この「社長のうんちく」も今回で100回目となり、足掛け8年を数えることとなりました。
最初はホームページ開設に当たってブログ発信のつもりで拙い文章を書き始めましたが、調子に乗ってだんだん長くなって少し冗長では?との声もチラホラ聞こえてきます。
考えると誰に向かって書いているわけでもないのですが、遠方の人にはあいつまだ生きてるなぁ、くらいの消息だよりだと思ってこれからもお付き合いをお願いします。
以前にも書きましたが、安倍首相と同年輩の私は今年2015年が還暦の年回りになります。定年のような変化がないので特に何の感慨もないのですが、
振り返って昭和29年〜30年生まれの同学年の有名人を上げてみると少しはこの年代の雰囲気が分かるでしょうか。
隈研吾、下村文科相、共産党志位委員長、古館伊知郎、片岡鶴太郎、所ジョージ、春風亭小朝、中島常幸、林真理子、壇ふみ、伊藤蘭、秋吉久美子、麻原彰晃、
メルケルドイツ首相、ブルース・ウィルス、ケビン・コスナー、スティーブ・ジョブズ・・・。
うーん、共通項を見つけるのは至難の業ですねぇ〜。
でも出生動態を年代別に見てみるとこの年代の歴史的立ち位置が浮き上がってきます。
添付の棒グラフで分かるように、私たちの世代の前には昭和22〜24年生まれのいわゆる「団塊の世代」が年間出生数270万人という数で聳え立っています。
そこから昭和35年くらいまでの10年間は急激に出生数が減っていき、我々の世代付近では一時150万人くらいにまでなって谷をなし、
再び団塊ジュニアの第2次ベビーブームへ向かって上昇線を描いていきます。
第2次世界大戦を終えた世界の先進国でもこの団塊の世代はベビーブームに沸いて出生数が多いのは共通なのに、
その期間が長く続かず、3〜4年で短期間に収束していくのは日本独特の人口動態なのだそうです。一体何がこの間あったのか。
1950年代の初頭から大規模な産児制限が行われたというのです。戦後の貧しさの中でのやむを得ない選択だった面もあった他、
1948年に制定された「優生保護法」による産児制限が大きな役割を果たしたと言われています。
他の先進国がキリスト教であることを考えると「谷」の原因はそうした文化の相違にも求められるかも知れませんが、
結果として出生率はベビーブーム時に比べて4割も低下しました。
この我々「谷間世代」はその後経済学でいうところの「国際収支の壁」という、
発展途上で継続的な成長が阻害される要因を日本に作らなかったという役目を果たしてきたといいます。
ベビーブームが続いていたなら消費が拡大して貯蓄に回らず、その分設備投資に回す資金が不足し輸入の増加から国際収支が悪化する。
それを改善するために需要抑制をせざるを得ないため国内生産の芽を摘んでしまうという悪循環が起きるのだそうですが、
「谷」があるために消費する分を貯蓄に回すことができたことで、収支を赤字にすることなく設備投資に資金を充てられ高度経済成長を支えて行けたという見方です。
反面、「禍福はあざなえる縄の如し」で、この人口動態がそのまま推移してきたのが今で、
団塊世代の高齢化と共にそれを支えるべき次世代の「谷間世代」の生産年齢人口が低下して経済成長を押し下げているというという罪の部分もあるといわれます。
主要国の中で唯一人口を産児制限でいじったツケが人口減少の一因となって今後に影響してくる特殊な国になっていると言うのです。
そんなことを言われても私たち世代のせいではありませんが、「谷間世代」の功罪が結果として日本経済に影を落としていることを考えると、
生産年齢人口の低下を防ぐうえでも定年だといってリタイアしている場合でなく、もうひと踏ん張りして後世に迷惑を掛けないようにしなければならないのかなぁ、
とも思ってしまうのです。
でもそうはいっても区切りは区切り。過日いつもの中学の同級生の仲間で還暦旅行と銘打って伊勢・賢島へ行ってきました。
来年のサミット開催地となって地元は盛り上がっていましたが、比較的空いている時期だった伊勢神宮では、ゆっくりとガイド付きで内・外宮を見て回ることが出来ました。
きっと傍目にはどう見ても初老の団体旅行としか見られなかったでしょうが、
男女7人、当人たちは中学時代の修学旅行気分そのままに若い気持ちで初夏の伊勢・志摩を巡ってきたのでした。
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