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説教 「誰でも、どんな人でも」  
               (ガラテヤ 3:28)      2014/12/14
三条教会・クリスマス礼拝
 今日は三条教会のクリスマス礼拝であります。12月25日のクリスマスには、少し早いですが、皆様とご一緒に「クリスマスの礼拝」を守りたいと思います。で、今日は礼拝の中で「聖餐式」も行われますので、お話は少し短めにしたいと思います。

 ということで、クリスマスのお話ですが、聖書には、イエス様の誕生のことを知らされた人たちのお話が二つ記されています。一つは、羊飼いたちのお話。もう一つは、占星術の学者たちのお話であります。占星術の学者というのは、前の聖書では「博士たち」となっておりましたが、とにかく、羊飼いたちと占星術の学者たち(博士たち)にイエス様誕生の知らせが知らされた。

羊飼いたちは、夜、羊の群れの番をしていた時に、天使が現れ、イエス様がお生まれになった事を知らされ、占星術の学者たちは、東の国の方で、星を見ていた時に、輝く星によって救い主がお生まれになったことを知らされました。

 ところで、この羊飼いたちと占星術の学者たち(博士たち)ですが、彼らはどのような人たちだったのでしょうか。羊飼いたちは、「野宿をしながら、夜通し羊の群の番をしていた」と言います。それは羊たちが野犬や狼に襲われないためでありますけれども、当時の羊飼いというのは、下層階級に属する「貧しい人たち」でありました。

 この世には金持ちの人もいれば貧しい人もいます。今の日本でもそうですけれども、これは資本主義国家とか社会主義国家、あるいは、共産主義国家、どこの国においてもそうなんでありますね。お金を沢山持っている人もいれば、貧しくて、その日暮らしがやっとといった、そういう人たちも沢山いる。

 今から2000年前のユダヤもそうでありまして、一部の人たちは金持ちでしたけれども、大多数の人たちは貧しい人たちでありました。貧富の差がとても激しかったのであります。そういう中で特に「羊飼い」と言えば、正に、貧しく学識もない、そういう人たちの代表みたいなものでありました。

 それだけではありません。彼らは、その仕事柄、安息日も守れないということで、人々から軽蔑されてもいました。ユダヤには律法という掟がありまして、安息日には「いかなる仕事もしてはならない」という、そういう決まりがありました。しかし、羊飼いたちは、安息日だからといっても、仕事を休むわけにはまいりません。「今日は安息日だから羊の世話はしない」なんて言えない訳であります。

 ですから、彼らは安息日でも仕事をしていた。ということは、必然的に律法の掟を守れないということになる訳で、彼らは「罪人」と呼ばれ、みんなから軽蔑され、バカにされてもいた訳であります。そういう羊飼いたち、貧しく、学識もなく、また、地位や名誉もなく、みんなからバカにされていたような、そういう人たち、そういう人たちにイエス様誕生の知らせが告げられた訳であります。

 それに対して占星術の学者たち(博士たち)。彼らはどういう人たちかと言いますと、彼らは「学者」と言われるくらいですから、いわゆる知識人であります。星の研究をしていた学者、地位も名誉もあり学識もあった人たち。

 それだけではありません。彼らはかなり裕福でもあったようであります。彼らは、イエス様の所にやって来て、「宝の箱を開けて、黄金、乳香、沒薬を贈り物として献げた」といいます。「黄金、乳香、沒薬」、これらはそれぞれ皆相当高価なものであります。

 そういう高価な贈り物をイエス様の所に持ってくることが出来たのですから、彼らは、かなり裕福であった、お金持ちであったと言っていいと思います。とにかく、占星術の学者たちは、羊飼いたちと比べると、「月とすっぽん」。金持ちで、学識もあり、地位や名誉もあった、そういう人たちであった訳であります。

 ところで、もう一つ、羊飼いと占星術の学者の違いですけれども、それは羊飼いたちは、ユダヤの人でしたけれども、占星術の学者たちは、遠い東の国の人たち、要するに「異邦人」だったという事であります。

 イエス様が生まれたのは、ユダヤのベツレヘムという所でありました。羊飼いたちは、そのベツレヘムの近くで野宿をしながら、夜通し羊の群の番をしていたのであります。羊飼いたちはユダヤの人だったと言ってもいいと思うのであります。それに対して占星術の学者たちは遠い東の国の人たち。どこの国の人なのかははっきりしませんけれども、「ユダヤの国の人ではなかった」ことは明らかであります。

 今、私たちの生きているこの地球には、いろいろな国があります。そして、そこにはいろいろな人たちが住んでおります。国によって言葉が違い、また、肌の色も違います。

 肌の色と言えば、日本には昔「肌色」という色がありました。クレヨンやクーピーに肌色という色があって、利用していた人も多いと思いますが、今は「肌色」という色はありません。「うすだいだい」という色になっております。「肌色」が「うすだいだい」という色になったのは、2000年(平成12年)頃からだと言われていますが、今では「肌色」という名称はタブー視されています。

 確かに、昔の日本人の肌は、昔の「肌色」に似ています。でも、白人の人の肌は肌色ではない、黒人の人の肌も肌色ではない。ということで、「肌色」という名称は、人種差別につながる恐れがあり、国際化している今のような時代には「ふさわしくない」ということで、「うすだいだい」という色の名前になりました。

 まあ、こんなお話をしていると、またお話が長くなるのでやめますが、いずれにせよ、私たちの生きているこの地球には、いろんな人たちが住んでいます。そして、違う言葉を話したり、違う肌の色をしている。それが私たちの生きている、この世界であります。

 イエス様がお生まれになった時、肌の色が違い、言葉の違う人たちがやって来たということは、それは、イエス様によって、どんな国の人でも、民族でも、「その違いを越えて一つになれる」という、そういうことを教えているのではないでしょうか。

 また、先程もお話しましたように、羊飼いたちは、貧しくて、学識もなく、みんなから軽蔑されていたような、そういう人たち。一方、占星術の学者は、金持ちで、学識もあり、地位や名誉もあった、そういう人たち。そういう人たちがイエス様のところにやって来たというのは、誰でもイエス様の所に来ることが出来るということではないでしょうか。

 お金持ちの人もお金のない人も貧富の違いを越え、また、いろいろなことをよく知っている学識ある人もそうでない人も、あるいは、言葉が違い、肌の色が違う人も、誰でも、どんな人でもイエス様の所へやって来ることが出来る。そしてイエス様に出会い、イエス様を信じる事が出来る。クリスマスは、そういうことを教えているお話でもあるのではないでしょうか。

 イエス様の前では、誰でも、みんな一緒です。分け隔てはありません。えこひいきもありません。誰でも、どんな人でも、人種や階級を越え、みんなが神様の子どもになれるのであります。それがイエス様のお生まれになった大切な意味、クリスマスの大切な意味と言ってもいいのではないでしょうか。

 先程お読みいただきましたガラテヤの信徒への手紙3章28節には、このような言葉があります。「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」。

 「キリスト・イエスにおいて一つ」。イエス様において、私たちは一つになることが出来るのであります。神様は、イエス様を私たちにくださいましたけれども、それはイエス様によって、みんなが一つになるため。みんなが神様の前で、仲良く平和に、そして幸せに暮らせるようになるためなのであります。

 クリスマスは、神様の御子がこの世に来られた記念すべき日であります。御子イエス様のご降誕をみんなでお祝いし、クリスマスの恵みをみんなで分かち合いたいものであります。

 占星術の学者が東の国で見た大きな輝く星、それは幸せの星、希望の星と言ってもいいと思います。私たちを本当の幸せへと導いてくれる幸せの星、希望の星。誰でも、どんな人でも幸せになれるのであります。イエス様にあって一つになれる。そのことを今日は覚え、クリスマスをみんなでお祝いしたいと思います。

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