よくある質問をまとめてみました

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キリスト教のこと

教会のこと

 ・プロテスタント教会とカトリック教会の違いは?
 ・キリスト教はいつ頃できたのか?
 ・キリスト教の人は、よく「アーメン」と言いますが、どんな意味ですか?
 ・「ミサ」って何ですか?
 ・教会で唱える「使徒信条」って、どんなものですか?
 ・「使徒信条」って、いつ頃できたのですか?
 ・洗礼を受けるにはどうしたらいいか?
 ・主の祈りってなんですか?
 ・主の祈りには、いろんな訳があると聞きましたが?

キリスト教に関連した

行事について

クリスマス関係
 ・「クリスマス」って何ですか?
 ・「アドヴェント(アドベント)」って何ですか?
 ・「クリスマスツリー」について教えてください。
 ・「クリスマス・リース」について教えてください。
 ・「サンタクロース」って本当にいるの?
 ・「サンタクロース」の起源について教えてください。

イースター関係
 ・「イースター」って何ですか?
 ・イースターエッグって何ですか?
 ・イースターエッグのお話

 ・「レント」って何ですか?
ペンテコステ その他
 ・「ペンテコステ」って何ですか?
 ・「花の日」って何ですか?
 ・キリスト教にも「収穫感謝祭」があると聞きましたが?
 ・「収穫感謝祭」の由来
 ・2月14日は「バレンタインデー」。これはもともとどんな日なのですか?
 ・「母の日」って何ですか?
 ・「父の日」って何ですか?
 ・10月31日は「ハロウィーン」と言われますが、「ハロウィーン」て何ですか?

聖書のこと
 ・いろいろな聖書がありますが、どんな聖書がお薦めですか?
 ・聖書のことを「バイブル」と言いますが、「バイブル」という言葉に何か特別な意味があるのか?
 ・「レプタ」(口語訳聖書)が「レプトン」(新共同訳聖書)になった理由は何ですか?
 ・「天使」って、本当にいるんですか?
 ・「十戒」って何でしょうか?
 ・聖書は、「平和」についてどのように教えているのてしょうか?

 ・イエス・キリストとは名前ではないと聞きましたが?
そのほか
 ・クリスチャンではありませんが、教会で結婚式を挙げさせてもらえますか?
 ・キリスト教のお葬式の場合、香典袋の表書きはどのように書いたらよいのですか?
 ・キリスト教では、「お墓」はどうなっているのでしょうか?
 ・「ミッションスクール」という言葉をよく聞きますが、「ミッションスクール」って何ですか。

 ・「13日の金曜日は縁起が悪い」なんて言われますが、キリスト教と何か関係あるんですか?



「父の日」ってなんですか?
『母の日』がアメリカ合衆国ではじまったのは、1908年のことでした。母の日ができたことを知ったワシントン州に住む『ジョン・ブルース・ドット夫人』は、翌1909年「母の日があって父の日が無いのはおかしい。父の日もつくって下さい。」と、『牧師協会』へ嘆願しました。それには深い理由がありました。

ドット夫人が小さい頃、お父さん(ウイリアム・ジャクソン・スマート氏)は北軍の軍人でした。軍隊での階級は"Sergeant"(日本でいう「軍曹」)。
1861年4月12日南北戦争が起こりました。終わったのは1865年4月9日。

「ドット夫人」のお母さんは、夫のウイリアム氏が北軍に召されている間、女手一つで働きながら一家を支えてきました。その為、お母さんはすっかり体をこわしてしまい、お父さんの復員後、間もなく死んでしまいました。そこからお父さんの苦闘が始まりました。残された子供達は、男の子5人と女の子が1人でした。6人の子供達を男手一つで育てるのですから、さぞ大変だったことでしょう。お父さんは再婚もせず、生涯独身で働き通したそうです。今日のような豊かなアメリカではなく、悲劇の時代と言われていた頃のアメリカでしたから、その苦労はとても大変でした。

このウィリアム氏の6人兄弟の末っ子の女の子が「父の日」を申請した「ドット夫人」です。
「父の日をつくって下さい」と末娘が嘆願してから7年後、1916年に『父の日』が認知されるようになりました。アメリカ合衆国第28代大統領ウイルソン氏の時でした。そして、1926年、ナショナル ファーザーズ・デイ コミッティがニューヨークで組織され、1972年(昭和47年)になって、アメリカでは国民の祝日となりました。『父親を尊敬し、称え祝う日』。それが『父の日』なのです。(参考:日本ファーザーズ・デイ委員会


「母の日」(Mother's Day) ってなんですか?
 「母の日」とは、毎年5月の第2日曜日に行われる教会行事です。
 聖書の十戒の第5番目にある教え「あなたの父と母を敬え」に基づき、母親に感謝する日。
 アメリカの W.ヴァージニア州ウェブスターのメソジスト教会でアンナ・M・ジャーヴィス(Anna M. Jarvis)夫人を記念したことから始まりました(1908)。

 母親を敬う。それは母親から命をいただいたこと(母親が自分を産んで育ててくれたこと)を思うとき、当たり前のことのようにも思われます。
 しかし、最近は「育児放棄」「幼児虐待」などという言葉も頻繁に聞かれるようになりました。
 虐待されて育った子どもたちに、「母を敬え」と説いてもナンセンス。「母を敬え」の前提には、母親の愛というものがあるのではないでしょうか。

 「母の日」は、お母さんに感謝する日であると同時に、母親の愛というものを再認識する日でもあるように思います。

 「愛されなければ、愛することができない」という言葉もあります。本当に愛されて育った子どもは、誰が教えなくても母親を愛し、感謝することが出来るのではないでしょうか。

  聖書には、このような言葉もあります。
  「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子(イエス・キリスト)をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(1ヨハネ4:10)

  私たちは、神様から愛されています。そのことを知るとき、また、人を愛して行けるのです。また、感謝の思いも生まれるのです。

  「あなたの父と母を敬え」とは、確かに神様のおことば。でも、愛されていることを本当に知っている者は、自然と感謝の思いも生まれ、「ありがとう」という言葉も出てくるのではないでしょうか。

  聖書は、互いに愛し合うことを教えています。親が子を、子が親を、そして、すべての者がお互いに愛しあうとき、真の平和、真の幸福が与えられるのではないでしょうか。
 
  「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。」(1ヨハネ4:7)


主の祈りってなんですか?
 主イエス・キリストが、「こう祈りなさい」と教えられた祈りです。マタイによる福音書の6章9節以下にある言葉がもとになっています。新共同訳聖書には、このようにあります。
  だから、こう祈りなさい。
  『天におられるわたしたちの父よ、
   御名が崇められますように。
   御国が来ますように。御心が行われますように、
     天におけるように地の上にも。
   わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
   わたしたちの負い目を赦してください、
     わたしたちも自分に負い目のある人を
     赦しましたように。
   わたしたちを誘惑に遭わせず、
     悪い者から救ってください。』   (マタイ6:9〜13)
 なお、聖書には、最後の頌栄(国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。)はありません。
 また、普通最後に「アーメン」を付けますが、これも聖書にはありません。「確かに、その通り」という意味で「アーメン」という言葉が付けられたようです。


主の祈りには、いろんな訳があると聞きましたが?
一般的には、次のような「主の祈り」を唱えている教会が多いようです。
  天にまします我らの父よ、
  ねがわくは、み名をあがめさせたまえ。
  み国を、きたらせたまえ。
  みこころの天になるごとく 地にもなさせたまえ。
  我らの日用のかてを、今日も与えたまえ。
  我らに罪をおかすものを 我らがゆるすごとく、
  我らの罪をもゆるしたまえ。
  我らを、こころみにあわせず、悪より救い出したまえ。
  国と力と栄えとは 限りなくなんじのものなればなり。

      アーメン。                 (1880年訳)

最近は、子どもたちと一緒に、次のような表現の「主の祈り」を唱える教会も多くなっているようです。
  天の父よ
   み名があがめられますように。
   み国が来ますように。
   みこころが天で行なわれるように 地上でも行なわれますように。
   わたしたちに今日も この日のかてをお与え下さい。
   わたしたちに罪を犯した者を ゆるしましたから、
   わたしたちの犯した罪を おゆるし下さい。
   わたしたちを誘惑から導き出して 悪からお救い下さい。
   み国も力も栄光も とこしえにあなたのものだからです。

      アーメン。                 (NCC(日本キリスト教協議会)統一訳)
 
英語の「主の祈り」(THE LORD'S PRAYER)にも、いろいろな訳があります。代表的なものは、次の通りです。
  Our Father, which art in heaven,
  Hallowed be Thy name;
  Thy kingdom come;
  Thy will be done; In earth as it is in heaven.
  Give us this day our daily bread.
  And forgive us our trespasses (debts),
  As we forgive them that trespass against us (as we forgive our debtors).
  And lead us not into temptation; But deliver us from evil:
  For Thine is the kingdom, (and) The power, and the glory, For ever and ever (forever).
   AMEN.                      (イングランド教会、聖公会用 and スコットランド教会用 Traditional)

最近は、次のようなエキュメニカルな「THE LORD'S PRAYER」も使われているようです。
  Our Father in heaven, hallowed be your name,
  your kingdom come, your will be done, on earth as in heaven.
  Give us today our daily bread.
  Forgive us our sins as we forgive those who sin against us.
  Save us from the time of trial and deliver us from evil.
  For the kingdom, the power, and the glory are yours now and forever.
   Amen.                      (Ecumenical)


教会で唱える「使徒信条」って、どんなものですか?
一般的には、次のような「使徒信条」を唱えている教会が多いようです。
 我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
 我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまへり、 かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。
 我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。


最近は、子どもたちと一緒に、次のような表現の「使徒信条」を唱える教会も多くなっています。
 わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。
 わたしは、そのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。
 わたしは、聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。 アーメン


「使徒信条」って、いつ頃できたのですか?
「使徒信条」(Symbolum Apostolicum(ラテン語)、Apostles' Creed(英語))が一般的に広く用いられるようになったのは、中世以後と言われています。しかし、使徒信条が出来たのはかなり昔のようです。4世紀頃(390年頃)には、既に「使徒たちの信条」(Symbolum Apostolorum)と呼ばれるものがあり、ミサで用いられておりました。また、使徒信条のもととなった「ローマ信条」(Symbolum Romanum)と呼ばれるものが、2世紀半ばには既に存在しておりました。
<参考までに「ローマ信条」を挙げておきます>
 我は、全能の父なる神を信ず。
 我は、その独り子、我らの主イエス・キリストを信ず。彼は聖霊と処女マリヤとより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに十字架につけられて葬られ、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、父の右に座し、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん。
 我は、聖霊を信ず、聖なる教会、罪の赦し、肉のよみがへりを信ず。アーメン


いろいろな聖書がありますが、どんな聖書がお薦めですか?
 日本語に訳されている聖書には、いろいろあります。一般書店で購入できるのは、口語訳聖書新共同訳聖書(以上、日本聖書協会)、新改訳聖書日本聖書刊行会)、私訳聖書などです。特別な聖書として、新世界訳聖書(ものみの塔・エホバの証人が私用する)、回復訳聖書日本福音書房)などもありますが、これらは一般書店では入手出来ません(特に、新世界訳聖書は、「十字架」という言葉を「棒」と訳したり、今では誤読とされている神の名を「エホバ」と訳したりしている聖書で、伝統的キリスト教の教えを否定する聖書ですので注意!)
 お薦めの聖書は、やはりカトリック教会とプロテスタント教会が共同して訳した「新共同訳聖書」(1987年、日本聖書協会発行)あたりではないでしょうか(当ホームページでも「新共同訳聖書」を使用しています)。勿論、新共同訳聖書もいろいろな問題点が指摘されていますが……


聖書は、「平和」についてどのように教えているのてしょうか?
旧約聖書には、次のような言葉があります。
 「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
  彼らは剣を打ち直して鋤とし
  槍を打ち直して鎌とする。
  国は国に向かって剣を上げず
  もはや戦うことを学ばない。」
 (イザヤ書2:4、ミカ書4:3)
★どのようにして敵をやっつけるか、そういうことを学んでいる人たちが沢山います。(特に、軍人。現代ではシュミレーションを用いて、また、日本にも昔は「兵法」という学問があった。)
人類が、もはや戦うことを学ばなくなったとき、はじめて「本当の平和」が訪れるのではないでしょうか。

新約聖書には、次のような言葉があります。
 「平和を実現する人々は、幸いである、
     その人たちは神の子と呼ばれる。」
 (マタイによる福音書5:9)
★ 平和は実現すべきもの(造り出すもの)です。何もしないで平和が与えられるのではありません。平和を実現するための地道な努力をし続けることが大切ではないでしょうか。

 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」 (マタイによる福音書5:43−44)
★「敵」は憎むべきもの。だからこそ「敵」と言うのではないでしょうか。しかし、イエス様は「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」と教えます。これは理屈から言えばおかしなことですが、真の平和を造りあげる具体的な道とは言えないでしょうか。

 「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」  マタイによる福音書26:52
★武器を持つ者は、結局、武器で滅びるのです。The Balance of Power(軍事力による均衡)を唱えることからは、真の平和は望めません。現代は「核」の時代。核競争は人類滅亡の第一歩です。非核三原則(核兵器を持たない、作らない、持ち込ませない)を堅持し、これを世界に広めていくことが急務ではないでしょうか。

 「平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。」 (ローマの信徒への手紙15:33)


「十戒」って何でしょうか?
神さまが、モーセを通してイスラエルの民に与えた十の戒め(原語では「十のことば」)。通常「モーセの十戒」と呼ばれています。十戒の本文は出エジプト記20章と申命記5章に記されています。
 (下記参照。( )内は今風に言えば…)
わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。(神さまの自己紹介)
1. あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。 (神さまはおひとりである?)
2. あなたはいかなる像も造ってはならない。   (目に見えるものを神さまとしてはいけません?)
3. あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
                              (何でも「神さま、神さま」と言えばいいのではないよ?)
4. 安息日に心を留め、これを聖別せよ。   (神さまを礼拝する日を大切にしましょう?)
5. あなたの父母を敬え。  (家族を大切にしましょう?)
6. 殺してはならない。    (どんな理由があれ人殺しはダメ!。戦争反対?死刑廃止?)
7. 姦淫してはならない。  (性の秩序を大切に? 自分も相手も大切にしましょう?)
8. 盗んではならない。   (人のものを取ってはいけません?万引きもダメだよ)
9. 隣人に関して偽証してはならない。 (ウソをついてはいけません?)
10. 隣人の家を欲してはならない。  (欲張ってはいけません。自分の持っているもので満足しましょう?)
  (出エジプト 20章2-17節より)
 現代の私たちにとっても大切な教えではないでしょうか。


「天使」って、本当にいるんですか?
 聖書では「神から派遣される使者。天上で神に仕え,人間の目に見えないが,特定の人間に現れて,神の意志を伝え、あるいは人間を守護し、導く」者を「天使」と呼んでいます(新共同訳聖書のうしろの用語解説より)。聖書の中には「ガブリエル」とか「ミカエル」という「天使」が出てきます。旧約聖書続編には、「ウリエル」(エズラ記(ラテン語)4:1他)「エレミエル」(同4:36)等の天使も出てきます。
 「天使」がいるかいないか(実在するか否か)は、その人の受けとめ方次第でしょう。神さまを信じられる人ならば、天使も信じられるかも知れません。逆に、神さまなんていないと思う人は、天使だっていないと思うのではないでしょうか。そのような類の問題だと思います。天使は信じるが、神さまは信じないというのは、本末転倒でしょう。なぜならば、天使は、「神さまから派遣される使者(使い)」なのですから。


「13日の金曜日は縁起が悪い」なんて言われますが、キリスト教と何か関係あるんですか?
イエス・キリストが十字架で処刑されたのは「金曜日」です。でも、その日は、ユダヤの暦ではニサンの月の14日と言われています。13日ではありません。13という数字は、イエス・キリストが最後の晩餐を13人(イエス+12弟子(そのうちの一人、イスカリオテのユダがイエスを裏切った)=13)で守ったからとも言われていますが、本当のところは分かりません。キリスト教では、イエス・キリストの十字架は人間の罪を贖うためだったと考えますから、必ずしも縁起が悪いということではありません。「13日の金曜日は縁起が悪い」というのは、キリスト教にひっかけた俗説です。


「レプタ」(口語訳聖書)が「レプトン」(新共同訳聖書)になった理由は何ですか?
新約聖書時代、ローマのお金で最も小額の通貨として「レプトン銅貨」と呼ばれるものがありました(一日の賃金の1/128)。新共同訳聖書のマルコ12:42やルカ21:2には「レプトン銅貨二枚を」とあり、複数なので原文のギリシア語では「レプタ」という言葉が使われています。(厳密に言えば、レプトンは中性名詞なので、中性名詞の複数・対格のかたちである「レプタ」という言葉を使用。)新共同訳聖書のルカ12:59は「最後の一レプトンを返すまで」とあり、単数なので、原語のギリシア語でも「レプトン」を使用しています。なお、現代のギリシア共和国では、10レプタ(アルミ貨幣)が最小貨幣です。
新共同訳聖書では、原文のギリシア語文法に忠実に「レプトン」(単数形)を用いて訳しているのだと思います。
口語訳聖書は、現在使われている貨幣の「レプタ」をそのまま使用して訳したのだと思います。
少し難しい答になってしまいました。ごめんなさい。


聖書のことを「バイブル」と言いますが、「バイブル」という言葉に何か特別な意味があるのか?
「バイブル」という言葉は、「本」という意味の「ビブロス」(もとは「パピルス」)という言葉から来ました。いろいろな「本」が沢山ありますが、「最も本らしい本、特別の本」という意味で、聖書だけが「バイブル」と呼ばれるようになりました。ちなみに、パピルスから「ペーパー」(紙)という言葉も生まれました。昔、パピルスは「紙」としても用いられたのです。→パピルス紙


「ミッションスクール」という言葉をよく聞きますが、「ミッションスクール」って何ですか。
昔は、欧米のキリスト教会のミッション(宣教団体)が設立した学校を「ミッションスクール」と言いました。しかし、今では、キリスト教主義学校、あるいはキリスト教学校と呼ばれる学校も「ミッションスクール」と呼ばれることがあります。「ミッション」という言葉には「使命」という意味があり、「イエス・キリストの教えに基づいて教育する学校」を「ミッションスクール」(使命を持つ学校)と呼んでもよいのではないでしょうか。


キリスト教では、「お墓」はどうなっているのでしょうか?
多くの教会は「お墓」(霊堂)を所有しています。教会の「お墓」は共同墓地形式のものが多いですが、教会墓地の中に個人の「お墓」がある場合もあります。勿論、昔からの「家のお墓」を利用する方もおられます。


キリスト教のお葬式の場合、香典袋の表書きはどのように書いたらよいのですか?
「お花料」「御花料」が一般的だと思いますが、「御霊前」でもかまいません。教派によっては、御白花料、忌慰料、御弥撒料などと書く場合もあります。
 ついでに言えば、キリスト教では花輪の代わりに、生花を贈ります。また、供物を供える習慣はありません。


「ミサ」って何ですか?
「ミサ」は、カトリック教会などで行っている「聖体拝受」(聖餐式)の儀式。簡単に言えば、プロテスタント教会で行っている「礼拝」と言ってもいいかも知れません。ただし、カトリックの聖体拝受とプロテスタントの聖餐式には多少の違いがあります(形式や意味・受けとめ方の違い)。詳しくは、専門書でどうぞ。


2月14日は「バレンタインデー」。これはもともとどんな日なのですか?
正式には「Saint Valentine's Day」(聖バレンタインデー)と言います。これは、もともと紀元270年2月14日に迫害され殉教した聖バレンタインを記念する日。今では「女性が男性にチョコレートを贈る日」などと言われたりしていますが、昔は、男女相愛の日とされ、年に1度、女性が公然と男性に求愛できる日でした。また、一度破れた恋も、この日に祈ると甦るという言い伝えもあります。


10月31日は「ハロウィーン」と言われますが、「ハロウィーン」て何ですか?
11月1日は、Hallowmas(All Saints' Day)、日本語では「万聖節」などと訳される。ハロウィーンは、その前の日(hallow(聖者)+even(夕べ))、要するに、Hallowmasの前夜祭という意味。キリスト教国では、悪霊退散の日として、子どもたちがカボチャのお化けなどを作り、また「TRICK OR TREAT」(いたずらか、ごちそうか。アメちょうだい、くれないといたずらするゾ。)と言って近所を回る。今では子供たちのお祭りの一種になっている?


キリスト教の人は、よく「アーメン」と言いますが、どんな意味ですか?
「アーメン」というのは、ヘブライ語で「確かに」とか「まことに」という意味です。お祈りや讃美歌のあとに、よく「アーメン」と言いますが、それは「本当にそうです」という意味。昔は「然り(しかり)」と訳した人もいます。今では、世界共通語として使われていますが、英語で「エィメン」と発音する人もいます。


キリスト教にも「収穫感謝祭」があると聞きましたが?
日本では、11月の第4日曜日に「収穫感謝祭」の行事を行なう所が多いです。これは、1864年、アメリカのリンカーン大統領が11月の第4木曜日を「収穫感謝祭」(サンクスギビングデー)とし、国民の祝日にしたからです。ドイツやスイスの教会では9月、イギリスの教会では8月に収穫感謝祭をしています。日本はアメリカの影響を強く受けているのですね。


「収穫感謝祭」の由来
 1620年9月6日、102人(男78女24計102名)の人々を乗せたメイフラワー号が、イギリスからアメリカに向かい、11月なかば頃アメリカの東海岸(プリマス)に着きました。彼らは、自由に神様を礼拝出来る所を求めてアメリカに来たのです(ピルグリム・ファーザーズ)。その冬は厳しい寒さのために、約半数の人々が死んでしまいましたが、残された人々は「神様は必ず助けてくださる、守ってくださる」という信仰を持って苦しみに耐えました。

 やがて春になり、冬の間に親しくなったインディアンたちは、彼らに種(とうもろこし、えんどう、小麦、大麦)のまき方を教えてくれました。一生懸命に働いた結果、その秋にはたくさんの作物を刈り入れることが出来ました。その時、近くのインディアンたちが訪ねて来ました。そこで刈り入れたばかりの作物を並べて、インディアンたちと共に神様を讃美し、今まで守り導き、豊かに作物を与えてくださった神様に心からの感謝の祈りをささげました。これがアメリカでの最初の「収穫感謝祭」です。


「花の日」って何ですか?
1856年、アメリカの教会で6月の第2日曜日に、特別の礼拝を守ったのが始まり(子どもの日ともいう)。この時期は花の多い時期でもあり、神様の恵みを感謝し、同時に、病気の人たちや恵まれない人たち、公共施設で働く人たちなどにお花をとどけてお見舞いをしました。 「自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」(フィリピ2:4)とあるように、いろいろな人たちと共に生きていることを覚え、また、共に生きて行くことの大切さを学んでいます。神様の恵みを共に分かち合う日です。日本には明治中期に伝わりました。


「クリスマス」って何ですか?
 一言で言えば「イエス・キリストの誕生をお祝いする日」。多くのキリスト教会では、12月25日をクリスマスとしています(4〜5世紀以降)。しかし、これは12月25日に本当にイエス・キリストが生まれたということではありません。最初は、教会によってキリストの誕生を祝う日も違っていました。1月6日を降誕日としていた教会もあります(今もある)。イエス・キリストの本当の誕生日は誰にも分かりませんが、大切なのは、神の独り子(御子)が、私たちのためにこの世に来られた(私たちに与えられた)ということではないでしょうか。ちなみに、クリスマスというのは、Christ(キリスト)+mass(ミサ・礼拝)から来た言葉。キリストが、私たちのためにこの世に来られたことを感謝して守る礼拝がクリスマスなのです。


「クリスマスツリー」について教えてください。
 クリスマスツリーの起源は、16世紀のドイツです。クリスマスツリーにいろいろな飾り付けをするのは、もともと木に犠牲を吊す習わしをキリスト教的に取り入れたもののようです。なお、クリスマスツリーの天辺に星を付けますが、それはイエス様の誕生を知らせ、東方の学者たち(博士たち)をベツレヘムに導いた「ベツレヘムの星」と呼ばれるもの。また、様々な飾り付けは、パラダイス(天国)の木の実を想って飾るものであると言われています。


「クリスマス・リース」について教えてください。
 クリスマス・リースは、キリストの荊(いばら)の冠を表しています。赤い実や赤いリボンは、罪の赦しのために流されたキリストの血を表しています。なお、クリスマス・ツリーもリースも常緑樹を用いますが、これは単に長持ちするというだけでなく、キリスト教が教える「永遠の生命」のシンボルなのです。


「サンタクロース」って本当にいるの?
 よく子どもが尋ねる質問です。多分、大人ならこんな質問はしないでしょう。でも、こんなエピソードを知っておいてもいいのではないでしょうか。

 1897年、「ニューヨーク・サン新聞社」に、8歳の少女、バージニア・オハンロンちゃんから一通の手紙が届きました。彼女は友達から「サンタクロースなんていない」と言われ、パパに聞いたら「新聞にそう書いてあれば、そうだろう」と言われて、本当のことを教えてくださいと新聞社に手紙を書いたのです。そして、この質問に対して愛情のこもった歴史的な社説が9月21日、ニューヨーク・サン新聞に掲載されました。

 フランシス・P・チャーチ記者は、少女の手紙にこう答えました。

 「そうです、バージニア。サンタクロースがいるというのは、決してウソではありません。この世のなかに、愛や人へのおもいやりや、まごころがあるのと同じように、サンタクロースも確かにいるのです。あなたにも、わかっているでしょう。世界に満ち溢れている愛やまごころこそ、あなたの毎日の生活を、美しく、楽しくしているものだということを。サンタクロースがいないですって。とんでもない!うれしいことに、サンタクロースはちゃんといますし、永遠に生き続けます。これからの千年間も、いや、バージニア、100万年のちまでも、サンタクロースは、子供たちの心を今と変わらず、喜ばせてくれるでしょう」。

 今から100年以上も前に、アメリカの少女が書いた新聞社への質問は、サンタクロースが存在する意味や目に見えないもの、心の大切さをあらためて考えさせてくれるのではないでしょうか。


「サンタクロース」の起源について教えてください。
 サンタクロースの元祖(ルーツ)は、聖(セント)・ニコラウスという人です。小アジア、リュキヤの都ミラの監督で、ディオクレティアヌス帝の迫害で投獄され、コンスタンティヌス帝に釈放され、350年頃、ミラで亡くなった歴史上の人物です。
 幼くして両親を失い、孤児となった彼は、長じて献身し、財産を誰にも分からないように貧しい者・病人・苦しむ者に分かちました。彼を偲ぶ人々は、こう言い伝えました。長いあご髭を生やし、祭司服に祭司帽のセント・ニコラウスが、家々を訪ねてクリスマスに向かう準備を進め、祈りをしらべ、果物やキャンディーを分けてくれる、と。

 聖(セント)・ニコラウスの有名な伝説の一部を紹介しておきましょう。

 貴族出身でかつては富裕だった父親が3人の娘とニコラウスの近隣に住んでいました。財産を失い貧しい生活のため、父親は娘たちを結婚させることができませんでした。そこで、長女を身売りして妹たちの結婚資金を作ろうとしていたところ、これを知ったニコラウスは、夜ひそかにその家の煙突から金貨を投げ込みました。金貨は暖炉に干していた靴下の中に入っていたそうです。ニコラウスは2日目の夜、3日目の夜と繰り返し金貨を投げ入れ、3人の娘は結婚できたということです。

 ヨーロッパ各地では、この聖ニコラウス祭が12月6日に行われ、クリスマス前の重要な行事として今でも人々に親しまれています。オランダでは聖ニコラウスを「ジンタ・クロース」と呼び、13〜14世紀頃からこの日を「ジンタ・クロース祭」として祝いました。子供たちにプレゼントを配りにくる聖人を迎える伝統行事として、17世紀にはアメリカに植民したオランダ人が、現在のニューヨークでこの「ジンタ・クロース祭」を行い、英語読みのセント・ニコラウスが18世紀にはサンタクロースとして呼ばれ始めました。そういう意味では、アメリカのニューヨークがサンタクロースの生誕の地と言ってもいいかも知れません。


「アドヴェント(アドベント)」って何ですか?
 アドヴェント(advent)という言葉は、ラテン語の adventus(アドウェントゥス:近づく、到着する、やって来る)という言葉から来ていると言われています。日本語では「待降節」と言っています。クリスマス直前の日曜日から数えて4つ前の日曜日に始まり、クリスマスに至る教会暦上のシーズンのことです。
 アドヴェントに入りますと、毎週一つづつロウソクに火を灯し、4つのロウソク全部に火が灯るとクリスマスということで、アドヴェントを守っている教会もあります。
 私たちの教会では、 この世にイエス様がやって来られた。イエス様が再びこの世にやって来られる。また、いつでもイエス様が私たちの心の内にやって来てくださるという、これら三つのことを覚えてアドヴェントを守っています。


「ペンテコステ」って何ですか?
イースター(復活日)から50日目、復活されたイエス・キリストが天に昇って行かれたという昇天日から10日後の日曜日。この日、イエスさまの弟子たちが一緒に集まって祈っていると、突然聖霊が降って、弟子たちはイエス・キリストのことを語り出した。そして、多くの者がイエス・キリストを信じ、仲間に加わったという(使徒2:1ー42)。この日が「五旬祭」(ギリシア語で「ペンテコステー」という)の日であったため、キリスト教会ではこの日を「ペンテコステ」と呼んでいる。なお、この日を「教会の誕生日」と言う人もいる。


「イースター」って何ですか?
イエス・キリストの復活をお祝いする日です。イエスさまは、十字架につけられ墓に葬られたあと、三日目(日曜日の朝)に復活されたと聖書に記されています。このイエスさまの復活を記念し、感謝の礼拝をする日が「イースター」です。ちなみに、キリスト教で日曜日に礼拝を守るのは、このイエスさまの復活された日を「聖なる日(聖日・主日)」としているからです。クリスマス(12/25)と違って、イースターは毎年移動します(春分の日(春分の日を含む)のあとの最初の満月の次の日曜日)。


イースターエッグって何ですか?
イースターのときに、交換したり、子どもたちに贈ったりする色のついた卵。その由来については、いろいろな説があります。例えば、中世ヨーロッパでは春の数週間、野鳥の卵を取って食べることが禁じられていましたが、解禁の日には人々がいっせいに野に出て野鳥の卵を探し、取って食べたといいます。それが色つきの卵のプレゼントになったと言われています。待ちかねた春とおいしい卵に、新しい命の誕生(復活)を感じたのかも知れませんね。もう一つ、イースターエッグのお話(下記参照)


◆イースターエッグのお話<ロザリンドの伝説>(参考までに)◆
 十字軍が次々に聖地に派遣されていた頃のこと。
 ヨーロッパの片隅に、鶏のいない村がありました。元来、鶏は東洋の鳥ですから、西洋では貴族の金持ちだけが、高価な値でこの鳥を取り寄せて飼っていたのです。
 ある日、この鶏のいない村に、立派な服装の一人の婦人が、召使いを一人連れてやって来ました。二人は長い旅行と、寒さのために、すっかり疲れ切って、村はずれの峠にテントを張って一晩を過ごしたのです。
 村の人たちは貧しいけれども、善良で親切な人々でした。二人の旅人に食物を差し出し、また一人の少女は両親に頼んで、自分の家の一室をこの旅行者に貸してあげることにしました。
 このようにして婦人は、それからずっとこの村に住むことになりました。村人たちは、この貴族出身の婦人の身の上について、いろいろうわさしましたが、きっと深い事情があるのだろうと考えて、温かく迎えました。
 実は、この婦人はある貴族の婦人でしたが、夫が十字軍に参加して出発したあと、悪い家来が財産を横領し、婦人を邸宅から追い出してしまったのです。夫人は忠実なたった一人の召使いをつれて、安住の地を求めて旅を続けていたのです。それが、この村にたどり着いたロザリンド夫人でした。
 ロザリンドは、この村に鶏が一羽もいないことを知って、大変さびしく思いました。彼女は苦心のすえ、鶏を取り寄せて飼い始めました。
 やがてイースターが来ました。ロザリンドは親切な村の人々に、何か感謝のしるしを表したいと考えて、長い間準備をしていました。そして、イースターの朝早く、ロザリンドは村の子ども達を集めて言いました。
 「さあ皆さん、今から森に行って、めいめい自分の木を決めなさい。その木の根元に、柔らかいこけを集めて巣を作っていらっしゃい。それから、ここに戻って一緒にイースターの食事をしましょう。」
 子ども達は歓声をあげて森へ走って行きました。やがて彼女も帰ってきて、おいしい朝食を食べ終わった時、ロザリンドは再びこう言いました。
 「皆さん、もう一度森へ行くのです。間違いなく、自分の巣を探して、そこに何があるか、さあ、見つけていらっしゃい。」
 森に入った子ども達が見つけたものは、美しく染められた卵でした。そして、卵のひとつひとつには、何か文字が書いてありました。
 実は卵を持ち帰った子ども達も、その両親達も字が読めませんでしたから、今度は親子そろって、ロザリンド夫人の所に集まって来ました。村人とイースターの挨拶をかわした後、夫人は卵の文字を読んで聞かせました。

   「神様の守りの御手を信じよう
    愛ある人、美しきものを
    神様は必ず助けてくださる。」

 これはロザリンドの家のモットーでした。村人達は、このすばらしいイースターの贈り物に心から感謝して帰って行きました。

 同じ日の午後、村はずれの峠を越えて、ひとりの少年が通りかかりました。重病の母親を訪ねるために、夜も眠らずに歩いて来たのです。ロザリンドはこの少年を見つけて、やさしくいたわり、励まして、あの美しい卵をひとつ持たせて、送ってやりました。
  ところで、この少年、旅を続けているうちに、ある山道で急病に苦しんでいる兵士を見つけました。そして、その兵士を介抱してやり、その兵士が大変弱っているのを見て、ずいぶん迷いましたが、思い切ってあの卵を差し出しました。少年は、見たこともないこの美しい宝物を、病気の母親にやることを楽しみにしていたのです。
 差し出された卵を手に取った兵士は、そこに書いてある文字を読みました。それは彼の家のモットーでした。十字軍から帰ったあの貴族は、妻をたずねて、町から町へ、村から村へと、長い間苦しい旅を続けていたのです。それがこの兵士でした。
 それからどうなったか。もうおわかりでしょう。驚き喜ぶ兵士に、この親切な少年が、あの鶏のいる村とそこに住んでいるやさしい婦人の家を教えたことは言うまでもありません。
 このような、イースターエッグ(卵)のお話もあります。


「レント」って何ですか?
「レント」(英語)とは、灰の水曜日(イースターの46日前の水曜日)からイースター(キリストの復活を祝う日)前日まで(日曜日を除く)の40日間のことです。40日ということで「四旬(40日の意)節」と訳されましたが、「受難節」あるいは「大斎節(たいさいせつ)」と呼ぶ教会もあります。40日という期間は、イエスさまが悪魔から誘惑を受ける前、40日間断食をしたことから来ています。レントの期間は、祝い事や騒ぐことを自粛し(斎日)、イエスさまの十字架の苦しみをしのんで、克己・修養・悔い改めなどをします。教会によっては、この期間「肉を食べない」とか「克己献金」をするというような教会もあります。


キリスト教はいつ頃できたのか?
イエスさまは、その全生涯を通して、言葉と行いによって、神の国、貧しい者への福音(良い知らせ)、無私・無限の愛(アガペー)を宣教しました。そのイエスさまが救い主(キリスト)であるとする信仰が、弟子たちの間にはっきりと生まれたのは、エルサレムでイエスさまが十字架刑によって殺された後のこと(ペンテコステという出来事のあと)ですが、このキリスト信仰成立のときがキリスト教成立のときと言えます。最初にキリスト教という言葉を用いたのは、使徒教父のイグナティオス(35c.-107/17)です。


イエス・キリストとは名前ではないと聞きましたが?
イエスは人の名前。キリストは「救い主」という意味の言葉です。ですから、イエス・キリストというのは、イエスさまがキリスト(救い主)であるという意味になります(元来「信仰告白」の言葉)。今では、イエス・キリストもキリストも人の名前のように使われることがありますが、大切な言葉なんですね。


プロテスタント教会とカトリック教会の違いは?
いろいろありますが、大きく言えば、組織や伝統・習慣等の違いがあります。
カトリック教会の特徴 (カトリックとは「公同の」という意)
・ローマ教皇(法王)を頂点とした階級制度に基づく一つの組織。ローマ教皇庁(教皇の教務執行中央機関)、枢機卿会(教皇の最高顧問機関)、司教会議(教皇の諮問機関)など。
・聖書と共に伝統を大切にしている。教皇首位権。聖母マリア崇拝。諸聖人(殉教者など)の功績。洗礼、堅信、聖体(聖餐)、告解、終油、叙階、婚姻の7つのサクラメント(秘跡)の典礼。等々。
・その他、ミサ、神父さま等の呼称の違い。修道院の存在。また、洗礼名をつけたり、十字を切ったり、ロザリオの使用、十字架にはキリスト像がついている、教会にはよくマリア像がある等々、その他いろいろ。
プロテスタント教会の特徴 (プロテスタントとは「抵抗する人」の意)
・16世紀の宗教改革以降に起こった教会。多くの教派に分かれている。組織は教派ごとに異なる。
・伝統よりも、「聖書のみ」「信仰のみ」ということを大切にしている。万人祭司という考え方。イエスさまの母マリアは、多くの子供を出産。聖母、聖人という発想はあまりしない。聖礼典は、洗礼と聖餐(主の晩餐)の二つ。
・その他、礼拝、牧師等の呼称。修道院なし。普通洗礼名はつけない。十字を切る習慣なし。十字架にはキリスト像なし、十字架だけ。マリア像なし。一般的にプロテスタント教会の礼拝堂は簡素。十字架、講壇、オルガン等。


洗礼を受けるにはどうしたらいいか?
先ず、教会に行ってください。そして、牧師なり、神父なりとよく話し合ってください。当教会では、とりあえず礼拝に出席してもらい、その後、受洗準備会という学びのときを持ちます。そこでキリスト教また洗礼の意味をよく理解していただいた上で、役員会の承認を経て、洗礼式を行うという手続きになっています。


クリスチャンではありませんが、教会で結婚式を挙げさせてもらえますか?
はい。ただし、当教会では結婚式の前に、礼拝に出席していただくことと結婚講座というものを受けてもらっています(数回、無料)。結婚されるお二人がお互いに結婚の意味をよく理解し、神様の前で誓約をすることが大切だと思うからです。

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