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東日本大震災60日間の記録
2011年3月11日〜5月11日

小鮒 實牧師が、石巻栄光教会の「掲示板」に書き込んだものをまとめたものです。(一部加筆修正あり)
なお、関連記事として、幼稚園報「ひかりのこ」に載せた文章、お礼状等もリンクに載せておきます。
(写真は順次載せる予定) 本記録のあとの「震災その後」もあとでUPする予定です。

3・11(金)東日本大震災1日目
 3/11(金)午後2時46分頃、大きな地震が起こった。園バスが、子どもたちを降ろし、園に帰って来て5,6分後のこと。

 大きな揺れで、幼稚園の教職員は園庭に集合。そのまま隣の好文館高校の体育館2階に非難した。(幼稚園の犬と我が家の猫を連れて)

 教会近くの教会員や幼稚園の保護者・園児も非難して来た。(この頃、息子に携帯電話で連絡)

 しばらくすると、津波の警報。水が少しずつ見えて来た。教会・幼稚園があるあたり(海から2km位)までは、水が来ないと誰もが高を括っていた。

 水が少し見えて来た所で、實は、幼稚園には兎がいること、園の窓が開いていること、鍵もかけていないことを思い出し、園に急いで帰った。そして、増水して行く中で、幼稚園の戸締まり、地震で開いた教会の戸締まりをし、兎も牧師館に避難させた。

 あっという間に、水は膝近くまで来て、長靴では移動出来ないことを悟り、牧師館に留まった。(1階に浸水して来たときは2階に逃げる覚悟で)

水は、すごい勢いで一段低い好文館高校へと滝のように流れて行った。(※このあたりには、地震後約1時間位経ってから津波の水が押し寄せて来た。第?波)

この頃には、固定電話、携帯電話も繋がらなくなり、100mも離れていないのに連絡がつかなかった。

 朝子はじめ幼稚園の先生方は、そのまま好文館高校の体育館で、寒さに震え一夜を過ごした。

これが私たちの経験した地震および津波の第一日目。石巻がどうなったのか全く分からず。


園舎の2階軒下落下


教会の窓外れる

3/12(土)東日本大震災2日目
 朝、水は少し減っていたが、まだ残っていた。長靴を履いてもあまり遠くまでは行けなかった。(水と瓦礫で) 孤立状態だった。被害の実態はつかめず。

 教会員、園児の安否が心配だったが、何も出来ず。

 隣の好文館高校から、幼稚園の先生方が水の中を歩いて園に帰って来た。なんとか犬と猫を連れて園に帰り、その日は教会堂で過ごした。(幼稚園の先生方、教会堂で宿泊。M兄、教会にある寝袋等を用意)

 好文館高校から園まで来た多くの被災者がいた。しかし、水があって家に帰る事の出来ない方々がいたので、幼稚園の「のあさんの部屋」を「臨時避難所」として開放。(この日、30名位が利用。幼稚園のトイレは簡易トイレ。好文館よりは好条件?横になる場所もあった)

(隣の好文館高校には、まだ1m近く水がある所もあり、倒れて溺れそうになった方もいる。また、当初水洗トイレが使用出来なかった好文館だが、本日午後にはプールの水を使い使用出来るようにした)


幼稚園・職員室

3/13(日)東日本大震災3日目
 日曜日だが、地震で教会内が散乱状態で「聖日礼拝」守れず(お祈りのみ)。
 聖書・讃美歌等を置いていた棚、また、週報ボックス等倒れ、散乱。食器等を置いていた机が倒れ、多くの食器破損。事務室の棚倒壊、散乱。教会堂の窓も地震ではずれ、幸いガラスは割れなかったが、鍵がよく閉まらない。勿論、教会員が礼拝に来られるような状況ではなかった。

 幼稚園では、軒下天井が破損危険状態。ぱんだ組のピアノが倒れ壁破損。職員室は教材等を置いていた大きな棚が30cm移動。それにより壁破損。ロッカー、机等も移動。棚に入れていたもの、ほとんど落下。絵の具を入れていたボトルも落下割れる。多くのもの散乱。職員室メチャクチャ。地震の大きさを痛感。ファミリー文庫の本も散乱。文庫室のPCのプリンタ落ちて壊れる。2階の和室、台所も散乱。額が落ちガラス割れる。

 牧師館は、玄関入口一部破損。門のタイルも一部破損等々。

 教会・幼稚園・牧師館それぞれ原形をとどめているが、後日慎重に調査する必要あり。

 幼稚園の保護者が、昔の灯油ストーブ、灯油2缶、食糧、ペットボトル等を届けてくれた。(家族と共に新潟に一時避難するため、冷蔵庫にあったものを全部かき集めて持って来てくれた。停電で冷蔵庫使用不可のため?)

 昔の灯油ストーブと灯油は、のあさんの「臨時避難所」で使用してもらう。
水嵩が減って来たので、幼稚園のY先生を自宅に送る。残りの二人の先生は教会堂で宿泊。
「臨時避難所」2日目。自分の家が心配で、家に帰った人もいるが、まだ20人以上避難している。

 

様々なもの落下

3/14(月)東日本大震災4日目
 日本基督教団総会議長石橋秀雄先生、東北教区総会議長高橋和人先生をはじめ合計6人の調査団の訪問を受ける。

交通規制が敷かれていて、カメラのキタムラの近くから歩いて来られた。(道路陥没、寸断、水もまだかなりあった所から)

 物資を持って来られたが、歩きなので、私の自家用車(まだ動いていた)で物資を取りに行ってくれた。水、食糧、ローソク、電池等々をいただく。感謝。

 地震と津波の被害について説明し、その後、調査団は私の車で石巻山城町教会へ行かれた。

調査団が帰ったあと、物資の配給を行う。

 幼稚園の先生方帰宅。一人は自家用車が津波の水で故障、小鮒家の自転車で1時間30分かけて悪路を自宅に帰る。

 教会員、幼稚園の園児の安否確認を歩いて行う。(自転車を貸してしまったので)

 救援物資・水が「避難所」には届いたようだが、こちらには来ない。隣の好文館高校に水をもらいに行ったら、避難所用なので一般の人には与えられないと断られた。が、臨時避難所ということで、強引に水をもらって来た。

「臨時避難所」3日目。まだ10数名の人が避難している。

 ◆地震被害者へのアンケートでは、ライフラインの機能停止によって困難を感じた順位は、1位が水道、2位が電気、3位がガスとなっており、水道のニーズが最も高い。東日本大地震では地震の衝撃で送水管が破損し、約230万世帯で断水が起きた。ちなみに、私たちの所に、水道の水が出たのは3月28日、震災後18日目、電気が復旧したのは3月23日、震災後13日目です。本当に大変でした。


石巻市役所前(3/14)


JR石巻駅前(3/14)
まだ水がありました

3/15(火)東日本大震災5日目
  午前中、連れ合い(朝子さん)と2人で教会員のS.S宅とM.S宅を悪路の中を歩いて訪問。

 S.S姉の家は鍵がかかっていて、どこに避難したのか不明。心配。

 M.S姉は、隣家(N家)の方に聞くと、昨日自衛隊の人が来て、ご主人と娘、孫と一緒にご遺体をどこかに運んだという。(ご遺体は数日前に確認されていたようだ)搬送先は不明。涙に濡れる。持ってきた食糧等、隣家(N家)の方に差し上げる。

 午後、「臨時避難所」の人たち、全員帰る。
 「臨時避難所」には、救援物資が来ない、水も来ない。親戚、知人の様子が徐々に分かったので、そちらに身を寄せる。いろいろな事情があったようだが、とにかく「臨時避難所」は今日で閉鎖となる。(4日目で閉鎖)

 園児の安否確認。コンタクト(連絡)がとれない子もいる。
 ローソクの灯で夕食。

 携帯電話、まだ「圏外」で使えず。

 風呂にも入れず、ラジオを聞きながら8時には睡眠。
 だって、真っ暗闇ですることないモン。こんな生活いつまで続く?


日和山から日和大橋方面(3/14)
まだ煙が…

3/16(水)東日本大震災6日目
 片岡謁也・教区宣教部委員長、柴田信也・長田センター主事、新井純・十日町教会牧師、渡辺真一・同志社大学院生、Ken Joseph Jr.(アガペハウス)、ほかに取材で London Evening Standard の David Cohen 、横尾通訳者などが来石。
 救援物資をいただく。携帯電話の充電器も。感謝。炊き出しもしてくださった。おいしかったです。

 片岡委員長は、当教会に来られていた鈴木先生、ぺー先生と石巻山城町教会へ。当教会からの帰りに、Y.M兄弟の所へ寄るとのこと。

 教会員・園児の安否確認。


自衛隊が道を作る前

3/17(木)東日本大震災7日目
 J.G夫妻、S.S兄、灯油をもらいに来る。分けてあげる。

 教会・幼稚園の灯油タンクには、半分近く灯油がある。しばらくは持ちそうだ。しかし、いつまで持つか分からない。勿論、補給は不可能。

 園児、卒園児確認、T.A宅、H.T宅、M.I宅、M.T宅等を歩いて訪問。全員無事。ホッとする。


教会・幼稚園にも40〜50cmの水が来ました

3/18(金)東日本大震災8日目
 教会員のM.S、Y.Mさん、教会に顔を出してくれる。

 ほかに2名の会員が無事であること判明。(避難所にいる)感謝。

 地震、津波から1週間経つが、未だに電気も水も来ない。携帯も繋がらない。

 少しずつ、教会員・幼稚園関係者の安否が判明しているが、まだ全員の確認は出来ていない。

 

内海橋の上・ゴミいっぱい

3/19(土)東日本大震災9日目
 朝、鰐山配水場に水を汲みに行く。上り坂がかなりきつい。歩いて30分。18リットルのボトル2つに水をいっぱい入れてもらったら、帰りは1時間近くかかった。キャスター付きのキャリアを持って行ったにもかかわらず、路面がデコボコ状態なので、2人で交代、休み休みやっと教会にたどり着く。やはり老体にはこたえました。

 仙台の明泉幼稚園のサムエル・ブローマン氏が来られた。援助の申し出。

 午後、エマオの支援センターから物資が届く。日本バプテスト連盟の方々4名が運んで来てくれた。

 教会にも少し物資を降ろし、その後避難所になっている好文館高校へ。好文館高校では救援物資は十分とのことで、近くの大街道小学校(避難所)へ行く。

 ここでも食糧関係は間に合っているとのことで、その代わり、発電機2台、ランプ、衣類、生活用品(生理用品、赤ちゃんのオムツ、粉ミルク、歯ブラシ、せっけん等々)を置いてきた。
 好文館高校には電気が来ているが、大街道小学校は配電盤の故障(津波のため)でまだ電気が使えない状態。
 食糧関係の物資があまったので、教会でいただく。

 食料の中にあったメッセージ
「からだに気をつけて下さい。心からおうえんしてます。」(さいたま市・小1・たけるくん)
「みんな元気だしてがんばってね」(さいたま市・小4・美香さん)
 教会学校(子どもの教会)のおともだちが、教会で地震や津波のお話を聞いて、お家から持ち寄った食料なのでしょう。涙が止まりませんでした。感謝、感謝。本当に感謝です。ありがとうね、みんな。

 夕方、日本バプテスト連盟の野口宣教部部長、濱野宣教研究所所長も教会を訪ねてくれた。

 I.I家、T.H家、Y.M家などに救援物資を届ける。

 たまたま給油所が開いていたので、40分並んでガソリンを補給。1リットル150円。これで車も使える。ラッキー!

 水の確保のために情報収集。歩いて10分近くの所に井戸水をくみ出すポンプがあることを知る。バケツに2杯、水を汲んで来たが、塩水のため飲料水には使えず。トイレの水に使用。

日和山の下・南浜
園児の家が流された辺り?

3/20(日)東日本大震災10日目
 午前10時30分 聖日礼拝
 説教「あなた方には世で苦難がある。しかし…」(ヨハネ16:33) 讃美歌 533,484
 小鮒家の2人とI.I兄、計3名で礼拝を守る。

 大地震と津波の被災を受けた私たちであるが、イエス様の愛を信じ、くじけないで頑張って行きたいとのメッセージを語らせていただいた。

 礼拝後、安否が確認出来ていないY.U、S.Aの情報を求めて市役所へ。寒さをこらえ1時間以上2人で避難所名簿を探したが、名簿には載っていなかった。

 午後、Y.U、S.Aを探しに、自宅へ。やっと探し出した家は、惨憺たるもの、津波の餌食になっていた。渡波小学校(避難所)、役場(避難所、遺体置き場)等を探し回ったが、行方不明。失意の内に教会へ帰る。

 仙台北教会の小西望先生が、礼拝後お願いした物資を、早速届けてくださった。自転車も届き、感謝。

 小西先生と一緒に石巻山城町教会を訪問。


南浜・ほとんどの家流される

3/21(月)東日本大震災11日目
 朝、鰐山(わにやま)配水場へ水汲みに。ガソリンがもったいないと思ったが、思い切って車で出かけた。
 18リットル缶4本、バケツ2ケ分、それに5リットルパック2本、その他ペットボトル多数。とにかく、車に積めるだけ水を持ち帰った。

 自転車が手に入ったので、自転車で物資をもってS.Y兄宅を訪問。無事確認。K.O宅も訪問。

 CRASH JAPAN のトムソン・ピーター来会。

 日本バプテスト連盟の方々と大街道小学校(避難所)へ。下着、靴下、衣類等を届ける。


市立病院・使用不可になった

3/22(火)東日本大震災12日目
 朝、幼稚園の安否不確かな園児宅を歩いて回る。一人は無事を確認できたが、もう一人とは会えず。でも、管理人によれば、震災後に会ったと言っていたので一安心。

 Samaritan's Purse の人たち来会。救援物資のリストを渡す。

 蛇田中学校の避難所にいるM.Sのご主人、家族の方を訪問。M.Sは3/21(月)后5:00に火葬、ご遺骨は蛇田の「やすらぎ会館」に一時安置してあるとのこと。いずれ落ち着いたら、教会で葬儀をして欲しい旨、依頼された。

 Samaritan's Purse の救援物資届く。(Joseph Benson 他10名)取材。

 行方不明だったY.U、S.Aが避難している所が分かったので、Samaritan's Purse の救援物資を持って渡波へ。私たちとM.Sの3人で、車に積められるだけの物資を載せ届ける。とても心配していた2人だったので、再会を喜ぶ。

 この間(私たちが渡波に行っている間)、エマオから高田恵嗣宮城北地区地区長と松本さんが来会し、依頼しておいた物資を届けておいてくれました。(15:40)感謝。


南浜、津波で基礎しか残っていない

3/23(水)東日本大震災13日目
 S.M、R.T、Y.M、S,N宅に、それぞれ救援物資を届ける。

 近隣の方々100名以上に救援物資を分ける。声をかけたら、沢山の方々が取りに来た。中には、「バザーをやっているのは、こちらですか」というような人もいた。本当に困っている人たちに救援物資を分けてあげたい。

 転出されたM.M姉より、安否確認あり。

 Samaritan's Purse の方々と渡波小学校(避難所)へ。

 教会員のK.O兄の懇意にしている所(S宅)で、お風呂に入ることが出来た。何日振りだろう。震災の前日も入っていなかったような気がする。そうすると14日振りということになる。頭は2回も洗ってしまった。生き返ったような感じ。感謝、感謝。

◆教会・牧師館に電気が来ました。電話も回復しました。ネットも使用可になった。でも、お風呂に入ったら、急に眠くなってメールのチェックは翌日に。ご心配いただいているのに、ゴメン!ゴメン!


ガレキがあちこち、そのまま

3/24(木)東日本大震災14日目
  朝、PCを起動したら、とりあえず全部(教会1台、個人用2台、計3台)無事でした。(ファミリー文庫のPCはまだチェックしていない)

 この教会の掲示板の書き込みを見ると、安否情報がいっぱい。私たちの知らない所で、こんなことが行われていたということを知り、申し訳なく、また、感謝いたしました。とりあえず、「ご心配いただき感謝」の書き込みをしました。

 メールにも沢山の方々からのメッセージが残っていました。早いものでは3/11の地震・津波当日のものもありました。私たちがおりました倉敷(岡山県)、五泉(新潟県)、函館(北海道)、渋川(群馬県)、行田(埼玉県)、それぞれの教会・幼稚園関係者からのメール。返信を書きながら、覚えられていたことを知り本当に感謝でした。


 幼稚園の園児は、全員無事の確認がとれました。しかし、お家を失い、職場を失ったご家庭もあります。石巻を離れ、実家に帰られたご家庭。残念ですが、どうすることも出来ません。

 教会関係者もそうです。家を失い、職場を失ったご家庭。これからどるなるのか、どうしたらいいのか分からないという方々が沢山おられます。被災者支援センターの方でも、何か考えていただけるとありがたいです。

 明日(3/25)は、幼稚園の給与支払日。取引先の石巻信用金庫が使えないので、蛇田の「七十七銀行」へ行く。長蛇の列。2時間かかってやっとお金をおろすことが出来ました。

門脇小学校
(火事・津波の被害)

3/25(金)東日本大震災15日目
◆エマオから木村姉妹ご家族3名が物資を届けてくれました。ガスコンロ、ガスボンベ、水入れ容器、食料、靴下、バケツ、長靴等々。心のこもった「おにぎり」もいただきました。感謝、感謝。(救援物資感謝の再録)

◆教会・牧師館・幼稚園の建物の安全確認を高橋工務店に依頼、見てもらった。

 結果、基礎は大丈夫。外壁はコーキング修理で大丈夫
 教会:窓の修理、玄関補修
 牧師館:玄関タイル補修、外の給湯器修理(汚泥で基盤がいかれたか?電気が通じない)
 幼稚園:軒下天井修理、ぱんだ組壁修理、2階職員室壁修理、カーテンレール修理、大きな棚補修、ホールの壁が動き裂け目(どうするか?)
 門:タイルの補修
 以上のような結果である。費用は未定。

トイレ・浄化槽の汲み取りについて
 津波の汚泥でトイレ・浄化槽がいっぱい。いつも利用していた業者に電話したが繋がらず(門脇なので会社が津波で流されたか?)、高橋工務店から適切な業者に依頼してもらうことにした。

◆佐藤運転士に鶏小屋の掃除をしてもらう。チャボ2羽死亡確認。汚泥のため?汚水を飲んだか?

◆午後、片岡宣教部委員長他2名(合計3名)が教会を訪問してくださった。水道が出ないので「水」をいただきました。感謝です。(物資感謝の再録)

◆幼稚園の教職員に給与を支払う。支払いが出来て感謝。

◆その他、掲示板の書き込み作業。


津波のあと

3/26(土)東日本大震災16日目
 メールで安否確認を依頼された近所の方に、メールを持参。
 家族4人無事であることを、メールで返信した。

 掲示板書き込み作業。

 T.H姉経由で大阪から物資が届く。(日本バプテスト大阪教会、高萩市・武田芳枝様より)感謝。必要な方に物資を持って行ってもらう。


船がお家につきささる

3/27(日)東日本大震災17日目
 午前10時30分 聖日礼拝
 説教「善いサマリア人」(ルカ10:25〜37) 讃美歌 532,493 礼拝出席:男3女4計7名(これが被災地の現実!)

 「隣人」として多くの援助をいただいた私たち。私たちもまた、困っている人、援助を必要としている人たちの「隣人」となって歩んで行きたい。大変な時であるが、みんなで力を合わせこの困難を乗り越えて行きたい。(メッセージより)

◆好文館高校の自衛隊の配給(今日から午前8時、11時、午後3時の3回)
 (大部前から自衛隊の配給がなされていたが、一般市民にはなかなか情報が伝わらない。「いつから」「どこで」の正確なところは分からない。情報をいかに得るかは大きな問題である。)

・午前8時の配給物(朝子さんがゲットして来たもの)
 天然水520ml 2本、りんごジュース果汁100% 280ml 2本、カップヌードル 2個、チーズかまぼこ(7本入り)2袋、サバイバルパン(缶詰)4缶、乾燥米飯(おかゆ) 3袋、魚の缶詰 3缶、ベビースターラーメン 5袋

・午後3時の配給物(實・朝子2人でゲット、一部食品の選択あり)
 ナチュラルミネラルウォーター(1人2本)、乳飲料・カフェラテ(1人1本)、歯ブラシ(1人3本、必要数O.K)、むき枝豆(1人1袋)、加熱食肉製品・鶏つくね(1人1袋)、アルファ米五目ごはん(1人1袋)、洋菓子・ベリーバーム(1人1袋)果物の缶詰orリンゴ。以上。2人で行ったので、この2倍です。

◆町内で配給しているもの(毎日午後2時30分〜)
・朝子さんがゲットしてきたもの
 菓子パン・ナイススティック5本、カップヌードル1個、牛乳200ml入り3個、ヤマザキのおにぎり3個、サージカルマスク50枚入り1箱、ティッシュ160組1箱、トイレットペーパー3個、以上。
・實さんがゲットしてきたもの
 菓子パン(ナイススティック3、うずまきチョコ&シュガー1、スナックスティック1、計5個)、牛乳200ml入り3個、ヤマザキのおにぎり3個、トイレットペーパー3個、以上。朝子さんよりも少し遅く行ったので、少し少ないですが、以上が今日配給所から小鮒家かゲットしてきたものです。結構沢山あります。困っている人がいたら分けてあげたいです。でも、並べば誰でももらえるものなのです。

◆給水は、徒歩で5分の所にある「あいのや」駐車場で、自衛隊から18リットルボトル3個分もらってきました。感謝。

◆以上のような状況ですので、食料等の救援物資は、今のところ大丈夫のようです。勿論、配給が行き渡らないところもあるとは思いますが…。避難所にいる人たちの物資も十分のようです。

◆問題は、これからのことです。避難所から各自宅に帰ったとき、どうなるか。どうするか。(家の片付け等のボランティアの必要性)

 また、自宅を失った人たちはどうなるのか。仮設住宅に入居できる人はよいとしても、抽選にもれて仮設住宅にも入れない人たちはどうしたらよいのか。仕事を失った人たちはどうなるのか。問題は沢山あります。お祈りください。

◆エマオからジェフリー先生、楢戸(なると)医師、渡辺兄(ホザナ教会)が来てくださいました。4/29(火)から「ボランティア」が来てくださるとのこと。感謝です。仕事は沢山あります。よろしくお願いします。

◆夜、安田敏明・みゆきご夫妻(医師・元当教会員)が牧師館を訪ねてくださった。浜の方を回って来られたとのこと。

<その他の情報>
 3/31頃には、避難所から沢山の方々が追い出されることになりそう(言葉は悪いですが)。そうしますと、お家や親戚に身を寄せることになりますが、そのとき新たな救援物資が見えてきます。

 郵便物は被災後3/24(木)に一度届いただけで、その後は届いていない。(教会・幼稚園には)

 我が家で購読している新聞(朝日新聞)は、今日(3/27)はじめて届いた。

 教会近辺に水が来るのも3/31頃だと聞いています。

< お願いです >
この掲示板を見ていてくださる皆様へお願いです。

 この度の大震災では多くの犠牲者を出しました。また、お家を失ったり、家財道具を失ったりした人たちも沢山おられます。

 幼稚園の保護者からは、新年度用品が流された、制服が流された、汚泥で使えない、上靴等がない等々の声を沢山聞きます。
 そこでお願いです。
◆これらの子どもたちのために指定献金をお願い出来ないでしょうか。
少しでも、教会・幼稚園からこれらの子どもたちの制服や保育用品の補助ができればと願っています。
栄光幼稚園は宗教法人立です。教会も現住陪餐会員22名の小規模教会です。公的援助はあまり期待できませんので、皆様方にご協力をお願いする次第です。よろしくお願い申し上げます。
◆送金先
 銀行名 七十七銀行 石巻支店
 店コード 404  口座番号 5209471
 名義 宗教法人 栄光幼稚園 代表役員 小鮒 實
 住所 宮城県石巻市大街道北2丁目12−3
または、
 「郵便振替口座」
 口座番号:02280-8-2810
 加入者名:日本基督教団石巻栄光教会


瓦礫の山

3/28(月)東日本大震災18日目
 8:00 朝子さん、自衛隊から配給物ゲットしてくる。

◆Y.U、S.A、教会に来られる。
U姉が避難しているあたりは1日1回の配給らしい。小鮒家でゲットしてきた昨日の配給物、今日の配給物を全てU姉に持たせる。教会にあった救援物資と合わせると量が多くなり、私の車で送る。

 津波で多くの車が流されたが、水をかぶって動かない車も多い。また、車が無事でもガソリンが手に入らない人もいる。自転車も流され、歩くしか移動する手段のない人は、ただひたすら歩く。これが被災地の現状。

◆明日(3/29)から「ボランティア」を受け入れる。

◆日本バプテスト宣教団(大上高弘師ほか多数)が大街道小学校(避難所)へ救援物資を届けたが、ほとんど不要とのこと。小学校にいくつか降ろし当教会へ。当教会でも、必要なものを少しいただいたが、次第に物資は余りぎみになっている。

◆クロネコヤマトの宅急便が自宅に届いたそうである。(近くのお宅で)

◆教会・幼稚園に水が来た。明日(3/29)から幼稚園を再開する。

<幼稚園の再開について>
本日(3/28)ライフラインが復旧したので、明日(3/29)から保育を再開します。とりあえず「自由登園」というかたちになりますが、ご協力ください。
◆時間:9:00〜13:30
◆持ち物:お弁当(おにぎりや菓子パンでO.K)、飲物、上履き、服装は自由。
◆園バスは、道路の安全確認が出来ませんので運休。
 よって、登園出来る子どもたち(送り迎えできる子どもたち)だけになります。
◆3/31(木)3学期終了式を行う予定ですが、降園は13:30です。
◆新年度の開始・入園式・卒園式等については、後日日程が決まり次第お知らせします。


みんなが家の瓦礫を整理し始めたので、道が狭くなり、通りにくくなった

3/29(火)東日本大震災19日目
◆朝、函館千歳教会から稲垣正策兄が来石。教会および教会員有志のお見舞い金、救援物資を届けてくれた。なつかしい皆様方のお志、心より感謝。被災地を回る。自衛隊による救援物資配給も体験してもらう。

◆エマオから渡辺真一兄をはじめ9名のボランティアが来てくださる。主に園庭の汚泥を取り除く作業。感謝。

◆仙台福音自由教会(門谷師ほか)より救援物資届く。感謝。

◆Samaritan's Purse の方々来石。被災地視察。

◆日本バプテスト連盟&ジョージア・バプテスト連盟(酒巻師、Dr. John LaNoueほか)来石。主に医療チームの派遣について。

◆ジャクエツ、お見舞い金届けてくださる。感謝。

◆本日(3/29)より幼稚園再開(自由登園)。24名が集まった。「先生、おうちがなくなっちゃった!」という園児に絶句。抱きしめるしかない。
保護者の方々に救援物資を持って行ってもらう。

◆被災後2回目の郵便物届く。聖ヶ丘教会からの「現金書留」(緊急援助資金)もあり感謝。

◆ベルリンの希望教会、渋川教会員・関根英和兄からの「お見舞い・義援金」振込の連絡。お祈りのメール等々。感謝。

◆K.O兄のご好意で、被災後2度目の「お風呂」に入る。感謝。(牧師館の給湯器は津波の水をかぶり故障中、多くの家庭で故障しているため、修理に時間がかかる)


幼稚園再開(3/29)


お弁当は、配給物資


みんなに会えてうれしかったよ

3/30(水)東日本大震災20日目
◆エマオより9名のボランティア来石。6名石巻山城町教会、3名栄光教会。当教会では、汚泥の処理、汚泥にまみれた幼稚園の遊具をきれいにしていただいた。感謝。

◆大韓イエス教長老会より5名来石。ボランティアが使用する自転車を持参。

◆牧師館の給湯器(ボイラー)故障(津波の水による)。見積約25万円。修理に1ヶ月はかかる。それまでは「お風呂」おあずけ。

◆仙台の聖公会の畑中兄より、衣類、学用品、絵本、飲物等届く。感謝

◆ボランティア6名、幼稚園2階の和室に宿泊。明日も頑張ってください。

◆聖書研究・祈祷会 男2女2計4名出席、被災者等のために祈る。


園庭のヘドロをきれいに
(初動ボランティア)

3/31(木)東日本大震災21日目
◆幼稚園3学期終了式を行う(28名の園児が集まった)

◆ボランティア4名石巻山城町教会へ。2名は当教会の汚泥処理、また、地震で散乱したものを片付けてもらった(教会2階)。「地震・津波により発生した災害廃棄物の仮置場所」に汚泥を持って行く。悪路のため、私(牧師・園長)の車壊れるが、まだ乗れる。ボランティアの調査団?(5名)来石。

◆教会員M.Sのご遺族、遺骨を持って教会を訪問。ご遺骨をあずかる。

◆幼稚園の保護者、子供用の下着を多数届けてくださる。感謝。

◆保護者等、必要な物資、適宜持って行く。

フェンスの半分上まで水がきました

4/1(金)東日本大震災22日目
◆川谷教会の柴田先生が問安に来てくださる。救援物資もいただく。感謝。

◆Samaritan's Purse より依頼物資到着。
 Samaritan's Purse のボランティア5名、S姉宅の畳あげ。引続き、S宅実家へ。瓦礫の山整理。家に入れるようになった。家の中の整理。

◆朝子さん、I姉と共に病院へ。

◆エマオからのボランティア7名来石。6名がS.S宅の汚泥処理。玄関前と駐車場をきれいにしてくれた。夕方1名加わる。8名幼稚園2階に宿泊。明日も頑張ろう!!

◆M兄、救援物資を取りに来る。4/4(月)から仕事に復帰。工場は壊滅状態だが、こういうときこそ「社員を解雇せず、社員を救う」という会社の方針に感激した。

◆畑中兄が救援物資を届けてくださる。感謝。

◆大阪バプテスト教会からの救援をH姉が届けてくださる。感謝。

◆特筆すべきこと。Samaritan's Purse より教会用の自転車1台、自家用車を失い身動きがとれない被災者用自転車3台、石巻山城町教会へ1台、合計5台いただく。感謝。その他、小鮒家用として2台別口でいただく(小鮒家自転車故障中)。エマオからお借りている自転車は現在教会員が使用中。また、教会員の関係で別口として5台いただく。自家用車が使えない(津波で故障、廃車、ガソリンがない)お家では、自転車はとても便利である。取りあえず、いただいた自転車はボランティアにも使っていただく。感謝。感謝

◆家を失い、避難所生活をしているD兄、O兄の車で救援物資を取りに来る。

◆今まで救援活動を小鮒家2人が中心になってやって来たが、そろそろ限界。教会、幼稚園の年度末の処理、新年度の準備等もあり、過労気味。スタッフのボランティアの派遣を要請したい。
 宿泊しながら(通いでも良い)、救援活動のお手伝いをしていただけるスタッフが欲しい。電話番、救援物資の仕訳、配布、ボランティアの受け入れ、その他多くの仕事がある。補助してもらえる人をお願いしたい。


1階の天井近くまで水が来たお家

4/2(土)東日本大震災23日目
◆立花氏の紹介で、大阪「竹福」の地震支援物資(ハンバーグ100個)を石巻イオンまで取りに行く。園児に食べさせてほしいという。感謝。

◆ボランティア、S.S宅の汚泥処理。午後はヘドロの中、津波でやられた家財道具を外に出す。ご苦労さまでした。まだ明日もこの仕事は続きます。

◆教会員、幼稚園保護者、野菜やコーヒー豆等届けてくださる。感謝。

◆シャローム石巻のメンバーほか4名、物資取りに来る。皆、今避難所にいるが、メンバーの一人はお家が壊滅状態。明日(4/3)東京の娘さんの所へ行くという。また会える事を祈る。

◆幼稚園保護者、園児と共に物資を取りに来る。

◆夕方、みどり野キリスト教会の西村牧師ほか、鹿妻での炊き出しのあと、当教会を訪問。

◆ボランティアの作ってくれた夕食をいただく。おいしかったよ。


台所、海水に埋まる

4/3(日)東日本大震災24日目
◆ボランティアの人たち、礼拝前に、N宅のお手伝い、また町内のゴミの分別の奉仕をしてくださった。

◆10:30 聖日礼拝
 説教「からし種一粒ほどの信仰」(マタイ17:14−20)

 「なんと信仰のない、よこしまな時代なのか。いつまでわたしはあなたがたと共にいられようか。いつまで、あなたがたに我慢しなければならないのか」と語られるイエス様。
 にもかかわらず、困っている人、助けを必要としている人がいれば、助けてあげる。それがイエス様。
 信仰の薄い、からし種一粒ほどの信仰もない私たちかも知れないが、イエス様に寄り頼み、「あなたがたにできないことは何もない」との御言葉に励まされ力を与えられて、頑張って行きたい。(大震災からの復興)
 礼拝出席 男11女12計23名

◆ボランティア8名、神の家族教会の人たち5名も礼拝に出席してくださった。
(※震災後は、教会員が減少し礼拝出席者が減少するのではないかと危惧していたが、ボランティアの人たちや問安者、お見舞の方々等の出席で、逆に増加した(年間平均でも増加)。礼拝献金も増加。これも神の恵み?)

◆礼拝の中で、幼稚園教職員の任職式も行った。

◆午後、ボランティア8名は、S.S宅のワーク。

◆泉谷氏ほか計4名、野菜等の物資を届けてくださる。感謝。

◆篠田くんのグループ(3名)、自転車4台、車椅子1台、そのほか沢山の物資を届けてくださる。感謝。また立ち寄るとのこと。

◆宅配便が機能しているので、沢山の物資届く。(特に、幼稚園関係の物資) 感謝。

◆自衛隊のお風呂に入る。久し振りのお風呂。ボランティアの人たちも、ヘドロの臭い匂いをおとしました。


自衛隊風呂(外観)


自衛隊風呂のテントの中
長いときは1時間近く待った

4/4(月)東日本大震災25日目
◆函館より電話あり。施設に入っており、体も動かないが、電話で祈ってくださった。ありがたいことです。

 「神は 最後に一番よい仕事を残してくださる それは祈り

  手は何もできない けれども最後まで合掌できる」(ホイヴェルス神父の詩より)

◆午前、ボランティア9名、S.S宅へ

◆東神戸教会・川上牧師、甲南教会・中島牧師来石。犬小屋の掃除。午後、S.S宅へ

◆S、Y、Tの介(すけ)さんグループ、来石。物置の掃除。引続き、S.S宅へ。夕食後、仕事へ。

◆畑中氏、救援物資を届けてくださる。感謝。

◆群馬地区より、小野牧師のグループ(4名)来石。被災地を案内する。

◆昼食16名、夕食12名、共に食する。

◆明日(4/5)のワーク場所(大曲)、人数確認(7名奉仕予定)

◆学生ボランティア、有給休暇をとってのボランティア、仕事の合間にお手伝いしてくださる方々、沢山の方々が奉仕してくださっています。
 入れ替わり立ち替わりですが、被災者、被災地に対し、何か自分に出来ることはないか、何かしたい。そういう人たちが沢山います。
 特に、中越地震や阪神・淡路の地震等を体験した人たちは、恩返しの意味も含め、何かしたいという思いが強くあります。
 1日でもいい、一人でもいい、ボランティアの人たちが来てくださるのは本当にありがたいです。心より感謝しています。




教会で打ち合わせ

4/5(火)東日本大震災26日目
◆午前中、ボランティアは大曲のN宅へ。

◆エマオより新たにボランティア4名来る。

◆広瀬川倶楽部S氏、日本ハムのホットドックと焼き肉カルビを届けてくださる。昼食は、これでバーベキュー。地域の方々にも食べていただく。

◆幼稚園の保護者に救援物資を持って行ってもらう。

◆地震で閉まらなくなった幼稚園の物置のドアを修理してもらう。

◆かめ吉くん(亀)のお家を出す。

◆S.S宅掃除。汚泥の入った土嚢を運び出す。

◆関東教区より3名来石。

◆自衛隊のお風呂に入る。

◆ボランティア宿泊10名。

◆J.G姉、教会に宿泊。


知る人ぞ知る
木の屋水産の看板

4/6(水)東日本大震災27日目
◆3介さんとお別れ。みんな頑張ってね。そして、ありがとう!!

◆ボランティア、被災されたY.U宅の家財を出す。近くの人に救援物資を渡す。

◆東海教区より4名、教団新報より1名来石。救援物資をいただき、また祈ってくださった。感謝。

◆日光市民活動支援センターからの救援物資届けてくださる(O氏)。感謝。同センターでは、月1回3年間は募金活動をするとのこと。

◆夜、新たにボランティア来る。 


道が狭くなって、車が通りにくい

4/7(木)東日本大震災28日目
◆ボランティア14名、ほか3名、計17名で食事。今日もがんばるゾー。

◆ボランティアを2つに分け、2個所でワーク。1グループは、S.Yの指揮の下、被災されたA宅の家財道具、畳などの搬出。ヘドロにまみれながら、頑張りました。
 午後、S.S宅へ。最後のヘドロ落とし。
 2グループは、S.Uの指揮の下、Y.Oの実家でわかめ(コンブ?)と格闘。(現地で昼食、午後も同じワーク)
 すっかり「わかめ(こんぶ?)」の臭いが染み込みました。

◆17名、自衛隊のお風呂へ。ヘドロとわかめ(こんぶ?)の臭いを落としました。

◆17名で楽しい夕食。睡眠…のはずでしたが…。
 真夜中、大きな地震で目を覚まし、急遽、隣の「好文館高校」へ避難。避難所で一夜を明かしました。 


わかめ? こんぶ?

4/8(金)東日本大震災29日目
◆昨夜(4/7)23:49に起こった宮城県沖地震(石巻震度6)により、好文館高校に避難した私たち17名は、翌朝(今日4/8)教会に戻って来た。
 電気も水道もストップ。電気は午前中回復したが、水道は夜になっても出ない。朝、取りあえず、水の確保のために自衛隊の給水車へ(歩いて5,6分の所)。
 40分待って18リットル入りのポリボトル4本に水をいっぱい入れてもらって帰る。

◆朝食後、地震で散乱したものを整理。道路状況を確認し、女性や学生(7名)のボランティアをエマオに送る。
 残り5名で幼稚園の庭の乾燥したヘドロを取る作業を行った。

◆昼食後は、避難所でよく眠れなかったので昼寝をし、夕方午前中の作業の続きを行った。(エマオから帰ってきた4名と共に)

◆夕食は、幼稚園の先生方が準備してくれたので、感謝し、みんなで楽しくいただいた。(総勢14名)


瓦礫の山

4/9(土)東日本大震災30日目
◆今日は、久し振りの雨天。朝食後、ボランティア、T宅の冷蔵庫を出す奉仕。

◆午前、ボランティア3名エマオに帰る。残りの者、自衛隊の給水車へ水をもらいに。引続き、幼稚園のお手伝い。
 午後、水道の水、復旧。感謝。4名のボランティアもエマオに帰る。寂しいが仕方ない。また会いましょう。

◆飛騨・高山市のW氏グループ6名来石。マイクロバスで米10俵を届けるという話だったが、実際は大型バスに救援物資いっぱい。米も10俵どころの話ではない、はるかに多い。
 帰りがけに、門脇、湊浜の被災地を案内。津波による惨状を見てもらった。本当にありがとうございました。

◆故M.S姉妹の仮葬儀を、ご遺族の方々と行う。東京からもご親族の方々がおいでくださった。

◆山形から来られたグループ3名より、子どもの「おもちゃ」を沢山いただく。感謝。

◆T氏、M氏より、東京のYURIKOさんたちが作ってくださった「スイーツ」をいただく。
“All for One, One for All. 東京にもいっぱい東北魂あります!
Fight! Together!”。とっても励まされました。
 おいしい「スイーツ」子どもたちにあげますね。ありがとうございました。

◆夕方、山城町教会でボランティアをして来られたN氏親子(明治学院教会)来石。

◆夕食は、シンちゃん、ショウちゃんが作ってくれた「豚スキ」を4人で食べる。先に帰られたボランティアのみんな。ごめんね。


初動ボランティア
カナダからも来てくれました

4/10(日)東日本大震災31日目
◆午前10:30 聖日礼拝
 説教「私たちの本国は天にある」(フィリピ3:17−21)

 大震災・津波のあと数日間、避難所生活の中で、私たちは「御言葉の真実」に出会った。イエス様は「何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、思い悩むな。」「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切である」と教えられた。
 私たちは、避難所生活の中で、食べることが出来れば、おにぎりでもカップ麺でも何でもよかった。ジュースが飲みたい、コーラが飲みたいなんて誰も言わなかった。ペットボトルの水があれば、ただそれだけでありがたかった。
 着る物だって、1週間、2週間、着の身着のままでも我慢出来た。何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、思い悩む余裕はなかったのである。
 しかし、このような現実の中で、実際に「御言葉の真実」を体験したのである。
 「あなた方はこの世では旅人であり寄留者(仮住まいの身)である」(1ペトロ2:11)という御言葉も、津波で家を失い避難所(仮住まい)生活を強いられた私たちは、身をもって体験した。(聖書の御言葉は真実である)
 また、津波で何もなくなってしまったあの瓦礫の山を見るとき、「私たちの本国(国籍)は天にある」という御言葉を思い起こした。
 この世の生活も大切。大震災で破壊された町が一日も早く復興して欲しいと願っている。そのために、私たちに出来ることは何でもして行きたい。でも、「私たちの本国(国籍)は天にある」という御言葉にも耳を傾ける者でありたい。御言葉の真実に出会い、御言葉によって励まされ、力を与えられて、この困難な時を乗り越えて行きたい。
  (礼拝出席 男6女6計12名)

◆シンちゃん、ショウちゃん、昼食作り。教会の人は礼拝堂に卒園式の「雛壇」の準備をした。
 おいしい昼食をいただいたあと、W・Sちゃん幼稚園のトイレ掃除。いよいよ明日から幼稚園の新年度が始まる。みんな元気に登園してくれるかな。

◆遊楽館(避難所)にY姉妹を訪問。Y姉は、震災3日後、自衛隊に発見され赤十字病院へ。その後避難所である遊楽館に移された。明日、義理の娘さんの息子さんが横浜から来られる。自宅の様子を見たあと、一時、義理の娘さんの妹さんがおられる仙台へ。そして横浜へ行かれる予定。遠い所へ行かれるのは寂しい。でも、これが現実。


お家のお庭


4/11(月)東日本大震災32日目
◆大地震と大津波から1ケ月。石巻の町はほんの少しずつではあるが変わってきている。
 瓦礫の中に道が出来、車が通れる道も少しずつ増えて来た。
 教会近辺では、水、電気、電話等も使える。都市ガスはまだ来ていない。(教会はLPガスでガスも使える)
 しかし、給湯器が故障している家庭がほとんどで、私たちもボランティアの人たちと一緒に「自衛隊のお風呂」を利用している。
 業者によれば、給湯器の部品は福島で製造しているが、原発事故のため工場が閉鎖中。しばらく部品の入手が困難だそうである。しばらく(数ヶ月)は、自衛隊のお風呂で我慢するしかない。

◆スーパー、コンビニ、ホームセンターなども少しずつ営業を再開している。
 「モノ」は十分ではないが、新鮮野菜(ほうれん草、長ネギ、玉葱、きゅうり、いちご、じゃがいも、ニンジン、トマト、えのき茸等々)、たまご、肉、魚、刺身等も手に入る。
 長靴、靴、靴下、下着類、洗剤、トイレットペーパー、炊飯器、スコップ等々も入手可。勿論、お金があればの話ではあるが。

◆ガソリンスタンドも少しずつ再開。以前のように並ばなくても買えるようになった。灯油もO.K。

◆近くの銀行、郵便局はまだ利用出来ないが、車で15分(自転車で20−30分)の所では利用可。銀行の窓口利用は1時間位かかるが、ATMはそれ程待たなくても利用出来る。

◆多くの車が津波で廃車になった。車を現地で購入するのは難しいが、親戚・知人に頼んで他府県で購入、取得する者もいる。また、ネットで購入し搬入してもらう人もいる。決して手に入らない訳ではない。が、お金が必要である。

◆2011年度始園式を行う。園児16名が集まった。子どもたちの元気な声に励まされる。でも、地震と津波の恐怖を体験した子どもたちは、少しの揺れでも、また広報のアナウンスにも敏感に反応する。親となかなか離れられない子もいる(赤ちゃん返り?)。不安を持つ子どもたちであるが、お友だちとの再会を喜んでいる。

◆園バスの運行はしばらくお休み。4/11(月)〜19(火)までは「自由登園」で、お家の方が送り迎えできる園児だけの登園となっている。4/21(木)から園バス運行予定。道幅や狭くなっているため(通れない道もまだある)、今までのようなコースは走れない。広い道まで出てもらうしかない。

◆ボランティアには、幼稚園保護者の関係のお家のワーク。また、園庭の整備をしてもらった。感謝。


風呂場
天井近くまで水が


4/12(火)東日本大震災33日目
◆ボランティアは、大街道南地区へ

◆韓国・台湾・香港・日本のNCCのメンバー来石。ボランティアの視察。取材。同行。

◆小鮒 實・朝子、蛇田の七十七銀行へ。例によって、1時間待ちの窓口。實は、その間、散髪へ。髪を短く切ってもらい、シャンプーをしてもらう。さっぱりして生き返る。銀行に戻るが、朝子さんはまだ銀行から出て来ない。しばらく待って再会。石巻信用金庫の記帳を済ませ帰宅。

◆ボランティアのみんなと一緒に「自衛隊のお風呂」へ。


仙台日誌(台湾の新聞)より
日本地震、海嘯和核災難發生以後

4/13(水)東日本大震災34日目
◆イエス団の方々帰る。お見舞い金をいただく。感謝。

◆ボランティア、大街道南、渡波の2グループに分かれワーク。

◆大阪の「竹福」さんからいただいた「ハンバーグ」を園児と一緒に食べる。おいしかったよ。ありがとうございました。あとで写真を送ります。

◆園納金手続き(七十七銀行・石巻本店)

◆父母の会の打ち合わせ

◆ボランティア「自衛隊のお風呂」

◆聖書研究・祈祷会 ボランティアの人たちも参加し、出席は、男4女4計8名。
主の祈り「われらをこころみにあわせず、悪よりすくいだしたまえ」を学ぶ。


ハンバーグ、おいしくいただきました

4/14(木)東日本大震災35日目
◆午前中、ボランティアの人たち、被災地を見て回る。

◆孫が栄光幼稚園を卒園したというOさんのお宅へ伺う。ご主人は透析で入院中。水に濡れた畳を出したが、新しい畳がいつ入手できるか分からないので、濡れた畳を乾かして使用するという。そのためのボランティアを依頼される。引き受けて、スタッフと相談。明日伺うこととする。

◆西東京教区より2名、問安に来られる。

◆午後、ボランティア、渡波地区のワーク、また、ほかのグループは、車に救援物資を積み、必要な所で配布。同時に被災者の情報収集を行う。

◆園バスのコースを車で走りながら確認。

◆ヘドロでダメになったプランターの整理。ボランティアの方にお花を買ってきてもらうようお願いしたが、4時閉店で間に合わず。残念。

◆ボランティア「自衛隊のお風呂」

◆奇跡!! 小鮒さんち、お風呂が使えるようになる。灯油屋さんに給湯器を見てもらったら、なんと不思議。お風呂の電源が入り、使用できるようになった。感謝。感謝。でも、灯油は1リットル100円と高騰していた。高いのでタンクに100リットルだけ入れてもらった。

◆16名で夕食。夕食後ボランティア2名帰る。また会いましょう。


救援物資を積み込むボランティア
これから届けます

4/15(金)東日本大震災36日目
◆午前中、ボランティアの人たち、大街道南(M宅)のワーク。別グループは湊地区で物資の配給の奉仕。

◆午後から、幼稚園では明日(4/16)の「卒園式」の準備。先生方だけでリハーサル。卒園児みんな来てくれるかな?

◆午後、ボランティアの人たちが教会の近くのOさん宅のお手伝いをしていたら、近くの人からも「こっちも手伝って」と声をかけられ奉仕する。小回りのきく小さなボランティアグループだからこそできること。まだまだボランティアを必要としている人たちは沢山いる。

◆同志社大学のN.S教授来石。

◆19名で夕食(ルーテル教会の人たち2名を含む)。朝子さんの「お寿司」(購入したもの)の差し入れも好評。

◆ルーテル教会では、ボランティア活動のために、半年あるいは1年間、「専任のスタッフを雇用」して、運搬やコーディネイト等の仕事をしてもらうという。長期的なボランティア活動のためには必要なことなのかも知れない。すべて手弁当でやっている私たちも考える必要がある。(常駐のスタッフの雇用、ボランティア活動拠点の購入あるいは、借家の確保等)


教会からワークへ、いざ出発

4/16(土)東日本大震災37日目
◆第34回卒園式挙行。(卒園児19名)
 3/16に予定して「卒園式」。東日本大震災のため延期になっていたが、1ケ月遅れでもとにかく「卒園式」を守れたことを感謝。みんな元気な姿で来てくれた。本当にうれしかった。ただ、1人は既に東京に移住(石巻での仕事がなくなり東京転勤)。
 大震災を経験した子どもたち、どんなことがあってもくじけず、いつも神様に守られていることを信じ、頑張って行ってほしい。神様の豊かな祝福を心からお祈りします。
 4/21(木)に小学校の「入学式」があるので、それまでには「卒園式」を挙行したかった。本当に感謝である。

◆ボランティア、M宅のワーク、湊町での救援物資配布。

◆昭島幼稚園からR.M姉妹が来石。当幼稚園のことを覚え、お見舞い金と先生方への励ましのカード、また、昭島幼稚園の園児たちの応援CDを届けてくださった。心から感謝。

◆エマオからジェフリー先生、立ち寄ってくださる。新しいボランティア拠点の場所を検討中とのこと。

◆ボランティアの人たち、温泉へ(片道1時間?)。引続き夕食(外食)。小鮒さんちはS君と一緒に「お寿司」を食べに行ったよ。40分待ったけど、とってもおいしかったよ。


海辺、きれいさっぱり流された

4/17(日)東日本大震災38日目
◆午前10時30分 棕梠の聖日礼拝
 説教「ちいろばの働き」(マルコ11:1−11)

 子ろば(ちいろば)は、イエス様に召し出され、イエス様の御用のために用いられた(イエス様を乗せてエルサレムに入城)。私たちも小さな者であるが、神様の御用のために、「ちいろばの働き」を続けて行きたい。(ボランティアの働きに感謝)

 なお、当日の奏楽は、イギリスからボランティアに来られたA.A姉妹の奉仕で守った。
 礼拝出席 男9女7計16名(ボランティア8名含む)

◆午後、教会役員会
 ・東日本大震災の取り組みについて
 ・教会総会について

◆午後、ボランティアは、近くのO宅のワーク。


教会にあるもの、何でも使ってください

4/18(月)東日本大震災39日目
◆幼稚園、自由登園(在園児のみ)

◆ボランティア、M宅、S宅のワーク。

◆I氏、N氏、支援物資届けてくださる。感謝。

 飛び入りで、明日ボランティアに参加希望。
 スタッフに伝える。

◆ボランティア、自衛隊のお風呂


女性だって頑張りました

4/19(火)東日本大震災40日目
◆幼稚園11:00降園(入園式の準備のため)

◆ボランティア、W宅(箱屋さん)ワーク(飛び入り含め8名)。大潮で道路冠水。午後早めに帰ってくる。

 地盤沈下のため、今まで海水が来なかった地域も、大潮のため海水に浸かる。1階部分に海水が来て家に住めなくなった人たちも出てきた。新たな問題である。

◆ボランティア、入園式のお手伝い。
 明日、入園式なので幼稚園2階のホールを開けなければならない。ボランティアの人たち、礼拝堂で宿泊のため荷物を移動する。

◆小学校の入学式が近づいて来た。お祝いメッセージを届けに6校を回る。(小学校の入学式は、4/21、4/22、4/25など)

◆A師、ケンタッキー・フライドチキン等の差し入れ。感謝。これが食べたかったんだなあ。


地盤沈下のため「冠水」

4/20(水)東日本大震災41日目
◆幼稚園「第35回入園式」。22名の新入園児集う(うち、2名は昨年度途中入園児)いよいよ、新年度という感じ。

◆ボランティア、明神町のH宅(7名)、近くのO宅(5名)、終日奉仕。ご苦労様でした。

◆ボランティア、涌谷の温泉、外食。小鮒さんちとSちゃんにお土産。こういう配慮、ありがたいなあ。

◆19:30 聖書研究・祈祷会 男2女1計3名

◆聖研・祈祷会後、ボランティアの人たちと讃美歌を歌い続ける。延々1時間以上? お祈りもあり、頌栄、祝祷もある立派な讃美礼拝。ボランティアを含め12名参加。すばらしかったなあ。


第35回入園式


聖研・祈祷会後、讃美歌を歌い続けるボランティア

4/21(木)東日本大震災42日目
◆朝、ボランティア4名帰る。ご奉仕そして楽しい交わり、ありがとうございました。

◆幼稚園について
 在園児、新入園児合計46名での新年度始園式。(4名欠席)いよいよ全園児そろっての歩みが始まった。子どもたち、この困難を乗り越え、健やかに成長していって欲しい。心からの願いである。

 Mr.トリック(H氏)のマジックを披露していただいた。子どもたちは大喜びでした。心の傷も少しはいやされたかな?
(詳細は、教区被災者支援センターのブログ参照)

◆ボランティア、午前、被災地視察。午後、W宅、F物産へワーク。

◆自衛隊のお風呂


Mr.トリック(細江兄)のマジック
子どもたち大喜びでした

4/22(金)東日本大震災43日目
◆ボランティア、午前、午後、A氏宅、N氏宅ワーク。

 午後、ケルヒャーで園バスもきれいにしてもらった。

 5名のボランティア帰る。残りはスタッフを含め4名。
 久しぶりに静かな夕べ。

◆幼稚園の園バス、昨年度までは、1時間ちょっとのコースだったが、今年度は、道路事情が悪く1時間45分のコース。

 他府県の車(復旧援助隊など)が多いのに加え、瓦礫の山が道路を狭くしている。また、信号機が働いていない箇所もあり、交通事情はかなり悪い。瓦礫の山の撤去、信号機の機能が回復すれば、もう少しよくなるのかなと思う。


Mr.トリック(細江兄)ともお別れ

4/23(土)東日本大震災44日目
◆朝、東京より、T.Kさんグループ(3名)が来てくださる。パンやおせんべい、お花等を差し入れ。感謝。

◆北海道からのK.Aさんグループ(3名)来る。T.Kさんグループと共に被災地を巡る。地盤沈下で冠水が心配な万石浦、また、よく釣りをした佐須浜まで行ったが、その先は車は進入禁止で行けない。佐須の先にも小さな漁村がいくつかあったが、救援物資等届いているのかと心配になった。

◆今日は雨天のため外でのワークできず。ワークに来られた方々には救援物資の仕分け等をしてもらった。

◆Y先生ご家族(3名)がお見舞いに来てくださった。イースターのためのプレゼント、お見舞い金等をいただいた。感謝。

◆夜、奈良からIさん家族(3名)が12時間かけて来てくれた。1年ぶりの再会。本当にうれしかった。


小鮒がよく釣りに行っていた佐須の海辺

4/24(日)東日本大震災45日目
◆昨夜到着した I家族、プランタにお花をいっぱい植えてくださった。西大和教会のO牧師もカンパ協力。感謝。

◆Kさん、石巻のボランティアに復帰。再会感謝。

◆9:00 墓前礼拝

◆10:30 イースター礼拝
 説教「確かなる希望」(マタイ28:1−10)

 イエス様がいなくなり(十字架死)、弟子たちは絶望のどん底に落とされた。しかし、イエス様は復活し、生きておられることを示された。イースターは希望を与える出来事。弟子たちに「確かなる希望」を与えたのである。

 私たちも、地震と津波で絶望のどん底に落とされたが、「確かなる希望」をもって石巻の復興に取り組みたい。

 「わたしは、世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」と約束されたイエス様。イエス様が共にいてくだる限り、私たちには希望がある。どんなことがあってもくじけずに、確かなる希望を持って歩んで行きたい。
 (礼拝出席 男7女10計17名)

◆礼拝後、ボランティアの人たちも交え、イースターのお祝い会。昨日届けてくださったY先生ご家族の差し入れ(ケーキ等)もいただく。感謝。

◆臨時役員会開催。被災された教会員、幼稚園教諭に、教会からお見舞い金を差し上げることを決定。
 (全壊の所には各5万円(逝去者の所にはご家族に)、大規模半壊の所には各1万円)

◆午後、ボランティアの人たちは、山形に二次避難で移られるD.A宅へ。引越荷物のお手伝い。


イースター愛餐会
ボランティアも一緒に

4/25(月)東日本大震災46日目
◆幼稚園も、いよいよ本日より「お弁当開始」。平常保育に戻る。
 幼稚園が本格的に稼働し始めると、ボランティアの人たちの活動もかなり制限される。園児がいる時間帯は園庭に車を乗り入れ出来ない(近くの駐車場を利用してもらっている)。
 また、ワークの作業着、長靴、道具等もきちんと整理しておかなければならない。
 物資が置いてある部屋も開けなければならない等々で、当教会・幼稚園でのボランティア石巻拠点は変更せざるを得なくなった。
 一応5/8を目処に、他の場所に移ることになっている。
 これからの復興のために、まだまだ支援は必要であるが、幼稚園が正常化して行くことも復興の一歩だと思っている。

◆今日は幼稚園の給与支払日。近くの銀行(穀町支店)はまだ閉鎖中。石巻支店に行っておろしてくる。会社を失い、職場を失った人たちが多いなかで、給与が支払えるということは感謝である。これも復興の第一歩である。

◆新しいボランティアも加わり、物資の配布とワーク(作業)がなされた。

◆西東京の清水牧師、稲垣牧師が来てくださった。お見舞金もいただく。感謝。

  「このようなとき、牧師も大変なので、説教のご奉仕等出来れば」とのお申し出あり。本当にありがたいと思う。

  「先生もお疲れでしょうから、少し休んでください」というお言葉も諸先生からいただく。本当に感謝している。でも、しばらくは休める状況にはない。

 教会の役員から「先生もお疲れでしょうから、…」という言葉が出てきたとき、胸を張って休みたいと思う。それまでは、ガマン、ガマン…。


洗面所、無残!

4/26(火)東日本大震災47日目
◆ボランティア、物資の配布とワーク(作業)。

◆仙台の「パピルスの会」、ユニセフの本(1セット50冊)を2セット届けてくださる。ファミリー文庫で活用します。感謝。

◆桜井牧師をはじめサマリタンのメンバー有志4名来石。物資とお見舞金、感謝。

◆神戸教会より菅根牧師来石。同信会からのお見舞金もいただく。
 「小鮒牧師が自由に使ってよい」と言われた。教会や幼稚園に振り込まれる「お見舞金」や持参いただいた「お見舞金・支援金」などは、原則教会や幼稚園の会計に納入される。
 よって、牧師が自由に使えるお金はない。「牧師が自由に使えるお金」も時には必要である。本当にありがたいと思う。心から感謝である。
 教会や幼稚園を支えていただくことも感謝であるが、牧師や牧師家族を支えていただくことも、とてもありがたい。本当にありがとうございました。


天井まで水が来ました

4/27(水)東日本大震災48日目
◆幼稚園「お誕生会」。新年度最初のお誕生会である。新入園児、特に3才児には、まだよく分からない子もいる。でも、1年たてば…。

◆群馬県のボランティアで来石していた子持山学園の職員・長島先生が訪ねてくださった。久し振りにお会いし、うれしかったです。伊香保の湯の花饅頭、お見舞金、ありがとうございました。中沢文子先生にもよろしくお伝えください。

◆日本聖書教会の方々(3名)、キリスト教絵本(1セット)を届けてくださる。感謝。

◆幼稚園「子どもの日お祝い会」の打ち合わせ。

◆19:30 聖書研究・祈祷会 男2女2計4名


押し入れの中、ヘドロが固まっていた

4/28(木)東日本大震災49日目
◆幼稚園「保育参観」、父母の会総会、父母の会役員会

 帰りがけに、園児のためにと全国からお送りいただいた救援物資を一人一人にお配りしました。(袋詰めにしたもの)

 「園児のために」と訴えましたら、沢山のものが集まって来ました。「出来るだけ同じ物を園児に分けたい」と人数分集まるのを待っていたら少し時間がかかってしまいました。でも、5,6種類のものを袋に入れることが出来ました。勿論、すべて同じ物を入れることは出来ませんでしたが、ほぼ「同じようなもの」を入れました。子どもたちはとても喜んでくれました。全国の皆様、本当にありがとうございました。

◆父母の会の総会があり、ほとんどの保護者の方がお出でくださいましたので、軒先に救援物資を並べ、必要なものを持って行ってもらいました。

◆片岡先生、大阪教区の方々と来石。渡辺真一兄より石巻の現状報告、ボランティア活動等のお話をしていただきました。

◆離職票の手続きのために「ハローワーク」へ。手続きはそれなりに早く済みましたが、帰り道は渋滞。「行きはよいよい、帰りは……」でした。

◆宮城北地区の高田先生来石。ミスドーのドーナッツをいただく。感謝。みんなで「パクリ」。おいしかったです。


家の中からの泥出し作業

4/29(金)東日本大震災50日目
◆久々の休みの日。滞っていた掲示板の書き込みをする。

◆ボランティアはワークへ。

◆仙台からバスで石巻に来られたボランティア。石巻駅から歩いて当教会へ。本当にご苦労様です。午後は早速ワークへ。

◆東京YMCAからLEDのランタン78セットをいただく。幼稚園の保護者、先生、教会員の分あります。勿論、牧師家庭にもO.Kとのこと。感謝。

 トヨタレンタカーを借りての物資輸送でした。エマオでも、救援物資輸送用のレンタカーなどを借りて、救援物資を運べたらもっと効率がよくなるのかな、などと考えてしまいました。

◆仙台北教会の小西牧師来石。高田地区長と共に、教会や付属施設等の被害状況について調査。ありのままをお話させていただきました。

◆新しい方々を加え、エマオからのボランティアは10名になった。夕食時の自己紹介では、一人ひとりの熱いボランティアへの思いが語られる。
 が、それだけでなく、自分を語ることによってボランティア同士の交わりが深められていくことを感じる。
 そこには被災者とは違ったそれぞれの重荷や思いがある。みんな背負っているものは違うが、語ること(ミーティング)によって、信頼関係が深められ、打ち解けあうことができる。すばらしい交わりの場だと思う。


土嚢に入れて出します

4/30(土)東日本大震災51日目
◆ボランティア、2班に分かれ活動。
 明日の礼拝の奉仕を渡辺神学生がしてくださるので、小鮒牧師も「炊き出し&物資配給」グループに参加。

 「炊き出し班」は、パンとシチューを食べていただこうと、朝から準備。物資を積み込み11時前に出発。
 でも、ガスコンロが一つ足りない。スプーンが足りない。ガスコンロは1つでもなんとかなるだろう。スプーンは途中で買っていこう。ということでとにかく出かけた。(ヘマばっかりしている「ヘマオ」班の1コマ)
 ゴールデンウィークで渋滞。なかなか現地に着かない。
 やっと現地について交渉。私たちは「炊き出し&物資配給」で行ったが、現地の人には「一緒にシチューを食べましょう!」とお話するスタッフ。さすがだと感心する。

 前に救援物資をお渡しした所なので、自宅の庭を快く開放してくださった。
 でも、前にお渡しした「ランタン」、本体がなく使えないという。中身を確認せずお渡ししたのは完全にこちらのミス。ランタン回収。平謝りに謝って炊き出し開始。
 シチューの鍋を2つ持って行ったが、ガスコンロは一つ。逆にコンロを借りるはめに。エマオの「ヘマオ」班、ここでも健在。

 多くの方々が集まってくださり、シチューとパンを食べていただき、物資もお渡しすることが出来た。30食分位は用意していったシチューだが、最後の方に来られた方には食べていただけなかった。本当に申し訳ない。途中スプーンも不足(お店に十分なく買えなかった)。やはり「ヘマオ」班ですね。

 でも、笑顔で迎えてくれた方々、また「おいしかった」と言ってくれた、そのひと言。本当にうれしかったです。現地の方々との良い交わりが与えられ、本当に感謝でした。

 「一緒に食べましょう!」と言っていたシチュー。結局、ボランティアは食べられず、教会に戻ってから「カレーうどん」を食べました。でも、空きっ腹にはとってもおいしかったです。

◆牧師、風邪をひいてしまう。明日の説教はないし(渡辺神学生の奨励)、少し休みましょう。人にうつさないようにね。でも、夕食のときにはボランティアの人たちと楽しい交わりを持ちました。


泥出し等で汚れた体
ケルヒャーで洗い流してもらいました

本当に臭かったね


小鮒夫妻とボランティア・スタッフ


5/1(日)東日本大震災52日目
◆10:30 聖日礼拝 奨励「主の涙」
   (ヨハネ11:28−44) 
  渡辺真一神学生(高の原教会員、同志社大学大学院2回生、被災者支援センター石巻スタッフ)

 3月29日(火)より、石巻の現地スタッフに入り、1ヶ月が過ぎた。延べ70人以上のボランティアの人たちと被災地を見、ワークをなし、また、被災者の声を聞いて来た。ボランティアに出来ることは小さなことであるが、少しでも被災者に寄り添いたいと願っている。
 地震と津波の大惨事に「神さま、なぜ?」という問いと共に、人間の小ささ、弱さ、また罪というものを考えさせられる。
 ラザロの死(墓)を前にして、主イエスは「涙を流された」。死という絶対的な断絶、孤独、虚無とも関わってくださるのが主イエス。主の涙は、人間の痛みに徹頭徹尾寄り添う神の姿である。
 (礼拝出席 男11女13計24名)

◆当教会に来られるボランティアは、日曜日の礼拝出席を勧められる。勿論、強制ではない。が、多くのボランティアが出席している。
 キリスト教の礼拝は始めてという人も多いが、何かを感じて帰られる人たちもいる。将来、教会に繋がるような人たちが与えられたらうれしい。
 会堂使用感謝献金をささげてくださるボランティアもいる。感謝である。

◆午後、ボランティア、ワークへ。

◆夜11:30過ぎ、電話がかかってくる。R.T.さんが亡くなられ、自宅に戻られたという知らせ。急いで朝子さんと出かける。お祈りをし、葬儀の詳細については翌朝打ち合わせることにし、家に帰る。


みんなでワーク、みんなで作り、みんなで食べるボランティア


楽しいひとときです

5/2(月)東日本大震災53日目
◆8:00 T宅で葬儀の打ち合わせ
 5/4(水)10:00 出棺式
       11:30 火葬
       17:00 前夜式(於・菩提樹)
 5/5(木)11:00 葬儀・告別式

◆幼稚園、子どもの日お祝い会
 子どもたちは、大きな鯉(真鯉・緋鯉)の中をくぐり、柏餅を食べて、健やかな成長をお祝いした。これからも困難を乗り越え元気に大きくなって行ってほしい。

◆今日から、新しい子が入園。今まで保育園に行っていたが、保育園が津波で流され、家族(母と妹)も犠牲になった。近くの祖母宅に引き取られ当園に通うことになったが、心の傷は消えることはない。しばらく園で過ごしたが、午前中でお家に帰って行った。時間をかけ、少しずつ少しずつ心の傷をいやすしかない。

◆「お花を贈る会」より、N.C.さんがお花の苗、プランタ、肥料等一式を届けてくださる。感謝。

◆仙台へ転居されたSご一家が来られる。子どもたちも元気でした。仙台でも頑張ってね。

◆幼稚園の保護者の自転車がパンク。ボランティアの方が修理キットでチューブの穴をふさぐ。とても喜んでくださった。
 瓦礫が多く、パンクする自転車も多い。パンク修理のボランティアも必要であることが分かった。

◆高橋工務店からの請求書(昨年度のもの)。忘れていたが、現実に引き戻された。
 今回の大震災で被災した個所の修理の見積りもお願いした。


幼稚園こどもの日お祝い会


「がんばろう石巻」の所にもこいのぼり


5/3(火)東日本大震災54日目
◆朝、明治学院東村山高校の先生たちと高校生たち、四條町教会の平山正道ご夫妻と大学生たち、そして、当教会に宿泊しているボランティア、総数40名が教会・幼稚園に集結。それぞれの地へワークに出発しました。

 私は、教会員のM宅へ同行。家財の廃棄、引越の荷物のお手伝いをして来ました。まだ使用出来るものもあったので、お許しをいただいて教会に貰ってきたものもあります。
 お家の片付けをしていると「やりきれなくなる」ことがあります。今まで生活していた家具や調度品、生活のにおいがまだ残っています。それを次から次へと情け容赦なく廃棄していく。心が痛みます。ましてや、被災者の痛みはどれほどのものか。やりきれない思いでいっぱいになります。でも、これが被災地の現実でもあります。

◆教会・幼稚園の被災者へ、お見舞金とお米、ランタンをお届けする。

◆教会に宿泊していたボランティア5名が帰り、残り10名となる。


集まっては散っていくボランティア


5/4(水)東日本大震災55日目
◆明治学院の高校生たち、平山先生グループ、当教会宿泊のボランティア、今日も各地へワーク。良い奉仕を祈る。

◆11:00 R.T.の出棺式。朝子さんとO兄同行。続いて、石巻斎場へ。斎場には水道がまだ来ていない。トイレは仮設トイレである。
 13:30 菩提樹へ。前夜式のプログラムを渡し、讃美歌演奏機の準備等をする。

◆17:00 メモリアルホール「菩提樹」にて「前夜式」。
 菩提樹も被災しており、1階の階段の途中まで水が来たという。今はきれいになっているが、空調はまだ直っていない。津波による災害はどこにでもある。

◆ボランティア3名帰る。残り7名。段々寂しくなってくる。


やっと廃車の片付けが

5/5(木)東日本大震災56日目
◆午前中、明治学院の高校生たち、平山先生の大学生たち、日和山へ。被災地を回ってお帰りになった。エマオグループ7名は「不動町」へワーク。

◆11:00 葬儀・告別式(於・菩提樹)小鮒牧師司式。
 教会より、小鮒夫妻、O兄、S姉出席。

◆午後、エマオグループ、富士國物産へワーク。

◆夜、教会のO兄やM夫妻が来られ、ボランティアに感謝。


一瞬どうしたらよいか戸惑う

5/6(金)東日本大震災57日目
◆幼稚園、本日から「家庭訪問」開始。

◆午前中、ボランティアは「富士國」へワーク。
 午後は、撤収作業。

◆NPO法人「フェアトレード東北」よりユニセフの絵本(1セット50冊)を5セットいただく。感謝。

◆夜、幼稚園の先生を交え、Sちゃん手作りのお寿司をいただく。とてもおいしかったです。

◆ボランティア2名帰り、残り5名となる。

◆小鮒牧師、唇にヘルペス多数出現。疲れピークに達する?


これどう片付けたらいいの

5/7(土)東日本大震災58日目
◆午前、ボランティア2名帰る。残りはスタッフ3名。3名で今日は床下の泥除去奉仕。苦戦を強いられるが、最後のご奉仕である。

◆東北教区被災者支援センターから、ボランティア受け入れの感謝の言葉と献金をいただいた。感謝。

◆午後、津波で犠牲になられたM.S.姉妹の納骨式が、ご遺族・教会員が集って、教会墓所で執り行われた。(司式−小鮒牧師)

◆ボランティア・スタッフ、撤退作業後、夜は久し振りにゆっくりされたようである。


床下にももぐって泥出し

5/8(日)東日本大震災59日目
◆10:30 聖日礼拝
 説教「つまずかせないために」(マタイ17:22−27) 
  (礼拝出席 男7女5計12名)

◆東北教区被災者支援センターより派遣されていたボランティア・スタッフ3名と最後の聖日礼拝を守った。礼拝後、教会員と一緒に昼食をとり、午後は帰る準備。救援物資関係もすべて処理してくれた。

◆教会総会が、5/22(日)に延期になったので、総会のための資料確認のための「臨時役員会」開催。

◆夕方、ボランティア・スタッフとお別れ。これで当教会を拠点としたボランティア活動は一時「閉鎖」となる。今まで多くの方々が来られ、良き働きをされたことを、心より感謝いたします。本当にありがとうございました。

◆救援物資の受け付けも終了!!
 今まで多くの方々から沢山の救援物資をお送りいただきました。本当にありがとうございました。それなりに被災者にお届けできたと思っています。

 まだ必要な被災地もあると思いますが、当教会・幼稚園での受け付けはこれで終了となりますので、ご了承ください。


初動ボランティア
最後のスタッフたち

よくやってくれました
ありがとう ありがとう
感謝、感謝


5/9(月)東日本大震災60日目
◆3/11の大震災から60日が経ちました。
 石巻の復興はこれからですが、私たちは教会や幼稚園の働きを通して、復興に関わりたいと思っています。

 今まで、多くの方々のご支援をいただきましたこと、心より感謝しております。ありがとうございました。

 課題は沢山ありますが、ボチボチやるしかありません。これからもお祈りに覚えていただければ幸いです。

◆今まで日々の動向をこの「掲示板」に書き込んで来ましたが、一応これが最後の書き込みになります。ご了承ください。
 本当にありがとうございました!!


陸前高田の奇跡の一本松

<東日本大震災60日間の記録・その後>
 東日本大震災60日間の記録(第1部)は以上ですが、まだまだ続きがあります。
 一応「60日間(約2ケ月)」という区切りをつけましたが、震災後は続いています。小鮒牧師は、震災後2年間、被災地で活動して来ましたが、その間、多くの人たちと出会い、また、ご支援をいただきました。

 東日本大震災60日間の記録以後のことについて下記にアップしました。震災後から1年間の記録になります。十分ではありませんが、何らかの参考になればと思います。
東日本大震災60日間の記録・その後

トライアングル・タワー
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