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説教 「吾唯足るを知る」
               (2コリント 12:1-10)      2015/08/23
(於・三条教会・燕教会録音)
 今日は最初に少しばかり、京都のガイドをしたいと思います。

 私は、昔、京都に7年間住んでおりました。もう40年も前のことであります。学校が同志社大学でしたから、大学の4年間と大学院の2年間、そして大学院を出たあとの1年間、合計7年間京都で過ごしました。

 ご存じの方も多いと思いますが、同志社大学は、新島 襄によって建てられた学校であります。新島 襄は、群馬県の安中出身で、群馬県の“上毛かるた”には、「平和の使徒(つかい) 新島 襄」という取り札がありまして、群馬県人ならば知らぬ人はいないという有名な人であります。今でも新島 襄関係の教会(安中教会)や学校(新島学園中高、短大)などもあります。

 で、私も群馬県出身ということで同志社に入りましたが、今の同志社と言えば、京田辺のキャンパスの方が広く(790,000㎡)、私が通っていた今出川校地(今出川キャンパス、室町キャンパス、新町キャンパス等、97,000㎡)の8倍もあるそうであります。私が京都にいた頃は、まだ京田辺の方はなかったものですから結構こじんまりしておりました。相国寺(しょうこくじ)というお寺が隣りにあり、道路を挟んで今出川通りの南側には京都御苑、いわゆる京都御所がありました。

 私は、京都にいた時に、4回引越ししました。最初は、京都御幸町教会という教会の寮にいましたが、そのあと同志社のアーモスト館という寮に移りました。その後、外国人が日本語を学ぶ日本語学校の宿直部屋で学校の掃除をしながら、いわゆる住み込みで働きながら大学にも通っていました。

 その後大学院に入って、今度は「京都国際学生の家」という寮で3年間過ごしました。本当は2年経ちますと出なければならない規則になっていましたが、仕事が見つかりませんでしたので3年間おいてもらいました。

 で、最後にいた「京都国際学生の家」というのは、留学生が2/3、日本人の学生が1/3、計34名の寮。そのほかゲストルームが12部屋もある立派な寮でした。公用語は英語と日本語。留学生は京都大学の学生がほとんどでしたが、日本人の学生は、京大、同志社などに通っていた学生たちが主でした。

 この「京都国際学生の家」というのは、京都市左京区聖護院東町という所にありまして、地名の「聖護院」というのは「聖護院八つ橋」というお菓子でも有名ですが、近くに「聖護院」というお寺がある訳であります。そのお寺「聖護院」の東の方にあるから東町という訳ですが、南には数百メートル行きますと「平安神宮」もありました。

 で、今日お話ししたいのは、聖護院や平安神宮のお話ではなくて、私が住んでいた左京区とは全く反対の右京区にある「龍安寺(りょうあんじ)」のお話であります。龍安寺の近く、近くと言っても1km近くもありますが、金閣寺があります。でも、金閣寺は「北区」、龍安寺は「右京区」になります。京都駅から言えば、龍安寺も金閣寺も、北西の方にかなり行った所にありますが、今日は「龍安寺」のお話。

 で、龍安寺は、先程も申しましたように、京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の寺院、お寺であります。でも、龍安寺で有名なのは、なんと言ってもあの枯山水の平庭「石庭」ではないでしょうか。幅 22 m、奥行 10mほどの敷地に白砂を敷き詰め、その白砂に15個の石を配したとてもシンプルな庭。真っ白な砂の上に15個の石が置かれているのですが、どこから見ても14個しか見えないという、いわくつきの「石庭」であります。

 この「石庭」、一般的には室町末期(1500年頃)に造られたと言われておりますが、誰が、なんのためにこのようなものを造ったのか、はっきりしたことは分かっていません。でも、ここは禅寺ですから、何かを教えようとしている、そんなふうに考える人も多いようであります。

 で、そこでよく言われるのが、「吾唯知足(われ ただ たるを しる)」という「知足の蹲踞(つくばい)」のことであります。

 この石庭とは建物を挟んで反対側の方になりますが、東北の隅に「蔵六庵(ぞうろくあん)」という茶室があります。この茶室「蔵六庵」の露地には、蹲踞(つくばい)とよばれる、茶室に入る前に手や口を清めるための低い手水鉢(ちょうずばち)、要するに、水を張った石の鉢・蹲踞(つくばい)が置かれています。

 この蹲踞は、水戸(徳川)光圀の寄進だと言われておりますが、真ん中が四角くなっていて水を溜めるようになっている訳ですが、その真ん中の四角を漢字の「口」と考えますと、周りの4つの文字と合わせ時計回りに読むと「吾唯知足(われ ただ ちそく)」と読める訳であります。よって「知足の蹲踞」などとも呼ばれている訳であります。

 「知足(ちそく)」、これは「足るを知る者は富む」という『老子』の中に出てくる言葉ですが、足る、自分はこれで足りている、満足だと、「満足することを知っている者」は、たとえ貧しくとも、精神的には豊かである、幸福であるというような、そういう意味の言葉であります。

 人間の欲望、これにはきりがありません。あれも欲しい、これも欲しい。もっと欲しい。これは物質的なものだけではないと思います。あれも知りたい、これも知りたい。これはどうなっているだろうと探求して行く。今ではむしろこの探究心こそ大切だと逆に説かれることも多い訳ですけれども、『老子』では「足ることを知る」ということを教えている訳であります。

 「足ることを知る」「知足(ちそく)」。欲深くならないで、分相応のところで満足する。そして「足ることを知る者は富む」。精神的に、あるいは心が富むというのでしょうか、心が豊かであると、こう教える訳であります。

 で、先程の「石庭」のお話に戻りますが、真っ白な砂の上に15個の石が置いてある訳ですが、一度に見えるのは14個だけ、15個は見えない訳であります。ジャンプすれば見えるとか、ヘリコプターで上から見れば見えるという人もいます。あるいは、このあたりから見れば、15個全部見えるということでネットにその写真を投稿している人もいます。でも、普通に廊下から見れば14個しか見えない。

 ということで、龍安寺の石庭ですが、この15個あるのに14個しか見えないという、この現象を、先程の「知足(ちそく)の蹲踞(つくばい)」と関連づけて考えますと、15個あっても14個しか見えない、でもそれでいいじゃないか、それで「足ることを知る」、満足することが大切なんじゃないか、ということにもなる訳であります。「吾(われ)唯(ただ)足るを知る」。

 15個あるのだから15個全部見たいのが人間の欲望かも知れません。でも、物事をありのままに見る。そして、それで満足する、それで足れりとする。そこにまた今まで見えなかったものが見えて来る。勿論、禅の世界では、このようにして満足する、いわゆる自己満足、知足と言ってもいいと思いますが、これさえも否定する、乗り越えて行くというのが禅の道なのでしょうが、難しいことはさておいても、「足るを知る」ということは、これはとても大事な第一歩なのではないでしょうか。

 龍安寺の石庭は、「どこから眺めても必ず1個は他の石に隠れて見えないように設計されている」。確かに、そうなんでしょうが、問題は、ありのままの姿をありのままに見る。そしてその現実をありのままに受け入れ、足ることを知る。それが「吾唯足るを知る」(吾唯知知足)ということなんだろうと思うのであります。

 で、今日は、この「足るを知る」ということですが、聖書にも、こんなお話が載っています。

 先程読んでいただいた所ですが、パウロという人。彼はとても信仰熱心でしたが、それだけではなくて、すばらしい神秘的な体験もしていた人であります。先程の所には、第三の天、楽園にまで引き上げられ、そこで「言い表し得ない言葉を耳にした」、そんな人がいたなんて書いておりますが、これはパウロ自身の経験と言ってもいいと思います。

 とにかく、パウロは、人に誇れるような、すばらしい体験をしたのであります。で、彼は、それを誇ろうとすれば誇れるけれども、「思い上がることのないように、高慢にならないように」、「わたしの身に一つのとげが与えられた」と言っているのであります。

 「私の身」、これはパウロの「肉体」という意味であります。前の聖書では、はっきりと「私の肉体」と訳しております。パウロには、なんらかの肉体的な欠陥、病気のようなものがあったようであります。それは何か。聖書を読む限りにおいては、よく分かりませんが、目の病気だとか“てんかん”のようなものじゃなかったか、なんて、いろいろ言われておりますが、はっきりしたことはよく分かりません。

 でも、パウロは、この「肉体のとげ」のために悩み苦しみ、そのとげを取り除いてくれるように神様に三度も祈ったと言っておりますから、それなりに大変な病気だったようであります。まあ、パウロが言っている「肉体のとげ」、それがなんであれ、彼には何らかの肉体的な病気があり、苦しんでいた。だから祈った。「私の苦しみを取り去ってください、私の病気を治してください」。パウロは繰り返し繰り返し神様にお願いしたのであります。

 でも、神様からの答えは、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」という、こういう言葉でした。2コリント12章9節にある言葉であります。

 「わたしの恵みはあなたに十分である」。これは先程の「知足(ちそく)」、足るを知るということと共通するものがあるのではないでしょうか。

 私たちの身の回り、足らないことを取り上げればきりがありません。また、あああって欲しい、こうあって欲しい。欲しいこともいっぱいあります。でも、「足ることを知る」ということは、とても大切なことなのではないでしょうか。「知足」「足ることを知る」。これはクリスチャンにとっても、そうでない人にとっても共に人生を歩んでいく上での「知恵」なんだろうと思います。

 でも、クリスチャンの考え方は、「知足」は「知足」であっても、「神の恵みは十分である」という「知足」(足るを知る)であります。私たちは「神様の恵みがいつも十分与えられている」という、そういう意味で、「吾(われ)唯(ただ)足るを知る」と受けとめるのであります。

 神様の恵みが十分に与えられている。そのことに気付くとき、私たちは、あれも足らない、これも足らないと不平を言うのではなく、与えられているものに感謝して、また新しく歩み出すことが出来るのではないでしょうか。

 神様はあれもくれない、これもくれないと不平不満ばかり言っておりますと、なかなか神様の恵みには気付きません。私たちはむしろ、私たちに与えられている神様の恵みに目を開かれ、その神様の恵みを感謝して受けとめ、これで十分であると、足ることを知る者でありたい、と思います。

 パウロは言っています。「私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、私は弱いときにこそ強いからです」(12:10)。

 他人から見れば、弱そうに見えても、行き詰まっているように見えても、神様が共にいてくれるから強くなれる。これはクリスチャンの特権と言ってもいいと思います。そして、この特権は、「吾(われ)唯(ただ)足るを知る」、神様の恵みが十分与えられていることを知るときに与えられるものではないでしょうか。

 私たちは、「わたしの恵みはあなたに十分である」という、この神様の言葉に耳を傾け、神様の十分な恵みに感謝しながら、これからも神様に導かれて歩んで行きたいものであります。

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