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説教 「プラス思考」 (フィリピ 4:14)      2013/07/21

 先週は「地区デー」ということで、私は在日大韓基督教会新潟教会へ行ってまいりました。在日の人たち、今、日本で生活している韓国の人たちがほとんどで、礼拝は韓国語(ハングル)で守られていました。週報も韓国語(ハングル)、讃美歌もハングル、お祈りもハングルでした。唯一、私の説教だけが日本語。日本語がまだよく分からない人には、同時通訳も行われました。

 私たちは、自分たちが守っている礼拝が普通の礼拝だと思っておりますけれども、在日大韓基督教会の礼拝は、少しばかり違いました。例えば、説教のお話をしていると、突然「アーメン」という声が聞こえて来ます。アメリカの、特に黒人教会などでは、牧師の説教中に、よく「アーメン」という言葉を言いますが、在日大韓基督教会もそうでありました。私が説教のお話をしていると、突然「アーメン」という声が聞こえてくる。「アーメン」というのは、「そうだ」「その通りだ」という意味ですから、私のお話を肯定して下さっている訳でありますから、決して悪い気はしません。でも、少しばかり違和感はありました。

 日本基督教団の教会では、説教中に「アーメン」とは、あまり言わない。ほとんど言わない。全く言わない。そういう中で育って来ましたから、説教中に「アーメン」を連発されますと、戸惑ってしまう訳であります。でも、神様を讃美する思いは一つでありました。みんなで力強く神様を讃美してまいりました。

 在日大韓基督教会新潟教会へ行くのは、今回初めてでしたが、新潟に住んでおられる「藤沢 勝兄弟」も礼拝に出席してくださいまして、また、礼拝後の「愛餐会」にもご一緒くださいましたので、緊張感も少しばかりゆるみました。とてもありがたかったです。

 ところで、教会にもいろいろな教会があり、いろいろな礼拝のやり方があることを、今回改めて感じて来た訳ですけれども、大切なことは、「あれがいい」「これがいい」と決め付けないことであります。自分たちと違うからと言って相手を否定しない。これはとても大切なことだと思います。

 ときに、私たちは自分たちがやってきたことが正しくて、そうじゃないものは排除する、という、そういう傾向もある訳ですけれども、私たちはもっともっと柔軟に物事を見てもいいのではないでしょうか。伝統を大切にするのはいいことですけれども、伝統だけが全てではありません。良いことがあれば、受け入れればいいし、不都合なことがあれば変えて行けばいい、そういう柔軟性も必要だと思います。

 いずれにせよ、今回の「交換講壇」、単に、違う牧師が来てメッセージを語った、ということだけではなく、いろいろなことを学ぶきっかけになればと思います。

 さて、今日は、私の好きな聖句、聖書の言葉について、お話したいと思います。それはズバリ、先程お読みいただきました「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」という言葉であります。本当は、前の聖書にありました「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」という、この言葉の方が、私は好きですけれども、新共同訳になりましたので、仕方ありません。「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」ということにしておきます。

 ところで、この言葉、どこかで見たことがありませんでしょうか。実は、燕教会の1階の奥の集会室、毎週木曜日「聖書を学び祈る会」をしているあのお部屋に、この言葉が記されております。

 2004年12月5日、大韓イエス教長老会の朴新煥(パク)牧師から贈られたものなのでしょうか、「日韓交流記念として贈呈」という説明がついている「額(がく)」があります。この額に記されているのが、先程のフィリピ書4章13節の「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」という、この言葉であります。

 「額(がく)」には、英語と韓国語(ハングル)でこの言葉が記されております。英語では I can do everything through him who gives me strength.(アイ キャン ドゥ エヴリスィング スルー ヒム フー ギヴズ ミー ストレンクス) と書いてあります。 残念ながら、ハングルの方は、分かりません。私には読めません。多分、意味は同じだと思いますが、英語の I can do everything. (アイ キャン ドゥ エヴリスィング)。私は I can do all things. (アイ キャン ドゥ オール スィングズ)で覚えていますが、これは、「やれば出来る。何でも出来る。すべてのことが可能だ」という意味であります。

 やれば出来る。出来るんだ、出来るんだ、出来るんだ。これは人を鼓舞する言葉、励ます言葉であります。あなたには出来ないことはない。やれば出来るんだ。何事でもすることができる。不可能なことはない。すべてが可能だ。You can do everything. (ユー キャン ドゥ エヴリスィング) You can do all things. (ユー キャン ドゥ オール スィングズ)

 ナポレオンは、「私の辞書、予の辞書には、不可能という文字はない」というようなことを言ったそうですけれども、「すべてが可能である、何事でもすることができる」という、この発想。これは、ある意味において、とても大切な発想だと思います。

 Norman Vincent Peale(ノーマン ヴィンセント ピール) という牧師は、この聖書の言葉を「人生を変える魔法の言葉」ということで、The Positive Principle(ザ ポジィティヴ プリンシプル) 積極的原理(積極的な考え方の原理)と呼んでおります。

 私たちの人生、いいこともあれば悪いこともある。そして、時には壁にぶつかり、行き詰まり、どうしてよいか分からなくなる。そういうときもある訳であります。特に、仕事なんかしておりますと、不景気で成績が上がらないというようなこともある。何をやってもダメということで、やる気がなくなることさえある。しかし、そういう時、「やれば出来るんだ。何事でもすることができる。不可能はない、できるんだ、できるんだ」というふうに積極的に物事を考え、行動していけば、事態がまた好転して行く可能性もあるのでありますね。

 実際に、そういう事例はいくらでもあるということで、先程紹介しました N.V.ピールの本の中には、そういう事例が沢山紹介されておりますが、要するに、物事を積極的に受けとめていくという考え方。マイナスではなくプラス思考というのでしょうか、「できる、できるんだ」というふうに積極的に物事を考える、そういう発想をして行けば、必ず良い結果が与えられる。そして、その発想の原点が、「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」「わたしにはすべてが可能です」という、先程のフィリピ書の言葉なんであります。

 私も昔落ち込んだことがございまして、何をしてもうまく行かない。疲れ果てて、行き詰まってしまったことがあります。でも、その時「支えになった」言葉が、やはりこのフィリピ書の言葉でありました。「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」という、この言葉。

 しかし、この言葉。注意しませんと、自信過剰にもつながってまいりまして、とんでもないことを引き起こす可能性もあります。先程、ナポレオンの「予の辞書には不可能という文字はない」という言葉を紹介しましたけれども、権力者がこの言葉を使うときは注意しないといけません。「わたしにはすべてが可能だ」「何事でもすることができる」。I can do all things.(アイ キャン ドゥ オール スィングズ) ということで、世界征服も夢ではない。やれば出来るんだ。わたしにはすべてが可能だ。こんなふうになってまいりますと、これはとんでもないということになる訳であります。

 でも、この言葉、聖書には「わたしを強めてくださる方のお陰で」「わたしを強くして下さる方によって」という言葉がついております。「わたしを強めてくださる方」「わたしを強くして下さるかた」。それは誰でしょうか。それは勿論「神様、イエス様」であります。私たちは、神様、イエス様によって「強くしていただいて」何事でもすることができるようになるのであります。

 英語の聖書にはこのようにあります。
 I can do all things in him who strengthens me.(アイ キャン ドゥ オール スィングズ イン ヒム フー ストレングス ミー) あるいは、先程の「額」の表現では、 I can do everything through him who gives me strength.(アイ キャン ドゥ エヴリスィング スルー ヒム フー ギヴズ ミー ストレンクス)

 ここにあります in him(イン ヒム) 彼において、 through him(スルー ヒム) 彼を通しての「彼」( him ヒム)、ここに私は「キリスト」という言葉を入れて in Christ (イン クライスト) キリストにおいて、というふうに置き換えて覚えております。私が覚えているのは、I can do all things in Christ who strengthens me. (アイ キャン ドゥ オール スィングズ イン クライスト フー ストレングスンズ ミー) キリストが私を強くして下さるのであります。神様が、イエス様が、私を強くして下さる。だから、「わたしにはすべてのことが可能、何事でもすることができる」。I can do all things in Christ who strengthens me.(アイ キャン ドゥ オール スィングズ イン クライスト フー ストレングスンズ ミー) I can do all things in Christ who strengthens me.(アイ キャン ドゥ オール スィングズ イン クライスト フー ストレングスンズ ミー)「おまじない」みたいに、こう唱えておりますと、不思議に力が与えられる、元気になることが出来るのであります。

 ところで、「わたしを強めてくださる方」「わたしを強くして下さるかた」。それが神様、イエス様であるとするならば、これは「信仰によって」と言い換えてもいいと思います。私たちは、神様・イエス様を信じる信仰によって「すべてのことが可能、何事でもすることができる」のであります。

 そう言えば、イエス様のこんなお言葉もあります。「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなた方にできないことは何もない。」(マタイ17:20)。 Nothing will be impossible for you.(ナッシング ウィル ビー インポシヴル フォー ユー)
 イエス様は「からし種一粒ほどの信仰」ということを言います。「からし種」、小さな小さな種であります。でも、もし、(その小さな)からし種一粒ほどの信仰でもあれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。

 私たちは、山なんか人間の力では動かせないと思っております。でも、イエス様は、「もし、からし種一粒ほどの信仰でもあれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じれば、そのとおりになる」と言われるのであります。そして、「あなたがたにできないことは何もない」 Nothing will be impossible for you.(ナッシング ウィル ビー インポシヴル フォー ユー) と、こう言われる。

 信仰というのは、不可能を可能にする世界であります。勿論、信仰だけがすべてではありません。第1コリントの13章2節の所には、「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」なんて言葉もあります。信仰、信仰ということをよくおっしゃる方がおられますけれども、でも、信仰、信仰ということをおっしゃるなら、どうぞ、この言葉も一緒に覚えておいていただきたい。「たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい」。「信仰・希望・愛」。みんな大切なんであります。みんな必要なんでありますね。でも、「その中で最も大いなるものは、愛である」。この言葉も決して忘れてはいけない言葉であります。

 確かに、信仰だけがすべてではない。でも、信仰には、山を動かすような力、不可能を可能にするような、そういう「力」もまたあるのであります。それは信仰の真実であります。そして、その信仰の力によって、私たちはまた「何事でもすることができる」と、このように言うことが出来るのでありますね。

 いずれにしても、「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です」「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」 I can do all things in Christ who strengthens me. (アイ キャン ドゥ オール スィングズ イン クライスト フー ストレングスンズ ミー) という、この言葉。これは私たちを励まし、私たちに自信を与え、私たちを元気にしてくれる言葉であります。私たちが落ち込み、疲れ果てて、行き詰まっても、そこから私たちをもう一度立ち上がらせてくれる不思議な言葉。私たちの「人生を変える魔法の言葉」であります。

 私は、この言葉によって、何度も何度も助けられました。力を与えられ、励まされて来ました。皆様も落ち込んだとき、自信を失ったとき、行き詰まったとき、この言葉を口ずさんでみてはいかがでしょうか。「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる。」 I can do all things in Christ who strengthens me. (アイ キャン ドゥ オール スィングズ イン クライスト フー ストレングスンズ ミー) I can do everything through him who gives me strength.(アイ キャン ドゥ エヴリスィング スルー ヒム フー ギヴズ ミー ストレンクス) きっと新しい力が与えられ、新しい世界が見えてくると思います。 

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