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説教 「お花を通して」 (1テサロニケ 5:14)      2013/06/09

 今日は6月の第2日曜日。日本基督教団の暦、教会暦と申しますが、6月の第2日曜日は、教会暦では「子どもの日・花の日」ということになっております。で、今日は、このお話もしたいのですが、その前に、今行われている玄関先の工事のお話を、最初に、少しばかりしたいと思います。

 道路拡張工事ということで、教会前の工事も大部進みまして、もう少しで完成すると思いますが、今日教会に来られて何か気づきませんでしたでしょうか。よくご覧いただきたいのですが、教会の玄関前、歩道になる所と車道になる所の間に、高さ20cmの「縁石」が設置されています。高さ20cmというのは、歩道になる地面から上20cmということで、こんなものが教会の玄関前に設置されてしまいますと、タクシーで来られる「西巻さん」や、車椅子を利用される方にとっては、これは不都合極まりないということになります。

 道路法第24条によれば、「縁石を設置しなければならない決まり」になっておりますが、、通称「バリアフリー新法」(正式には「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」(平成18年6月21日公布)というものもありまして、「移動等円滑化のために必要な道路の構造に関する基準」というものも策定されています。まあ、法律のことは面倒くさいので、難しいことはカットしますけれども、要するに、教会の玄関前に、高さ20cmの縁石が設置されたら、高齢者の方や障害者、車椅子の方々がタクシーなどで教会に来られるとき「困ってしまう」ということであります。

 ということで、縁石の工事が始まりました6月6日、先週の金曜日に、現場の責任者の方に縁石の撤去のお話をしましたけれども、「現場は言われたことをするだけで、権限はない」ということでしたので、この工事を進めている三条地域振興局地域整備部に電話をしまして、撤去の要請をしました。ついでに、この工事を発注している新潟県知事・泉田裕彦さんと三条市長の國定勇人さんにも、こんなメールをお送りしておきました。

 「新潟県が発注し、三条地域振興局地域整備部治水課が工事を進めている道路拡張工事について(歩道と車道の縁石について)」

 「工事前は、タクシーが玄関先まで来て、高齢者、車椅子の方の乗り降りを行っていましたが、今行われている工事では、歩道と車道の間に20cmの縁石が設置されようとしています。6/11(火)県・市・業者の方に現地を見てもらうことになっていますが、交通バリアフリー法、特に三条市はユニバーサルデザインの推進も行っているので、是非善処を望みます。具体的には、高齢者、車椅子の方のために玄関前に縁石を設けない。まだ工事が終わっていないので間に合います。県知事にもお願いしましたが、市長のご高配もどうぞよろしくお願い申し上げます。」 県知事と市長に、大体こんな文書を送っておきました。

 で、何が言いたいのかと申しますと、週報にも書いてありますが、6月11日の火曜日午後1時30分、県の職員、市の職員、それから工事現場監督の方々が、現地を見に来てくれるということになりましたので、教会員の皆様も、もし時間がありましたら、是非教会までお出でいただき、縁石の撤去を一緒に訴えてほしいということなのであります。道路法では、ああだこうだ、縁石を設けることになっている、というようなことを言うかも知れませんが、私たちにして見れば、不都合なことですので、タクシーが玄関先に止まれないということになりますので、泣き寝入りしないで、言うべきことは言う、訴えるべきことは訴える。そういうことをして行きたいと思いますので、皆様是非ご協力のほど、よろしくお願いしたいと思います。

 ということで、今日は変なお話から始まりましたけれども、先程申しましたように、今日は「子どもの日・花の日」ということですので、このことについて少しお話ししたいと思います。先ず、このような日が設けられた「起源」ですけれども、今から100年以上も前、1856年と言われていますから、今から150年以上も昔ですけれども、アメリカのマサチューセッツ州チェルセアの、チャールス・H・レオナルドという牧師先生が、「子どもたちを神様にささげる日」として、特別な礼拝を守ったのが始まりだと言われています。

 「子どもたちを神様にささげる」。それは子どもたちを「いけにえとしてささげる」というような、そういう事ではありません。「子どもたちが神様を信じて生きて行けるように」ということで、親が、自分たちの子どもを神様にささげる、要するに「献身」という、そういう意味であります。親は自分の子どもたちが神様を信じて、信仰を持って生きて行ってほしい、そんなふうに思っております。それは親の願いであります。少なくとも、教会に来ているクリスチャンの親であれば、みんなそういう願いがあるのではないでしょうか。レオナルド牧師は、そういう親の願いを、教会の願いとして、子どもたちを神様にささげる、子ども中心の礼拝を守った訳であります。

 それからしばらくたって、1870年、今度は、同じマサチューセッツ州の教会、今度はカーク街組合教会と言われておりますけれども、その教会で「シャロンのバラ」という特別プログラムで礼拝を守ったんだそうであります。やはり子どもを中心とした礼拝で、お花を飾って礼拝をしたのでしょうか、そのときから、今度は「花の日」とも呼ばれるようになったということであります。

 日本には、明治の中頃から入ってきまして、教会や日曜学校で、この「子どもの日・花の日」を守るようになりました。今でも、日本の多くの教会では、この日、みんなでお花を持ち寄り、また、そのお花を飾って、子どもを中心とした礼拝を守っております。そして、礼拝後には、病人や公共施設で働く人たちの所に、そのお花をもって見舞い、神様の恵みを分かち合うというようなことをしている訳であります。

 燕教会では、今日、教会員の方々がお花を持ち寄って、子どもたちと一緒の礼拝を守っておりますが、礼拝後は、お花をもって燕駅前の交番に出かけるそうであります。三条教会でも、またいつか、子どもたちと一緒に礼拝が守れるような、そんな日が来ればいいなあと願っております。

 ということで、今日は「子どもの日・花の日」ですけれども、この「子どもの日・花の日」にちなんで、今日は「お花」についてのお話を少しばかりしてみたいと思います。で、「お花」と申しますと、「花言葉」というのがあるのを皆様ご存知だと思います。例えば、バラの花は純愛、愛する人にバラの花を贈って求婚するというようなことがありますよね。それから、ユリの花は純潔、また、オリーブは平和とか、花の特質(特徴)によっていろいろな意味を持たせることがあります。

 キリスト教にも、花言葉みたいなものがありまして、例えば、カーネーションは、母親の愛のシンボルになっております。十字架につけられたイエス様を眺める母マリア(聖母マリア)が悲しみのあまり、血の涙を流し、それが地に落ちて、そこにカーネーションが芽生えた、という伝説などから、カーネーションは母親の愛のシンボルとして受け止められるようになりました。

 また、白百合(しらゆり)というものがありますけれども、純白無垢の白百合(真っ白な白百合)は、聖母マリア(イエス様のお母さんのマリアさん)のシンボルで、よく受胎告知の絵(マリアさんが、天使からイエス様が生まれますよと告げられている絵)なんかに描かれています。また、白百合は球根から芽が出て花が咲きますので、永遠の生命を表し、復活のキリストのシンボルにもなりました。イエス様の誕生や洗礼の絵などによく描かれています。

 また、花とはちょっと違うかも知れませんが、茨(いばら)(とげとげいばら)というものもあります。(この講壇の前にもあります茨ですね。)この茨はイエス様が茨の冠をかぶせられたので、ローマ皇帝のばらの冠と対比して、イエス様の受難、苦痛のシンボルとなりました。また、茨(いばら)の旗は荊冠旗(けいかんき)と言って、全国部落解放同盟の旗にもなっています。

 また、これも花とはちょっと違いますが、ぶどうの房というものも教会ではよく見かけますね。三条教会の前にある聖餐台には、ハトとぶどうの房がありますけれども、ハトは平和の象徴、ぶどうの房は、聖餐の葡萄酒のシンボルであります。また、イエス様が「私はぶどうの木、あなた方はその枝である」(ヨハネ15:5)と言われたことから、イエス様ご自身のシンボルでもあります。

花言葉のお話から、どんどん横道にそれましたけれども、今日は、このようなお話ではなくて、口に筆をくわえて花の絵と詩を描いている星野富弘さんという人のお話を少ししてみたいと思います。前も取り上げましたので、ご存じだと思いますけれども、星野富弘さんは、私の出身、群馬県の人で、同郷のよしみということもあり、どうしても親しみを感じてしまう訳ですけれども、星野富弘さん(1946~)は、手も足も動かせない身体障害者。彼は、群馬大学教育学部を卒業し、すぐに高崎の倉賀野中学校の体育の先生になりましたが、わずか二ヶ月後に、クラブ活動で器械体操の模範演技をやっている時、誤って墜落して首の骨を折ってしまう訳であります。

 で、一時は危険な状態に陥りましたが、何回もの手術の結果、やっと命は取り留めました。しかし、肩から下は麻痺して指一本動かすことの出来ない寝たっきりの状態になってしまったんでありますね。富弘さんは生きることも死ぬことも出来ず絶望して心はすさみ、日夜付き添って看護してくれるお母さんに当たり散らし、何回もお母さんを泣かせたそうであります。

 でも、富弘さんは、神様の御言葉に触れ、イエス様を信じて、1974(昭和49年)洗礼を受けてクリスチャンになりました。その後、富弘さんは非常に意欲的になり、口にサインペンをくわえ固定したスケッチ・ブックに字や絵をかく練習をし始め、文字通り血のにじむような努力をして立派に詩や絵がかけるようになりました。そして、1979年、前橋で最初の作品展を開き、その後、各地で「花の詩画展」を開きました。また、1981年には結婚され、1991年には、東村(あずまむら)に村立の富弘美術館も出来ました。

 「愛、深き淵より」「風の旅」「かぎりなくやさしい花々」「鈴の鳴る道」「銀色のあしあと・三浦綾子との対話」「速さのちがう時計」「あなたの手のひら」など。いろいろな本、詩画集を出しています。「風の旅」の詩画集の中には、富弘さんが、お母さんへの感謝と苦難に打ち勝った平安について、次のような詩が、きれいな絵とともに載っています。

「風の旅」より (ぺんぺん草、なずなの花)
  神様がたった一度だけ
  この腕を動かして下さるとしたら
  母の肩をたたかせてもらおう
 ( 富弘さんは手足が動かない、体も動かせないのですね。でも、神様がたった一度だけ、この腕を動かして下さるとしたら、母の肩をたたかせてもらおう と言うんでありますね。お母さんに苦労をかけた、心配をかけた、そのお母さんの「肩をたかせてもらおう」と歌うのであります。

  風に揺れる
  ぺんぺん草(なずな)の実を見ていたら
  そんな日が
  本当に来るような気がした と、こう歌う。

 また、四季抄「風の旅」の (つばきの花)には、こんな詩が添えられています。
  木は  
  自分で動きまわることができない
  神様に与えられたその場所で
  精一杯 枝を張り
  許される高さまで
  一生懸命 のびようとしている
  そんな木を
  私は友達のように思っている

 富弘さんは、手も足も動かない、動かせない。電動式の車椅子で、外に散歩に出ることはあっても、したいことも自分では出来ないんですね。ご飯も食べさせてもらわないと食べられないし、歯も磨いてもらわないと、自分では磨けない。顔を洗うことも出来ない。とっても大変です。でも、その大変な中で、口に筆をくわえて、一生懸命絵を描き、詩を書いている。富弘さんの絵と詩を見て、感動した人たちが沢山います。富弘さんの絵と詩に励まされた。勇気を与えられた。力を与えられた。元気が出てきた。そういう人たちが沢山いるのであります。

 こんな詩もあります。
「花の詩画集」あなたの手のひら (1999年4月) (つわぶき)

  悲しくて花を見れば
  花はともに悲しみ
  うれしくて花を見れば
  花はともによろこび
  こころ荒れた日 花を見れば
  花は静かに咲く

 花は、とても不思議です。きれいだけではありません。人を慰め、励まし、元気を与えてくれる不思議な力があります。

 今日読んでいただいた聖書には、こんな言葉がありました。「兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠けている者たちを戒めなさい。気落ちしている者たちを励ましなさい。弱い者たちを助けなさい。すべての人に対して忍耐強く接しなさい」。

 星野富弘さんは、自ら一生懸命生きることによって怠けている者たちを戒めています。また、花の絵と詩を通して、気落ちしている者たちを励ましています。また、弱い者たちに勇気と希望を与えています。そして、自由に動けない、寝たきりの状態の中でも、じっと忍耐強く我慢し、一生懸命「絵と詩」をかいている。

 私たちは、「お花を通して」、いろいろなことを学ぶことが出来ます。また、「お花を通して」、人と人の交わりを深めることも出来ます。自分の思いを、お花に託して、いろいろなことを人に伝えることが出来る。お花は、神様が私たちにくださった、すばらしいプレゼントの一つです。単にきれいというだけではなく、人を慰め、励まし、元気を与えてくれるお花。このようなすばらしいプレゼントを与えてくださった神様に、心から感謝し、主の聖名をほめたたえたいと思います。

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