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2011年3月11日(金)午後2時46分頃、大きな地震が発生しました。園バスが子どもたちを降ろし、園に帰って来てから5,6分後でした。比較的長い揺れでした。
地震当時、2人の職員は職員室にいました。棚から落ちる落下物の中、机の下に隠れ、揺れが少し落ち着いて来たとき、散乱した部屋を掻き分け園庭に避難しました。
園長と1人の職員は、教会の事務室で卒園式の準備をしていましたが、大きな揺れのため立っていることが出来ず、机の下に避難、散乱した部屋を横目に園庭へ。
牧師館にいた職員(朝子さん)は、食器棚が倒れ、逃げ道を失い、少し揺れがおさまったとき、窓から園庭へ避難しました。
運転手はバスの清掃中。近くにいた職員と共に園庭へ避難。園舎の軒下天井の一部が崩れ落ちて来たので、バスを園庭の中央付近に移動してくれました。
余震が続く中、とにかく全員が園庭に集合。運転手は車で自宅に帰りましたが、ほかの者はそのまま隣の好文館高校に避難しました。(幼稚園の犬と我が家の猫を連れて)。このときはまだこんなに大きな津波が来るとは誰も思っていませんでした。
好文館高校には、近くの人たちが沢山避難して来ました。教会員や幼稚園の保護者・園児もいました。 しばらくすると、津波警報。水が少しずつ見えて来ましたが、教会・幼稚園があるあたりまでは、水が来ないと誰もが高を括っていました。
水が少し見えて来た所で、園長は、幼稚園には兎がいること、園の窓が開いていること、鍵もかけていないことを思い出し、園に急いで帰りました。そして、増水して行く中で、幼稚園の戸締まり、地震で開いた教会の戸締まりをし、兎も牧師館に避難させました。
あっという間に、水は膝近くまで来て、長靴では移動出来ないことを悟り、園長は牧師館に避難。牧師館は、いろいろなものが落下散乱状態。タンスや三面鏡、食器棚等も倒れ、ガラスの破片・食器の破片も散乱していました。足を切らないようにスリッパを履き、とりあえず移動できるよう家の掃除。津波の水は、いろいろなもの(灯油缶やプランター、植木、材木、タイヤ等)を園庭に運び、一段低い好文館高校へと滝のように流れて行きました。
この頃には、固定電話、携帯電話も繋がらなくなり、100mも離れていないのに連絡がつかなくなりました。教職員は、そのまま好文館高校(第二体育館 (賢友館))の2階で寒さに震えながら暗闇の中一夜を過ごしました。(好文館高校では、プラスチックの衣装ケースをトイレ代わりに用意してくれたそうです。)これが私たちの経験した地震および津波の第一日目です。
今回の地震・津波で多くの人たちが犠牲になりました。お家を失った人たちも沢山います。心からお見舞い申し上げます。特に、怖い思いをした子どもたちの「心の傷」はなかなか癒されるものではありません。でも、現実を現実として受けとめつつ、前向きに歩んでまいりたいと思います。必ず復興できます。復興して行きましょう!!
(栄光幼稚園長 小鮒 實)
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栄光幼稚園報「ひかりのこ」(No.360、2011.4月号)より
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