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メッセージ 「きよしこの夜」  
               (1ヨハネ 4:7-12)      2014/12/23
三条教会・キャンドルサーヴィス
 クリスマス・シーズンになりますと、クリスマスの讃美歌、クリスマス・キャロルがよく聞かれます。その中でも、皆さんがよく知っている讃美歌が、このあと歌います「きよしこの夜」という歌ではないかと思います。

 「きよしこの夜 星は光り 救いの御子は まぶねの中に ねむりたもう やすらかに」。前の讃美歌では、最後の所が「ねむりたもう いとやすく」というふうになっておりました。この歌、クリスチャンでなくてもよく知っている讃美歌ではないでしょうか。

 で、この歌は、英語では「Silent Night, Holy Night」と歌いますので、アメリカの歌だと思っている人も多いと思うのですが、実は、これはスイスの東の方にありますオーストリアで生まれた讃美歌であります。オーストリアはドイツ語ですから、歌詞ももともとドイツ語でありました。「Stille Nacht, heilige Nacht」(静かな夜、聖なる夜)、こんなふうに歌われていた訳であります。

 ところで、この「きよしこの夜」という讃美歌、この歌が作られたいきさつ、まあいろいろな説がありますけれども、こんなお話があります。

 1818年、オーストリアのオーベルンドルフ(Oberndorf)という村に、聖ニコラス教会というカトリックの教会がありました。で、クリスマスが間近に迫ったある日の午後、村の学校の校長先生をしていたグルーバーさんという人(Franz X. Gruber)、彼は、教会のオルガニスト(奏楽者)もしておりましたから、大事なクリスマス礼拝のために練習をしておこうということで、教会にやって来たといいます。

 そして、オルガンのペダルを踏みましたが、さっぱり音が出ない。よく調べてみると、ねずみが空気ぶくろに穴をあけていたことが分かりました。でも、すぐに修理なんてできない。たいへんだと思っていたところへ、教会の司祭(神父さん)ヨーゼフ・モール(Joseph Mohr)さんという神父さんがやって来ました(ヨーゼフ・モール、英語読みではジョセフ・モーア)。そして、神父さんは、こんなことを言ったといいます。

 「グルーバーさん。オルガンがだめなら、ギターがあります。これは私がつくった詩ですが、先生、ギターで歌えるように、曲をつけてください」。 ということで出来たのが、この「きよしこの夜」の讃美歌だと言われています。

 クリスマスの日、聖ニコラス教会に集った村の人たちは、生まれてはじめて、ギターの伴奏で礼拝を守りました。オルガンが壊れていたので、ギターの伴奏で礼拝を守った。そして、ギターとともに聖歌隊が歌うこの讃美歌に、みんな深く感動したと言われています。

 そして、のちに、オルガンの修理にやって来た人、カール・マウラヒャーさんという人らしいのですが(Karl Mauracher)、この人が、この讃美歌を、チロル地方に伝え、それがまた人から人へと歌いつがれて、世界中に広まって行ったということであります。

 「きよしこの夜」、静かな夜、聖なる夜、星は光り 神の御子・救い主イエス・キリストが生まれた。そして「まぶねの中(飼い葉桶の中)で眠っている。いとやすく、やすらかに眠っている」。

 クリスマスは、私たちの心をなんとなく「やさしい思い」にしてくれる、そんな時でもあるのではないでしょうか。

 こんなお話があります。小学1年生のゆう君という子どもがいました。ゆう君はある日、小学校で、担任の先生から「四つ葉のクローバー」の話を聞きました。四つ葉のクローバーを見つけて、それをとった人は幸せになれるという、そういうお話であります。

 ゆう君は、お家に帰って、そのことをお母さんに一生懸命にお話しました。お母さんはその時は「ふんふん」と聞いていました。

 そして、しばらくたったある日のことです。学校から帰って来たゆう君がお母さんに言いました。「お母さん、ボクね、今日学校から帰る途中、草っぱらで四つ葉のクローバーみつけたんだよ」。

 お母さんは、四つ葉のクロ-バーの事を前に聞いていましたので、「見つけたの、良かったね」 と言いました。でも、ゆうくんは続けてこんなことを言ったといいます。

 「でもね、お母さん。ボクね、四つ葉のクローバー採らなかったんだ」。

 お母さんは変だなと思いました。どうして「幸せになれる」という四つ葉のクローバーを採らなかったのか。お母さんには分かりませんでした。

 するとゆうくんは言いました。「だって、ボク、今しあわせだから。 お父さんもお母さんもいるし、ボク、今幸せだから。 だから、しあわせだと思っていない人に、あの四つ葉のクローバーを採ってもらおうと思って採らなかったんだ」と、そんなふうに言ったといいます。

 お母さんは、「ゆうちゃんは、本当にやさしいね」と言って、あふれ出てくる涙をこらえながら、ギュッとゆう君を抱きしめました。お母さんは、ゆう君がこういう子どもに育ってくれて、本当に「しあわせ」を感じたといいます。

 子供って大人が考えていない、美しい思いをいだきます。でも、ゆう君が、「自分は今しあわせだから、幸せだと思っていない人に四つ葉のクローバーを採ってもらおう」と、そんなふうに思ったというのは、やはり ゆう君が、お父さんやお母さん、みんなに愛されていたからではないでしょうか。

 愛されている者は、幸せを感じるんだと思うのでありますね。 「ボク、今しあわせだから」。

これは「やさしさ」の原動力と言ってもいいのではないでしょうか。いま幸せを感じている人は、またその幸せを人にも分けてあげたいと思う。分けてあげられるのではないでしょうか。 そして、クリスマスは、そういう時でもまたあるように思うのであります。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネ3:16)。神様は、ご自身の独り子イエス様をお与えになったほどに、この世を、私たちを愛してくださっております。私たちは、神様から愛されていることを覚え、その幸せを人にも分けてあげたい。分けてあげられるようになりたいと思います。

 「神がこのように私たちを愛されたのですから、私たちも互いに愛し合うべきです」(1ヨハネ4:11)。先程読んでいただいた聖書の中に出てくる言葉です。

 ゆう君のようなやさしい気持ち、人のことを思いやることの出来る、そういう気持ちになって、私たちもお互いに愛し合うことが出来たら、どんなにすばらしいかと思います。

 クリスマス。すべての人が、やさしい気持ちを持って、人のことも思いやる。そんな「きよしこの夜」でありたいと思います。

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