黒猫荘
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みわっち。の『それさえも恐らくは平穏な日々』
オーナー:みわっち。

まだまだ、勉強中ですが、とりあえず顔を出すようにしようかな、と。
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2029. 2005年09月20日 23時44分58秒  投稿:のりりん 
 何か自分へのレスから発展してしまったように感じます。なので奥に引っ込んでようかと思いましたが、出てきました。

 もう、ここですね。

 ――余りこの辺に触れると要らない波風を立てる危険性は物凄くあるのですが、たとえばある人が、「本格冬の時代」が過去にあった、と主張するある作家のある文章を読んで、ちょっとアレルギーじゃないかと思うくらい険しい反応を見せたり、とか実際にあったことですから(うわあ、地雷踏みまくりだよ)。――

 私が書き込んだとき、「必要以上」とは、以前の論争のようなものを差していたわけでは全くありません。ただのある説に対する反論にすぎない、と思っています。


 原因となった自分の意見、

 ――この作品の評判を落としてやる! という意図があって、必要以上にけなすなら問題ありですが。そんなことをする人がいるとは考えられないですね。――

 これに対する適切な具体例は、自分で書きこんでおいたくせに、適切なものが思い浮かばなかった次第です。
 うーん。しいて言うならば、「またコイツが新刊出した。なんて紙の無駄遣いをしているんだ。あーこんなやつの作品が店頭に並ぶなんて、世も終わりだね。うっかり知らないで読んでしまった人が可哀想だよ」と、こんな感じでしょうか。
 「必要以上にけなす」ということに当てはまってないかもしれないですが。


 あと引っかかった部分が。ただ、これは各自のスタンスなので、あなたのこの意見は間違ってる!というような、完全否定の考えは持ってないです。

 ――だって私自身は「知り合いになってしまった作家の作品のことを(人として)WEB上で(あっても)言えるわけが無いでしょう」というスタンスですから。――

 ご本人目の前にして、「あの作品はつまらなかった」とずばっと言ってしまったことを思い出しました。なんて失礼な奴なんだろうと自分で自分のことを思いましたが、そこで偽りの感想を言うよりはいいかなと思いました。


 歌野晶午に関しては、砂時計さんと同意見です。ただこれは、代弁の意見なのかなと思い、即突っ込みは入れないで様子見てました。

 長文書き込み失礼。

 


 

2028. 2005年09月20日 18時01分11秒  投稿:砂時計 
11号室の砂時計です。
すみません、一点だけ口を挟ませてください。

>具体的な例を出せば、90年代初頭、
>マスコミによる新本格バッシングが
>激しかった頃、歌野晶午は実際に
>一時期筆を折ったことがあるじゃないですか

以前他のお部屋でも話題にしたことがあると思いますが、これは何かの根拠があっておっしゃっていることなのでしょうか?
『葉桜の季節に君を想うということ』の巻末インタビューを読む限り、それが事実だとは思えないのですが。
仮に「いや、本人はそう言ってるけど、島田荘司があんな風に言ってたんだから、本当は……」というようなことであれば、それは伝聞を元にした憶測にすぎず、ここで「事実」として取り上げるべきではないと思います(もちろん、他に確かな証拠または証言があるのであれば、自分も知りたいところです)。

ところで、
>「史上初!!奇蹟の大プロジェクト発動!!」
みわっち。さまの書きこみを見るまでそのページに気づかず、改めてチャンピオンに目を通したんですが、「プロジェクト」が「プロジュクト」になっているのを発見。
「プロジュクト」……なんか可愛い。
2027. 2005年09月19日 19時04分48秒  投稿:森下祐行 
今回は、あまり論争をするつもりじゃなかったのだけど、楽しいから
続けさせていただきます。

前段の、WEBサイトでの作品の評価ですが、素人がサイト上で作品を云々する
場合、基本的には作家の心情を考慮する必要はないだろう、と思います。
素人に云われて、へこんでダメになるようなら、もともと、ダメだろうと。

ただ、みわっちさんが云われるように、たまたま顔見知りになったり、また
ファン・サイトやファン・クラブの場合などの、いわゆる「身内ほめ」を否定
しませんし、それは微笑ましいことだと思っています。
前回もそう書いたつもりでした。

ですから、みわっちさんが「つまらない」とは云えないというお気持ちを否定
する気はありません。

でも、作品の悪口を書いたから「無自覚だ」というのも、同じようにおかしい
認識だと思ったのです。そこのところがちょっと気になったので、ちょっと口を
出してしまいました。
いや、みわっちさんも、そうは思っていない、ということがわかって、これで
納得しました。

さて、では次の点を。

> そうですね。ただ、そう心強い事をおっしゃる森下さまが、いつだったか関西で
>開かれたオフ会にご出席された折り、芦辺拓本人を直接目の前にしては、あまり強
>気発言が少なかったように私は記憶しているのですが。確かに個人WEBサイトの
>意味は「自由な発言」にあるのだと思いますが、本人を直接目の前にしては言えな
>いような「自由な発言」というのはいかほどの価値があるものか?などと思ってし
>まうわけです。その点、ご教示いただければ幸いです。

> あ、そうだ。「人として本人の目の前で言えるわけが無いでしょう」的な常識論
>はダメですよ。だって私自身は「知り合いになってしまった作家の作品のことを
>(人として)WEB上で(あっても)言えるわけが無いでしょう」というスタンス
>ですから。そんな常識論は使われないとは思いますが、もしその場合は「本人を目
>の前にして」と「本人が見るであろうWEBサイト上で」との明確な差ってのをキ
>ッチリ説明してくださいね。


では、キッチリ説明しましょう。(笑)

オフ会の雰囲気を壊したくなかったから、です。
あそこでは、芦辺氏は、ゲストとしていらしてくれたので、議論をふっかけるの
は、いくらなんでも失礼でしょう。
何度も云うように、わたしは芦辺氏に個人的な恨みがあるわけではありません。
『少年探偵王』の編纂など、評価されるべき仕事もされています。
その後も、芦辺氏とは何度か、酒宴で同席させていただいておりますが、
一般的なミステリについて語っているときは、芦辺氏は、楽しいマニアのひとりです。


でも、もし話題が「ミステリの歴史観」に関係するようなことになったら、
別にわたしは遠慮しませんけどね。こちらからあえてその話題を出したことは、
まだありません。向こうはプロ作家で、こちらは素人ですから、周りの雰囲気をこわ
さないで、自然にその話題にもっていくのは、ちと難しいです。


そういうわたしの個人的な事情とは別に、「WEBサイト(または活字になった文章)」と
「本人を目の前にして」との違いが、みわっちさんには本当にわかりませんか?
匿名で云うのではなく、きちんと名前を出して、文章で意見を述べる、という行為は
本人を前にしては言いにくいことをきちんと表現するひとつの方法です。
これは、作家と評論家の間でも、今までに延々となされてきた行為のはずです。
そうは思いませんか?


>あまり、理路整然でも容姿端麗でもないと思うのは私だけでしょうか。

感情的になっている文章も含めて、自分の中では「理路整然」としているつもり
なんだけどなあ。なってないかなあ。
いま、あらためて、みわっちさんが再度引用してくれた自分の文章を読み返してみても、
べつにヘンなことを云っている気がしません。
第一、この文章の中で、一度も芦辺氏の作品の悪口を言ってないでしょう?
(なお、芦辺氏の名前を間違えて書いていたのに今更に気がつきました。これは失礼でした)

なお、「容姿端麗」なのは、きちんとまとめて書いた「「本格ミステリ冬の時代」はなかった」
のほうのつもりです。(笑)

いやあ、しかし、もうあれから二年もたったのか。
懐かしいです。

2026. 2005年09月19日 16時06分03秒  投稿:みわっち。 
うっかり八兵衛体質の、みわっち。です。

>森下祐行さま

<プロの書評家なら、いろいろとはばかりが
<あって言えない事でも、素人だから言えるわけで

 はい。そういう場合もありますね。ただ、私の言いたかったのは「作家と個人的な顔見知りになってしまった場合」の事であって、一般論ではないのですよね。

 もしかしたら「プロの仕事」というキーワードに対する認識にズレがあるのかもしれませんが、私の考える「プロの仕事」とは「金銭と置き換わるだけの『何か』を有していなければいけない」という意味です。

 もっと噛み砕いて言うならば、プロの仕事というのはアマチュアのそれとは違い、金銭と置き換わってしまうという一点において、それなりの責任が伴いますよ、と。その責任の上で、公正な発言をしなければならない時、「知人だから採点を甘く」なんていうアマチュアイズムは通用しませんよ、という意味で「プロの仕事として発言しなければいけない、という状況だったら話は別」という言いまわしを使ったのですが、一般論と話をすりかえられてしまうとは、残念です。もっと誤解の余地の無いような、それこそ子供にだって理解できるような、分かりやすい表現を用いなかった私が悪かったです。

<こういうときに、「つまらない」と言えないようなら、「自由な発言」が基本の
<個人WEBサイトの意味がないでしょう。

 そうですね。ただ、そう心強い事をおっしゃる森下さまが、いつだったか関西で開かれたオフ会にご出席された折り、芦辺拓本人を直接目の前にしては、あまり強気発言が少なかったように私は記憶しているのですが。確かに個人WEBサイトの意味は「自由な発言」にあるのだと思いますが、本人を直接目の前にしては言えないような「自由な発言」というのはいかほどの価値があるものか?などと思ってしまうわけです。その点、ご教示いただければ幸いです。

 あ、そうだ。「人として本人の目の前で言えるわけが無いでしょう」的な常識論はダメですよ。だって私自身は「知り合いになってしまった作家の作品のことを(人として)WEB上で(あっても)言えるわけが無いでしょう」というスタンスですから。そんな常識論は使われないとは思いますが、もしその場合は「本人を目の前にして」と「本人が見るであろうWEBサイト上で」との明確な差ってのをキッチリ説明してくださいね。

<たれきゅんさんという方の「無自覚な発言」というのがどういうものを
<指しているのか、はっきりわかりませんが、ある作品がいい、悪いを云々するのが
<「無自覚な発言」とはとても考えられません。

 ああ。ごめんなさい。また私の表現がまずかったですね。

 たれきゅんさんは以下の意味で自覚はあるのか?無自覚な発言をしているのではないか?と問われたのだ、と私は理解しています。

 「作家だって今の世の中で生きている一人の人間であり、だとするならば自分の作品がWEB上でどんな評価をされているのか、見る事だってあるし、自分の公式サイトなど持っていたりすればそれはなおさらでしょう。そこで、自分が苦労して苦労して生み出したものが僅か数千円の負担しかしていないのに(時には図書館で借りるなどして自らの財布をいためる事無く)、ボロッカスに言われていたりするのを見れば、凹んでしまうでしょ、と。それを分かっているの?

 具体的な例を出せば、90年代初頭、マスコミによる新本格バッシングが激しかった頃、歌野晶午は実際に一時期筆を折ったことがあるじゃないですか。たまたま歌野の場合は奇蹟的な復活を遂げたわけだけれども、徒に作品をボロッカスに貶すばかりであれば、第二第三の歌野を作ってしまう事になるんじゃない?それらが皆一時期筆を折っても、歌野のように復活を遂げるとは限らないでしょう?だとするならば、ちょっとはその辺の事を判っておいてもいいんじゃない?「読む価値無し!!○○は終わった!!」的な事ばかりネットに書かれたら、誰のどんな書評が原因、という事は無いにしても、芽が出る才能も出ないうちに根腐れ起こしてしまう可能性があるでしょう?と。

 とにかく新人作家の作品の事を悪く言うな、とは言わないけれど、その事で才能をつぶしてしまう可能性もあるって事をわかって(自覚を持って)おいてもいいんじゃない?」

 繰り返しになりますが(または、自明の事かもしれませんが)、これはたれきゅんさんの発言を私なりに解釈したものであって、たれきゅんさん自身がどんな意図で言われたのかは藪の中(たれきゅんさんにしかわからない)ですよ。

 黒猫荘の影響力云々については私も多いに疑問符ではあるのですが、ある程度自覚した上で「おもしろい」とか「つまらない」等の発言を、という気持ちは、たれきゅんさんの立ち位置を考えれば理解できない事もありませんでした。

>この部分は、のりりんさんもみわっちさんも、たぶんわたしも、結局、おなじ
>ことを言っているのでしょうね。違います?

 そうですね。「自覚」というのもバイアス(圧力)のひとつですから、無自覚、つまり無邪気に何の圧力も感じない状態で、「おもしろい」「つまらない」と言える場所ってのは大事(貴重・大切)だと私は考えます。なので、その点については全くの同じ意見ですね。

>芦辺拓のミステリの
>歴史観を問題にしております。これは「自覚」してやっているつもりです。
>しかし、「とりあえずけなしておく」つもりはなく、できるだけ理路整然かつ
>容姿端麗にけなしていたつもりだったのですけどね。

 ああ。ごめんなさい。「主張」が問題の核だったのですね。

 う〜ん。ですが、件の発端となった書き込みについては以前も指摘させていただきましたが、「本格よりも、自らが大好きなB級ハードボイルドの方が冷遇されているのに、何いってるんだ!!」的な感情が先走られているように見うけられるのですが。

もう一度、ここにその文章を引っ張り出しますね。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

1894. 2003年11月14日 03時27分32秒 投稿:みわっち。 

 私が森下さまのどの文章で「自分も我慢しているから、我慢しろ、といっている」ように受け取ったのかといいますと、52号室屋根裏の森下さまによる今回の論争のきっかけ?とも言える「1190」カキコです。

 具体的には―

<< そりゃあ、当時はクリスティだって絶版は多かったですよ。でも、クリ
<<スティの新作は新刊のポケミスで出ていたし、古い「本格ミステリ」は当
<<然絶版ですがケメルマンのラビ・シリーズや、ヤッフェのママ・シリーズ
<<や、ラヴゼイの歴史ミステリやポーターのドーヴァーものが次々と新刊で
<<出ていて、新しいスタイルの「本格ミステリ」には不自由しませんでし
<<た。
<<
<< 芦部氏は古い「本格ミステリ」しか読みたくなかったから気がつかない
<<のでしょうが、古い作品が手に入りにくいのは、なにも「本格ミステリ」
<<にかぎったことではありません。B級ハードボイルドやお色気スパイ小説
<<や異色サスペンスも同じように手に入りにくかったのです。
<<
<< 私に言わせれば「本格ミステリ」はめぐまれています。ミステリ同好会
<<に入れば、間違いなく同好の士に出会え、楽しく語ることが出来たのです
<<から。それは1970年代から今に至るまで、変わることなく続いています。
<<めぐまれすぎていて、自分がめぐまれていることにすら気がつかないので
<<しょう。
<<
<< 例えば、私はB級ハードボイルドが死ぬほど好きですが、同世代のB級
<<ハードボイルド・ファンってほとんどあったことがありません。芦部氏は
<<こともなげにカーター・ブラウンが読めたように言っていましたが、確か
<<にどれか一冊なら簡単に読めたでしょうが、全部読みたいと思ったら、そ
<<りゃあ大変だったんだから。私はカーター・ブラウンを集めるために青春
<<を棒にふったんだから。
<<
<< だからって、早川書房がB級ハードボイルドを絶滅させてると思ったこ
<<となど一度もないし、訳してくれただけでもありがとう、と古いポケミス
<<の後ろの既刊リスト血眼になってチェックしながら、探していきました
<<よ。同好の士なんか、誰もいやしない。でも悔いてなんかいませんぜ。

―という部分です。

 すいません、本来なら事前に、この部分をこちらにも転用していいかどうかを確認するのが礼儀ですね。いきなり引用するカタチになってしまって、本当にすいません。

 でも、この文章から、私は「B級ハードボイルドだって、本格以上に絶版だったり、同好の士が全然いなくて大変だったんだけど、私は翻訳してくれた早川書房に感謝こそすれ恨んだりしていないのに、なんだおまえ(芦辺拓)は」(意訳)とおっしゃっているのではないか、と受け取ったんですよ。すなわち「おまえも我慢しろ」とおっしゃっておられるんだなあ、と誤解しておりました。

 またこの文章の矛盾点が非常に「それはちょっとどうなのよ」と気にもなっておりまして。後半部分で「カーター・ブラウンは、どれか一冊ならともかく、全作品読もうと思ったら物凄く大変」(意訳)といってしまっているのに、前半部分で「クリスティの絶版も多かったけれど、新作が読めるからいいじゃん」(意訳)というのは明かに矛盾しています。

 クリスティを全作品読みたい人も、もの凄く大変だったと想像できるのに、「新作は新刊でていたからいい」といってしまうのなら、カーター・ブラウンだって、「一部の作品が読めたのだからいいではないか」ということになってしまいます。

 もしかしたら、文庫が出る前にクリスティ作品をポケミスで集めようとして青春を棒に振ってしまった人だっているかもしれません(蛇足ですが、青春の長さははその人個人個人の主観による長さですから、客観的な年数は一概に当てはまりません)。

 この文章はそれこそ「B級ハードボイルドだけを特別扱い」してはいませんか?とても「古い本格だけを特別扱いしてはいけない」とおっしゃる人の文章ではないと思うのですが。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そしてこの私の書き込みを受けて森下さま自身も
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
1898. 2003年11月14日 23時24分08秒 投稿:森下祐行 

みわっち。さま
なしくずし的に反論しちゃいます。ごめんね。
引用された文章はかなり感情的に書いています。(笑)誤解をされないよ
うに弁解すると、わたしはクリスティやカーの絶版本(入手困難本)をさ
がして高校時代、走り回ったこともあるんですよ。ホントの話です。
(『予告殺人』や『一角獣の謎』を見つけたときはうれしかった!)

この部分は、一般的なミステリファンにとっては、クリスティだろうが
カーだろうがカーター・ブラウンだろうが、代表作が読めれば、それでい
いんじゃないの、という意味で言ったつもりです。常にあらゆる作家の全
作品がインプリントされることは不可能だし、その必要もないでしょう。
カーター・ブラウンだって一部の作品が読めれば充分です。(現在、カー
ター・ブラウンは新刊書店では一冊も読めないハズですが、それは当然だと
思っています。時代が違いますから)それをあえて全作読もうとするのは
酔狂な人間のすることで、そういう輩は青春を棒にふっても当然です。
わたしの文章は、それを誰かのせいにしてないでしょう?
そこは認めて下さいな。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

と、冒頭で、感情的にかかれている事をお認めになっておられます。

あまり、理路整然でも容姿端麗でもないと思うのは私だけでしょうか。


[NAGAYA v3.13/N90201]