過日鐘楼堂建設でお世話になった黄檗宗寺院のご住職から、禅宗の特別展が東京国立博物館であるから行ってみたらと招待券をいただいたので、
期日が迫った日曜日上野まで出かけてきました。今回の展示は臨済禅師1,150年、白隠禅師250年遠忌という区切りの年を記念しての特別展で、
禅画といわれる水墨画や陶磁器など、名品・逸品が多数展示されています。
天気の良い日曜日とあって、案の定九時半の開場前なのに長い列ができていてその人気のほどが覗われます。
およそ1,500年前、達磨大師によってインドから中国へ伝えられたとされる禅宗は、中国で唐の時代臨済義玄(りんざいぎげん)によって広げられ、
日本にも鎌倉時代に伝えられました。武家の気風に合ったと見えて鎌倉武士に支持され、公家や天皇家にまで影響を及ぼしたとされます。
寺院では鎌倉五山を生み、下って室町期にも京都五山を成し政治的権勢も持つまでに発展します。更に江戸期に入って臨済の一派だった黄檗宗が独立し、
白隠(はくいん)らによって民衆への普及が進んだこともあって、現代の我々の日常生活の上にも深くその教えが浸透していると云われています。
ポスターやチケットの表紙を飾っているのは白隠禅師自らの筆による「達磨像」です。
白隠は一般庶民に禅を広めることに尽力した人で、多くの達磨像を描いたと云われます。その中でも代表とされるのがこの縦2メートルもある大画面の達磨像で、
その大きなギョロ目に気圧されてつい立ち止ってしまいます。線自体は何度も塗り重ねがあって決して巧いとは言えませんが、
珠墨の濃淡をうまく使って温かみも感じさせつつその迫力や力強さには圧倒されます。白隠が説いたといわれる「見性成仏」・・・「まっすぐに自分の心を見つめよ。
仏になろうとするのではなく、本来自分に備わっている仏性に目覚めよ」という趣旨をこの絵は見るものに伝えているように思えてきます。
展示品の中にあって一番見たかったのが、雪舟筆による「慧可断臂図(えかだんぴず)」。
縦1.8メートル、横1.1メートルの縦長のモノトーン画面からは静的な異様な静寂と緊張しか伝わってきません。のちに禅宗の二祖となる慧可が、
四書五経を読み尽くしても、なお不安な気持ちが解けず、悟りを求めて十二月の大雪の日に少林山で修業をしていた達磨のところに向かい入門を請うものの、
達磨は壁に向かって座禅をしたまま返事がない。そこで慧可は自ら左腕を切り落としてその決意のほどを示し、
ようやく入門を許されたという故事が描かれているのです。
雪舟最晩年の作とされますが筆使いはしっかりとして老いを感じさせません。
悟りを開くために洞窟の壁に九年間面座し続け、手足が腐って落ちてしまったと云われる無表情な達磨。
そして弟子入りするために腕を切り落しそれを右手で持ってその決意を示す慧可。故事とは言えこんな過酷に耐える人たちがいたのでしょうか。
息苦しいまでの緊張感が伝わり、身じろぎもできないような時間が長く続きました。
禅問答と言われるように、禅の教えは少し難しい印象があります。それは「悟りとは心の問題だ」ということから来ているのかもしれません。
「以心伝心」や「当意即妙」は今でも使う禅宗の言葉ですが、一つの心や真理と言われてもやはり少し曖昧です。
黄檗禅師と弟子との問答にもそんなやり取りが残されています。
弟子:「昔から誰もが即心是仏(心こそが仏だ)と言っていますが、いったいどの心 が仏なのでしょうか」。
黄檗禅師:「お前には何個の心があるのか」。
昔でも心の在りかが分からず教えを乞うている弟子が居たことに少し安堵したりもします。
しかしそんな難しい禅ですが、インドで廃れ、中国でも勢いを失っていったものが日本で最も花開いて日常生活にまで浸透し近代化に貢献したというのは歴史の皮肉かもしれません。
布団の上げ下ろしや掃除など自分の身の回りのことは自ら始末することや、食事を残さずきれいに食べることなど「日常生活こそが修行」というのが、
今にも残る禅の教えのひとつだと云われています。
鎌倉武士の潔さにも通じるきれいな所作で自らを律するという気風が日本人に合ったのかもしれません。
足利の曹洞禅寺で教えを受けた相田みつを氏の言葉の中にはそんな禅の心が分かりやすく読まれていて、我々の心にすっと入ってくるものがありますね。
「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」
「樹木は風雪の中に他人に見せたくない自分のあるがままの裸をさらす
ひとことも弁解しないで」
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