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説教 「やすかれ、わが心よ」 (ヨハネ 20:19-23) 2014/1/1
元旦合同礼拝(燕教会・三条教会合同礼拝)
 皆様、新年明けましておめでとうございます。2014年になりました。教会の暦では、伝統的には「待降節(アドベント)から新しい年がはじまる」と考える人が多い訳ですけれども、この世にあっては、この世の暦がありまして、この世の暦では、今日から新しい年が始まるということになっております。

 で、新しい年を迎えますと、日本には「初詣」という習慣がありまして、普段は特別信仰とか宗教とか、そういうことを言わない、考えない、そういう人たちでも、新年には「初詣」に行くという、そういう人たちも結構沢山いる訳であります。

 で、教会でも何かしなければならないということで、このような元旦礼拝というものをしている訳ですけれども、これ、考えようによっては、この世に迎合している行為とも受け止められます。
 なぜならば、海外の多くの教会では、元旦礼拝というものをとりたててはしていないからであります。勿論、海外の日本人教会では「初詣礼拝」なんてことで、元旦礼拝をしておりますけれども、一般的には、あまり外国では「元旦礼拝」というようなものはしていない。

 そもそも「お正月」だって、外国では、日本のように大々的にはお祝いしない。外国では、むしろお正月よりもクリスマスの方を大切にしている。クリスマス・カードによく書いてある「Merry Christmas and a Happy New Year!」。 Happy New Year は、付け足しみたいになっている。勿論、年賀状を書く習慣なんて外国にはありません。要するに、「お正月」も「元旦礼拝」も、これは日本特有なもの、まあ、そんなふうに言ってもいいかも知れません。

 でも、新しい年を迎え、新しい気持ちで、この一年を歩んで行きたいという、そういう思いは、誰にでもあるのではないでしょうか。また、今年も良い年でありますように。否、今年こそ良い年でありますように。みんな、そんな思いも抱(いだ)いているのではないでしょうか。

しかしながら、現実を見ますと、新しい年が必ずしも良い年となるという保証はどこにもありません。多くの人が夢を持とう、希望を持とうなんて言っておりますけれども、そう簡単に夢や希望が持てるのでしょうか。口で言うのは簡単であります。しかし、現実は厳しいことがいっぱいあるのではないでしょうか。

 年金生活をしておられる方々も多いと思いますが、年金も少しずつ減ってきています。また、今年は4月から消費税も上がります。5%から8%になる。仕事をしている人は、給料をもらって生活しておりますが、給料が上がるという保証はどこにもない。確かに、大企業は、それなりに業績が改善して来ているようで、給料もそれなりに上がるかも知れません。でも、中小企業はどうでしょうか。大企業のように賃金アップがなされるのか疑問であります。デフレ脱却、アベノミクスなんて言っておりますけれども、庶民の生活は本当によくなるのでしょうか。

 勿論、経済のことだけではありません。昨年は、「特定秘密の保護に関する法律」、通称「特定秘密保護法」というものが、12月6日に成立、12月13日に公布されました。ノーベル賞科学者や憲法学者、文学者、歴史学者、弁護士会、人権団体、芸術家、ジャーナリスト、マスコミ、宗教団体も含め、多くの反対を押し切って成立させた「特定秘密保護法」。これから日本はどうなって行くのか、不安を覚えている人、沢山いるのではないでしょうか。

 また、12月26日には、安部首相が靖国神社に参拝しました。この出来事によって、日本は、中国や韓国から大きな反感を買い、今、日中・日韓の関係は、相当険悪なムードになっています。安部さんには安部さんの言い分があるのでしょうが、相手にも相手の言い分があるのでありますね。いくら「自分はこういう意図で参拝したんだ」なんて言ったって、相手がそれを理解しなければ何にもなりません。これからの日中・日韓の関係をはじめ、諸外国との関係、本当にどうなって行くのでしょうか。

 憲法改正のことだって、今年は本腰を入れて議論されそうです。「.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。この「平和憲法」と言われる第9条だって、これからどうなって行くのか分からない。

 新しい年、夢を持とう、希望を持とう。確かに、そうなんですけれども、なかなか夢を持てない、希望を持てないという、そういう現実もあるのではないでしょうか。これから世の中、本当にどうなって行くのでしょうか。良くなって行くのでしょうか。新しい年を迎えたのはいいけれども、不安材料はいっぱいあるのでありますね。

 確かに、現実は不安でいっぱいであります。でも、不安の中にあっても、平安を与えられ歩んでいくのがキリスト者ではないでしょうか。今日は、そのあたりのことを、聖書を通して少しばかり学んでみたいと思います。

 ということで、先程読んでいただいた聖書の所ですが、ここには、復活されたイエス様が弟子たちの所にやって来て、「あなた方に平和があるように」と言われたという、そういうお話が記されております。

 十字架に付けられて殺されてしまったイエス様。お墓に葬られたイエス様。しかし、三日目によみがえられたイエス様。弟子たちは、イエス様がよみがえられたというお話を聞いても、まだはっきりとした確信が持てなかったんでありますね。ですから、彼らは「ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけて」おりました。

 ユダヤ人に見つかって、お前たちはイエスの弟子だろうと言われるのが恐くて、自分たちもイエス様のように十字架に付けられるのが恐くて、彼らは「戸に鍵をかけて」隠れていた。 しかし、そこにイエス様が現れ、彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われたというのであります。

 「平和があるように」。前の聖書では「安かれ」、昔の文語訳の聖書は「平安なんじらにあれ」と訳しておりました。原語のギリシア語では、「エイレーネー」。ヘブライ語では「シャローム」ということになります。

 「平和があるように」「安かれ」「平安があるように」。これは、「平和、平安」がなかった弟子たちに語られた言葉であります。繰り返しますけれども、弟子たちは、こわくてこわくて隠れていたのであります。戸に鍵までかけて隠れていた。そんな弟子たちに「平和があるように。安かれ。平安があるように」とイエス様は語りかけたのであります。

このお話は、心に平和がないとき、恐れているとき、不安なときに、そこに、イエス様がやって来て、私たちを力づけてくださるという、そういうお話であります。イエス様が共にいてくださるとき、私たちは、「平和・平安」を取り戻すことが出来るのであります。

 弟子たちは、イエス様から「あなたがたに平和があるように」と言われ、手とわき腹とを見せられたとき、「主を見て喜んだ」とあります。弟子たちが喜んだのは、イエス様が確かに「ここにおられる」「ここにいてくださる」ということを確信したからであります。

 イエス様が共にいてくださる、一緒にいてくださる。そのことを確信する時、不安は喜びに変わるのでありますね。そしてまた「平和・平安」も与えられる。

 今日、これから皆様とご一緒に歌います讃美歌の532番「やすかれ、わがこころよ」という讃美歌。ご存知の方も多いと思いますが、曲は、フィンランドの作曲家ジャン・シベリウスの交響詩「フィンランディア」という有名な曲の一部が使われておりますけれども、1番は、こんな歌詞になっております。

 1番「やすかれ、わがこころよ、主イエスはともにいます。
(主イエス様が共にいてくださる。だから、我が心よ、安かれと、こう歌うのでありますね。) いたみも苦しみをも しずかに忍び耐えよ。(痛みや苦しみがあっても、それを静かに耐え忍びなさい)。なぜならば、「主イエスの共にませば、耐ええぬ悩みはなし」とあります。イエス様が共にいてくださるならば、耐えられないような悩みはないというのであります。

 先程も申しましたように、今の時代、本当に世の中不安だらけであります。新しい年を迎えたけれども、これからどうなっていくのか不安がいっぱい。しかし、イエス様が共にいてくださるとき、私たちには「平安」が与えられるのであります。この「平安」、それは心の平安であります。でも、この心の平安ということが、実はとても大切なのではないでしょうか。

 心に平安がない時、私たちは、いらいらが募って冷静な判断が出来ません。人の話も、冷静に聞くことが出来ません。物事も冷静に処理することが出来ません。

 心の平安。それは、私たちが落ち着いた生活をしていく上に、なくてはならない必要不可欠なものと言ってもいいと思います。そして、この「心の平安」は、イエス様が「今ここに私たちと共にいて下さる」ということを信じる時、与えられるのであります。

 イエス様が私たちと共にいてくださる。それは私たちに与えられている限りない恵みであります。新しい年も、イエス様は、私たちと共にいてくださいます。私たちと共に歩んでくださいます。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)というのが、イエス様の約束の言葉だからであります。

 不安材料がいっぱいある現実。この世の現実。イエス様は、この世の現実を決して否定しません。イエス様は「あなたがたには世で苦難がある」と言われます。前の聖書では、「あなたがたは、この世では悩みがある。」とありました。「しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」これがイエス様の言葉であります。(ヨハネ16:33)

 確かに、この世には苦難があるのであります。悩みがある。不安もあるのであります。しかしながら、私たちには「既に世に勝っている」イエス様が共にいてくださるのであります。そのイエス様が私たちと共に歩んでくださるのですから、勇気を持って、また、希望をもって、この新しい年を歩み出して行きたい。そんなふうに思います。

 「やすかれ、我が心よ、主イエスはともにいます。いたみも苦しみをも しずかに忍び耐えよ。主イエスの共にませば、耐ええぬ悩みはなし。」

 ついでですから、この讃美歌(532番)の2番の歌詞も見ておきましょう。2番は、「やすかれ、わが心よ、なみかぜ猛(たけ)るときも、恐れも悲しみをも、みむねにすべて委ねん」とあります。(どんな波風がたとうと、また、恐れや悲しみがあろうと、すべてを神様の御手に委ね、歩んで行こう。神様は必ず導いてくださるという確信であります。)み手もてみちびきたもう、のぞみの岸はちかし。」望みの岸は近いのでありますね。

 私たちには希望があるのであります。不況の荒波の中にあっても、不安材料がいっぱいあっても、私たちは、心の平安を与えられ、希望を持ち、神様の導きを信じて、新しい年も、力強く歩んでまいりたいものであります。

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