今日は、「使徒信条」の、イエス様が十字架につけられたあと、「死にて葬られ、陰府にくだられた」という所を学んでみたいと思います。イエス様は、朝9時頃十字架につけられ、午後3時頃お亡くなりになりました。そして、墓に葬られた。
人間、誕生があれば、必ず死もある。イエス様の場合は、十字架につけられて殺される訳ですが、いずれにせよ、最後は、人間、誰でも死を迎えるときが来る。これは不変の摂理であります。生きている者は、必ず死ななければならない。そして、死んでしまえば、それでお仕舞い。普通、そんなふうに思っております。
でも、イエス様は、生きておられたとき、不思議なことを弟子たちに語っておられました。例えば、マタイ福音書の16章21節には、このようにあります。
「このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。」
イエス様は、ご自分が殺されることを知っておられたというのであります。でも、それだけではありません。「三日目に復活することになっている」なんてことも語っておられたというのであります。これはどういうことなのでしょうか。
先程も申しましたように、イエス様は、朝9時頃十字架につけられ、午後3時頃お亡くなりになりました。そして、聖書によれば、イエス様は墓に葬られたとあります。今日の所は、その「墓に葬られた」という所ですが、こんなふうに記されておりました。
「夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。」(マタイ27:57-61)
ここには、イエス様のお葬式の様子が記されています。「アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人」。彼は、今日の所には「この人もイエスの弟子であった」とありますが、マルコやルカの福音書によりますと、彼はユダヤの最高法院(サンヘドリン)の議員の一人でもあったようであります。
例えば、ルカ福音書には「ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。(要するに、イエス様の死刑判決には同意しなかったというのであります。)(そして彼は)ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいた」なんてあります。(ルカ23:50-51)
いずれにせよ、イエス様の遺体を、アリマタヤ出身のヨセフという人が、ピラトの了承を得て引き取り、亜麻布に包んで墓に納めたというのが、先程のお話であります。イエス様は、確かに墓に葬られたのであります。
でも、これでお話は終わりません。今日のテキストの後半部には、こんなことが記されております。マタイ福音書27章62節以下。「番兵、墓を見張る」という所であります。
「明くる日、すなわち、準備の日の翌日(要するに、安息日、土曜日のことであります)、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まって、こう言った。「閣下、人を惑わすあの者(イエス)がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、私たちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」
こんなふうにピラトに申し出たということであります。
そうしますとピラトは、「あなたたちには、番兵がいるはずだ(この番兵というのは、神殿を警備する番兵のことでしょうが)。行って、しっかりと見張らせるがよい」と、こう答えたということであります。そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた」というのであります。(マタイ27:62-66)
イエス様は、確かに「三日目に復活する」というようなことを語っておられました。そのことを、祭司長たちもファリサイ派の人々も知っていたようであります。確かに、「死んだ者が生き返る、復活する」、そんなことは常識から言えば「ありえない」。でも、イエスの弟子たちが死体を盗み出し、『イエスは復活したんだ』なんて言いふらせば、信じる者も出てくるかも知れない。そうなれば、ますます混乱が生じる。だから、そんなことにならないように、番兵をおいて、墓をしっかり監視しておこうという訳であります。
しかし、このお話は、実はマタイ福音書にしか載っていないお話なので、本当にこのようなことがあったのかどうか疑問視する人たちもいます。先程「明くる日、すなわち、準備の日の翌日」という言葉がありましたが、「準備の日」というのは、「安息日を守るための準備を整える日」ということで、金曜日のことであります。 その翌日ということですから、「明くる日」というのは土曜日、安息日になる訳であります。
で、安息日に、祭司長たちやファリサイ派の人々が、ピラトの所へ出かけて行ってお願いする、訴える。これは安息日違反ということにもなる。安息日は「いかなる仕事もしてはならない日」ですから、普通は「訴える」なんてことはしなかった。また、番兵に墓の見張りをさせるというのも、仕事をさせる訳ですから、これはちょっとおかしいということにもなる。だから、これはマタイが書き加えたお話ではないか。そんなふうに言う人たちもおります。
マタイがこの福音書を書いていた当時、クリスチャンたちは「イエス様の復活」を宣べ伝えておりました。しかし、これに反対するユダヤ教の人たちは、「イエスが復活したなんて、そんなのウソッパチだ。弟子たちが密かにイエスの遺体を盗み出したんだ」なんて言っていた。
それに対して、マタイは「そんなことはない。祭司長やファリサイ派の人々は、墓に封印をし、番兵までおいて監視していたんだ。だから、弟子たちが死体を盗み出すなんて、そんなこと不可能だったんだ」と反論するために、このお話を書き加えたのではないか。そんなふうに理解する人たちもおります。
本当の所はよく分かりません。でも、イエス様が復活されたというのが、単なる弟子たちの造り上げたデマ、「でっちあげ」だとするならば、キリスト教なんて、もうとっくの昔に滅んでいたのではないでしょうか。2000年近く経っても、今でも、イエス様の復活を信じる人たちがいるということは、これは単なる弟子たちがデッチあげたデマではない。そんなふうにも言えるのではないでしょうか。
で、このあたりのことを、パウロは、コリントの信徒への手紙一15章12節以下で、このように語っております。
「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなた方の中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であるし、あなた方の信仰も無駄です。更に、私たちは神の偽証人とさえ見なされます。なぜなら、もし、本当に死者が復活しないなら、復活しなかったはずのキリストを神が復活させたと言って、神に反して証しをしたことになるからです。」 (まだあります)
「死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。そうだとすると、キリストを信じて眠りについた人々も滅んでしまったわけです。この世の生活でキリストに望みをかけているだけだとすれば、私たちはすべての人の中で最も惨めな者です。しかし、実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」(1コリント15:12-20)
キリストの復活。信じられないという人たちもいます。でも、だからと言って、キリストの復活はなかったと言い切ってしまっていいのでしょうか。少なくとも、聖書の中に出てくるイエス様の弟子たち、そしてパウロなんかは、復活を信じていました。そして、キリストの復活がなかったのなら、自分たちの信仰は無駄になってしまうし、むなしいものになってしまう。ありえないことをただ希望的観測で信じているということであれば、すべての人の中で最も惨めな者、あわれむべき存在になってしまうと、こう語る訳であります。
まあ、キリストの復活、イエス様の復活。これについては、次回また詳しく学びたいと思いますが、いずれにせよ、イエス様が復活したという信仰、これはキリスト教の根幹にかかわる出来事ですから、決してないがしろには出来ない。そして、復活ということを語るのであれば、当然「死んだ」ということも、また言わなければならない訳であります。
使徒信条は、イエス様は「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがった」と語る訳ですが、今日の「死にて葬られ、陰府にくだり」という部分は、復活という出来事の「前提」を示す言葉と言ってもいいと思います。
なぜならば、本当に死んだということがなければ、「死人のうちよりよみがえった、復活した」なんて、これは無意味になってしまうからであります。単なる「仮死状態」、イエス様は十字架につけられたけれども、仮死状態で、あとで息を吹き返したんだというような、そういうことであれば、キリスト教の復活信仰なんて成り立ちません。ですから、確かに、イエス様は「死んで墓に葬られたんだ」ということを強調するために、この言葉を使徒信条に入れたのではないでしょうか。そして、「陰府にくだり」という表現を用いることによって、そのことを補強している。
「陰府」というのは、当時「死んだ人が行く所」、要するに「あの世」ということですけれども、(当時の世界観では、それは地下にあると信じられておりましたが)、「陰府にまでくだった」ということで、確かに、イエス様は死んだ、亡くなった、そういうことを強調しているのではないかと思います。イエス様は、十字架につけられ、死んで葬られた。使徒信条は、イエス様の「死」ということを強調するために、あえてこんなふうに語っているのではないでしょうか。
でも、もう一つ「死」を語る意味があります。それは、私たちが「死の恐怖から解放される」ということであります。
人間、死ぬのは誰でもコワイ。死に対する「恐怖」というものを持っております。でも、先程の第1コリントの15章20節に、「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられた」とありますように、キリストと同じ「復活の希望」を私たちは与えられている訳であります。
勿論、どのように復活するのかとか、それがいつなのかというようなことは分かりません。でも、「死」というもので、すべてが終わってしまうのではない、「死んだら、それでお仕舞い」ということではない。そういうことを教えている訳であります。
死がコワイのは、死んだらどうなるのか、先が見えないからであります。先が見えないから不安でもある。でも、聖書は、その領域に光を与えるのであります。勿論、すべてが分かる訳ではありません。死んだらああなって、こうなって、すべてが分かる訳ではありません。
死後の世界は「ああだ、こうだ」というような本は沢山出ています。キリスト教関係の本でも沢山あります。でも、聖書が語ろうとしているのは、そういうことではありません。イエス様の復活という出来事を通し、私たちにも「復活の希望」が与えられているということであります。そして、この世で神様が私たちに導いてくださるように、あの世でもまた神様は私たちを導いてくださる。私たちに必要なものを備え、私たちに一番良い道を整えてくださるということであります。
繰り返しますけれども、私たちが死を恐れるのは、死んだらどうなるか分からないという、そういう不安があるからであります。不安があるから恐怖が生まれるのであります。でも、その不安を、恐怖を聖書は取り去ってくれるのであります。先程の第1コリントの15章のあとの方、54節、55節の所には、このような言葉があります。「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」(1コリント15:54-55)
今までは、死が人間を支配していた、そんなあり方がまかり通っておりました。「なんでもやるから命だけは助けてくれ」。人間は死には勝てなかったのであります。死こそ絶対。最終的には死が勝利する。それが今までのあり方。 でも、イエス様が死んで復活された。そのことによって、死の勝利は曖昧なものになりました。
勿論、今でも死は猛威を振るっています。死を恐れる人は沢山います。でも、イエス様の復活を信じ、聖書の御言葉を信じる者は、少しは死に対する恐怖も違ってくるのではないでしょうか。勿論、イエス様を信じていても、復活を信じていても、死の恐怖が全くない訳ではありません。クリスチャンだって死はコワイ。でも、朽ちる肉体は滅んでも、朽ちない体(霊の体)が与えられることを信じるならば(1コリント15:53)、また新しい希望がわいてくるのではないでしょうか。
いずれにせよ、イエス様が死んで復活されたという、この出来事。ここからキリスト教も始まる訳ですし、また、私たちの最大の問題、「死」という問題も、ここから新たな光が差し込んでくるのであります。そういう意味でも、イエス様が「死んで葬られた」ということは、復活の前提として、前段階として、また、私たちに身近な「死」の問題を考えさせる事柄としても、とても大切な一文であると言えるのではないかと思います。
今日は、使徒信条の、イエス様が「死んで墓に葬られ、陰府にくだられた」という所でしたが、ただ単にこのようなことがあったということだけではなく、このような一文の中で何が語られているのか、そういうことも少し考えてみました。次回は、いよいよイエス様の復活のお話です。楽しみにしていてください。
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