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赤石建設株式会社 一級建築士事務所
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平成29年9月


 家康が天正十八年に「江戸入り」して以来、最初の約70年に渡る期間がいわゆる「天下普請」と呼ばれる江戸及び江戸城の大造営工事に当てられました。 その建設には全国の大名が充てられ藩の財政を疲弊させながらも幕府に忠誠を示さなければならない時期でした。 多くが掘割や開削、埋め立てなどの土木事業とされ、今でいうウォーターフロント開発によって日比谷や八丁堀などが作られていきました。 そんな埋め立て造成の延長上に甲府藩主だった徳川綱重が承応三年(1654年)に拝領した土地を埋め立てて別邸を建て、 その後甲府藩の下屋敷として使用されたのが現在汐留にある「浜離宮」です。
 秋風が吹き始めた晴天の日曜日出掛けてみました。
 綱重の子である徳川家宣が六代将軍になると将軍家の別邸となり、浜御殿と改称して大規模な改修が行われ茶屋や庭園が整備されました。 その後も家斉と家慶の頃には将軍の鷹狩りの場としても使われ幕末まで続きます。維新後は宮内省の管轄となり名前も離宮と改め明治帝も度々訪れたといいます。 賓客のための迎賓館としても利用されましたが、戦後GHQにより東京都に下賜され「浜離宮恩賜庭園」として再スタートを切ります。 都心の一等地に27ヘクタールの広さを持つ回遊式築山泉水庭で、 松を中心に古木が生い茂り背景となる汐留の高層ビル群が湖面に映る様は都市公園の持つ自然と人工物が織りなす非対称の独特な景観を見せてくれます。
 埋め立てしたのを逆手に取ったように臨海側には「潮入りの池」と呼ばれる海水を引き入れ潮の干満によって趣を変える様式の池があります。 中にボラやセイゴ、ハゼなどの海水魚が棲息しそれを狙って野鳥が池畔に立つ情景を、池の中に建つ木製の橋で繋がれた数寄屋造りの中島の御茶屋から望むことができます。 かつては我々庶民の入れるような場所ではなかったわけで、将軍がきらびやかな衣装で多くのお供を連れ立って庭を鑑賞し鴨場に遊び鷹狩りを楽しんだ時代の光景を想像します。 震災や空襲で焼失した鷹の茶屋などの復元整備が現在も進行中で、樹木共々広さ故の維持管理の大変さが窺い知れます。 入口大手門の反対の海側には水上バスの発着所が設けられており浅草や両国、お台場方面と結ばれていて、 20分くらいで行けるとのことだったのでお台場まで水上バスで移動することにしました。隅田川が湾に合流する場所から晴海、 豊洲を左舷に見ながらの海路からはまさに東京湾ウォーターフロントを一望することができます。 20年五輪の選手村ができる予定の晴海地区にはすでに何基かのタワークレーンが建ち並び槌音が聞こえてきます。 そのすぐ隣には移転問題で揺れる豊洲市場の建物がひっそりと佇みその時期を待っているように見えます。
 それにしてもこの東京湾岸エリアの超高層マンションの林立した光景には驚かされます。眺望が売りのマンションがあたかも「眺望の陣取り合戦」をしているかのようです。 都内では1980年代後半から建ち始め2013年までに550棟もの超高層マンションが建設されており、 そのうちの約6割がこの中央区や港区などの湾岸6区に集中しています。2015年以降も建設が計画されている都区部の超高層マンションは109棟(5万戸)におよび、 今後も晴海地区の五輪選手村にも18階建てのマンションが21棟用意され、 閉幕後も50階程度の超高層マンションがさらに2棟建てられ、このエリアだけでも5,650戸の住宅が供給されるといいます。 人口減少が予測される中、しかも中古市場に空き家が相当数出ている現状での新設ラッシュには再開発に関する規制緩和の法令が起因していると云われます。
 バブル期に地価の高騰で夜間人口が16万人から6万人にまで激減した中央区などがその制度を利用して人口増の推進に取り組んだのがこの結果をもたらしています。 今は人口増分のインフラ整備が間に合わず、小学校の教室不足、駅のホーム拡張や駐輪場、交通インフラの整備が後追い的に必要となっているのが現状のようです。
 それにも増して懸念されるのが「分譲マンションの終末期問題」だとする識者もいます。区分所有者による管理組合にどのような意識・能力があるかによって、 将来に渡り建物の維持管理や補修ひいては建て替えまでが適正に行われるか未知数だとされることです。 1棟に多いところでは1,500戸もの住戸数があることから区分所有者が大量にいるということだけでなく、 居住用か投資用かといった取得目的や区分所有者の所得階層・世代・家族構成・国籍が多様であるが故に合意形成が極めて難しくなってしまうといいます。 一般的なマンションですら解決できていない分譲マンションの終末期問題が超高層マンションではさらに大きくなって困難を極めることを懸念しているのです。 耐用年数と言われる40~50年はそう先の話ではありません。資産価値が非産価値に、不動産が負動産になってしまわないようにしなければ、 将来の世代につけを回すことになってしまいます。
 昼間は感じませんが、夕暮れ時になってレインボーブリッジから芝浦方面を望んだ時の超高層マンションに灯される夥しいまでの各戸の灯りを見ていると、 その中に営まれている個々の日常が災害や有事の時には運命共同体となることを感じさせられますが、居住者たちにはその実感と覚悟があるでしょうか。
 江戸はその開府以来、大量輸送手段としての水運とその基地確保もあって日本人社会がはじめて臨海低地に意識的・継続的に都市を作った場所として文化史的にはまさに 一大革命だったとされますが、その意味では400年後のいまでもその進出が続いているといわねばなりません。







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