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37. 2005年10月28日 22時29分32秒  投稿:かい賊 
橋本崇載「アマプロ平手戦 自戦記」(週刊将棋10/19&10/26)

大昔(昭和四十年頃まで)は将棋のプロとアマは神と人ほどの違いがあったと思います。
今でも将棋を指さない人にとっては、ゲームでメシが食えるということはだからこそ
とてつもなく強いはず、という印象を持たれて当然でしょう。

ちなみになんで将棋のプロがご飯を食べられるのかというと、簡単に言ってしまえば
各棋戦の棋譜掲載料が巡り巡って対局料となります。各棋戦はそれぞれスポンサーが
ついており、掲載新聞(雑誌)と日本将棋連盟に資金を提供します。スポーツのように
明確な宣伝や企業アピールにはならないと思うので、いまいち出資する意図はわかり
かねるのですが、文化振興なり連綿と受け継がれるしがらみなり何かしらあるので
しょう。現在タイトルと言われる冠は、名人・竜王・王将・棋聖・王位・王座・棋王の
7つで、一時期局地的にフィーバーした羽生七冠王ブームの「七」はこれです。それら
以外に一番なじみがありそうなNHK教育チャンネルの「NHK杯(スケートじゃないっす)」を
はじめとしたトーナメント戦がいくつかあります。プロたちはそういった戦う場を与え
られて、その精進し極めた芸を棋譜として世間様に提供するのです。

さてその「芸」はかつて門外不出のイメージを持つ崇高なものとして素人目には見えましたが、
出版やネット環境が急速に充実してきた今日に至ってはプロの強さが必ずしも聖域とは
言えなくなってきたということは自明の理であると思います。竜王戦・王座戦・銀河戦・
朝日オープンなどはあらかじめアマ枠が設けられていますが、そこでアマチュアがプロに
勝つことは珍しくもなんともない図となっています。

今回の「アマプロ平手戦」は第七回を迎える週刊将棋の企画で、アマが四段から順々に
プロを勝ち抜いていく(将棋のプロは四段からで九段まで昇段します。アマとは段級の
強さ感覚が違い、アマの四段はプロの6級にもなかなか勝てません)、夢のあるものと
なっています。

天野高志アマは中村亮介四段(イキのいい若手、強いです)に勝ち、次なる五段戦が
この橋本崇載プロとの一局で、弟分の中村四段のリベンジに燃える橋本五段は「祭りは
ここまで」と言い切り必勝を誓います。

結果から言えば、橋本五段は負けてしまうのですが、プロがアマに負けてしまうことの
重大さが多少はわかる者にとって、今回の自戦記は血を吐くよりもつらいものであった
ろうと僭越ながら同情を禁じえません。正直文章がうまいとは言えませんが、それを
補って余りある魂の名文です。

普遍性のある部分を抜粋しながらコメントしたいと思いますが、本日時間がなく尻切れでは
ありますが次回に持ち越します。

・・・まあそんな引っ張るほどのネタでもないのですが、あしからず。
36. 2005年10月28日 22時03分43秒  投稿:語弊だらけの彼女 
大野美波「きっとだれも責めはしない」(碧天舎)について。感想。
 途中でだれが死のうと、殺人者が出てきようと、悪徳商法があろうと、詩の技法が用いてあって、ファンタジーという分類に疑問の声が上がろうとも、作者は「笑顔でファンタジーです。」と言い切るこの作品。かい賊様の感想はとても深いです。私同意見です。現実に似させてるのでしょうか。この話は明確なストーリーはなく、何が事件が起こるわけでもなく、淡々と時が過ぎてゆくという感じです。本の内容と身の回りの現実と作者の目的や心理、3つをあわせて見ないとわからないようなジグソーパズル的要素を含んでいると思います。そこで話の最後についているあとがきを注意して読んでみたのですが、肝心なことは何も書かれていません。(注意して読むようなあとがきでもないし!)嫌がらせだろうかと思うほど簡潔なあとがきでした。これはワザとか。(読者に対するお礼がありました)
 かい賊様の感想にもありましたが、少年が主人公なのか猫が主人公なのか判然としないです。確かにこだわりがないように思います。私はこう思いました。この話に出てくる人物は実は同一人物ではないかと。それは作者だ!と言いたいわけではないのですがそんな気がします。『機械の国』の男はエルスの影(シャドー)ということですね。全体的に暖かいのですが一種の冷たさもあるように思います。この本は矛盾だらけで矛盾を矛盾のまま表現しているという感じです。
 私ははっきり言ってこの作者、小説家としてはどうかと思います。本文からあとがきまで徹底して不親切です。むしろ道を歩いていた時偶然、遊んでいる中学生が面白いと言っていたのに驚きました。(そのあとどうしたかはご想像におまかせします。)作者が変なトコに出てきて、変なトコに出てこない変な話でした。

 
 以上。いろいろな意味で作家としては最低だと思いますが、こういう本は他にないと思うので、好きな一冊だと思います。(こういう作品しか書けないのは作者がさみしがりやだからではないだろうか―)


34. 2005年10月26日 22時58分46秒  投稿:かい賊 
大野美波「きっとだれも責めはしない」(碧天舎)
第2回碧天ファンタジー文学賞 出版化奨励作(なんやようわからん、
賞はあげらんないけど、面白そうだから本にしてみようか、ってとこなのかなあ)

ファンタジーと童話と詩の平均をとったような(ファンタジーと童話はかなり重なって
いるような気もしますが)作品。3原色の重なった部分にある、色(赤青黄・中心は黒)
ではなくて光(赤緑青・中心は白)のほうですね、というようなわけのわからん喩え。

旅をする(漂泊する)少年と猫の話。物語ではない。明確なストーリーがあるという
わけでなく、さまざまな場所に行き、さまざまなものに出会い、イメージを巡らせる。
最後に大きな啓示があり、唐突に語り部はその役目を終える。

三人称の形態をとってはいるが、地の文の諸処に独白や感触が入り込み、少年が主人公なのか、
実は猫が主人公なのか判然としない。その辺りに作者のこだわりは無いように思え、
この辺りが一つのポイントなのかもしれない。

小説というのは「1:多」であるべきものと考えます。出版物である以上はジャンルの
差はあってもいわゆる、普遍性を持つことを意識しなければ上梓される資格がないと
ワシは思っています。大袈裟な物言いでしたが、要は読まれることを前提にしなければ
ただの自己満足に過ぎなくなってしまうという至極当たり前の話です。「1:個」は
ただの手紙ですし、結果として誰かへのメッセージとなったとしても見た目じょうは
万人に対するものであるべきです。そういう目でこの作品を見るとワシには「1:個々」の
ものに感じられるのです。断片的に浮かぶイメージや語りかけは、作者を含め受け取る側の
自由度がやたらと高いように思えます。読者を突き放すわけではなく、共有できる部分は
共有して好きな思索を巡らしましょうよ、というような誘いがそこにはあります。

巻末の著者略歴を見ると新風舎の詩のコンテストで最優秀賞を受賞しているとのこと。
なるほど、これって詩の手法なのかもしれない、とまるで門外漢にも関わらず妙に納得する
かい賊でした。

装画はキリノさんという方が描いていますが、作品の雰囲気に合ったふんわりとした
イメージでなかなかいい感じです。「エムズ*キリノ」で検索するとこの方のサイトに
行けると思いますが、独自の世界観があって非常に魅力的でした。帯に「十代の暖色の
感性」とあり、なるほどと納得するやら感心するやら。
33. 2005年10月25日 21時13分34秒  投稿:かい賊 
>語弊だらけ様
はじめまして。ネタばれが怖くて本の具体的な内容がなかなか書けないかい賊です。
よろしくお願いします。

日日日
…ワシも「ひひひ」です。


赤坂真理「ミューズ」(講談社文庫)
野間新人賞&<文庫化にあたり大幅に加筆修正>に惹かれて積んでおいた本。

モデルのバイトをしたり、援助交際をしたり、妻子持ちのセレブな歯科医とオシャレに
不倫関係したり、そのくせ母親は宗教かぶれで小さい頃から巫女修行させられたり、と
なかなかお忙しい女子高生が主人公、彼女の心身の解放(or開放)が描かれています。

なんかエッチっぽかったんで、桜井亜美的な方面を期待して読みましたが、全然違いましたね。
もっと観念的だった。あ〜、イメージの奔流なんてのは似てたかもしんない。クルーザーの
シーンなんかは秀逸で、かなり引き込まれましたねえ。

単なる風俗小説や都会派恋愛小説で終わりそうな内容を、宗教という危険なメソッドで、
避け得ない自己変質をうまく表現したと感じました。

[NAGAYA v3.13/N90201]