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説教 「剣(つるぎ)を取る者は、剣(つるぎ)で滅びる」
               (マタイ 26:47-56)      2015/08/02
(-平和聖日-於・燕教会・三条教会朗読)
 今日は日本基督教団の暦では「平和聖日」ということになっておりますので、「剣(つるぎ)を取る者は、剣(つるぎ)で滅びる」ということについて少し考えてみたいと思います。

 この「剣(つるぎ)を取る者は、剣(つるぎ)で滅びる」という言葉は、先程お読みいただきましたマタイ福音書の26章52節に出てくる言葉であります。
 イエス様を捕らえに来た大祭司の手下の耳を、弟子の一人が剣(つるぎ)で切り落としたとき、イエス様は「剣(つるぎ)をさやに納めなさい。剣(つるぎ)を取る者は皆、剣(つるぎ)で滅びる」と、こう言われました。

 「剣(つるぎ)を取る者は皆、剣(つるぎ)で滅びる」。
 ここにあります「剣(つるぎ)を取る」というのは、これは今の言葉で言えば、武器や武力で物事を処理し、解決しようとする、そういうあり方と言ってもいいと思います。

 昔、紀元前1世紀末のアウグストゥスの時代から約200年間、ローマ帝国には「ローマの平和」(パックス・ロマーナ)と呼ばれる時代があったと言われております。それは今の言葉で言えば「軍事力による平和」というものでありました。ローマ帝国は強い軍隊を持っておりましたから、軍隊で守りを固めて平和を維持しようとしたのであります。今では「バランス・オブ・パワー」、力によって、軍事力によって平和を維持して行こうという、そういう考え方でありますが、こういう考え方は昔からある訳であります。

 しかし、ローマ帝国は滅びました。神聖ローマ帝国も滅びました。武器や武力では本当の平和は維持され得ないのであります。「剣を取る者は皆、剣で滅びる」のであります。武器や武力、軍事力からは本当の平和は与えられません。それは歴史が証明していることであります。

 今、参議院で「安全保障関連法案」についての審議がなされております。この法案は、憲法学者の多くが「違憲」、憲法に違反していると言っております。また、著名人や多くの大学の教授なども反対しております。

 なぜ多くの人が反対しているのでしょうか。そもそも「安全保障関連法案」とはどのようなものなのでしょうか。

 政府の説明によれば「我が国及び国際社会の平和及び安全のための切れ目のない体制の整備」をするということが、その趣旨ということになっておりますが、このために、1つは、「平和安全法制」を整備するということで、「平和安全法制整備法」という10法案が出されています。具体的には、自衛隊法を改正したり、国際平和協力法を拡充したり、また、周辺事態安全確保法を「重要影響事態安全確保法」に変更したり、また、事態対処法の中に「存立危機事態」への対処ということで、「新三要件」を満たせば「武力の行使」もあり得るということで、このことを新設したりと、合計10本の法案がある訳であります。

 そのほかに、2.国際平和支援法:国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力というものが、新規に1本ある。

 で、今国会でよく問題になっているのが、先程申し上げました「新三要件」を満たせば「武力の行使」もあり得るということが一つあります。
 「新三要件」というのは、よく耳にしていると思いますが、(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆(くつがえ)される明白な危険があること。(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと。(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと。こんなふうになっている訳であります。

 で、この法案に反対する人たちは、この法案が憲法第9条に違反するということをよく言います。

 日本国憲法の第9条には、「1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」 このようにある訳であります。

 日本は、戦争をしない、武力の行使も行わない、軍隊も持たないと言うのであります。戦後70年間、日本は、このようにして平和を守って来ました。

 でも、今審議されている法案は、言葉では、「平和とか安全」、また「国民を守るためだとか、国を守るためだ」と言いますけれども、中身は、事情があれば「武力の行使」もあり得るんだということになっています。それが「新三要件」ということですが、この「新三要件」を満たせば「武力の行使」もあり得る。

 ということは、憲法がいう「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」ということとは明らかに異なる訳であります。だから、憲法違反ということも言われる。

 そもそも憲法は、「国家の統治機構などの基本的事項を定めた最高法規であり、他の法律や命令によって変更することはできない」。それが憲法であります。
 でも、今出されている法案、新しく作ろうとしている法律は、ことによったら憲法を無視することもあり得るという法案であります。憲法に基づいて法律が作られなければならないのに、法律を作って憲法に穴を開ける、そういう法案。
 憲法の方が上なのに、法律の方が上であるかのような、そんな法案。だから、これは憲法違反だと言われる訳であります。

 憲法を無視して法律が作られる。実は既にそういう現実もあります。
 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」、要するに、日本は軍隊を持たないというのが憲法であります。でも、実際には「自衛隊」というものがある。これは、1954年(昭29)につくられた「自衛隊法」という法律に基づくものでありますが、憲法では「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」、要するに、日本は軍隊を持たないということになっている訳ですが、法律で「自衛隊」というものをつくった。
 陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊。これらは実質、陸軍、海軍、空軍と似たようなものではないでしょうか。陸海空軍ということになれば憲法違反ということになる。だから自衛隊という言葉を使っている。でも実際には、自衛隊も軍隊のようなものではないでしょうか。

 確かに、自分の国を守るのが何故悪い、他国から武力攻撃を受けた場合、自分の国を守るのは当然ではないかということで、個別的自衛権は、ほとんどの人が受け入れている。そういう意味で、自衛隊もそれなりに受け入れられているようにも思います。
 60年以上も自衛隊というものが、“あって当たり前”ということになっておりますから、自衛隊についてはあまり反論も出ない。でも厳密に言えば、自衛隊も憲法違反ということにはならないでしょうか。

 でも、今回の集団的自衛権、日本が攻撃を受けていなくても日本と密接な関係にある他国・同盟国、例えばアメリカが攻撃を受けた場合、アメリカと一緒に反撃する権利があるということになりますと、これは戦争ということにもつながって行く可能性がある訳であります。

 勿論、シバリはあります。先程の「新三要件」を満たせば」という前提や後方支援というようなことがある訳ですけれども、でも、いずれにせよ、日本と密接な関係にある国が攻撃されば、一緒になって武力行使を行うというようなことにでもなれば、これは戦争ということにも繋がって行く訳であります。

 勿論、国際法では、個別的自衛権も集団的自衛権も認められております。でも、日本では個別的自衛権は認めても、集団的自衛権は認めて来ませんでした。それが今までの日本のあり方でありました。それは「日本国憲法」のシバリがあったからであります。

 でも、今回は、時代が変わり、周辺事態も大きく変わって来ているのだからということで、一部「集団的自衛権」を認めてもいいのではないかという法案になっております。憲法が段々と「なし崩し」的に、うやむやにされて来ている訳であります。

 確かに、周辺事態、憲法が制定された時と今では、大きく変わって来ております。特に最近は、北朝鮮も中国も好き勝手なことを言っているようにも思えます。

 北朝鮮が核・弾道ミサイル開発を行っているのは有名ですが、最近は新たな長距離ミサイル発射台を設置したり、また、自分たちの国は核保有国だなんて堂々と主張している。日本人拉致問題でも、再調査を行うと言いながら未だに報告書も出さない。一方的に報告期限の先送りをするなんてことを言って来る。

 中国との関係だってそうであります。尖閣諸島は日本のものだと言えば、いや尖閣諸島は中国のものだと言う。排他的経済水域を決める日中の中間線も、日本と中国では大きく違う。それに関連して、東シナ海のガス田開発問題も出てくる。中国は一方的に海軍を配置して強硬に開発を進めている。南シナ海では、フェイアリー・クロス礁を埋め立て、全長3000メートル、幅200~300メートルもの人工の島を造っている。
 また、今年の9月3日には、「抗日戦争勝利70年」を記念する軍事パレードを行うという中国。これは安倍首相が戦後70年に当たっての首相談話を出すということとも関連するのかも知れませんが、なんか中国と日本、とんでもないことになっているようにも思われます。

 確かに、周辺事態は大きく変わって来ています。だからこそ、国の安全と国際平和のために抑止力を持つような法律も必要だということで、今回「安全保障関連法案」なるものを出して来た。分からない訳ではありませんが、このまま行けば、もっと危険な状況に陥るのではないでしょうか。

 抑止力があるから戦争にならないのではありません。武力で武装しても、軍事力で対抗しても、それで平和が維持出来る訳ではないのであります。「パワーバランス」なんてことも言われますが、これは「平和への道」ではないと思います。

 イエス様は、「剣(つるぎ)を取る者は皆、剣(つるぎ)で滅びる」と教えています。
 武器や武力で物事を解決しようとする試みは、いずれ挫折する。ローマ帝国のようになってしまう。武器や武力では平和は維持出来ないのであります。

 私たちは今こそイエス様の言葉に耳を傾ける時ではないでしょうか。「剣(つるぎ)を取る者は皆、剣(つるぎ)で滅びる」。 「平和聖日」、私たちは、このイエス様の言葉をみんなでかみしめ、肝に銘じ、本当の平和を造り上げて行きたいと思います。

 最後に、アシジの聖フランチェスコの「平和の祈り」を読んで終わります。讃美歌21の499番にも要約がありますので、ご覧いただければと思います。ここには本当の平和への道が示されているように思います。

 アシジの聖フランチェスコの「平和の祈り」

  神よ、わたしを、あなたの平和の使い(平和の器・道具)にしてください。
   憎しみのあるところに 愛をもたらすことができますように、
  いさかいのあるところに許しを、
   分裂のあるところに一致を、
  迷いのあるところに信仰を、
   誤りのあるところに真理を、
  絶望のあるところに希望を、
   闇のあるところに光を、
  悲しみのあるところに喜びを、
   もたらすことができますように、助け、導いてください。

  神よ、わたしに、慰められることよりも慰めることを、
  理解されることよりも理解することを、
  愛されることよりも愛することを 望ませてください。
  与えることによって与えられ、
  すすんで許すことによって許され、
  人のために死ぬことによって、
  永遠に生きることができるからです。

 私たちのために命を捨てられたイエス様。イエス様こそ、まことの「平和の主」であります。
 イエス様に学び、イエス様に教えられ、イエス様に助け導かれ、強められて、私たちも平和への道を歩んで行くものでありたいと思います。

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