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説教 「魔法のことば」 (1テサロニケ 5:14-18)    2013/05/05

 先程お読みいただきました聖書の所には、いろいろなことが教えられておりまして、本当はお話したいことが沢山あるのですけれども、時間が限られていますので、思い切って、今日は一つだけ、「魔法のことば」ということについてお話したいと思います。

 2010年2月21日(日)、東日本大震災の1年前ですが、石巻の市民会館で「ツキをよぶ魔法の言葉」という市民ミュージカルが上演されました。石巻の市民会館は、現在、震災で被害を受け、使われていませんが、当時は定員1,500名の立派な会館でした。

 で、日曜日の午後でしたけれども、入場券をいただいたものですから家内と一緒に市民会館に行って鑑賞したのですが、市民によるミュージカルですから素人の方ばっかり。プロとは大違い。でも、内容はとてもすばらしいものでした。

 このミュージカルの原作は、五日市(いつかいち) 剛(つよし)さんという方。五日市さんは、岩手県出身の工学博士。専門は「材料工学」とか「表面改質工学」「粉体工学」というようなものらしいのですが、私には専門外のことなので、よく分かりません。

 この五日市さんは、学生時代、イスラエルを旅行する訳ですが、そのとき出会ったイスラエルのおばあさんのお話。五日市さんは、そのおばあさんのお話を「ツキを呼ぶ魔法の言葉」という題で、あちこちで講演する訳であります。その講演録は、今では本にもなっておりますが、その講演録をミュージカル用にアレンジしたもの、それが石巻の市民会館で上演された訳であります。確かに、演じていたのは素人ですから「イマイチ」という感じでしたけれども、内容はとてもすばらしものでした。

 ということで、今日は、その五日市(いつかいち)さんがイスラエルに旅行に行ったときに出会った「おばあさん」から教えてもらった「魔法の言葉」のお話をしたいと思いますが、イスラエルのおばあさんは、こんなことを五日市さんに話してくれたというのであります。

 「運命ってあるのよ。ツイてる、ツイてないってことは確かにあるのよ。でも、そのツキというのはね、簡単に手に入るものなのよ。」

 皆さんは「運命」とか「ツキ」とかというものを信じるでしょうか。クリスチャンの人は、あまりこういうものは信じないのでしょうが、一般的にはよく「運命」とか「ツキ」というようなことも言われます。「ツイてる、ツイてない」。宝くじに当たれば、ツイてると言われますし、覆面パトカーなんかに捕まれば、ツイてないなんて言う訳でありますね。

 イスラエルのおばあさんは、「運命というのはある。ツイてないってことも確かにある。でも、そのツキは簡単に手に入る」と言う。そして、続けてこんな話をしてくれたというのであります。

 「イヤな事が起こるとイヤな事を考えるでしょう。そうするとね、またイヤな事が起こるの。不幸は重なるというけれど、それは、間違いなくこの世の法則なのよ。だけど、そこで『ありがとう』と言うとね、その不幸の鎖が断ち切れちゃうのよ。それだけでなく、逆に良い事が起こっちゃうの。『災い転じて福となす』という言葉があるでしょう。どんな不幸と思われる現象も、幸せと感じる状況に変えてくれる。絶対にね。だから、『ありがとう』という言葉はね、魔法の言葉なのよ…。」

 「イヤな事が起こると、またイヤな事が起こるかも知れないと思う。そうすると本当にイヤな事が起こってしまう。不幸の連鎖であります。それを、このおばあさんは「この世の法則」と言う。でも、そこで「ありがとう」と言うと、不幸の連鎖が断ち切れて、逆に良い事が起こる。だから「ありがとう」という言葉は「魔法の言葉」だと言うのであります。

 皆さん、本当だと思うでしょうか。そんなの信じられないと言う人もいるかも知れません。でも、実際、この「ありがとう」の言葉によって、人生が変わった人も沢山います。五日市さんもそうですけれども、もう一人実例を挙げますと、柴田章吾選手。彼は小学生のときから野球を始め、天才投手(ピッチャー)と言われていた子供でしたけれども、中学3年生のときに、原因不明の病気・ベーチェット病にかかります。この病気は、「失明はもちろん、最悪、死ぬ可能性もある」と言われていた難病でありまして、将来を期待されていた柴田選手は絶望してしまう訳であります。野球で有名な全国の高校から「うちに来ないか」と誘われていた話もあった訳ですが、それもなくなって、医師からも野球をするのは無理だと告げられる訳であります。

 そんなとき、悪い方へ、悪い方へとマイナスな気持ちになっていた章吾君を変えるために、お母さんは、知人からもらった先程の五日市さんの講演筆録『ツキを呼ぶ魔法の言葉』のコピーを家族に渡して、家族で「ありがとう」を始めるのであります。「言葉で人生が変わるなら」、そんな気持ちで始めた「ありがとう」でありました。最初は半信半疑だった章吾君も、おなかが痛くなると、おなかをさすりながら「ありがとう」と言うようになったと言います。その後、柴田章吾選手は、愛工大名電に進学し、愛工大名電では入院生活や長期間の療養で練習ができない時期もありましたが、3年生の夏にはあこがれの甲子園にも出場します。2007年の夏であります。この甲子園出場の時、柴田選手は「甲子園で投げて、全国でこの病気に苦しんでいる人を勇気付けたい」と語っていました。その後、彼は明治大学に進学し、現在「巨人」の2軍で頑張っています。「『あきらめない限り、夢は続く』田尻賢誉(まさたか)著 愛工大明電・柴田章吾の挑戦」の中に出てくるお話であります。

 言葉だけで人生が変わるなら、ありがたい。そうは思いませんでしょうか。でも、本当に変わるのでしょうか。

 ヨハネ福音書の最初には、こんな言葉があります。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」そして、その「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」とあります(ヨハネ1:1-4)。

  言葉の内に命がある。よく言葉は「言霊(ことだま)」というようなことも言われます。言葉には不思議な力、霊力が宿っていると言われる訳であります。確かに、言葉には「力」があります。人を慰め、励ます力もある。それは私たちが経験していることであります。あの人の、こんな言葉によって慰められた、励まされた。そんな経験、誰にでもあるのではないでしょうか。

 イエス様も「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4)と教えています。また、イエス様は「言葉で悪霊を追い出し、病人をいやされた」とあります(マタイ8:16他)。やはり言葉には力があるのでありますね。その言葉の使い方を知っていれば、不幸の連鎖、悪の連鎖を断ち切り、ツキを呼び込むことも出来る。運命を変えることも出来る。

 そして、その一つが「ありがとう」という言葉。しかも、どんなときにも「ありがとう」と言う。いいときだけでなく、柴田章吾選手のように、難病で苦しみ、痛みが襲ってきても「ありがとう」と言う。

 今日の聖書の所には「どんなことにも感謝しなさい」とありますが、聖書の教えをそのまま実践するならば、そこからまた運も開けてくるのであります。まあ、キリスト教では「運」なんて言葉は使わないのでしょうが、良き道が、新しい道が開かれて行く。

 ところで、五日市さんが出会ったイスラエルのおばあさんのお話。続きがありますおばあさんは、こんなことも教えてくれたそうであります。

 「「てめ~」とか「死んじまえ」とか、「バカヤロー」、「クソッタレー」とかね。そういう汚い言葉を平気で使う人がいるけれど、そういう言葉を使ってはダメよ。そういう言葉を使う人はね、そういう人生を歩むのよ。だからきれいな言葉を使いなさい。」「それからね、絶対に人の悪口を言っちゃダメ。」また「絶対怒ってはダメ。怒れば怒るほど、あなたがせっかく積み重ねたツキがどんどんなくなっていくのよ。だから、ネガティブな言葉は絶対使っちゃダメ!」「どんな言葉にもね、魂があるの。」

 教えられることが沢山あるのではないでしょうか。汚い言葉は使わない。きれいな言葉を使う。また、人の悪口を言わない。怒らない。みんな聖書にある教えであります。聖書には、こんな言葉があります。

 「悪い言葉を一切口にしてはなりません。ただ、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語りなさい。」エフェソの信徒への手紙4章29節にある言葉であります。

 また、具体的に、こんな言葉もあります。「卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい。」(エフェソ5:4) また、「怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。」ともある(コロサイ3:8)。 そして、極めつけ「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。」(コロサイ4:6)

 どうでしょうか。イスラエルのおばあさんの言葉というのは、正に聖書の教えそのもの、と言ってもいいのではないでしょうか。

 ところで、最後にもう一つ、イスラエルのおばあさんの言葉がありますので、紹介したいと思います。おばあさんは、こんなことも言います。

 「心の持ち方って大事よ。だけど、もっと大事なのはね。言葉の使い方なの。どんなことを「口に出すか」であなたの目の前の状況が変わってくるし、あなたの心も変わってくるの。本当よ。」

 どうでしょうか。私たちは心が大事だと、よく言います。「心の持ち方一つでどうにでもなる。」「武士は食わねど、高楊枝」。確かに、そういうこともあるかも知れません。でも、「もっと大事なのは、言葉の使い方」。実際にどのような言葉を「口に出すか」ということであります。

 「どんなことにも感謝しなさい」ということで、心の中で感謝する。これも大切であります。でも、言葉に出して「ありがとう」と言う。実際に「口に出すこと」は、もっと大切なのではないでしょうか。

 少しニューアンスは違うかも知れませんが、イエス様は、こんなことを教えております。「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。」しかし、「私のこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった。」(マタイ7:24-27)

 やはり聞くだけで、行わなければダメなんでありますね。あるいは、知っているだけではダメ。実際に行わなければダメなんであります。「どんなことにも感謝しなさい」。大切な御言葉ですけれども、これを実践する。しかも、口に出して「ありがとう」と言う。「どんなことにも」ですから、良い時も悪いときも「ありがとう」と言う。そうすれば、私たちの人生、変わってくる。それがイスラエルのおばあさんの教えであります。

 今日は、魔法のことば「ありがとう」のお話を少しばかりしました。「ありがとう」という言葉を実際に「口に出す」ことによって、私たちの人生が変わるとするならば、「ありがとう」は、やはり「魔法のことば」と言ってもいいのではないでしょうか。勿論、私たちにとっては、「ありがとう」だけがすべてではありません。「いつも喜んでいること」「絶えず祈ること」、そして「御言葉を守ること」が何よりも大切な訳ですけれども、その一つ「どんなことにも感謝する」。このことを心に留め、この一週間、力強い歩みをして行きたいと思います。

 最後に、もう一度イスラエルのおばあさんの言葉を繰り返します。
「心の持ち方って大事よ。だけど、もっと大事なのはね。言葉の使い方なの。どんなことを口に出すかであなたの目の前の状況が変わってくるし、あなたの心も変わってくるの。本当よ。」

 口に出すことによって、状況が変わる。心も変わる。「ありがとう」と言うことによって、落ち込んでいる心も変わってくる。すばらしいことではないでしょうか。おばあさんは「本当よ」と言っていますが、本当かどうか、試してみる価値は十分あるのではないでしょうか。

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