新年を迎えまして、あらためておめでとうございます。
正月は色々と会社の行事や地域の集まりがあって忙しくもあるのですが、家を離れている子供たちが帰郷し集まれるのは
やはりうれしいものです。
今年は次男が成人を迎え、市の催す式に参加してかつての同級生たちと久闊を叙して楽しそうでした。
建築科の大学院に行っている長男には卒業論文の原稿を見せてもらって色々教わることがありました。
「さざえ堂の流行と寺院経営」というテーマで、江戸後期に流行した関東以北で作られたさざえ堂が、
その目的の一つに大きな集客力と賽銭収入を期待したとの視点でその背景を調べたものです。
既存するさざえ堂は
全国に6棟あり、太田市内にも曹源寺百観音堂が存在します。
西国三十三、坂東三十三、秩父三十四カ所の本尊の写しを一堂に集め、堂内をらせん階段で一巡することで実際の巡礼に
代えようという合理的なコンセプトを持ったもので、それが西国を始め坂東・秩父などの各地の札所巡礼の隆盛、富士塚や写し霊場に
見られる簡略主義の庶民思想等を背景として、経済的に困窮していた寺院の賽銭収入を当て込んだ経営上の理由が大きいとの視点で
調査研究したものですが、これまで大工技術の成熟だけに目が向いていたものが、背景にそのような理由があったことで大変興味深く
感じられました。
いつも思うことですが、歴史を見るときに今の視点や考え方で過去を見てしまうと、大事な部分を見落とす恐れがあるということです。
百姓を農民と決めてかかったことがそもそも誤りだと説いたのは網野史学と呼ばれた網野善彦氏でしたが、かつての百姓は農民に
とどまらず、漁民、川民等多くの職種であったと理解すれば歴史の見方も変わってくるというものです。
もう一人三男がいますが、こちらは中学二年生。六本木ヒルズ、ミッドタウン、寅さんの柴又帝釈天に連れて行って
(めちゃくちゃ?)日帰りの旅行とさせてもらいました。
子供の年が離れているといろいろと苦労します。
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