黒猫荘
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みわっち。の『それさえも恐らくは平穏な日々』
オーナー:みわっち。
まだまだ、勉強中ですが、とりあえず顔を出すようにしようかな、と。
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2034. 2007年07月03日 10時43分19秒
投稿:みわっち。
ひさしぶりです。
が、本読めてないっすよ。。。。
活字分及びミステリ分を補給せねばなあ。
2032. 2005年09月21日 22時43分28秒
投稿:森下祐行
追伸
すいません。すべての文章でみわっち。さんを「みわっちさん」と記述して
いました。申し訳ありません。
単語登録しておこうかなあ。
2031. 2005年09月21日 22時13分45秒
投稿:森下祐行
うーーん、そんなにみわっちさんに嫌われてるのかなあ。
>矛盾だらけ・言動不一致だらけなのがまたこの世の常ですから、
>いわゆる「大人の判断」をされた、という事なのですね。
あの場の「大人の判断」がまずいとは、ちょっと思えないけど。
わたし自身は、年甲斐もなく、けっこう青臭い人間なので、
普段顔の見えない時には言いいたい放題なのに、イザ顔を合わせる
とその言が鈍る、というのは、もっとも嫌うところです。
また、本格ミステリ好きの人間として、矛盾だらけの言動は、不快で
仕方がありません。議論をしてわかるでしょうが、わたしは必要以上に
理屈っぽい人間ですから。
芦辺氏はわたしの上司でも、利害関係がある人間でもありません。
また、わたしは芦辺氏の目の届かぬところで、匿名でこそこそものを
いっているつもりもありません。
(だって、この掲示板は芦辺氏のご覧になっている、とみわっちさん
も認識しているのでしょう?)
だから、みわっちさんがあげた具体例(勤め先の上司や社長の悪口を言って
クダをまくサラリーマン云々)はまったくあてはまりません。
この部分は、わたしに対して、失礼ではないですか?
わたしのことを、もしそういうふうにお考えなら、わたしの真髄を
見せてあげてもかまいませんよ。(笑)
ただ、そうするとほとんどの人は、引きますよ。
(だから、なるべく、自分を抑えるようにしています)
あの中華屋で、芦辺拓氏はかなり酔っているご様子だったので、
あそこでの芦辺氏の態度を云々するのは気の毒と思いますが、
はっきり言わせて貰えば、不快感をガマンしたのはこちらです。
みわっちさんは、あの場でわたしが芦辺氏に反論したほうが
よかったと、本当に思っています?
そうすると、芦辺氏の立場の方が、まずくなりましたよ。
それは、芦辺氏に失礼ですよ、みわっちさん。
そういうことがわからなければ、もうそろそろ憶えていた方がいいと
思います。
>もしくはその3ページに満たない文章のなかで「本格冬の時代」に
>触れていなければ買って云うことでしょう?
「「本格冬の時代」に触れていなければ」ではなく、ポケミスを
ああいう風にけなしていなければ、ということです。
それと、細かいことを言うと、ポケミス総目録は、すでに一版も
二版ももっているので、三版は買う必然性が低かったということも
あります。
しかし、もし芦辺氏のエッセイが載っていなかったら三版も買うつもりで
いたので、芦辺氏のエッセイ、つまり、彼のミステリの歴史観を問題視し、
そんな不快なものを我が家になるべく置いておきたくなかったことも事実です。
これは、わたしの判断であり、みわっちさんにとやかく言われる筋合いのものでは
ありません。また、芦辺氏を全否定しているものでもありません。
彼がかかわったもので、いいと判断したものは購入しています。
くりかえせば、ポケミスが本格を不当にあつかっていた事実はありません。
これは譲る気持ちはありません。議論をするなら、この部分をみわっちさん
と議論したいものです。
せっかくみわっちさんも総目録を購入なされたのですから、当時のポケミスを少し読んで
みてください。そうすれば、芦辺氏の認識がいかにおかしいか、わかるはずです。
みわっちさんが、芦辺氏のエッセイでまちがった認識をもたないように祈ります。
では。
2030. 2005年09月21日 15時42分25秒
投稿:みわっち。
午前中はちょっとテレビ見て気分転換してたんですが、午後からはローテンション、みわっち。です。
>森下祐行さま
<あそこでは、芦辺氏は、ゲストとしていらしてくれたので、議論をふっかけるの
<は、いくらなんでも失礼でしょう。
ええっと。確か私の記憶では、中華料理屋での食事を終え、そのまま繰り広げられた多量な放出本がひと段落つき、参加者それぞれが三々五々くつろいでいる中、森下さまがワザワザ芦辺拓の前まで行って自己紹介をされた時、芦辺拓の方から「チクリ」と一刺しトゲのあるものの言い方をしてきたのではなかったか、と覚えております。それに対して「いや、あれは〜」と明々白々と持論を展開されるのはそうおかしい雰囲気ではなかったと思うのですが。
ま、何にせよ過去の話ですし、矛盾だらけ・言動不一致だらけなのがまたこの世の常ですから、いわゆる「大人の判断」をされた、という事なのですね。了解です。
<匿名で云うのではなく、きちんと名前を出して、文章で意見を述べる、という行為は
<本人を前にしては言いにくいことをきちんと表現するひとつの方法です。
<これは、作家と評論家の間でも、今までに延々となされてきた行為のはずです。
<そうは思いませんか?
作家と評論家の間、これはお互いがプロですから。例えば、評論家が、この作家とは知り合いだし、プライベートではウマがあって飲みに行ったりもするけれど、「プロの仕事」として言うべき事はいわないといけない、だから真摯な態度で意見を(文章で)述べる、というのは普通にある事だと私も思いますし、これが私情を挟んでメガネが曇ったり舌鋒が鈍ったりするようであればとても「プロの評論家」とは言えないと思います。
ただ、普段顔の見えない時には言いいたい放題なのに、イザ顔を合わせるとその言が鈍る、まあ、世の中そう言う事は良くある(具体的な例を出せば勤め先の上司や社長の悪口を言ってクダをまくサラリーマン、なんて週末の居酒屋で良く見かけたりしますね)とはいえそんなレベルかと思うとちょっと残念だったりするのですよ。私が青臭いだけなんでしょうが。
<第一、この文章の中で、一度も芦辺氏の作品の悪口を言ってないでしょう?
はい。作品の悪口は一言も無いですね。ただあの文章がどんな流れで書かれたのか、という事を考えると似たようなものではないかと思うのです。私の記憶では、森下さまは「その芦辺拓の文章が収録されているから(立ち読みしてその部分を確認したので)『ハヤカワ・ミステリ総解説目録1953年―2003年』を買うののやめた(意訳)」という流れで私が引用したあの文章に繋がっていたはずですから。
作品の悪口とその主張が述べられたエッセイが掲載されているからその本を買わない、私の偏った価値判断の基準ではどちらがよりキツイかといえば、後者の方なのです。
普通に作品を読んで、読んでみてダメだった云々の発言をするのは「ためにする」以外であれば全然オッケイかと思われるのですが、ある本の一部分だけで全体の評価を下す(その本を買わない)、というのはキツイ否定の仕方ではないでしょうか?
>砂時計さま
<『葉桜の季節に君を想うということ』の巻末インタビューを読む限り、それが事実だとは思えないのですが。
ああ、ごめんなさい。これは完全に私の勇み足です。
<伝聞を元にした憶測にすぎず、ここで「事実」として取り上げるべきではないと思います
で、私の勇み足を認めた上で、敢えて要らぬ蛇足を付け加えるなら、私のあの文章は「事実」の記述ではなく、私なりに「無自覚な発言」を解釈した「仮定」のお話と捉えていただければ幸いです。それでもそんな「仮定」の話の引き合いに出されるのはそのファンとしてはたまったものではありませんね。その辺は本当にすいませんでした。
<「プロジェクト」が「プロジュクト」になっているのを発見。
私は砂時計さまに言われるまで気付きませんでした(爆)。
>のりりんさま
<「必要以上」とは、以前の論争のようなものを差していたわけでは全くありません。ただのある説に対する反論にすぎない、と思っています。
難しいですが、そもそものきっかけは僅か3ページに満たないエッセイの為に612ページ余りもある本を買う価値無し!とされた事にあるのですよ。それは「必要以上にけなす」ってことに当てはまるのではないか、と私は判断したのです。
何故なら、その3ページがなければ買っていた、もしくはその3ページに満たない文章のなかで「本格冬の時代」に触れていなければ買って云うことでしょう?
それって「ある説に対する反論」とか「作品の悪口」なんて可愛い次元ではないと思うのです。
<歌野晶午に関しては、砂時計さんと同意見です。
ごめんなさい。この件に関しては全面的に私のチョンボです。
勉強し直してまいります。
[NAGAYA v3.13/N90201]