先週は、イエス様の「最後の晩餐」、それから「ゲッセマネの祈り」の所を学びました。今日は、使徒信条にあります「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」という所を学びたいと思います。
イエス様は、ゲッセマネでお祈りしたあと、イスカリオテのユダの裏切りによって捕まってしまいます。そして、ポンテオ・ピラトの裁判を受けるということになる訳ですけれども、でもその前に、実は、大祭司カイアファの所へ連れて行かれ、ユダヤの最高法院(サンヘドリン)の裁判を受ける訳であります。このお話も大切だと思いますので、少し触れておきたいと思います。
当時のユダヤは、ローマ帝国の支配下にありましたが、宗教的な事柄に関しては、ユダヤ人の自治が認められておりました。要するに、ユダヤ教の教えに関することは、ユダヤの最高法院で裁判を行うことが出来た訳であります。で、イエス様が捕まったのは、もともとは「イエス様が神を冒涜した」という罪のためでしたから、「ユダヤの最高法院」の裁判を受ける。
このときの様子が、マルコ福音書では、少し前の14章53節以下の所に記されていますが、不利な証言が述べられても何も答えないイエス様に、大祭司は、しびれをきらし、最後にはとうとう、こんなふうに尋ねたとあります。「お前はほむべき方の子、メシアなのか」。これは、「お前は神から使わされた神の子なのか。救世主なのか」という問いであります。
そうしますと、イエス様は「そうです」(エゴー エイミ)と答え、「あなたたちは、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に囲まれて来るのを見る」なんて言われた。それに対して、大祭司は、衣を引き裂きながら、このように言いました。「これでもまだ証人が必要だろうか。諸君は冒涜の言葉を聞いた。どう考えるか」。
そして、最高法院の下した結論、それは「死刑」ということでありました。マルコ福音書の14章64節には「一同は、死刑にすべきだと決議した」とあります。
イエス様は、「神を冒涜した」という罪で、ユダヤの最高法院から死刑判決を受ける訳であります。これはユダヤの律法に基づく判決であります。確かに、ユダヤの律法には、「神を冒涜する者は死刑」という、そういう掟がありました。旧約聖書のレビ記の24章15節以下の所(旧約聖書 p.201)には、このような言葉があります。
「神を冒涜する者はだれでも、その罪を負う。主の御名を呪う者は死刑に処せられる。共同体全体が彼を石で打ち殺す。神の御名を呪うならば、寄留する者も土地に生まれた者も同じく、死刑に処せられる。」(レビ24:15-16)
ユダヤ教だけではなく、イスラム教も、このような教えを受け継いでいますから、原理主義者と言われる人たちは、このような教えを「その通り」守ろうとする。最近(2015.1/7)、フランスで起きたあの風刺週刊紙シャルリー・エブドの銃撃事件なんかも、その一つなんだろうと思うのでありますね。
イスラム教の預言者ムハンマドを批判するような風刺画を載せる人たち、それは神を冒涜することだと理解し、死刑にすべきだと、そんなふうに考える。まあ、そんな極端な考え方も出てくる訳であります。
イスラエルとパレスチナの関係がなかなか改善されないのは、お互いが「目には目、歯には歯」という教え(出エジプト21:23-25)を持っているからだとも言われています。「やられたら、やり返す」。相手がロケット弾を撃ち込んでくれば、それに報復する。「やられたら、やり返す」。それが神の教え。当たり前のこと。まあ、そんなふうに考える人たちも中にはいる訳であります。
だから、聖書はこわい、宗教はコワイということで、宗教には近づかないという人もいる訳ですが、でも、こちらが、どんなに宗教には近づかない、近づきたくないと思っていても、相手がそう信じているならば、これは、どうにもならないということにもなるのではないでしょうか。
ならばいっそ「右の頬を打たれたら、左の頬をも向けなさい」(マタイ5:39)という、そういう宗教に目を向けてもいいのではないでしょうか。
まあ、話が横道にそれましたが、とにかく、イエス様は、ユダヤの最高法院(サンヘドリン)で裁判を受け、ユダヤの律法(旧約聖書の律法)の掟に従って、死刑判決を受ける訳であります。ですから、その時点で、イエス様は石打の刑で殺されても仕方ない。そういう状況でもありました。でも、ユダヤの最高法院は、イエス様を処刑しませんでした。
ここには、当時のユダヤの置かれていた状況というものがありました。先程も申しましたが、当時のユダヤはローマ帝国の支配下にありまして、宗教に関する自治は認められていましたが、処刑に関しては、これはローマにその権限があった訳であります。
ローマ帝国は、ユダヤ人に一人頭(あたま)いくらという、所謂「人頭税」を課していましたから、勝手に処刑なんてされては税金が減ってしまうということにもなり兼ねない。ですから、ローマは、ユダヤの最高法院で処刑の判決が出たからといっても、勝手に処刑することを許さなかった。そういう事情があったのであります。
そのことを当時の最高法院はよく分かっておりましたから、ローマから派遣されていた総督ポンテオ・ピラトのもとへイエス様を突き出す訳であります。そして、イエス様を処刑してもうおうとした。
でも、「神を冒涜した」というような宗教的な理由でピラトに訴えても死刑にはしてもらえない。ですから、彼らは、イエス様を「民衆を扇動し、ローマに暴動を企てている者、自分をユダヤの王と自称している不届き者」ということで訴える訳であります。(ルカ23:2、23:5)
こうなれば、ピラトも黙ってはいられない。裁判を行わざるを得ない訳であります。そして、イエス様のことを調べる訳ですけれども、訴えられているような罪状をイエス様の中に見つけることは何一つ出来ない。
ポンテオ・ピラトの裁判。どの福音書を見ましても、イエス様が死罪に当たるような何か悪いことをしたから、ピラトは死刑判決を言い渡した、というような、そんな書き方は一つもされていません。むしろ、ピラトは、なんとかしてイエス様を助けたい、そんな思いがあったというような、そんな書き方がしてある。
例えば、今日のマルコ福音書の所には、ピラトには、「祭司長たちがイエスを引き渡したのは、ねたみのためだとわかっていたから」なんて言葉も出てきますし(マルコ15:10)、また、群衆がイエス様を「十字架につけろ」と叫んだとき、ピラトは「いったい(この男は)どんな悪事を働いたというのか」と、逆に問い返したりしています。(マルコ15:14)
ルカ福音書には、ピラトのこんな言葉も出て来ます。「あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。……この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。」(ルカ23:14-16) こんなことをピラトは、繰り返し語ったとあります。(ルカ23:22)
要するに、ピラトには、イエス様を死罪にする罪状を何も見いだせなかったのであります。でも、結果として死刑判決を出した。「イエス様を鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した」(マルコ15:15)。それは、群衆が「十字架につけろ、十字架につけろ」と叫ぶ、その声に負けてしまったからというような、そんな書き方がしてある訳ですけれども、結局、ピラトも人の子、自分がかわいかったのかも知れません。自分の命をかけてまでイエス様を守ろうなんてことはしなかった。それが現実だったのだろうと思います。
勿論、ピラトについて、歴史的には本当はどうだったのかということについては、ユダヤ人の歴史家ヨセフス(37-100年頃)の『ユダヤ古代誌』(第18巻)とか、ユダヤの思想家フィロン(B.C.20/30年?-A.D.40/45年?))の「ガイウスへの弁明書」(38章301節)とかといった、そういう資料もありまして、いろいろ研究されております。
そして、一般的には、ピラトは、融通のきかない、頑固な人間。また、無慈悲な、冷酷な人物だったというような、そんな評価もくだされています。ですから、聖書に記されているピラトの姿だけがすべてではないのかも知れませんが、いずれにせよ、最終的に、イエス様に死刑判決を下し、十字架につけたのは、ポンテオ・ピラトに間違いないのであります。
で、このことを、使徒信条では、「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、云々」と、こう語る訳でありますが、なぜ使徒信条では、わざわざ「ポンテオ・ピラト」という名前を、ここで挙げているのでしょうか。別にピラトの名前を出さなくても、イエス様が十字架につけられたということだけでも十分とは言えないでしょうか。だって、キリスト教で大切にしているのは、イエス様の十字架なんですから、そのことをしっかりと語れば、それでいい。そんなふうにも思われる訳であります。
でも、ポンテオ・ピラトの名前が挙げられているということは、やはりそこに大切な意味があるからなんだろうと思います。ポンテオ・ピラトという人は、先程もちょっと触れましたが、ヨセフスやフィロンといった人たちが書いた文書の中にも登場する歴史的人物であります。あまり詳しいことは分かっておりませんが、ピラトは、紀元26年~36年まで、ローマ帝国から派遣されて来ていた当時のユダヤ総督(第五代総督)であります。
そのピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられたイエス様。それは、ピラトが歴史的人物であったように、イエス様も、確かにこの世に存在した歴史的人物であったということを語ろうとしている言葉とは言えないでしょうか。(仏教の阿弥陀如来、弥勒如来などと比較)
ところで、イエス様は、ポンテオ・ピラトから死刑判決を受け、十字架に付けられる訳ですけれども、その前に、イエス様は、「鞭打たれた」ということと、「ローマの兵隊から侮辱された」というお話が、マタイとマルコ、そしてヨハネ福音書(19:1f.)に載っております。
ピラトは、イエス様を鞭打ったのであります。勿論、自分で鞭を持って打った訳ではありません。ローマの兵隊が打った訳ですけれども、とにかく、イエス様は十字架につける前、鞭で打たれた訳であります。
で、この鞭打ち。よく言われることですが、ローマの鞭というのは、金属の輪をはめた数本の革紐で出来ていて、これで打たれると、皮膚は破れ、肉も砕けるという、そういうとんでもないしろものでありました。この鞭で打たれるとしばらくは立つことも出来ない。本当にそういうひどいものであったようであります。イエス様は、このような鞭で打たれ、背中の肉は裂け、ボロボロにされる訳であります。
それだけではありません。イエス様は、茨の冠をかぶせられ、ローマの兵隊が使用する赤い外套を着せられ、右手に葦の棒を持たされ、「これがユダヤ人の王だ、万歳!」なんて侮辱も受ける。また、唾を吐きかけられ、葦の棒で頭をたたき続けられる(マルコ27:28-30)。まさに今に言う「いじめ」そのもの。
要するに、イエス様は、肉体的にも、また精神的にも「ボロボロ、ボコボコ」にされる訳であります。徹底的に「いたぶられた」のであります。
でも、まだこれは序の口、このあと「十字架」が待っている。十字架については、またこの次に取り上げますが、なぜここまでイエス様はひどい扱いを受けなければならなかったのか。イエス様の罪は、今の言葉で言えば「冤(えん)罪(ざい)」ということになる訳ですが、なぜ、イエス様はこんなにも苦しまなければならなかったのか。
聖書の答は、衝撃的です。それは、私たちのためだったというのであります。「イエスは、私たちの罪のために死に渡された」(ローマ4:25)。「キリストは、私たちの罪のために死んだ」(1コリント15:3)。「キリストは、私たちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世から私たちを救い出そうとして、御自身を私たちの罪のために献げてくださったのです」(ガラテヤ1:4)。
イエス様が苦しまれたのは、私たちのため、私たちの罪のためだった。それが聖書の答であります。言い換えるならば、イエス様の苦しみ、それは、本当ならば、私たちが受けるべきものだったと言ってもいいかも知れません。
ペトロの手紙一3章18節には、このような言葉もあります。「キリストは、罪のためにただ一度苦しまれました。(ここにある罪というのは、私たちの罪のことであります。イエス様は私たちの罪のために苦しまれた。)正しい方が(イエス様が)、正しくない者たち(私たち)のために苦しまれた。(それは)あなた方を(私たちを)神のもとへ導くためです。」
イエス様は、私たちを神様のもとに導くために苦しまれたのであります。
私たちは、あのポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受けられたイエス様。そのことを使徒信条で告白するたびに、「私のために、自分のために、イエス様が苦しんでくださったんだ」ということを、思い起こすことが出来ればと思います。イエス様の苦しみは、私のため、私を救うためための苦しみだった。使徒信条は、そのことも決して忘れてはいけないよと、私たちに語りかけているのではないでしょうか。
|