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赤石建設株式会社 一級建築士事務所
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平成28年5月


 東京目白通りを練馬から目白方面へ進むと、江戸川橋付近で急な下り坂となって神田川を挟んで飯田橋となります。 文京区目白台のこの辺は武蔵野台地の東縁部にあたる関口台地と呼ばれる丘陵地の端になり、古くはここの崖地を最後に江戸湾が迫っていた時期もあったようです。 この目白通りから飯田橋へのルートは懐かしく、学生時代後半自転車で通学した際に通った道でした。中落合の下宿から目白通りを飯田橋方向に向かっていくとこの急坂に出て、 神楽坂までは「行きはヨイヨイ」の下り坂で楽でしたが、帰りは逆に自転車では登り切れず押して歩いたことを覚えています。途中の景色は飽きることなく、 目白駅、川村学園、学習院、日本女子大、田中角栄邸と続き、坂の最後に椿山荘と東京カテドラル聖マリア大聖堂がありました。 学園キャンパスが多いこともあって通り沿いは都内にあっては緑が多いほうだとは思いますが、その最後に鬱蒼とした森を感じさせる一郭がこの椿山荘でした。  その椿山荘で4月長男の慶事があった際、中の庭園を見る機会がありました。  江戸時代までは久留里藩黒田氏の下屋敷があったところで、椿が自生する景勝地だったいわれます。 明治に入って西南の役で功のあった長州人の山懸有朋が自邸として購入し、その椿の名を取って「椿山荘」と称したようです。  作庭好きだった山縣は崖線や傾斜地を利用した池を特徴とした自然庭園を当時の名庭師・岩本勝五郎を起用して進めていきました。 大正期に関西財閥の藤田組に所有が移ってもその遺志は引き継がれましたが、東京大空襲で樹木の大半を焼失。戦後藤田興業の所有するところとなって再興され、 昭和27年に主に結婚式場として再スタートしていくことになります。
 園内には都内では珍しく湧水があり、 秩父山系のミネラルを豊富に含んだ良質の地下水が湧き出る古香井(ここうせい)という井戸が関東大震災の際には多くの被災民ののどを潤したと云われます。 建築物としては圓通閣(えんつうかく)と呼ばれる三重塔が国の有形文化財に指定されています。もとは東広島市の竹林寺にあったものを大正期に移築したものですが、 創建年代は定かではないようでその特徴から室町後期の古いものだと推定されています。  少し高くなったホテル棟のほうから見下ろすその庭園群は、遠方に池袋の高層ビル群が視界に入ることでここが東京の一等地だと分かりますが、 それがなければあたかも山の渓谷かと見まがうような情景を提供しています。四季を通じて楽しめるよう樹木選定がなされているのが容易に想像され、 この日も青葉をつけ始めた楓や欅の他に遅咲きの山桜や白い花をつけたコブシが目を楽しませてくれました。  そして目白通りを挟んで椿山荘の反対側には東京カテドラル聖マリア大聖堂が鎮座しています。カトリックの教会として昭和39年に完成したこの大聖堂は、 前川国男、谷口吉郎、丹下健三という往時の巨匠による設計コンペによって選ばれた丹下案のもので、 HPシェルと呼ばれるコンクリート構造体と屋根材のステンレスシルバーの色の対比が際立つ大空間の建築となっています。 外部からは白鳥が羽ばたいているような優雅さを感じさせますが、中に入ると一転禁欲的なモノトーンのコンクリート上昇壁面に覆われ、 暗い空間にトップライトから十字形の光が差し込んでくる仕掛けになっています。 そして祭壇の光背にはステンドの代わりに薄い大理石が嵌め込まれその上に十字架が架けられています。 建築科学生の頃はその代々木の体育館を彷彿とさせる大空間に魅せられて何度も通ったものでした。 いつだったかチケットを買ってあった演奏会の日が設計課題の提出の前日になってしまい、演奏会に行くか課題をやるか迷った挙句、 雨の降る中小澤征爾さん指揮によるモーツァルトのレクイエムをこの会場で聞いたことがありました。残響時間が極端に長く、 宗教曲の合唱や演奏にはより効果的な印象を与え深く感動した覚えがあります。良い経験だったとは思いますが、 今思えば設計課題をちゃんと出したほうが良かったかもしれませんね。何十年ぶりかに入った内部の感じは、 打ち放しコンクリート面が少し黒ずんだと思わせる他は当時と変わらない緊張した空間が広がっていました。  その後、神楽坂までは牛込を過ぎればすぐなので、歩いて神楽坂下まで足を延ばしてみました。 先月のこの欄で紹介したようにまだ詣でていなかった神楽坂赤城神社に寄ってみたかったからです。 こちらは大洞の赤城神社とは打って変わって直線を生かしたモダンな造りの社殿となっていました。通りの狭隘さに比して境内は意外と広く、 土地の有効利用からかマンションも併せ持っているようでした。  拝殿西側のデッキの位置からは、かつて晴れた日には赤城山が望めたと云います。 勧請した大胡氏はここから故郷の山を望んではふるさとを思ったのでしょうが、今は高層のビル群に遮られて望郷の赤城山を晴れた日でも望むことはできません。

 息子の祝い事のついででしたが、思いもかけずに40年前の懐かしい場所を巡る「小さな旅」を経験させてもらいました。







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群馬県太田市に創業し、社寺建築・住宅建築を手掛けている赤石建設株式会社です。
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