六本木の国立新美術館で建築家・安藤忠雄展が開かれているというので訪ねてきました。
テーマが「挑戦」となっているようにこの建築家のデビューから近作までを網羅してそのゲリラ的建築の系譜を余すことなく見ることができるような展示になっています。
今、隈研吾と並んで世界的にもっとも有名な日本の建築家と言っていいでしょうか。
当初の国立競技場のコンペで例のザハ・ハディド案を選んで話題を呼んだ時の審査委員長でもありました。
建築学科に学んでいた頃、出世作と言われる「住吉の長屋」をみて衝撃を受けた学生は多く、その後の安藤建築は真似しようにも達しえない唯一無二のものを持っていました。
初期のコンクリート打ち放しによる住宅の連作に続いて、西田幾多郎記念館やサントリー美術館のような鉄とガラスの素材も使った作品、
表参道や福武ホールなどの地下深く埋めてしまう土木的な施設などが模型や図面で展示され見ごたえがあります。設計図面も展示されていて、
意外に思ったのは初期の住吉の長屋などの鉛筆図面が緻密で線が非常に軟らかいことでした。コンクリートパネルの割り込みや面の取り方などを細かく指示しています。
図面から読み取れる安藤さんの素顔は強面とは裏腹に繊細な面をうかがわせます。
今回の展示で一番の目玉は代表作といわれる「光の教会」の原寸大の屋外展示でしょう。
大阪茨木市にある箱型のコンクリート打ち放しの教会はその単純なフォルムに南側の壁に開けられた十字形のスリットから漏れ入る光の演出が評判を呼んだ建物です。
限られた予算の中で床材も現場用の道板を利用したりしてシンプルの中にも象徴性と思索性に富んだ秀作です。
実際に中に入ると外観よりも広く感ぜられます。箱型の建屋に入り口を設けるために斜めに貫入している壁が秀逸で、
明るい外部から急に暗い内部に入り目が慣れないところに階段状に下っている床の先に十字架のスリットから眩しいような光が差し込んでくるという仕掛けです。
建築にとって予算だけが良いものを作る必要条件でないことを教えられます。
瀬戸内海の直島に手掛けた一連の直島プロジェクトも、全体が分かるように展示された模型と映像を使ったインスタレーションが見ごたえあります。
景観を配慮してでしょうか、多くが地中に埋められた建物群は外観よりも内部の豊穣空間が見せ場になっています。
初期の「住吉の長屋」の頃から一貫して試みてきたのは、建築の内側に明確な機能を持たない余白のスペースを作り出し、それを人が集まるきっかけとすることだといいます。
その余白とは時に地上から中空へと回遊する道のような空間であり、時にその途中で人々が立ち止まりほっと一息つけるよどみや溜りといった空間になり、
いうならば建物の中に街路を引き込みその奥に広場を作るというアイデアで、一連の建築は余白の空間の創造という一点で現在にもつながっていると語ります。
安藤さんはプロボクサーの経験を持ち建築については独学でこれを学んできたという経歴の持ち主です。二十代の若い頃世界の建築を見るために1年近くをかけた大旅行もしています。
そんな独り立ちをする前の暗中模索の時間の経験から、自分で生きる力を身につけなければならないという思いを人一倍強く持ってきたといいます。
そんな安藤さんには今の人々が考えなくなり闘わなくなったと映るようです。
経済的な豊かさだけを求め生活文化の本当の豊かさを忘れてしまい、
未来を担う子供たちは親の敷いたレールの上を走るのに精いっぱいで想像力を養うための貴重な時間を失っているといいます。
本来子供は友達と自由に自然と戯れながら遊ぶ中で好奇心を育み感性を磨き挑戦する勇気や責任感を養うもので、
今の子供たちは過保護に育てられ自分で考える体験が絶対的に不足しており、緊張感も判断力も自立心もないまま成人し社会を支える立場になっていると案じています。
それだけに、自分の意思が希薄で人と直接ぶつかり合おうとしない芯の弱い今の若者や子供を見ていると日本の将来に強い危惧の念を覚えてしまうのだそうです。
人間性をはぐくむ教育を行い、自分なりの価値観を持つ「自立した個人」をつくり、
家族や地域への愛情を持った日本人の国民性を回復しなければ未来は見えてこないと提言しています。
来館者の多くが若い世代の人たちで、建築設計を業としているかこれから志そうとしている人たちでしょう。
安藤さんの心配が杞憂となるよう頑張ってよ、と声を掛けたくなりました。
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