8月21日(火)「石巻夕涼み会」が園舎・園庭で行われました。
今年は午後4時から開催、7時15分からは隣の好文館高校のグランドで「打ち上げ花火」もありました。
この企画のために、4回の準備会が開催され、ボランティアスタッフとして、日本基督教団東北教区被災者支援センター・エマオ(29名)、同兵庫教区被災者生活支援・長田センター(12名)、明治学院東村山高校有志ボランティア・チーム(18名)、YMCA石巻支援センター(9名)、山形学院高等学校有志(5名)、NPO法人「ぐるっと」(1名)等の名前が挙げられました。
当日は、この他にも沢山のボランティアが加わり、総勢100名近くの人たちがお手伝いしてくださいました。
今年は露店の数が少し減りましたが、それでも、カレーライス、石巻焼きそば、ピザ、ケーキ、かき氷、チョコフォンデュ、フルーツポンチ、飲み物、スーパーボールすくい、射的などがありました。
また、癒しコーナーも設けられ、全体マッサージ、頭・首マッサージ、ハンドマッサージなども行ってくださいました。
勿論、「こどもコーナー」もありました。
こどもたちは、スライム作り、プラバン、クッキー作り、飴のつかみ取りなど、楽しく過ごすことが出来ました。
(在園児・卒園児・地域の子どもたち、約110名の子供利用者あり)
それから、ピアノとヴァイオリン、歌のコンサート、マジック・ショー。破牙神ライザー「龍」も来てくださいました。
フィナーレの花火は、牧師であり花火師でもある庄司さんが打ち上げてくれました。とってもきれいでした。
夏の一日をみんなで楽しく過ごすことができた「石巻夕涼み会」。
このために遠くからお出でくださったボランティアの方々に心から感謝したいと思います。
(総勢300人以上の参加者あり。とっても盛況でした)
2011年3月11日の東日本大震災から1年半近くが過ぎ、被災地・石巻も大部落ち着いて来ました。
しかし、瓦礫の山があちこちにありますし、今も被災した建物の解体が行われています。
また、仮設住宅で生活している人たちも1万人以上います。(石巻市には134カ所に7,153戸の仮設住宅、16,664人が入居している(8/1現在)。
当幼稚園にも仮設住宅から登園している園児が2人います。)
それよも何よりも、あの震災で家族を失った人たちの悲しみ、やるせなさが1年経った頃から出始めています。
震災直後は、「あそこは(津波で)何人流された。うちは何人」というような会話が交わされていましたが、今頃になって、亡くなられた方々「一人ひとり」のことが思い起こされるようになって来ています。
(やるせなさ、悲しみ、あのとき手を離してしまったというような慚愧の念、などなど)
石巻には未だに行方不明の方が491名いますが(7/31現在)、遺体が見つかって「よかった、よかった」という現実もあることを忘れてはいけません。
平常時なら、家族の遺体を見て「よかった、よかった」なんて誰も言いませんが、ここではこのような言葉が普通に使われているのです。まだまだ“異常”な状態が続いているのです。
都会では、東日本大震災のことが次第に過去のこととして忘れられかけているそうですが、被災地に住む私たちは、今なお復興ままならぬ現実の中で生きています。
私たちにはまだまだ過去の出来事にはなっていないのです。
でも、そのような私たちのことを覚えていてくれる人たちがいる。忘れないでいてくれる人たちがいるということは、とてもありがたいことです。
今年も「石巻夕涼み会」を開催してくださり、多くの人と“つながっている”ことを実感できました。
主イエス様の言葉に、次のような言葉があります。
「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。… わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」 (ヨハネ15:4−5)
主イエス様と“つながっている”ことにより、私たちは勇気を与えられ、力を与えられます。
同じように、多くの人たちと“つながっている”ことは、私たちの支えであり、生きる希望であります。
被災地で生活している者にとって、“つながっている”ことの大切さ、ありがたさをしみじみと感じている日々です。本当にありがとうございました。
(栄光幼稚園長 小鮒 實)
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たくさんの方々が来られました
名物の石巻焼きそば
スーパーボールすくい
子どもたちに人気、射的
いろいろな催し物がありました
とっても楽しかったよ
子どもコーナー
いろいろなものを作りました
破牙神ライザー「龍」も来てくれました
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