北陸や北海道で数年に一度という豪雪を記録し、あらためて雪の持つ脅威というものを見せつけられた思いがしますが、季節は確実に春を迎えようとしています。
毎年のことながら、立春を過ぎると日の光の強さ明るさを感じるものです。
春を視覚的に感じさせてくれるのは何といっても植物の花ということになりますが、
植物は暖かさというものをどこで感じて花をつけるのでしょうか。その疑問に対しては「植物たちが葉っぱで夜の長さを測るから」というのが答えのようです。
実際アサガオなどの多くの植物で夜の時間が9時間30分を超えだすとツボミが作られ始めることが分かっており、
しかも15分短い9時間15分ではツボミを作らないという観測結果もあることが実験で確かめられているそうですから、
葉っぱが持つ夜の長さを測る感覚が想像以上に正確なことに驚きます。
ではツボミを付ける前に葉っぱがない春に花咲く樹木はどうなっているのか。
じつは梅や桜、ハナミズキなどは前年の夏にツボミが作られています。秋のうちに寒さを乗り切るための「越冬芽(えっとうが)」という芽にツボミを包んでおくといいます。
よく冬の樹木で見られる硬い芽です。面白いのは越冬芽に包まれたツボミが冬の厳しい寒さを体感した後一斉に成長を始めるホルモンを出すということです。
もしツボミが冬の寒さに出会わなければ成長が起こらず、暖冬だとツボミの成長がだらだらと遅れて俗にいう「ツボミの目覚めが悪い」とされる現象になるのだそうですが、
この仕組みはなにか人間にとって示唆的です。
そんななか、いち早く花を見せるのが樹木では梅、草木では福寿草でしょう。
まだ寒風吹きすさぶなか、庭先にある梅の木を見て枯れたような枝先から白い花弁を発見(?)したときは少なからず感動するものです。
ウメは万葉の時代から人々に親しまれ万葉集には118首謳われているといいます。
ちなみに一番多く登場するのは秋のハギで、サクラに至っては梅の三分の一だといいますから万葉人のこの花への憧憬の深さが分かります。
ほのかな香りと花持ちの長さ、色合いが日本人の感性に合っていたのかもしれません。
梅を謳ったもので最も有名なのが菅原道真の「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 主なしとて 春なわすれそ」でしょうか。
失脚して太宰府に移封され非業の死をとげた道真はのちに都での不幸や飢饉が続いたことで怨霊となって都に帰ったとされ、
鎮魂のため藤原氏によって天満宮の神として祀られたことは有名です。
その優秀さから梅と受験シーズンとが相まって1,000年以上たった今も学業の神様として庶民の信仰を集めています。
そんな思いもあって、家から1時間ほどの埼玉県中西部の越生(おごせ)というところにある梅林の梅まつりが始まったと聞いて初日の日曜日に出かけてみました。
この梅林は水戸偕楽園、熱海梅園と並んで関東三大梅林の一つに数えられているのだそうで、
その歴史は古く現地の案内板には南北朝のころ近くの小杉という場所に太宰府から分祀した天満宮がおかれ、道真にちなんで梅を植えたのが越生の梅の始まりと書かれています。
室町期江戸を作った太田道灌の父君が隠居後この地に居を構えて文人として梅を愛でた句を残してもいるといいます。
江戸期を通じて梅を江戸に送ったそうですから土地柄が梅の生育に適地でもあったのでしょう。
2ヘクタールの土地に約1,000本の梅が植えられているそうですが、行った日は開花にはまだ少し早かったようで、
ろう梅や紅梅が1~2分咲きといったところでしょうか。
昔から「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言い伝えがあるように、桜の木は枝の切り口から腐りやすいので切らないほうがよく、
逆に梅の木は適当に枝を間引きしてやらないと込み過ぎていい実を残さないといわれ、昔から剪定の習慣があったことを教えてくれます。
その枝ぶりは角度が鈍角でなく直角や鋭角に曲がり、あたかも水墨画の筆使いを彷彿とさせます。花はかたちの良い5枚の花弁からなり、
デザインしやすい形状から「梅の花」や「梅鉢」など家紋としても用いられています。
建築材としては不適で製材品としての用途はほとんどありませんが、数寄でその変木が床柱に用いられている例を見たことがあります。
しかし何といっても実用としてはその実で、梅干し、梅酒、梅酢など強い酸味やクエン酸などによって保存剤や健康食品として需要が高い食材となっています。
ブランド化も進み南高梅や白加賀、豊後などの銘柄が有名ですが、
かつて紀州南高梅で有名な「みなべ町」に視察に行った際の話では梅農家の年収はかるく1千万を超えると聞きました。
ものによっては多少の毒性もあり、青梅や生梅のタネには微量ながら青酸が含まれて危険だといわれていますが、
昔から「梅を食うとも核食うな、中に天神寝てござる」というのがあります。道真を引き合いに不謹慎にも食べるようなことをするなという、
洒落た諺で体に害があることを言い伝えてきた昔人に感心します。
ほのかな梅の香りを嗅ぎながら園内を一巡し、まだ少ないながらも日の光の強さを感じて越冬芽から花開きつつある堅きツボミをみて満開になる時を待ち遠しく想像していました。
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