実際はそのほとんどはニュージーランドでの撮影が多かったようですが、
日本でのロケ地もあって渡辺謙演じる武士の祖先から続く居城とされた寺院がことのほか壮大で中世の建築様式を伝えていて強い印象を受けたものでした。
それが姫路にある圓教寺だと知ったのは後年のことで、今回そこを訪れる機会がありました。
正式には書写山圓教寺(しょさざんえんぎょうじ)という寺院で、西国三十三所のうち最大規模のもので「西の比叡山」と呼ばれるほどに寺格の高い天台宗の巨刹です。
天禄元年(970年)創建で性空上人が開基とされ西国27番目の寺院にあたります。
書写山の名は仏教以前に「スサノウの山」と呼ばれていたものを性空上人が入山時に、
釈迦が法華経を説いたとされるインドの霊鷲山に書き写したようにそっくりであったことと「スサ」の音に合わせて「書写」の字を充てたと寺叢書にあります。
姫路駅から北へ車で30分ほど行ったところにある標高371mのその山の上に境内が広がっています。麓からはロープウェーが出ていて5分ほどで頂上駅に着きます。
頂上駅というからには境内まですぐと思いきや、そこから山門まで結構きつい山道が続いて30分以上は歩いたでしょうか。
汗をかきながらやっと山門に着いた後さらに10分ほど急斜面を上がってやっと魔尼殿が見えてきます。
開山時の最初にできたとされる魔尼殿ですが大正10年に焼失、現在のものは昭和8年に伊藤平右衛門棟梁により再建されたものだそうです。
急峻な斜面に建てられているため清水寺を彷彿させる懸造りの下を覗き込むようにして向拝に進みます。
せり出した浜縁から見下ろす景色は新緑を映して登りのつらさを忘れさすものがあります。
一服した後さらに上がっていくと10分ほどで広い一角にたどり着きますが、ここが大講堂、食堂、
常行堂の三棟がコの字に構成配置された「三之堂(みつのどう)」と呼ばれる場所で中世の寺院景観を伝えていて、
そこに立つと一瞬鎌倉・室町時代にタイムスリップしたような感覚にさせられます。まさにここが「ラストサムライ」のロケ地として使われた場所で、
その中の最も長さのある食堂(じきどう)内部で渡辺謙とトム・クルーズがツーショットで話すシーンが演じられたのだそうです。
普段その場所は小机が並べられ書写道場として使われているところですが、
尺5寸はあろうかと思われる節のある荒々しい丸柱が整然と並び表の蔀戸と相まって中世の古建築の力感と素朴さを感じさせる凛とした空間となっています。
本堂にあたる大講堂は987年創建といわれ現存のものは室町中期に再建された三手先の深い軒を持つ二層式の建物ですが下層階と上層階の間には22年の時が置かれたと伝わります。
ご本尊は釈迦如来で現在ご開帳とあって金色のお姿を見ることができました。寺勢盛んだった室町期にはかつてここに五重塔も建っていたといいますから往時の隆盛が偲ばれます。
京都と西国を結ぶ交通の要衝であったため幾多の戦禍にも巻き込まれてきたようです。食堂に展示されている古文書の中に「天正の乱」のものがひと際目立つように陳列されています。
天正6年信長の命により中国攻めを行っていた秀吉の軍勢1万数千がここに陣を張り、
その際2万7千石の寺領をすべて没収し如意観音や阿弥陀如来も持ち去ったと記されています。
圓教寺にとっては秀吉も黒田官兵衛も「秀吉乱入のこと」として古文書に記され、
比叡山の焼き討ちと重ねて受難の敵役とし扱われているところに歴史の二面性を見るような面白さを感じます。
圓教寺が西の叡山として隆盛を極めたのはひとえに花山法皇の御行幸が2度もあったことから始まったと言えるでしょうか。
都を追われるように書写山に逃れた法皇は性空上人と結縁し親交を結びます。
それまで書写寺と呼んでいた寺号を「完全な=丸い」教えの寺という意味で圓教寺にしたのも法皇だといいます。
さらに後年食堂を寄進したのが鎌倉期の後白河法皇とされその皇室とのつながりの深さを伺わせます。
延暦寺が同じ天台宗で当時宗教大学のような存在だったのと同様、この圓教寺からも多数の名僧が生まれており、
大燈国師や東福寺の琛海などがここで修業を積んでいった人たちの代表といわれています。
これだけの大伽藍を千年以上にわたって維持・繋いできた先人の労苦を思います。
宗教対立、戦乱、天災、版籍奉還、廃仏毀釈と多くの苦難を乗り越えて今があることを思うとき、その伽藍の一つひとつに愛惜の念を禁じえません。
ロープウェー山頂駅から見下ろす景色には姫路から龍野方面さらには播磨灘が見渡せ、中央の小高い山裾脇には小さく化粧直しした姫路城も見えます。
我々の住む東国とは少し違った歴史の重みと流れの太さをつい感じてしまうのは往年の西国への羨望がそうさせるのでしょうか。
|