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赤石建設株式会社 一級建築士事務所
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平成28年3月


 港区白金台の東京都庭園美術館でエミール・ガレのガラス工芸展が行われているというので会期末訪れてみました。
 世紀末様式の「アール・ヌーボー」の立役者として有名なガレはガラス工芸家として知られていますが、そのデザインには多くの植物や昆虫類が多用され、 しかもジャポニズムの影響もあってか我々日本人にも身近に感じる装飾がガラス工芸に施されていて興味をそそります。それもそのはずでガレは言わずと知れた植物学者でもあって、 自宅の6,000坪もある庭には洋の東西を問わず3,000種近い植物が育てられていて、日ごろからそれを子細に観察していたといわれます。
 欧州ではあまり使われない松やアジサイの他、毛嫌いされていたカマキリやトンボ、さらには龍などの形を模した装飾が花瓶や水差しのデザインに引用されています。
 1889年のパリ万国博で世界中から絶賛を浴びて一躍高い名声を得たガレでしたが、後年は体を壊し工房経営も悪化しはじめて次第に世間の耳目から遠のいていきます。 世紀末様式が生んだアール・ヌーボーの少し華麗すぎるデザインは、その危うい優美さが返って退廃的な精神の不安定さを感じさせるものです。
 そんな繊細で優美なガラス細工の展示会場となっている都立庭園美術館は、かつて朝香宮邸として戦前まで旧宮家の邸宅として使われていたものでした。
 フランス留学の長かった朝香宮は1925年頃のパリで流行していた「アール・デコ」運動に感化され、 帰国後この白金台の緑豊かな地にアール・デコ様式を取り入れた邸宅を計画します。全体設計は宮内省内匠寮、 内装設計にフランス人の美術家アンリ・ラパンを起用しての大計画で1933年に竣工。皇籍離脱となる1947年まで使用されていました。 その後は1954年まで吉田茂首相の公邸として使用され迎賓館の役割を担っても来ましたが、1981年東京都が所有することになりその後庭園美術館として一般公開され、 更に重要文化財指定となって今に至っています。
 その秀逸な設計や造りを見て、昭和初めの頃の技術者と職人の技術の確かさをまざまざと感じさせられます。 正面玄関のガラスレリーフ扉、大広間のウォールナット材を使った装飾壁と天井の格天を思わせる半円球の照明器具、大食堂の壁面上部のレリーフ壁画やエッチングガラス、 ブロンズ製銀いぶしの嵌め込み金物を使った手摺と階段等々。内装品は仏国から輸入したものが多かったとはいえ、 一般の庶民感覚からすると想像すらできないような設計アイデアがこれでもかと散りばめられています。
 そこには数寄の意匠、古典主義から表現主義、アール・デコ様式、インターナショナル建築など、あたかも学生時代に習った西洋建築史を紐解いていくような感覚に襲われます。 恐るべき技量と言わざるを得ません。
 皇籍離脱というGHQの施策によって一民間人に降下するまでのたった14年間の居住でしたが、ここでどんな生活を朝香宮はなさっていたのでしょうか。戦前の貧しい時代にあって、 そのあまりに浮世離れした贅をつくした造りに、ついこのアール・デコ建築に住むというその「住まい方」を想像してみたくなるのです。
 ついでながら、この庭園美術館が都立としてオープンするまでには戦後の時代背景を透かした紆余曲折があったことはあまり知られていません。
 この敷地はもともと皇室の白金御料地の中にあったものを、大正10年にその内の1万坪が朝香宮に下賜されたものでした。 隣接する自然教育園の敷地は8万坪もあり武蔵野の面影を残したまま保存されています。昭和22年10月に決定した皇族の「臣籍降下」(皇籍離脱)では11宮家が対象となり、 その中に朝香宮家も含まれていました。民間人となったがため免税特権も剥奪され財産税が課税されていきます。一時金給付がなされたものの資産の多くが土地建物であったため、 旧皇族はその納税のために苦慮することになります。そういった時代状況の中で目ざとくそれらの土地に触手を伸ばしていったのが堤康次郎の西武鉄道でした。 軽井沢・千ヶ滝の朝香宮別荘地と共に所有権を移したのがこの白金台の邸宅用地だったのです。その立地の良さに目をつけここにプリンスホテルを建てることを目論でみたものの、 察知した地元民間人の自然環境保護の反対運動で頓挫します。「白金台プリンスホテル」は幻となったものの、 昭和25年に坪700円で買った土地を都へ約1,800倍の坪129万円で売り抜けて実を取り、 西武は時を同じくしてその資金で旧北白川宮邸跡地に新高輪プリンスホテルを完成させたと云われています。
 軽井沢・千ヶ滝、高輪、新高輪、赤坂、品川と、なぜ西武の建てるホテルにはプリンスが冠されているのか。 それはこれらの土地所有者であった旧皇族たちが皇籍離脱で民間人に降下されたものの、世情に疎くその資産税の納付がままならぬままに土地を手放したのを、 二束三文で買い叩いてそこにホテルを建てていったからにほかありません。その名の通りそこには元プリンスたちが住んでいたからなのです。
 この旧朝香宮邸も戦後の皇室制度改革のどさくさで一私企業の手に渡り、再び公有地に戻ったという土地ころがしのような背景を持ち、高い土地代金を支払わされたものの、 都が所有することによって自然園が保護され、何よりも日本でアール・デコの粋をつくした建物は他になく、 日本建築史上の記念碑と言われる朝香宮邸が保存されたことは歴史の皮肉と言えるかもしれません。







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