栄光幼稚園報「ひかりのこ」(No.361、2011.5月号)より 本文へジャンプ

東日本大震災 2

 前回は、私たちが経験した東日本大震災当日の様子を少しばかり記しました。皆様それぞれ大変な経験をされたことと思います。人によっては思い出したくないとおっしゃる方もおられるかと思います。

 確かに、ひどい現実がありました。津波に流された人、車、家。多くの人たちが犠牲になりました。生き残った私たちは幸いと言えば幸いですが、しかし、次の日からまた厳しい現実が待っていました。

 避難所で一夜を過ごした人たちは、携帯電話も繋がらず、家族のこと、お家のことが心配でした。お家に残された人たちも同じです。連絡がとれない孤立状態は皆同じでした。しかも、今どうなっているのか様子が全く分からない。ラジオのニュースだけでは、現実は全く見えて来ませんでした。

 ですから、次の日、明るくなると皆外に出てみました。しかし、まだ水があって遠くまでは行けませんでした。孤立状態は続いたままでした。

 そんな中、隣の好文館高校に避難していた幼稚園の先生方が、腰まで水に濡れながら園に帰って来ました。そして、園にあったわずかな食べ物を好文館高校に届けました。勿論、焼け石に水なのは分かっていましたが、そうせざるを得なかったのです。

 水がない、食べ物がない。このことが深刻な問題となったのは、この頃からです。今まではお家に帰ればなんとかなると思っていました。が、家にも帰れない。勿論、お店も被災していて、ものを買うことも出来ない。次第に生きるためのサバイバルが始まって行きました。

 でも、当初はまだ少し自制心もありました。しかし、何にでも限界はあります。夜、真っ暗闇の中、不安な日々が続き、また、食べ物、飲物がないとなると、次第に人間の本性が出てまいります。それが三日目あたりから出てきました。略奪行為が始まって行ったのです。

 お店のなかには、冷蔵庫のものが腐るよりはマシということで、率先して食料を放出した所もありました(トマオニ等)。あるいは、お店がこれ以上壊されるのを避け、「どうぞ持って行ってください」とお店を開放した所もあります。(あいのや等、訳あり商品)

 そのような中、食料が手に入らない人に食料を分けている人の姿もありました。「困っているときはお互い様です」が合い言葉でした。救援物資が届く前のお話です。

 人のやさしさ、思いやり。それはモノがあふれていたときにはなかなか気が付かない。しかし、皆が困っているとき、はっきり見えてくる。人間もなかなか捨てたものではないと教えられました。感謝。
                       (栄光幼稚園長 小鮒 實)

   栄光幼稚園報「ひかりのこ」(No.361、2011.5月号)より
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