新国立競技場の建設を巡ってはドタバタが続いていて、ザハ案の斬新な流線型の案は白紙撤回となってしまったようです。
ツルの一声で簡単に白紙撤回というものの、これまで実施に向けて設計や施工関係者が費やした多くの労力が水泡に帰すことを考えると忸怩たるものがあります。
立場上ものを言えない業者側の声も少しは汲取って欲しいものです。
費用が掛かりすぎるのが一番の要因のようでやむを得ないとは思いますが、一建築関係者からするとザハ案が実現できなかったのが少し残念といえば残念です。
キールアーチと呼ばれる、主に橋梁などの土木技術で使われる構造体が予算オーバーのおもな原因と言われていますが、
競争原理が働くほどこのような大構造物を作れる専門工事会社が国内にそう多くあるとは思えません。
過日、大学建築学科のOB会があった際の講演会で、同窓で機械工学科出身の富田英雄氏からお話を聞く機会を得ました。
富田氏は古河市にある兜x田製作所の専務をなさっている方で、特殊な板金加工を手掛けることでその方面では有名な会社と知りました。
東京理科大学の博士同窓会では同窓生の中から各分野で活躍された方を顕彰する制度が設けられており、
夏目漱石の「坊ちゃん」が物理学校に学んだことに因んで「坊ちゃん賞」と呼ばれています。
昨年の第17回坊ちゃん賞に「厚板精密板金を通して日本のものづくり技術の継承と挑戦」を顕彰して選ばれたのが富田氏でした。
今回その記念講演を聞いて、実際やっておられることが建築や土木の分野に深く関わっていることを知って驚きました。
そのつくば工場には世界最大といわれる16,000トンプレス機が設置されています。
これで一体どんなものが加工できるのか。お話によると世界一の高さを支える東京スカイツリーの鼎柱である、
地下基礎から地上150mまでの直径2,300o、厚さ100o、重量15トン、降伏耐力500N/o2の鋼管を製作したというのです。
スカイツリーに行った際、その柱の太さと斜めによじれていく3次元の曲柱をどんなふうに作ったのか関心を持ったものでしたが、
10p厚の鋼板を冷間でプレス機に掛けて順次曲面にしていき最後に溶接をして丸くしたと初めて知りました。ビデオで見させていただきましたが、
厚い鋼板がプレス機で簡単に曲げられていく様はあたかも樹脂の下敷きを曲げるかのようでした。
材料の運搬にも大変な労力を要したようで、長さ9m×幅5mの鋼板を九州の製鉄所から海路鹿島港に運び、
内陸の筑波山麓の工場に運ぶために新たに台車を発明・申請し陸送の許認可を得たなどベンダー工程の前に越えなければならない難関が何度もあったことを教わりました。
この大型のプレス機も建屋を造ってからでは搬入が出来なくなるため、先にプレス基礎を作って青空のもとでプレス機を設置したあと建屋を建設した話など、
そのスケールの大きさが窺い知れます。
この他にも羽田空港の第4滑走路を支える桟橋杭の鋼管製作も担ったり、東京駅北口グランルーフ計画のデザイン重視の構造物も手掛けたと聞きました。
まさに国家プロジェクト的な事業に携わってきたといえます。
元々は小さな板金会社だったものを、先代で元特攻隊員だった父が拾った命を社会に帰すとの思いの元、
世界にないものを手掛けるとの一念で大型プレス機導入を周囲の反対を押し切って決めたのが事の始まりだったと聞きました。
その資金繰りや営業的な見通しを考えると周囲が反対するのも分かりますが、それが今では世界でここでしかできない「オンリーワン技術」が育っているのを鑑みると、
会社経営とは経営者の信念と実行力だと云われるのが良くわかるような気がします。
新国立競技場のキールアーチが鋼管形だったのかコラム形だったのか不明なので、このプレス機の技術が生かせたかどうかは分かりません。
でも時代の流れや空気のなかで、分相応なものを作ればいいんだという意見には与する部分はあるものの、
安藤忠雄氏が語った「現代日本の建設技術の粋を尽くすべき挑戦」という少し時代がかったロマンが、
富田製作所の技術を前にするとあながちただの夢物語ではなかったのではないかと、ついその実現を夢見てしまうのです。
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