僕の誕生した部屋の名前は「青空」といっていつも青空が見渡せました。
男の日記なんて流行らないと思いつつ、今日から日記を付けたいなと思った次第である。さて、日記の名前をなんと付けるか?そう僕の生家・・・僕の生まれた部屋には名前があった。「青空」これがその部屋の名前。いつでもその部屋からは青空が見渡せた。ヒトは、病気になったり、暗くなったりするとつい下を向いてしまう。いつでも夢を持って前向きに・・・そんな願いを込めてこの部屋を「青空」と銘々することにする。いつまで続くかわからないが・・・ぼつぼつ行こう。(2001.2.10)
信じるということは必要だ。しかし、世の中嘘をつくやつで覆われている。薬事法に抵触するも、これは癌に効くという。ネットワーク販売など効能より金(利益)を優先する。薬事に抵触することをしても全然気にしない。挙句の果てに、挙げられ塀の向こうに行ってくる。もっとアクドイ人は、異国に善良な?人たちから集めた金を持って高飛びする。困ったものだ。何処へいってしまったのだろう、日本人本来の心・・・嗚呼。10/30 2002
昨日Baliでテロ事件が発生した。500人にならんとする人が死傷した。たいへんな事件である。平穏無事なリゾート地Baliは、一瞬にして危険地域に指定された。嘗て、Baliも戦火に侵され、殺戮の歴史が存在する。シンガラジャなどに行くとその名残や、民族に対する恨みがまだ存在していることをまざまざと実感したことを思い出す。美しい神秘の島Bali、昔の日本を感ずる風景を有する島。島は、人だけが生きているのではない。自然は人類のやっている仕業をみな見ている。自分だけで生きていると思ったら大間違いだ。10/14 2002
特区の話は、医療に限らず様々な分野で検討されている。基本的には、既存の法の枠内で出来ないことをこの場所に限ってやろうよという事で、全てに公平、平等であるはずの法律の精神に背くものである。しかしながら、日本で受けられないような治療がそこで受けられるならそれは良いことであると思うが、それならなぜ日本中で受けられないの?ということになる。医療に限らず、ちゃんとやれば出来ることを、まず少しづつ始めようという考えはわからないでもないが、既得権の発生(日本のお得意のパターンです)が心配だ。この辺をクリアしなければ、日本は先進国のお仲間入りは到底できない。10/14 2002
最近やけに腹が張る。実に不愉快で、夜寝ているときなど、それによって目覚めることがある。親父殿もよく変な屁をしていた。「ブルルル」肝臓の調子が悪くなると腸の動きが悪くなる。また、血行障害でスワンといって四肢の毛細血管に血が行かないことにより指に変形が起こる。手の小指が、スワン(白鳥の首部分に似ていることから)状態になって湾曲してきた。気をつけているのだが、性格上、オーバーワークは、止むを得ない。やり過ぎで、後で後悔するのは何時ものことである。10/9 2002
石原慎太郎さんの「老いてこそ人生」の中で、すべての動物にとって最大最高の医者は二人います。
一人は熱。もう一人は断食です。とのくだりがある。
僕は何度となく、食中毒を起こしたことがある。原因はサルモネラ菌が殆どであったが、中には原因不明の・・・医者は、ビールス性胃腸炎といっていたが何の、ビールスに侵されたのか未だに解らない。その時も、異常に高熱になり40℃を悠に超えていて集中治療室で唸っていたのを今でも鮮明に覚えている。
そして、抗生物質を大量投与したため、その後、クスリが効かないという副作用に悩まされ、風邪などひいて注射を打ってもなかなか効かなかったときを長く過ごした。
よく癌患者は、冷え性の人に多いという。熱を出せる体力がある体の方が、健康体と言えるのだろう。近頃、風邪をひいても熱も出ない。10/6 2002
伯父の死・・・思うこと、感ずるままに。。。「未知が現在になるという事実は運命によって定められているが、未来の諸容貌はわれわれの働きがそうせしめるものとなるのだ。未来性、未来という事実はわれわれに依存しないが、未来の容貌はわれわれの働きがそうせしめるものとなるのだ」人生悠々。されど、不安との共存。天寿を全うす。彼の生き様は、実に爽快。9月の秋空を背に侃々と黄泉路に旅立った。合掌 9/30 2002
痛み。それには、いろいろ原因がある。僕の場合、ちょっとハードなスケジュールをこなすと・・・多分胆汁うっ滞が起き、十二指腸付近の腸の働きが悪くなると右わき腹上部に痛みが走る。鈍痛である。最近は、大体パターンが解かってきたので、痛くなるようだなという前に横になる。また、腹部に手のひらを当て右回り100回、左回り100回摩る。これが、ことのほか効果がある。また、食事の後、肝臓疾患のヒトは横になると良いいうことはよく耳にするが、食前に30分位横になり手のひら摩りをすることをお薦めする。これが、案外効果がある。SKCなど飲むより良いかもしれない。9/26 2002
否定的に考えると物事はうまくいかない。しかし、肯定的に考えすぎても、驕りが時には致命傷になる。先日、或る方からご指摘いただいた。「人生にとって大切なことは、良いことを積み重ね、天から見られても恥ずかしくない生活をおくること」・・・しかし、現実は、生きるために精一杯の人たちばかりである。かくいう彼も、業界では策士で通っている男・・・「何がなんだか解らないひとが多くなった」と思うのは、決して僕だけではない筈だ。おかしいよ日本は!9/25 2002
あまりにも長すぎる25年。四半世紀。拉致。家族の無念。涙。他人事ではない。遺憾。無力。近く遠い世界。現実である。9/17 2002
今日は、定期検診、前回の血液検査の結果を先生より伝えられる。「非常に数値は良くなりましたね」「AFPもPIVKAUも非常に安定してきた」・・・・A先生の一後水そして仙遊丹のおかげと思う。しかし、時々、右上腹部が膨満感と共に痛くなる。それがなんとも辛い。
昨日、NHKテレビで肝炎についての特集があった。肝炎で苦しまれている人が実に多いのには吃驚する。C型肝炎・・・200万人といっていたが、予想に過ぎない。僕の予想とすれば、すでに500万人を超えていると思う。医療行政による失敗。患者に対しては、少なくとも医療費の負担を国が負わねばならぬだろう。A先生の一後水が大量にできる環境ができればいいのだが・・・
それにしても、患者となった優秀な人たちがC型肝炎、肝癌、肝硬変となればそれこそ国益を損なうことになる。9/11 2002
先日、大腸癌を12年前に手術した友人にあったら、C型肝炎にかかっているいることが解ったと言う。医者から数値が低いので様子を見たいと言われていると言っていたが、僕は、尽かさず、FNNの科学的立証の話をした。親父殿も、17年前に胆石の手術をしている。医者から「幼少の頃の虫垂炎の手術の際の輸血でC型に感染したのだろう」と告げられ当時は納得したが、今はそうは思わない。手術した時期は、まさしくフィブリノゲン血液製剤が頻繁に使用されていたときと時期を同じくする。死んだものは、帰ってこないが、少なくとも生きている人に対するフォローは、国が補償する義務がある。かの友人も癌化しなければ良いのだが・・・9/9 2002
「幸せ」って何だろう?ふとそう思う。「満ち足りる」幸せ。「何か足りない」幸せ。「何か足りない」と自分が見えてくる。また、人も良く見えてくる。「健康って大事だな」と「友達って大事だな」と「家族って大事だな」と。満ち足りているのに満ち足りないと思うこと「幸せは心の中にあるもの」8/28 2002
久しぶりに青空を臨みながら書く。ここのところあまり体調が良くない。右わき腹が痛む。数字的には、安定しているようであるが、とにかく痛い。痛くなると何をするのも億劫になる。ヒトから言わせると「顔色は、前よりずいぶん良いよ」と言う。他者評価と自己評価では、ずいぶん違う。親父殿が、肝癌と言われ入院したときなど、そのへんの健常者より健康そうであったし、若い僕らよりずっと元気であった。「なに、もたもたしている」と。
肝炎は、知らないうちに忍び寄る。しかし、肝臓の病ほど多くの治療法があるのも珍しい。諦めない。この精神は、商売の道にも通ずることか?
7/29 2002
明日は、親父殿の誕生日である。もうこの世にいないが・・・ひとは、ひとりでこの世に生まれ、去る時もひとりである。また、裸で生まれ、裸で黄泉路の国へと旅立つ。そして、ひとそれぞれの人生をおくり、ひとそれぞれの楽しみや悲しみや苦しみを感じ、去っていく。苦労したことなどそのひとが亡くなると苦労と言う字が実感できなくなる。立派な人は、生筋を示せる人。高僧でも癌になったら泣き叫ぶ人がいる。自殺する議員もいる。人生と十色。ヒトがするから参画する運動、ヒトがしなくとも参画する運動。どちらの選択をするのか?はたして、僕はどちらなのか?
5/30 2002
阿部先生は、実に素晴らしい。奢るところは無いし、儲かるといっても人道に反することは決してしない。開発も全て人のためにというスタンスがある。先生の開発の根底にはご両親に対する感謝の念が反映している。そういう意味では、ご両親の教育の賜物といえる。お仏壇のはせがわの社長長谷川裕一氏の著した「商人道」の中に無財の七施の実践−1.顔施・・・親しみのこもった笑顔 2.眼施・・・慈悲に満ちた眼差し 3.身施・・・身体を使って奉仕する 4.心施・・・真心を持って接する 5.愛語施・・・温かい言葉をかける 6.房舎施・・・かばってあげる 7.床座施・・・席をゆずる が記されている。彼の精神と行動には、まさにこの無財の七施の実践が反映されている。4/07 2002
人生は良いときもあれば悪い時もある。それは、心の様相によっても変わる。しかし、外から客観的に見ると事象はいっさい変わっていない。なのに変わったと自覚する。
病気になると病気のことばかり気にするようになる。ノー天気の人の方が、進行が遅いようである。高僧であっても癌と告知されると慌てふためく人がいる。やはり、人間ということか?泰然自若、今の自分ははたしてどうか?3/30 2002
このままでは日本人は駄目になる。今日、久しぶりに母校の先輩に行き会った。彼は、昨年事業倒産という経験をした。実に優秀な方なのに何故と思う。地価は下がり含み損が発生する。金を借りても担保能力が乏しいための現実。
また、先日、裁判で債務確定がなされ、その結果に従い、返済を忠実に実行している人がいた。突然、金融機関が債権譲渡?。譲渡先から一括返済を求められる。やむなく、自己破産申請。債権者は、4人。大口債権者は金融機関3社。末端の債権者は、一般人。その一般人債権者に着実に入ってきた月々の金が入ってこない。(彼にすればでかい額)金融機関は、機械的に処理をする心無い集団と化す。粛々と進める破産者の代理人弁護士。こうした時、民事再生を教えてあげられないのか?早く処理をすれば良いとただ思うだけ。心がない機械。誰の失敗か?明確に答えが出ないのはおかしい。3/28 2002
信頼することの難しさ。包容力。大人。全ては信頼から生まれる。信頼とは何か?人の心を全部理解できる人はいない。だから包容力が必要だ。自分だけで生きているのではないからだ。生かされていると思えれば、その包容力も大きくなる。オキサリプラチン、非環式レチノイド。新しい事業。何れにしても包容力が今の僕には必要だ。3/23 2002
去る平成14年2月21日(木)の第15回中央教育審議会において「新しい時代における教養教育の在り方について」の答申がなされた。日本の未来のためにも教育の重要性を実感している。中等部時代、漢文の岡部先生から「教育とは、親が望むことを子供に実現することだ」といわれたことが鮮明に印象に残っている。はたして明確な望むことが表せるか?「親が望む教育とは?」・・・「次世代を自分の力で生きられること」「嘘をつかないこと(自分はどうか?)」「他人の意見も尊重すること」「好き嫌いで判断せず、良いもの悪いものと判断できる能力を養う」「本物を見る」「社会での自分の役割を認識する」・・・止めど無く浮ぶ。今、原点を変えねば!日本人にも、知恵があるはずだ。第15回中央教育審議会 3/16 2002
今、風邪が流行っている。倅のクラスでは、半数が休んでいるという。給食が余ってしまい、デザートが二人分配られると喜んでいた。花粉症もこの時期我が家の対敵だ。僕を除くメンバーが悩まされる。風邪は万病の元。昔のことをいうと笑われそうであるが、家々には口伝の予防法があった。「ねぎ味噌」「うめぼし」・・・・・etc. 最近は、家族構成から「おばあちゃんの教え」の存在が無い。お年寄の知恵・・・日本の政治にも欠けていることかもしれない。風邪は万病の元 3/6 2002
最近の官僚の肝っ玉は実に小さい。木端役人になってしまった。かの、福田赳夫翁は、外務省勤務時代、英国に始めて赴任した際、当時のイギリス大使の向え方(当時の大使がマージャンを囲んでいたため、約束した時間に赴任の挨拶ができなかったことを不服に思い)が悪いといって、大先輩を逆に待たせ、デカンショ節を歌いながら大使公邸で風呂に入っていたという。このようにしろとはいわないが、諸外国の名うての要人達を相手に本当にやっていけるのか心配でならない。とにかく、腹の座ったヒトがいないのは実に寂しいことだ。天下国家を論じ、自分達が日本を担っているという気骨は、何処にいってしまったのだろう?「○○ハウス」「○○号」えーなんだよ。プレハブ小屋と小型バス。なんかの間違いじゃないの。桁が違うんじゃないの。四億円ぐらいの事業で自分の名前つけられたら恥と思わないのかね。
薬事認可が、一薬50億円とも60億円ともいわれているが、癌の標準治療薬180有余を一括認可すれば、一兆円くらいの無駄がなくなるよ。一括認可を推進した政治家の名前を取って「○○薬」ぐらいのことをすれば良い!それが、大道を歩む政治家の姿でしょう?どうですか、小泉さん!!! 2/27 2002
三浦先生から久しぶりにメールが届いた。僕にとっては嬉しい便りである。先生の医者としての姿勢には何時もながら頭が下がるばかりである。自分だけ良ければ良いという今の世の中にあって希少な方である。自分だけ助かりたい人は、「先生、非環式レチノイドという薬は、何処で手に入るのですか?いくらですか?」と立続けに聞く。ヒトは、自分が不幸な境遇になって始めて人の痛みがわかる。HIVの事件の時もそうであったように対岸の火事と片づける。C型肝炎の人がこういっていた。「食事をした後、時々右脇腹に痛みを感じるんですよ。その痛みが出ると暫く横になっていないと辛くて!」と。肝炎が進みやがて肝硬変、肝癌へと移行する。潜伏期間が長いためその関連性を証明するには難しい。そして、解らないと片づける。「血液製剤で感染したかも知れません」・・・感染してしまった本人は、何時でも肝癌の恐怖に苛まれる。癌の100有余の世界的標準治療薬が、日本では何故使えないのか?患者個々人の選択権はないのか?医は忍術、それとも仁術、それとも人術?17日のサンデープロジェクトを見て欲しい。2/15 2002
僕の祖母は、名を「キク」と言った。ルース・ベネディクトが『菊と刀』という日本人論を語る本の中に「恥の文化」をこう表している。高貴なことは、「恥をかくなら死ね」と。一連の○印食品の事件を見るとお粗末極まりない。薬害エイズもそうであった。C型肝炎の血液製剤感染もそうである。悪いと認めて、早い措置を取れば良かったのに。「保身」・・・「恥」・・・「菊の花」を臨むと祖母を思い出すと同時に彼女の生き様を思い出す。学歴はないが、そして、決してIQも高くないが、嘘はつかないし、無駄口はきかない。そして、何よりも人心をとらえるEQは抜群だった。2/4 2002
「7th Level」ということばをNASAのNo2であるDr.Munechikaから僕のアメリカ人の友人が伺った言葉であるとその意味を話してくれた。人の出会いは、実に不思議。父と母が出会わなければ僕は存在しない。病気に遭遇しなければ、今の自分もない。
その友人は言う「Dr.Munechikaを僕は知っている。そして、Dr.Munechikaは、Bill
Clintonと友達、あなたの周りには、素晴らしい人材がいるということ。積極的に動けばいろいろなひとに逢うことは出きる、できないとは思わないこと、出会えないとは思わないこと」「良い薬との出会いもある」そういえば、かの首相も野沢にいたとき会っているな・・・人の出会いは、実に愉快である。1/26 2002.
一生運が悪いヒトはいない。また、一生運が良いヒトもいない。ヒトは良いときは有頂天になる。また、悪いときに自分の不徳がわかる。僕は、悠々という言葉が好きである。家業は、悠久の大地を相手にした土木工事業、僕が生まれるずっと前からこの地域で生業としてきた。今日、母曰く「おまえは小さい時から事務所にいって多くのヒトと話すのが好きだった」またこうも言った。「儲けることをお祖父さんとにこにこしながら話していた変わった子」変わった子は、世の中に五万といる。真の意味でのかわった子になり得るか?これからが勝負である。しかし、悠々と生きることはヒトとして決して忘れない。
1/7 2002.
人の出会いは実に愉快である。災いが無いと自分にとって本当の意味での良い出会いが無い。そんなことを感じる今日この頃である。時代を担ってきた大政治家や大事業家も失敗を経験しない人はいない。一病息災とは良く言ったものだ。目的を持っているとそのヒトの人生は実に素晴らしいものになる。そして、三浦先生のように強くなれる。多くの人に感銘と勇気を与える。僕もその一助になりうるか?・・・
頑張らねば!12/10 2001
ひとは見かけに寄らぬものというが、そうではないと思う。直感で「こいつ何か変だなと感じたひと」は、始め爪を隠していても結果的には僕のもとから離れていくことが多い。反対に誠意を持って対応するひとは一生の友として付き合える。見かけではなく、ひとは身形に寄らぬものなのかもしれない。身形は良くとも心の身形が良くなければなにもならない。一生懸命行動していると身形よりも心の身形が見えてくる。画言う僕の身形はどんなものか?12/7 2001
師走とはよく言ったもので12月になるとなんとなく忙しい。昨日は、内親王殿下が無事誕生された。何となくここのところ悪い話ばかりだったので気持ちが良い。いきなりカビの話などすると不謹慎かもしれないが、赤ちゃんが産道を通るとき多くのカビがついているが、彼らがその身を護ってくれることはあまり知られていない。
彼らはいろいろな菌からヒトを護ってくれるのである。特にアナベナ菌という菌は手を洗いすぎると感染したりするが、清潔も度が過ぎると身を護ってくれるカビまでも落としてしまう。清濁併せ呑む・・・なるほど。12/2 2001
昨日、渋谷のBz Bratで上田正樹のライブに行く機会を得た。久しぶりに聞く彼の歌は、体全体から僕らのハートにこだましていた。彼が影響を受けた138人のアーティストのラップはまさに絶品。歌は「世代も、国も、いろいろなバリアを梳いてくれる」「また、そうあって欲しい」と問い掛けた彼の歌に真理を見たような気がする。山田耕作翁が「歌は讃美歌、音楽は宗教」と言った言葉を思い出す。11/30 2001
青い空には、白い雲が似合うように、山には木が似合う。環境問題が世界的に問われているが、幸か不幸か日本において山林の伐採率が他国に比べて低い。そういう意味では、緑が多い。植林は日本の文化である。また、木を基に生まれた文化が多い。木材を多く使った家の方が、火災で焼死する率は少ない。なのに火災保険は、不燃材と称する毒ガスを発するモノの方が料率は低い。何処に基準を置いているのであろうか? 11/27 2001.
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今日は久しぶりにみなさんに会えたし〜
今日は久しぶりにみなさんに会えたし〜
シャバダバダ〜ウゥ〜ムシャバダバダ〜
シャバダバダ〜ウゥ〜ム
幸せ!♪♪ 11/26 2001.