北海教区年頭修養会ナイト・プログラム
 2013年1月 石巻栄光教会牧師 小鮒 實

 1.地域の近況(全体的なこと)

 石巻は2005年(平成17年)4月1日、1市6町(石巻市・河北町・雄勝町・河南町・桃生町・北上町・牡鹿町)が合併し、広域になった。(女川町は原発があり、多額の補助金をもらっていた関係で合併せず)女川町の回りは石巻市。 

◆被災前(2011年2月末)の住民基本台帳によれば、石巻の人口は 162,822人、60,928所帯でした。

◆2012年11月末現在の人口は 152,029人、58,876所帯。1万人以上の減少です。

 (震災で亡くなった人、他県等に移住した人、逆に、震災後移住したボランティア  の人たち、復興関連業者の人たち等もいます。)

 2012年12月末現在の石巻市で被災されたとする死者数及び行方不明者数

直接死 3,256名 関連死 234名 行方不明者 453名 計 3,943名

(※2012年12月26日時点で、東日本大震災による死者・行方不明者は約19,000人(石巻市約20%)、
建築物の全壊・半壊は合わせて39万戸以上。
復興庁によると、2012年12月6日時点の避難者等の数は32万1,433人となっている。)

・2011年10月11日全避難所が閉鎖。
現在、「仮設住宅」や「借り上げ住宅」(みなし仮設)に入居、また、自宅を修理し生活している(まだ修理継続中の所も多数)。

◆石巻市にある仮設住宅      
地区  箇所数  入居戸数   入居者数   備考
  '12.9/1   '12.12/1  '12.9/1 '12.12/1   
 石巻地区 73   4,174 4,056  9,789  9,667   
 河北地区 9  847  827  1,895  1,862  
 雄勝地区 8  161  148  339  339  
 河南地区 19  961  942  2,095  2,085  
 桃生地区 4  331  308  618  594  
 北上地区 3  234  233  641  636  
 牡鹿地区 18  445  432  1,146  1,122  
 (合計)  134 7,153  6,946   16,523  16,305  
  ・仮設住宅に入居している人は人口の10.72%、他に、震災後借り上げ住宅(みなし仮設)に住んでいる人たちもいる。
 ・仮設住宅入居期間は延期が決定しているが、いつまでかは不明。
  復興公営住宅(災害公営住宅)の建設計画があるが入居募集は未定。
  (現在は計画だけ。場所だけ決定しているが、用地取得等はこれから)

◆仙石線について、仙台-松島海岸間。矢本-石巻間も開通している。しかし、松島海岸-矢本間は不通(バスは出ている)なので、直接、仙台からバスで石巻まで来ることを勧めている。
 不通区間(野蒜駅近辺)、線路を500m内陸に移動計画。まだ開通は数年先になりそうである。

◆解体作業、修繕工事が進み、新築工事もボチボチ始まっている。

◆地盤沈下のため、陸地が海になってしまった所もある。教会のある所は、70cm沈下。
 満潮、大潮のときの「浸水・冠水」していた所(海岸部、漁港)は「かさ上げ」工事が始まっている。
 湾岸の護岸工事、防波堤、防潮堤の工事はこれから。

◆放射線量については、定期的な測定が行われている。石巻は最高値でも0.225マイクロシーベルト/時。
  (当教会・幼稚園の園庭は、0.07マイクロシーベルト/時)

◆復旧作業は毎日続いているが、まだまだ時間はかかります。
 (瓦礫の山(震災ゴミ)があちこちにあり、処理は少しずつ進んでいるが、目に見える程にはなっていない)

 「石巻市震災復興基本計画」では、復旧期(平成23年度~平成25年度まで3年間)、再生期(平成26年度~平成29年度まで4年間)、発展期(平成30年度~平成32年度まで3年間)となっているが、既に復旧期の計画そのものが遅れている。

2.教会・幼稚園の近況

◆建物など
 教会堂の被害  45万(ひび割れ等) → 工事はこれから
 牧師館の被害  85万(給湯器、ひび割れ等)→ 給湯器は設置、他はこれから
 幼稚園の被害 420万(園舎修理、備品・遊具等)
        → 建物修理は完了。塩水に浸かった錆びた遊具の購入はまだ。

◆教会員のお家は、80%近くの人たち(17名)が全壊・大規模半壊の被害を受けた。
 現住陪餐会員は死亡1名、家族、震災関連死を含めると5名の人たちが死亡。
 現住陪餐会員は、震災前17家族22名 → 震災後11家族16名に減少(他県に転居4名)

◆日本基督教団からは、東北教区総会議長が「見舞金(一時金)」として3万円受領(2011.4月)。
 しかし、「教会の信徒の人的被害・住宅被害等」についての支援の話は全くなかった。

 2012年11月、やっと東北教区から東日本大震災で人的被害(死去・行方不明)、大きな住宅被害(半壊以上)、失職、長期避難を強いられた方(「現住陪餐会員と同居家族」)について1家庭につき10万円の見舞金が受けられる案内をいただいた。
 当教会からは13名分を申請、同年12月130万円が振り込まれた。
 もう少し早い対応が望まれる。せめて震災後1年以内の対応が必要ではないだろうか。

 全国からお見舞金を沢山いただいた。その中から、初動活動として当教会から全壊の所には各5万円(逝去者の所にはご家族に)、大規模半壊の所には各1万円の「お見舞金」を差し上げた(2011年4月、幼稚園教師を含む15家族)。

<教団からの「(教会員への)人的被害・住宅被害等」の支援がなかった時、書き続けていたこと>

 「教会の被災(被災教会)」という場合、教会堂等の建物のことがよく報じられますが、教会(エクレシア)は、主イエス・キリストを信じる人たちの群れ(共同体)です。
 建物の被害だけでなく、主イエス・キリストを信じる人たちの群れ(教会には人がいる、家族がいる(教会は神の家族)、兄弟姉妹がいる)ということも考えて、被災教会の支援ということも考えていただきたいと願っています。

 聖書には「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマ12:15)という御言葉があります。苦しんでいる兄弟がいる、悲しんでいる姉妹がいる。泣いている兄弟姉妹がいます。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く」ことが出来るような教会・教団であってほしいと思います。

 また、「善いサマリア人」のお話しもあります。困っている人・助けを必要としている人たちがいます。そのような人たちに「寄り添えるようなあり方」「共に生きるあり方」を考えて行きたいと思っています。”

<附属施設・宗教法人立「栄光幼稚園」>

◆園舎の修理 2012年5月末までにほぼ完了。園庭にあったログハウス、物置等の解体撤去作業も完了。
 ただ、物置に保管していた遊具等が津波の塩水に浸かり錆び付いてしまった。それらの購入はこれからです。
 (沖縄キリスト教短期大学から、既に新しい幼児車のプレゼント(1台)あり。購入資金(献金)も集まりつつある)

◆幼稚園の先生方 お家を流され祖母を津波で失った先生、また、全壊の被害を受けた先生がいる。
 今は、それぞれ借り上げ住宅(みなし仮設)、また、自宅を修理し住んでいます。
 (深谷教会から120万円の献金(慰労金)あり)

◆幼稚園の保護者 80%近くが全壊・大規模半壊の被害を受けた。
 被災したご家庭は、保育料、入園料等が無料(2011年度、2012年度)になったが、仮設住宅(2家族)、借り上げ住宅・アパート(みなし仮設)等に居住している家族もいる(家を流され幼稚園近くの借り上げ住宅に引っ越して来られた方など)。
 また、福島(原発事故)から避難して来ている家族も1家族。

◆園児 震災時の死亡者なし。が、家がすべて津波で流されてしまった子、津波に追いかけられながらも、なんとか助かった子、津波に流され隣の人に助けてもらった子、また、母親と妹を津波で失った子等々、いろいろな子どもたちがいる。
 現在は、福島(原発事故)から避難して来ている子も一人いる。(園児数は現在50名)

 2学期が始まった時、津波で母親を亡くした子は、母親のことを思い出すのか、他の子どもたちが母親と一緒に登園してくると、寂しそうな顔になり、おばあちゃんを困らせていた。
 まだまだ心の傷が癒やされていない。早く元気を取り戻し、前向きに歩んで行ってほしいと心から願っている。

◆全国から園児に対し、沢山のプレゼントをいただいた。
 また、2011年4月、ボランティアでお手伝いくださった方の紹介で、TOTOが出資し長谷川豪建築士が設計した建物(“TOTOギャラリー・間”(長谷川豪展2012.1/14~3/24)に展示した建物(トライアングルタワー))の移築工事も無事完了。
 このための募金(約390万円)も満たされ、心より感謝している。
 毎日午前10時、トライアングルタワーの鐘を鳴らしています。(希望の鐘)

3.東北教区の取り組み

 東北教区被災者支援センター(エマオ仙台、エマオ石巻) ボランティア・ワーク
  (2011.3/28~5/8 初動ボランティア(教会・幼稚園拠点) → エマオ石巻
 会堂・牧師館再建復興、原町教会放射線量測定器購入費用支援
 教会救援復興委員会(北日本三教区共同親子短期保養プログラム、教会員の被災者 に対する見舞金支出決定など)  牧師家族のリトリート

<最後に>

 東日本大震災から1年10ヶ月が過ぎました。
 都会では次第に過去のこととして忘れられかけているそうですが、被災地に住む私たちは、今なお復興ままならぬ現実の中で生きています。
 私たちにはまだまだ過去の出来事にはなっていません。

 東日本大震災で家族を失った人たちの悲しみ、やるせなさが1年経った頃から出始めています。
 震災直後は、「あそこは(津波で)何人流された。うちは何人」というような会話が交わされていましたが、今頃になって、亡くなられた方々「一人ひとり」のことが思い起こされるようになって来ています。
 (やるせなさ、悲しみ、あのとき手を離してしまったというような慚愧の念、などなど)

 石巻には未だに行方不明の方が453名いますが(12/31現在)、遺体が見つかって「よかった、よかった」という現実があることも忘れてはいけません。
 平常時なら、家族の遺体を見て「よかった、よかった」なんて誰も言いませんが、ここではこのような言葉が普通に使われているのです。まだまだ“異常”な状態が続いているのです。

 でも、そのような私たちのことを今も覚えていてくださっている、忘れないでいてくださっている、つながっていてくださっている人たちがいるということは、とてもありがたいことです。

 主イエス様は、「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。…わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ15:4-5)と語られました。

 主イエス様と“つながっている”ことにより、私たちは勇気を与えられ、力を与えられます。
 と同時に、多くの人たちと“つながっている”ことは、私たちの支えであり、また生きる希望でもあります。
 本当にありがたいことです。

 しかしながら、複雑な思いも錯綜しています。
 皆様方からの温かい励ましのお便り・祈り、具体的なご支援、実際とてもありがたいのですが、それがストレスになっているという現実もあるのです。

 お便りをいただいて「返事をださなければならない」「お礼状を出さなければならない」「領収証を出さなければならない」等のストレス。
 また、問安してくださるのもとてもありがたいのですが(本当に)、しかし同時に「今は少しほっておいてほしい」という思いもある。
 本当に複雑な気持ちです。

 震災後1年間は、なりふり構わず、がむしゃらに歩んできました。
 しかし、ここ最近は「疲れ」がドッと出てきて、なかなか「やる気」が出ないのです(無気力)。

 教会でも、「被災地にある教会として、今何が出来るか、何をすべきか」と問うても、皆気力を失っているため、方針も方向性も出ない状況。
 やるべきことは、皆それなりにやっていますが、それは必要にかられてのこと。
 皆「疲れ」を覚えているのです。今はそういう「時」なのかも知れません。

 しかし、このような「時」だからこそ、励ましてくださることは、とてもありがたいことです。
 こちらにお出でいただいた方には被災地の案内(ガイド付)等もしています。
 いろいろなコース(1時間コース、2時間コース、3時間以上のコース等々)がありますから、お申し出ください。
 (下記参照) ただし、私の時間があるときだけです。


東日本大震災被災地(石巻)案内コース 
◆1時間コース

石巻栄光教会・幼稚園  →  日和山(ひよりやま)公園  →  門脇(かどのわき)小学校(門脇・南浜)
  (お話?)          (門脇・南浜・内海橋(うつみばし))    (がんばろう石巻)6.9m


→ 東北教区被災者支援センター「エマオ石巻」


◆2時間~3時間コース

石巻栄光教会・幼稚園  →  日和山(ひよりやま)公園   →   内海橋・石ノ森萬画館
  (お話?)          (門脇・南浜・内海橋(うつみばし))   (旧ハリストス正教会)

→ 湊地区 → 渡波(わたのは) → 祝田(いわいだ) (サン・ファン・バウティスタ(1613、支倉常長))
                        (エマオ・ボランティア地、2011.4月より)

→ 佐須 → 荻浜(おぎのはま)
         (エマオ・ボランティア地、2012.6月より牡蠣・ワカメなど)

→ 石巻漁港       →    木の屋水産     →   門脇(かどのわき)小学校
 (地盤沈下・かさ上げ)     (希望の缶詰)          (がんばろう石巻)

→ 仮設住宅(大橋)   →   東北教区被災者支援センター「エマオ石巻」


◆4時間以上コース

石巻栄光教会・幼稚園  → 大川小学校 → 雄勝(おがつ) → 女川(原発)

→ 荻浜(おぎのはま)(エマオ・ボランティア地、2012.6月より牡蠣・ワカメなど)

→ 祝田(いわいだ) (サン・ファン・バウティスタ(1613、支倉常長))

→ 石巻漁港    →     木の屋水産    →   内海橋・石ノ森萬画館
  (地盤沈下・かさ上げ)  (希望の缶詰)        (旧ハリストス正教会)

→ 門脇(かどのわき)小学校  →  日和山(ひよりやま)公園  →  仮設住宅(大橋)
   (がんばろう石巻)      (門脇・南浜・内海橋(うつみばし)

→ 東北教区被災者支援センター「エマオ石巻」


◆その他、記録映像DVD「東日本大震災~宮城・石巻地方沿岸部の記録~」(約30分)

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