黒猫荘
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みわっち。の『それさえも恐らくは平穏な日々』
オーナー:みわっち。

まだまだ、勉強中ですが、とりあえず顔を出すようにしようかな、と。
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1889. 2003年11月06日 18時08分36秒  投稿:M・ケイゾー 
 はじめまして

 「本格冬の時代」というから異論もでるのでしょう。まだ「素人名探偵本格の冬の時代」とでもいってもらえればよかったような気がします。
1888. 2003年11月05日 21時42分18秒  投稿:花井圭太 
こんばんは。花井です。

外野が何度も出て来て恐縮ですが、僕が議論してもらえると嬉しいなあというポイント
は、綾辻の登場をどうとらえるかです。言葉を選ぶ能力がないので乱暴な言い方になり
ますが、彼の登場はオールド・ファッションの復権です。その当時の印象でいえば、「
こんな古めかしいものが、今さら...」です。(ま、僕はそれを喜んだのですが)森下様
の文章も読まさせていただきましたが、館ものに春の時代などあったのかという程度で
片付けられていますが(オールド・ファッションなど無くて当たり前ということでしょ
うか)、芦辺氏の立場では、こういうものをこそ欲しかった、こういうものを書かなか
った作家、出さなかった出版社が悪い。と、いうことで「本格冬の時代」という言い方
にもなるのでは。ここの本格観の違いを突き詰めないと、なんか、ズレた議論になって
しまうような気がするのですが....

ではでは。

1887. 2003年11月05日 20時46分05秒  投稿:森下祐行 
みわっちさん。

何度もすいません。
なんか、勘違いしているようなので、ひとことだけ。

「自分の好きなものを読ませろ」という権利はあるのです。
だから、どんなジャンルでも、好きならばそういえばいいのです。
自分も我慢しているから、我慢しろ、といっているのでは
ありません。(わたしの文章がそう思わせたのなら、申し訳ない)


「自分の好きなものを読ませろ」といわないで。
「自分の好きなものがないのは何者かのせいだ」という
言い方だ嫌だったのです。

本格ミステリが冬の時代だったのは、社会派のせいや
当時の作家や出版社のせい、という主張がおかしい、
というのです。

そういうことでした。


1886. 2003年11月05日 09時51分17秒  投稿:みわっち。 
『鯉沼家の悲劇』を地下鉄の中で居眠りしながら読んでいたら、見事、何処かへやってしまいしばらく凹んでいました、みわっち。です。

「病院横丁の首くくりの家」のBコースの途中まで読んでいたんですが……。

で、その後気を取りなおして、ようやく今日(11/5)『死体を無事に消すまで』読了。

モダーン・ディティクティブ・ストーリーではなくともパズラーはパズラーとするならば、都筑道夫が「PUZZLER 小論」でいっている言葉が全てかなあ、という気がします。少し長くなりますが、その全文を抜粋してみますね。

 「目下の日本は、ブレイクが予言したころのアメリカ、イギリスのように、推理小説の風俗化が進行ちゅうで、しかも、十五年のおくれをとりもどそうとするかのように激しいから、このままとめどがなくなって、翻訳ミステリの居住地区まで脅かすことになるかも知れない。しまいに推理小説らしい推理小説を楽しむためには、英語をおぼえなければならないようなことになったとしても、パズラーが古い、とはいえないし、ミステリがくだらない、ともいえないだろう。もともと、海外から輸入されたものなのだから、それが根づかなかった――日本人の性にあわなかった、というだけのことだ。
 したがって、性にあったひとがひとりでも残っているあいだは、そのひとりは性にあったミステリを、読ませろ、という権利があるし、作家の方も推理作家を名のった以上、それに応じる義務があるだろう。」(P39)

 で、この文章の初出が「ミステリ・マガジン」1969年5月号のことですから、私などは「ああ、その当時は推理小説の風俗化が凄かったんだなあ。翻訳ミステリの居住地区まで脅かすことになるかも、とは大げさにしても、少なからず謎解きプラスαの“ただの推理小説ではない”ものが求められていたのかしらん(前項の「気になる言葉」で「単なる推理小説ではない」という言葉について都筑が言及したのが「推理」1972年3月号 初出)。」なんて考えてしまうのですが。

 そして(人によっては)凄い勢いの推理小説の風俗化を「本格冬の時代」と捕らえてしまうこともあるだろうなあ、と思うのですよ。そしてまた(昨日の)本格に性があってしまった人なら、それを「読ませろ、という権利」はあるのだから、もし、読みたいときに読めなかったりしたら、「俺は読みたいときに読めなかった!」と主張する権利もまた、認められて然るべきなんじゃないか、とも思うのです。

 これは当然、本格のみにとどまらず、どんなジャンルでも(例えばB級ハードボイルドでも)性があってしまった人には、認められる権利だと思います。で、その権利を行使している人がいたとしても「俺は我慢しているのに、なんで我慢できないんだ!本格だけ特別扱いするな!」というのは非常に見当はずれもはなはだしいのではないかな、と。

 その人は本格だけを特別扱いしているのではなくて、たまたま性にあってしまったのが(昨日の)本格だからそういうだけで、同じレヴェルでB級ハードボイルドが性にあった人なら「B級ハードボイルドをもっと読ませろ!」といったっていいわけなんですよね。その選択は誰にも強制されるものではなく(言うも言わないもその人の自由ですから)、ただ自らが「言わない」を選択したからといって、「言う」を選択した人を非難するのはちょっとおかしいのではないかな、と思うわけです。

と、まあ、つらつら自分の考えをのたまったところで、皆さんへのレスはまた今度(すいません、すいません)。

[NAGAYA v3.13/N90201]