今年は梅雨の期間に真夏のような猛暑が続いて水不足が懸念されましたが、一転梅雨明け宣言後は梅雨空となって過ごし易い気温ではありますが逆に日照不足が心配されています。
東日本では昔から「雨年に豊作なく旱魃に不作なし」という諺があり、八世紀につくられた「常陸国風土記(ひたちのくにふどき)」にも「長雨にあえば稲の実らない嘆きを聞き、
日照りの年には豊作の喜びを見る」と記されているといいますから、干ばつ気味のほうが稲作には良いようなので秋の実りが心配されます。
その梅雨明け前の猛暑が続く中、箱根の大涌谷と草津白根山という関東近郊では際立った火山活動をしている場所に行く機会がありました。
大涌谷は東日本大震災の時以来地震活動が活発となり、平成27年5月に噴火警戒レベルが1から2に引き上げられ一時立ち入り禁止となりましたが、
昨年7月に一部が規制解除となり箱根ロープウェイが再開され大涌谷展望台まで行くことが可能となりました。硫黄分で黄色く染まった噴気地帯は勢いよく蒸気を吹き上げ、
冠ヶ岳山麓ではこれまで見られなかった場所から新しく噴気が上がっているのが多く観察できます。
高温と硫化水素などの有毒ガスにより周囲の山肌は草木が枯れ岩肌が露出し黄色く着色されて蒸気を上げている様はまさに地獄谷の様相を呈しています。
伊豆半島はかつて遙か南方の海上の島であったものが500万年掛けて移動し本州中央に衝突してできたものですが、
その押し上げる力によってできたのが丹沢山系であり北岳などの南アルプスです。そして今でもそれは潜り続けていて、
その証が大涌谷の噴気地帯となって露出しこの一帯に地震を頻発させています。展望台からの眺めには飽きないものがありますが、
暑い日中で噴気の熱に晒されての長時間の滞在は抗しがたく早々に下山しました。
一方、草津白根山のほうは標高が2,160mとあって空気は高原ならではの清涼感がありました。
ここも平成26年に噴火警戒レベルが2に引き上げられてから入山通行が禁止されていましたが、
やっと今年6月に湯釜から500m離れた西展望台に行けるまでに規制が一部解除され、草津から渋峠を越えて志賀へ抜ける高原ルートも再開されました。
まだ解除されて間もないせいか駐車場から展望台までの登山道は観光客がひっきりなしで、湯釜の写真を撮るのも順番待ちの状況でした。
かつてここは夏シーズンのみ湯釜脇の展望台まで行ける歩道が解放されていました。
何度か行ったことがありますが、そのエメラルドグリーンに輝く湖面を美しくもまた恐ろしくも感じながら眺めたものでした。
湯釜は直径300m、水深30m、水温18℃の火口湖で、pHが1.0という世界でも有数の高い酸性度を持つといわれ、塩酸や硫酸が溶け込んで動植物はもちろん、
そこに入ったものは人間でも溶けてしまうといわれています。昭和45年の夏、この湖淵から高校生カップルが身を投げて心中を図った事件がありました。
当時多感な高校1年生だった私は同い年のカップルが起こしたことに驚き、湖中で跡形もなく消え去った二人に軽いショックと共に妙な羨望を覚えたことを思い出します。
およそ2,500万年前にユーラシア大陸から引きちぎられるように誕生した日本列島は、
幸か不幸かその地面の下に世界的にも稀有な4つのプレートを持つという特殊性を宿命づけられました。
東日本大震災を惹き起こした太平洋プレートは年に10cmのスピードで日本海溝に潜り込み、南側のフィリピン海プレートは年に3cmのペースで南海トラフに滑り込んでいます。
この2つのプレートと北のユーラシアプレート、北米プレートの縫い目がフォッサマグナでその南側端部に大涌谷が位置し、
そこから北へ抜ける一連の火山帯の中に草津白根山は存しています。稀有な存在だからこそ風光明媚な景色が生まれ豊富な湧出量の温泉にも恵まれましたが、
反面災害大国としてのハンデを背負うことになりました。
地球は生卵のように例えられ中身の流動的なマントルを包む表層の地殻は薄く殻のようだといいます。その殻は十数個の堅い岩板であるプレートから成り立ち、
それが互いに運動しているとする考えを「プレートテクトニクス」と呼んでいます。中世にコペルニクスは地球が太陽の周りを廻っているとする地動説を唱えましたが、
最新の科学は地球の殻である地面そのものが動いていることを教えてくれ、顰に倣えば「現代の地動説」と呼んでいいかもしれませんね。
動いている以上現在見る大涌谷や草津白根山の風景は過渡的な場面でしかなく、
2,500万年後どころか数千年後の風景が全く違ったものになっているであろうことは想像に難くありません。
そんな不安定な場所に動かないことを前提とした原発を立地することが不適なのは論を待ちませんが、
ましてや使用済み核燃料の保管に地下深く10万年残置するという計画はあまりに荒唐無稽です。
放射能レベルが元のウラン鉱石と同じ水準にまで減じるのに10万年を要するというのがその理由ですが、
新生人類が直立歩行となって東アフリカを発ってから現在までの時間が10万年です。他の安定したプレートならいざ知らず、
東京の載っている太平洋プレートの速度から言えば10万年したら10kmも移動してしまうことになります。
一極集中の進む東京の立地についても懸念され、地質学者の平朝彦氏は「小田原から丹沢に掛けての地形をみるにつけ、
東京がプレートテクトニクスから考えると世界で最も活動的な場所の一つに位置していることが分かる。このことについて、どれだけ多くの人が明確な認識を持っているだろうか。
大井・松田インターチェンジの近く、プレート境界の大断層(国府津-松田断層)の真上に生命保険会社の高層ビルが建っているのは、
私には東京の運命を象徴しているように思えてならない。」とその危険性を指摘されています。
以前動きのあった首都機能移転をしてリスクを分散するという案はその後どうなってしまったのでしょうか。
原発事故と同様従前から指摘されていたことを黙殺し想定外だったとまた繰り返すのでしょうか。
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