黒猫荘
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みわっち。の『それさえも恐らくは平穏な日々』
オーナー:みわっち。
まだまだ、勉強中ですが、とりあえず顔を出すようにしようかな、と。
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1911. 2003年12月03日 14時32分13秒
投稿:ないとー
僭越ながら、私メの思ったことを。
> それを芦辺拓流の言い回しだとああいう内容のエッセイになっただけ。言葉尻を捕ら>えて難癖をつける前に、真意が何処にあるのかを読み取る訓練をするべきでは。
別に真意が分かってない訳じゃないと思いますよ。あくまで、それを踏まえた上で、あの表現はいただけないと言っているはずです。少なくとも僕はそう理解しました。
でも、「芦辺がそーゆー人だ」って分かってる人は「まただ」って思うだけで済むけど、芦辺がどうゆう物言いをするか分かってない人からあれを見た場合、どこまで本気で、どこから冗談かは分からないと思いますね。そのまま鵜呑みにしてしまう可能性だって充分あると思います。そこを「もうちょっと考えろよ」ってことじゃないですか?
>>2.「作家が書くことをはばかられ、出版社も眉をひそめる」というような意味での>>“本格ミステリ冬の時代”はない。
> これは解釈の問題。実際にその当時本格ミステリを書いて出版社に持ち込むなりし>ていた人間でなければ、その辺の事は藪の中。で、あるなら“本格ミステリ冬の時
>代”はあったとしてもおかしくはないし、年代は下るが、島田荘司の文章などで実際>に作家側はどうだったのかが伺える。それを考えると「単なる本格ミステリは商業的
>に成功しない」と出版サイドに思われていたフシがある。
“本格ミステリ冬の時代”とまでいえる状況があったのかどうかまでは、正直よく分からないものの、販売戦略上、「本格ミステリ」という惹句が、それほど重要視されなかった(あるいは出版社が、購買層にとってアピールしないと判断した)時代というのはあるかもしれないなぁと思います。
> それを他の作家の本格作品もでていたから冬の時代じゃないじゃん、なんてのは、
>ちょっとおかしなことであるわけで。これは世代が違ってもその当時その当時で「読
>みたくても読めないという冬の時代」があったことを否定できないのではないか、と
>思うのです。
“本格ミステリ冬の時代”というのならば、本格の一部の作品だけではなく、全体的に絶版が非常に多いという事実がなければならないわけで、だから、「本格ミステリ」というジャンル自体に冬があったかどうかと検証する際には、「他の作家の本格作品もでていた」ということを持ち出してくるのは、おかしなことではないと思いますが。
みわっちさんの出した例だと「竹本ファンの冬の時代」とかいうべきであって、“本格ミステリ冬の時代”があったということは立証できてないでしょう?
とはいえ、今ほど本格ミステリ好きにとって、恵まれてる時代がないだろうとは思いますけどね。
1910. 2003年12月03日 01時42分32秒
投稿:みわっち。
とりあえず訂正だけさせてください(@@;。
1909番カキコ
間違い部分
<「本格ミステリを書くことが歓迎されていなかったから、それだけの数の本格ミステリが生まれなかった」のかもしれないじゃないですか。
正しくは
<「本格ミステリを書くことが歓迎されていなかったから、それだけの数の本格ミステリしか生まれなかった」のかもしれないじゃないですか。
であるべきでした。すいません。前後の文脈から理解しようと思えばできない事もないですが、ここだけ取り上げると180度意味合いが違ってしまい、全体として意味不明になってしまいますね(汗)。すいません。すいません。
ううっ。走り書きはいけないなあ(冷汗)。
★★★で、改めまして1897カキコへのレスです。
>砂時計さま
ポイントをまとめていただいてありがとうございます。ぺこり。以下にひとつずつそのポイント毎の反証(?)を挙げたいと思います。
<1.ポケミスの絶版は本格ミステリに限ったことではないし、本格の新作は出版されていた。出版社に本格を絶滅させる意図などなく、ポケミスが「本格の敵」だったわけでもない。
これは芦辺拓のエッセイの基本的な読み違いでしょう。
芦辺拓のエッセイの本意は、今がありがたい事に現代の本格ミステリの紹介やら、過去の本格ミステリの復刊やらという動きがあるのを踏まえた上で、それが一時的なブームに終わってしまうのではなく、本腰を入れてやってくださいよ、過去には本格が読みたくても読めなかった時代があったんですからね、という部分にあるはず。
それを芦辺拓流の言い回しだとああいう内容のエッセイになっただけ。言葉尻を捕らえて難癖をつける前に、真意が何処にあるのかを読み取る訓練をするべきでは。
<2.「作家が書くことをはばかられ、出版社も眉をひそめる」というような意味での“本格ミステリ冬の時代”はない。
これは解釈の問題。実際にその当時本格ミステリを書いて出版社に持ち込むなりしていた人間でなければ、その辺の事は藪の中。で、あるなら“本格ミステリ冬の時代”はあったとしてもおかしくはないし、年代は下るが、島田荘司の文章などで実際に作家側はどうだったのかが伺える。それを考えると「単なる本格ミステリは商業的に成功しない」と出版サイドに思われていたフシがある。
<3.芦辺氏の文章には、何も知らない読者に対して誤った歴史観を植え付けるような、事実との相違や妥当性を欠いた表現がある。
それは受け取る側の読者に問題があるのであって、芦辺拓の責任ではないでしょう。芦辺拓のややブラックユーモア的な表現を字義通りに解釈するにしても、芦辺拓は芦辺拓の人生の中でそうであった、といっているだけであって、上の2の項目とも絡んできますが、芦辺拓にとって本格ミステリ冬の時代は間違いなくあったのであり、私にとっても、本格ミステリがメインストリートではなく、脇道や裏道へ追いやられていた、と感じる「時期」は存在します。
具体的に言えば『匣の中の失楽』の文庫が私が10代の一時期絶版状態で読めなかったり(綾辻登場後講談社ノベルスで出たときはとても嬉しかったものです)、『将棋殺人事件』が全然手に入らず、『定本 ゲーム殺人事件』が出るまで幻の書だったり……。
そりゃあ、その当時、竹本健治の他の本や、栗本薫の伊集院大介シリーズとか読んでいましたが、「お、これは面白そうだな、読んでみたいな」という本が、絶版といういわば「出版社の都合」で、読みたくても読めない時期が現実としてあった(私にとっての冬の時代)のは間違いないんです。
それを他の作家の本格作品もでていたから冬の時代じゃないじゃん、なんてのは、ちょっとおかしなことであるわけで。これは世代が違ってもその当時その当時で「読みたくても読めないという冬の時代」があったことを否定できないのではないか、と思うのです。
★★★走り書きは気をつけよう、と思いつつ、最期の方は暴走してしまった感じがありますね〜(汗)。とりあえず今日はまたこの辺で。
1909. 2003年12月02日 02時28分37秒
投稿:みわっち。
さあ、12月だ!年末進行だ!、みわっち。です。
今日(12月1日)は『魔術師』読了、『黒の貴婦人』読みはじめです。
1907番書き込みの花井圭太さまへのレスは1888番書き込みへのレスでした。
と、いう蛇足を言いながら、レス開始です。
★★★1889番カキコから。
>M・ケイゾーさま
はじめまして〜。ようこそです〜。レス物凄く遅くなってしまってすいません。これに懲りずにまた遊びに来てやってくださいね。
<まだ「素人名探偵本格の冬の時代」とでもいってもらえればよかったような気がします。
なるほど〜。でも、職業探偵、素人探偵にかかわらず、いわゆる「本格冬の時代」には名探偵自体、それがホームズ的な超人探偵であればあるほど、登場の場は少なかったように思います。
この辺、都筑は名探偵の復興を件の『黄色い部屋はいかに改装されたか?』でもいっているんですが、その部分は何故かスポイルされてしまっているような印象を受けるんですよね〜。
★★★てな感じで、次は1891番カキコへのレスです。
>森下祐行さま
<もし、再反論するなら、みわっち。さんから一言、
<許可をいただいてからにしようか、と思います。
オッケイです!私もこういうロンソーは決して嫌いではないので大丈夫です。森下さまのことを掲示板あらし云々なんて誰も思う人はいないと思いますので(^^)。
あくまでエンタテイメント性さえ外さなければ(人格攻撃などに堕さなければ)、関係ない人も面白く見ることが出きるのではないでしょうか。
ロンソーとはいわば知と知のぶつかり合いなわけで、本格モノだろうが通俗モノだろうが、ミステリを形作る要素の一つには、こうした知恵と知恵の攻めぎあいは欠かせないものではないでしょうか。そういう部分で言えばミステリ好きの人であれば、こういうロンソーは傍で見ていても楽しめるのではないかと考えます。
ただ、いかんせん、私はあまり頭の回転が良くないので、レスをつけるにしてもひとさまよりもちょっと時間がかかってしまうという点だけご了承いただければ嬉しいです。
★★★1893番カキコへのレスです。
>森下祐行さま
<そして、本格を書くことができなかった
<という時代はなかった、というのは、実際に本格が書かれていた事実をみれば
<否定するしかないと思います。
まあ、戦時下のような敵性言語の統制みたいな事はなかったとは思いますが、「本格ミステリが書かれていたから、本格を書くことができなかった時代はなかった」という意見にはちょっとどうかな、と思います。
繰り返しになりますが、「本格ミステリを書くことが歓迎されていなかったから、それだけの数の本格ミステリが生まれなかった」のかもしれないじゃないですか。これがその当時から本格ミステリが大手を振って歓迎されるような時代であれば、もっと数多くの本格作品が生まれていたのかもしれませんよね?
これはもう解釈の問題でしかないわけですから、本格が書かれていた事実をもってして、本格を書くことがはばかられたことはない、と言ってしまうのは、歴史観的にも非常に危険だと思います。
また、そういう言い方をするのであれば、島田荘司がなぜ『占星術殺人事件』や『斜め屋敷の犯罪』を上梓した後、分数がタイトルにつく、トラベルミステリーっぽい外見を装ったものを書かなくてはいけなかったのかを考えれば、本格がいかに当時の出版状況に歓迎されていなかったのかという答えは明確に出てしまいます。
これは本人の著作での本人の言葉からの判断ですが、「売れ筋」を意識したのは間違いない部分であり、80年代初頭であっても、売れる作品というのは「直球ど真ん中」的な本格作品ではなく、売れる為にはトラベルミステリー的な装いを身にまとう必要があった一つの動かしがたい事実なわけです。
島田荘司の作品はトラベルミステリー的な装いを身にまとっていたとしても、その中身はバリバリの本格である事は間違いないのですが、書き手がワザワザそういう配慮をしなければならなかった、というのは「単なる本格」は敬遠されていた事を示す、非常にわかりやすい事例ではないでしょうか。
★★★取りあえず、今日はこの辺で。
1908. 2003年11月27日 10時17分23秒
投稿:みわっち。
明日の夜の締め切りを前にして、へろへろになっています、みわっち。です。
こんなことで年末進行を乗り切れるのでしょうか。いや、乗り切らざるを得ない。
なのでレスはたぶん月が明けてから(土日は反動で48時間中死んでる)になると思います。
放置しっぱなしの形になってしまい、非常に肩身が狭いのですが、勘弁してください。ぺこり。
でわ、また。
[NAGAYA v3.13/N90201]