安政年間に創業以来代々受け継がれた本格的木造建築の伝統と技術に加えて、最新の建築技術にも精通し、設計段階はもちろん、
建築中に至るまでお施主さまの要望に隅々まで心を配ります。

赤石建設株式会社 一級建築士事務所
〒373-0827群馬県太田市高林南町283-7  TEL : 0276-38-0279  Eメール : akaishi-co@kl.wind.ne.jp

創業150年の歴史が培ってきた、100棟を超える社寺建築実績!
HOME 社寺建築 住宅建築 社寺建築実績 会社概要 社長のうんちく 問合せ 案内図

社長のうんちく履歴へ
令和4年1月

 『木曽路はすべて山のなかである。あるところは岨(そば)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。・・・・・』
 島崎藤村の名作「夜明け前」の冒頭のくだりです。明治期の作品ながら現代でも通じる木曽路の地理的状況が良く分かる描写となっています。
 五畿七道のひとつで、かつて東山道とも呼ばれた中山道は江戸から板橋、高崎、碓井峠を越えてこの木曽路を通り関ケ原を抜けて近江・草津そして京都へと続く古くから整備された街道のひとつで、途中には六十七の宿場が置かれていました。
 同じ東西を結ぶ街道として南廻りの東海道五十三次が有名ですが、距離は中山道のほうが40㎞ほど長く、宿場も16ほど多くなっています。宿場数が密であったことは比較的険しい山道が多いことに加え、冬場の寒さや雪の影響もあって一日の歩行距離が制限されたことが想像されます。和田峠や木曽のかけはしなどの難所があったにもかかわらず往来は盛んだったようで、大井川や安部川などの大河川で天候によっては足止めを食らったり、険しい峩々たる箱根峠があったりで日数の予定が不確かな東海道よりも中山道を選ぶものも多かったと言われます。旅籠の宿代も東海道より2割ほど安かったともいわれています。その中で木曽路は東ざかいの桜沢から西の十曲(じっきょく)峠まで90㎞の山中を木曽川に沿って貫き十一の宿場を擁していました。小説「夜明け前」はそのうち馬籠宿が舞台となっていましたが、今回少し北西に位置する奈良井の宿に行く機会がありました。
 奈良井宿は木曽路の宿のうち江戸側から二番目の宿で木曽十一宿の中では標高が900mと最も高く、 木曽川の河岸段丘に南北約1km続く日本最長の宿場町となっています。江戸時代には難所の鳥居峠を控えておおいに栄えたらしく「奈良井千軒」と呼ばれて木曽路随一の賑わいを見せていたようですが、現在は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されて、往時の街並みが保存されて宿場、レストラン、土産物店、寺社などを揃えて観光地として整備されています。電柱や自販機類は表に現わさないよう移設し、郵便局や消防詰め所など公共建物も景観に合わせて色などを統一されていますが、一般の建築様式も2階の出桁セガイ造りや、三寸五分の屋根勾配、軒樋の鼻隠し板などが統一され、窓には町屋格子が取り付けられ当時の雰囲気を醸しだしています。
 前日に降った雪が道に残りあかたも江戸時代の旅籠にいるような錯覚に陥ります。 この往来には歴史上の出来事も多く記憶されているはずです。古くは奈良期に秩父で和銅の採掘に功あった「羊太夫」の銅運搬があり、その果てには謀反を咎めた官軍の征討も通り、 降って関が原の参陣に後れを取った秀忠軍が西へ西へと大軍を引き連れて道を急いだはずです。さらに幕末、公武合体を受けて皇女和宮が徳川家への降嫁のため江戸下向の途上にここを通っています。さぞかし長大な行列だったことが想像されます。
  奈良井宿には毎年6月に「奈良井宿場祭り」が行われていますが、そこで催されるのが「お茶壺道中」という行列です。お茶壺道中とは江戸時代京都の宇治でとれた新茶を将軍に献上する大名行列で、その内容は唱歌「ずいずいずっころばし」で謳われています。
       ♪ ずいずいずっころばし ごまみそずい
          茶壺に追われて とっぴんしゃん
          抜けたら どんどこしょ
          俵のねずみが 米食ってちゅう  ちゅうちゅうちゅう
          おっとさんがよんでも おっかさんがよんでも
          行きっこなしよ
          井戸のまわりで お茶碗欠いたのだぁれ ♪


 一度は聞いたり謳ったりしたことがある童謡ですが、この詞はお茶壺行列を謳ったものだと云われています。切捨て御免の時代、沿道の庶民は行列に粗相のないように細心の注意を払いそれを戒める内容だったのです。子供たちが間違って行列に出ていかないよう、父や母に呼ばれても外に出てはならないよ、お茶壺道中が通り過ぎたらやっと一息付ける(抜けたらドンドコショ)。その間家の中で息を潜めていると、米を齧っているネズミの鳴き声や井戸の近くで茶碗が割れた音まで聞こえてくる。そんな緊迫した雰囲気を伝えているのです。
 お祭りには大名行列の奴に扮した子供たちが紅白の毛槍を掲げて新しくなった奈良井の木曽大橋を渡るという見ごたえのあるものだといいます。
 この木曽大橋は地元の木曽檜を使って平成3年に作られたもので、柱脚を持たない橋としてはスパンの長い橋となっています。それまで少し先の上松と福島間にあった「木曽のかけはし」は板と藤つるで作られ、芭蕉が「かけ橋や命をからむつたかずら」と詠んだ当時とは比べ物にならないほどに立派で安全なものになっています。







HOME| 社寺建築| 住宅建築| 会社概要| こだわり| 社長のうんちく| 問合せ| 案内図| リンク集

群馬県太田市に創業し、社寺建築・住宅建築を手掛けている赤石建設株式会社です。
群馬県内に限らず、幅広い地域にて施工しております。遠方の方でもお気軽にご相談下さい。