大学の建築学科では、一般には4年次になると研究室に所属して卒業研究と卒業設計という課題に取り組みます。
今どきはそのいずれか一方というのもあるようですが、私たちの頃は両方でした。年末頃までに卒業論文を書き上げて発表会を経てから卒業設計に進むことになりますが、
年明けから2月末までの短期間に設計図面をA0版ケント紙10枚ほどにインキング仕上げし模型も提出するという、かなりタイトなスケジュールとなっていました。
この卒論から卒業設計までの1年間は同期生の中でも研究室所属のメンバーとの付き合いが多くなり自ずと気心が知れていくことになります。
私も卒論と卒業設計を二人の共同提出として、U君という同期生と1年間を深く付き合うことになりました。
U君は静岡出身で最初に工学部の電気工学科に入学しますが、同じ建物にあった建築学科の友人を通して建築に興味を持ち始めます。
転科を考えますが、容易でないことを知ると電気工学科を卒業してからの学士入学の道を選びます。
一般には学士入学は3年次編入になることが多いのですが、
理科大の場合1年次から専門科目があることから2年次編入とされました。4年間で学ぶことを3年間でこなすわけですから自然と授業や課題は繁忙となり、
4年次に研究室で卒論をやっていた時には3年次の課題も同時にこなしていたようです。頑張り屋でしたが、それだけ建築に対する情熱が深かったと言えます。
二人で取組んだ卒業設計は「ART CENTER PROJECT」と題して、
千駄ヶ谷と代々木駅を結んだ新宿御苑に隣接する三角地域を敷地に想定して美術館と劇場を併せ持つ芸術空間を提案する計画でした。
U君が美術館を私が劇場をそれぞれ担当しプランニングから模型製作、ケント紙製図と就活もしながらの多忙な2ヵ月をこなしていきました。
最後の1週間ほどは彼のアパートでほぼ徹夜状態の中でいろいろなことを話しながら製図をしていったものでした。書き終えて提出の日の朝、
中野坂上の地下鉄駅ホームで「やったな!」と言って肩を抱き合って電車に乗り込んだのを昨日のように思い出します。
U君はその後東急不動産に就職、結婚をして親にもなり、その5年後くらいに独立して渋谷に設計事務所を構えることになります。
バブル期も追い風になり一時は多くの所員を抱えるまでになりました。友人ながら友情だけでない少し畏敬の念をもって彼を見ていたものでした。
そんなかけがえのないU君が昨年11月他界しました。
いつも来ていた年賀状が今年はなかったのを特に気に留めなかったところ、1月中旬に奥様から寒中見舞いが届き、そのなかに彼が亡くなったことが書かれていたのです。
9月に体調を崩して検査を受けてからたったの2ヶ月余のことだったそうです。
再婚したことも、入院したことも、そして亡くなったことも全く知りませんでした。
遅まきながら2月に入って研究室で一緒だった仲間6人で彼の住んでいた東静岡の家を訪ね、やっとお別れの挨拶をすることが叶いました。
亡くなる前日の子供たちに囲まれながら撮ったベッドでの写真や、体調を気にしながら久能山に家族で登った写真を見させていただき、最後まで彼らしい振舞だったことを奥様からお聞きしました。そして実家の影響からか洗礼まで受けたクリスチャンだったことも改めて教えていただきました。信念をもって他者に優しかった面はそのせいだったのでしょうか。
大切なものを失った空虚感に覆われています。
そんな折キリスト教の宣教師の深淵を題材にした遠藤周作の「沈黙」を映像化したスコセッシ監督の映画を見る機会があり、
同じクリスチャンを理解する上で考えること多でした。江戸初期キリシタン弾圧下の長崎を舞台に、信徒たちに加えられる残忍な拷問と殉教に苦悩し、
棄教を迫られる宣教師の姿が描かれていきます。上映時間2時間40分中、1小節の音楽も登場しない静かさと禁欲的な映像を食い入るように見ていました。
若い頃原作を身じろぎもせず読んだ記憶がありましたが、そこには神への信仰という難しいテーマが横たわっています。祈り苦しんでいるときに神は沈黙している、
語ってはくれないという現実を、そうではなく宣教師のこれまでの人生の中で自分を通して語っているのだという逆説的な弁証で描いているように感じました。
キリスト教はその歴史の中で良きものを人類に広めよとの教えから世界に宣教師を配し布教してきました。
絶対神というGODを信じ普遍的なものとして物事の論理を組み上げたところから合理性が生まれ、近代科学を発展させ西洋音楽を生みました。
特に自然科学の発展には寄与して、ニュートンの名著「プリンキピア」での万有引力発見の成果を例にとることができるといいます。
地面に落ちるリンゴをみて地球が引力を持つと考えたニュートンは、天体の動きを説明する際にも「神が自ら造った宇宙だから、
神の声がその仕組みの中に美しい調和として在るに違いない」という先入観を持ち、惑星運動についてのケプラーの三法則を万有引力の法則を使って説明して見せました。
“キリスト教の勝利であって、ニュートンに近い内容の数学を和算家達は持っていたが「プリンキピア」だけは何百年たっても到底我々の発見しえないものだった”、
と数学者の藤原正彦氏は語っています。
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