私たちは、今まで使徒信条を学んでまいりまして、前回は、主イエス様のご生涯の第1回目ということで、イエス様の誕生の出来事を学びました。使徒信条にある「主は聖霊によりてやどり、処女マリアより生まれ、」というところを学んだ訳であります。
イエス様がこの世に誕生されたのは、神様のご計画によるものでありました。神様は、私たちに「新しい契約」を与えるために、イエス様をこの世にお送りくださった訳であります。「聖霊によってマリアが身ごもり、そしてイエス様が生まれた」というのは、そこに神様の特別な働きがあったということを示しています。神様は、マリアを通して、そしてイエス様を通して、神様のご計画を推(お)し進めて行かれるのであります。
イエス様の誕生から始まる神様のご計画。それはイエス様の十字架と復活、そして昇天という出来事によって完成する訳ですが、今日から少し、イエス様がこの世に誕生されてからどのような歩みをされたのかということについて考えて行きたいと思います。
ところで、使徒信条では、「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、」という誕生の出来事から、すぐに「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、…」というふうに続いておりまして、途中の事は何も語られておりません。誕生のことから、突然イエス様の受難のこと、十字架への道に飛んでしまう訳であります。
イエス様の誕生のことは語られているのに、そのあと、イエス様はどんな歩みをされたのか、どんなことを語り、どんな働きをなされたのかというようなことは、一切語られていない。 どうしてなんでしょうか。 イエス様がこの世に生まれ、十字架につけられるまでの、その間の出来事というのは、それ程問題ではない、重要ではないとでも言うのでしょうか。
確かに、神様のご計画ということから言えば、「イエス様の十字架と復活」ということがメインになる訳ですから、その間(かん)のことというのは、それ程問題ではないと、そんなふうに言う事も出来るかも知れません。でも、そう言われればかえってイエス様ってどんなことをしたのか、どんなことを教えられたのかと興味を持つのではないでしょうか。
使徒信条に、イエス様の働き・活動について何も記されていないのは、聖書に記されているから、それぞれ聖書を読んでしっかりと学びなさいという、そんな意味もあるのではないでしょうか。いずれにせよ、イエス様については聖書にしっかりと記されておりますので、これから、十字架に至るまでのことを、少しずつ学んで行きたいと思います。
でも、ここに一つ問題があります。というのは、イエス様についてのお話というのは、必ずしも統一されたものになっていないということであります。
例えば、処女(おとめ)マリアから生まれたイエス様ですけれども、マタイ福音書によれば、ヘロデがイエス様を探し出して殺そうとしているので、ヨセフは「幼子(イエス様)とその母(マリア)を連れてエジプトへ逃げて行き、ヘロデが死ぬまでエジプトにいた」(マタイ2:14-15)。そして、ヘロデが死んだ後、ナザレに行って、そこに住み着いたとありますけれども、ルカ福音書では、ユダヤのベツレヘムで生まれたイエス様は、ユダヤ人としての割礼を受けたあと(8日目)、神様にささげられる為に、エルサレムに連れて行かれたとあります(ルカ2:22)。そして、そこで、シメオンとアンナの祝福を受け、それから両親の町であるガリラヤのナザレに帰ったとある(ルカ2:39)。
イエス様たちは、一旦エジプトに逃げて行ったのでしょうか、それとも、エルサレムから、そのままナザレに帰って行ったのでしょうか。
イエス様のご生涯を記しているのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという4つの福音書ですけれども、これらの福音書は、必ずしもイエス様の伝記を書いている訳ではありません。マタイにしろ、マルコやルカにしろ、そしてヨハネにしてみても、みな「イエス様がキリストである(救い主である)」ということを証しするために書かれている訳であります。
ヨハネ福音書の20章31節には、「これらのことが書かれたのは、あなた方が、イエスは神の子メシア(キリスト)であると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」と記されておりますが、これが福音書の書かれた目的なのであります。これはマタイ、マルコ、ルカについても全く同じであります。
そもそも福音書というのは、福音(喜ばしい知らせ)を伝える書物なのでありまして、イエス様が、神様から使わされた神の独り子であり、私たちを救ってくださる救い主(キリスト)なんだ。そのイエス様を信じる者は誰でも救われるんだ、永遠の命を受けることが出来るんだという、そういうことが伝えられれば、それでいいのでありますね。ですから、私たちはあまり細かいことに捕らわれる必要はありません。
イエス様が生まれ、ヨセフとマリアは、そのあとエジプトに逃げていったのか、それとも、エルサレムから直接ナザレに帰って行ったのか。あまり細かいことにこだわらなくてもいい。伝記ならば、そういうことも正確に記す必要があるのでしょうが、福音書は決してイエス様の伝記ではないのであります。
前も申し上げましたが、「昔、ユダヤ人の教師たちは、宗教的な目的で書かれた物語を解釈するとき、“それが実際に起こった事なのか”という事よりも、“先ずそれは、何を私たちに教えているのか”という事を考えた」というお話をいたしました。こういう発想は、聖書を読むとき、とても大切だと思います。聖書は何を私たちに教えようとしているのか、何を語ろうとしているのか。そういうことを考えながら聖書を読んで行く。そういうことが大切なのではないでしょうか。
イエス様のご生涯。福音書によって多少の違いがあります。私たちは、その違いを認めながらも、聖書は何を私たちに教えようとしているのかということを考えながら、聖書の学びをして行きたいと思います。
さて、前置きが大部長くなりましたが、それではいよいよこれから聖書のお話に入りたいと思います。先程、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったイエス様、ガリラヤのナザレに帰ったというところまで見て来ました。そこで、ガリラヤのナザレで、イエス様は、少年時代、そして青年時代を過ごされたようであります。ルカによる福音書の2章40節には、「幼な子は、ますます、成長して、強くなり、知恵に満ち、そして、神の恵みがその上にあった」とあります。イエス様は、神様の恵みをいっぱいうけて、健やかに大きく成長して行かれた訳であります。
イエス様は人間的にはユダヤ人。父親のヨセフは大工さん。ですから、イエス様は、父親ヨセフの大工仕事なんかを手伝いながら、また、ユダヤ人の教育機関でもあった会堂(シナゴーク)なんかにも真面目に通って若き日を過ごされたのではないでしょうか。
繰り返しますが、イエス様は「律法のもとに生まれた」(ガラテヤ4:4)ユダヤ人であります。ですから、当時のユダヤ人が行っていたようなことをイエス様もみな行い、また、当時のユダヤ人が受けていた宗教教育も同じように受けられ、また、毎年、過越の祭の時には、両親に連れられ、エルサレムにも上り、ユダヤ教の伝統というものを、生活の中で身につけて行ったのではないでしょうか。
ところで、イエス様が12才になった時、慣例に従い、過越の祭のためにエルサレムに上った時、既に神の子としての頭角を現されたというお話が、今日のルカ福音書に記されておりますので、少し見ておきたいと思います。ルカ福音書2章41節以下ですが、このようにあります。
「さて、両親(マリアとヨセフ)は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。(このとき、イエス様も一緒にエルサレムに行ったようであります) で、祭りの期間が終わって帰り道ですが、「少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった」といいます。過越祭には沢山の人たちがエルサレムに集まり、ごった返す訳であります。ですから当然「迷子」も出る。イエス様も簡単に言えば「迷子」になる訳であります。
で、帰り道ですが、マリアとヨセフは、イエス様がいないことに気づき、一生懸命さがす訳ですが、なかなか見つからない。聖書には「(両親は)イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。」とあります。
まあ、のんきなマリアとヨセフなんでしょうか、一日分の道のりを行っても、イエス様がいないのに気がつかない。まあ、12才の少年ですから、親類や友だちの所にでも行っているのではないか、そんなふうに思ったのでしょうが、それにしても自分の子供が丸一日いないのに気がつかなかったというのは、ちょっと問題ありと言ってもいいかも知れません。
でもとにかくイエス様がいないものですから、両親は必死になってイエス様を捜し回ります。そして「三日の後、イエス様が神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを(やっとのことで)見つける。
「三日の後」とありますから、イエス様は、三日間も神殿にいたのでしょうか。そうだったとしたら、どこで食事なんかを取っていたのか。そんな疑問もわいてきます。でも、そんなことがここでは問題ではありません。今日のお話のポイントは、イエス様が、学者たちの真ん中に座って、話を聞いたり、質問したりしていたということであります。そして、このあと「聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた」とありますように、イエス様は、少年時代から既に「学者にも勝るとも劣らない」、そういう知恵があった、賢い人だったということであります。
私たちは、聖書を通して、既にイエス様が神の独り子であると知っております。でも、当時の人たちは、両親をも含めて、まだイエス様が神の独り子であるという、そういう受け止め方は出来ませんでした。このあと、母マリアは、イエス様を叱って、「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」と言う訳ですが、それに対するイエス様の答え、イエス様は「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家(神様の家・神殿)にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」なんて言う訳ですが、「しかし、両親には(その)イエスの言葉の意味が分からなかった」(ルカ2:50)とあります。
いずれにせよ、12才の「少年イエス」。まだみんなから「神の独り子」であるとは信じられてはいませんでしたが、既に「神の子としての頭角を現していた。イエス様は、学者に勝るとも劣らない、そういう知恵、賢さを、既に少年時代から持っていたのであります。
さて、この少年イエスのお話のあと、聖書には、「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった」(2:51)とありますが、これは先程もちょっと触れましたように、父親ヨセフの大工仕事を手伝いながら、家計を助けたというような、そういうことのようであります。しかし、具体的に、この後、イエス様はどうされたのか、どのような歩みをされたのか、聖書には全く記されておりません。結婚したのかどうか、あるいは、特別な「修業」をなさったのかどうか、そういう事は、全く分らない訳であります。
イエス様が再び聖書に登場するのば、イエス様が洗礼を受けられるという所になる訳ですが、そのことについては、次回また学ぶとして、今日は、12才の時の今日の出来事、このお話の最後の所、2章52節の所にあります「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」ということについて、最後に少し考えてみたいと思います。
イエス様は、知恵もますます増し、背丈も伸び、大きくなって行く訳ですが、「神と人とに愛された」のであります。「神と人とに愛される」。これは、とても大切なことであります。私たちも、神様と人に愛されて歩むことが出来れば、どんなにすばらしいことでしょうか。
「神と人とに愛される」。神様は、どんなときでも、またいつでも私たちを愛してくださっています。神様は「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるお方」(マタイ5:45)であります。「神は愛である」(1ヨハネ4:8)という言葉もありますが、神様は、どんなときでも、またいつでも私たちを愛してくださっている。それは間違いありません。私たちは神様から愛されているのであります。
それでは、人から愛されるにはどうしたらよいのでしょうか。聖フランシスコ(アッシジのフランチェスコ)の「平和の祈り」というものがあります。
主よ、わたしを平和の器(平和の道具)とならせてください。
憎しみがあるところに愛を、
争いがあるところに赦しを、
分裂があるところに一致を、
疑いのあるところに信仰を、 云々とありまして、
そのあと後半部、
ああ、主よ、慰められるよりも慰める者に、
理解されるよりも理解する者に、
愛されるよりも愛する者としてください。 云々とあります。
有名な祈りですので、ご存じの方も多いと思います。
私たちは皆、人から愛されたいと思っています。でも、愛されるためには、先ず「人を愛すること」から始めるべきではないでしょうか。フランシスコの祈りにありますように、愛されることよりも、先ず人を愛することが出来るようになること。それが大切ではないでしょうか。イエス様も教えています。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい」。(マタイ7:12)
人から愛されたいのであれば、先ず、自分から人を愛して行く。そういうあり方が大切なのではないでしょうか。
繰り返しますが、人はみな誰でも「人から愛されたい」と思っています。それは決して間違ってはおりません。私たち、自分一人だけで生きている訳ではありません。いろいろな人たちと一緒に生きております。そして、出来れば皆「人から愛されたい、愛されて生きて行きたい」と思っている。でも、人から愛されたいのであれば、先ず自分から進んで人を愛していく。そういうあり方が必要なのではないでしょうか。そして、人を愛するとき、また人からも愛されるという、そういう真実を知るべきだと思います。
イエス様が「神と人とに愛された」というのは、単に、イエス様が、神様に守られ、みんなにかわいがられて、大きくなって行ったという、そういうことだけではないと思います。そこには、多くの人を愛されたイエス様の姿、イエス様の愛もまたあったのだろうと思います。
いずれにせよ、イエス様が「神と人に愛された」ように、私たちもまた「神様と人に愛される」、そんな歩みして行ければと思います。
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