「地球を支配しているのは人類ではなく植物だ。」とは誰がしかの植物学者が言った言葉ですが、
確かにランドサットで見た地球の陸地は、少なくなったとは言えまだまだ緑に覆われ植物が繁茂しているように思われます。
人類よりはるか太古の昔から生き抜いてきた植物は一見静的ですが、移動できず土地に定着するという植生から、それは人間で言う
土地争いの様相も呈します。
いつか木曽山中でみた根立ちの木曽檜(写真)は他の木の上に芽吹いた場合に起きる特異の現象だそうで、
その壮絶さにはしばし立ち止まり感嘆した記憶があります。
森の中の木々のおとなしい風情とは裏腹にそこには凄まじい生存競争が繰り広げられているのだと感じさせてくれます。
そんなことを思ったのも、近くの利根川の土手にススキを見た時にその数がすいぶんと減ってしまっていることに気づいたからです。
その代りに増えてきたのが黄色い葉をつけた「セイタカアワダチソウ」と呼ばれる植物です。
気にして他の場所に行った時にも注意してみると何処でもアワダチソウとススキの場所争いが繰り広げられているのに気づきます。
きっと土の下では根っこ同士の場所取りが激しく行われているのだろうと想像します。このアワダチソウはアメリカ原産の外来種だそうで、
その繁殖ぶりは凄まじいの一言で、ススキのあった場所が年々とって代わられているように思われます。
淡水湖でも外来種のブラックバスという魚が大繁殖して、旧来の地魚を食い荒らしている被害が出てきているのと同じことなのでしょうが、
アメリカ産に負けてしまうのが何となく人間社会と同じようで残念な気がしてきてしまいます。
これもグローバル化なのでしょうか。
京都議定書以来、今年もバリで世界環境会議が開かれ一歩進んだ数値化に向けて動き始めていますが、企業活動も環境配慮、
CO2排出削減の貢献度に応じて評価される時代が来たことを意味します。それと同時に森林の保全と健全化が求められてきますが、
日本の林野行政も厳しい局面を迎えています。杉・桧に偏った戦後の植林計画が現状の需要と食い違いを生み、
更には杉花粉の問題も起こし停滞を余儀なくされています。
大径木を使う社寺建築も外国材に頼っている現状から、いつの日か大断面材に転換する時がくるのでしょうか。
そんな心配も世界環境的にはしなくてはならない時代です。
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