地元のメディア 紹介歴
◆2014年6月28日(日) 上毛新聞 読書 本の森 キーマンの書棚 「新田義重」(久保田順一著、戎光祥出版       
 里見氏たどる資料に 里見の郷委員会事務局長 中嶋 講二さん(62)上毛新聞 読書欄 新田義重 紹介
 高崎市里見地区の住民らでつくる「里見の郷委員会」事務局長をつとめる。「南総里見八犬伝」もモデルとなった里見氏
発祥の地で顕彰に取り込む
。 本書は中世武士選書として新田義重を取り上げた評伝その中で、八幡荘が義重に
とって新田荘に先行する拠点だったと触れている。 「いろいろな考えがあり、歴史は断定できないが、八幡荘の位置付け
は共感できる」。 八幡荘は、同市八幡町を中心に烏川右岸の南北に広がる地域、北は里見から板鼻も含み、南は寺尾、
山名まで。板鼻は交通の要所でもあり東国、陸奥へ進出をはかる際の重要な地点だとされる。
 著者の久保田順一さんは、同会が発行している冊子「里見の郷再発見伝」に研究論文を寄せ、八幡荘と里見氏の関わ
りについ記述している、「発見伝」は会の活動の一つとして地域の歴史や文化を掘り起こし発信しょうと、2012年に「里見
氏のツーツを尋ねて」
をテーマに創刊。 ことしは「里見氏と長野氏」にスポット当てて第二号を創刊
した。 本書は「会の活動とする里見氏をひもとく貴重な検証資料となる」、八幡荘には巨石で
造られた石室を持つ観音塚古墳があち、石は里見石とみられることから、有力な豪族の存在が
浮かび上がってくる。 県内でも指折りの歴史を持つ地域のひとつであることに思いをはせ、変
遷や興亡を綿々と受け継いできた歴史資産を生かした地域ブランドづくりに力を注ぐ。
 9月は、長野業尚創建とされ、7代の五輪塔がある長年寺(同市下室田町)久保田さんの講演
会を開く。「地域に一体感を醸成するためにも、ここで講演会を開催する意味がある」と力を込める。
◆2014年4月18日 上毛新聞地域版 中世の2豪族に焦点 論文や年表、散策地図 「里見の郷発見伝」第2号
                「里見の郷再発見伝 第2号」上毛新聞紹介される・・反響凄い 
 高崎 里見氏発祥の地とされる高崎市里見地区の住民らでつくる里見の郷委員会(中嶋雄三会長)は、里見氏の歴史を紹介
する冊子「里見の郷再発見伝」第2号を発刊した。
 地域の歴史や文化を掘り起こして発信しょうと、一昨年、「里見氏のルーツを尋ねて」をテーマに第一号を創刊。 一族の歴史を
ひもといた。 今回は「里見氏と長野氏」にスポットを当てた、同会によると、中世の旧榛名町域の特色である「八幡荘の里見氏」
「長野郷の室田長野氏(鷹留城時代)」の概要を知る上で重要なテーマ。 歴史を活かしたまちづくりために、これからの地域の指針
となるように特集しました。
 県地域文化研究協議会副会長の久保田順一さん、富岡実業高教諭の森田真一さん、大東文化大教授の里見繁美さんが検証
した研究論文を寄せた。 里見の郷の歴史年表や、散策地図も掲載されている。
 同会の中嶋講二事務局長は「冊子の刊行やイベントを通して、里見の郷を地域ブランドに醸成する活動に今後も力を注いでいき
たい」話している。
 A4版、16ページ500円(税込み)問い合わせは中嶋事務局長(TEL090・1803・8868)へ。
 
◆2013年9月25日 朝日新聞群馬版 )掲載八犬伝、大名発祥の地で人形劇・・朝日新聞大きく紹介9・25
          八犬伝、大名発祥の地で人形劇・・朝日新聞大きく紹

 江戸時代後期に曲亭馬琴が著した「南総里見八犬伝」のモデルとなった戦国大名・里見氏の発祥の地、高崎市の里見地区
で「里見の郷(さと)フェスティバル」が開かれている。歴史やブランド梨などの地域の魅力発信を目標に開き、今年で5回目。
27日には大型人形劇ミュージカル「里見八犬伝」が上演される。 ・・本文より

 八犬伝、大名発祥の地で人形劇・・朝日新聞、本日付25日大きく紹介されました、上写真の各実行員の思い「黙っていたら
歴史は埋もれてしまう。継続して活動することが大事」「八犬伝は知っていても、群馬県から出た里見と思っていない人が多い。
地域の歴史を知ってもらえたらうれしい」「地元の人たちが地域の歴史に自信をもってもらえたらうれしい」・・・と思いを込めて・・
・・大きく扱っていただいてK記者さん感謝しています。

◆2013年9月01日 上毛新聞社会面 掲載大河ドラマに里見氏を・・上毛新聞に9・1紹介される        

大河ドラマに里見氏を 八犬伝ミュージカルで機運盛り上げ ・・・9・1(日)付上毛新聞。地域総合版に大きく紹介される
 
「里見氏をNHK大河ドラマに」という目標を掲げ、講演会や冊子発行で里見氏の知名度アップを図る高崎市榛名地区の里見の郷
委員会(中嶋講二事務局長)は27日、同市上里見町の榛名文化会館エコールで「大型人形劇ミュージカル・里見八犬伝」を上演
する。
 曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」の刊行200年(2014年)に合わせ、大河ドラマ化への機運を高める狙い。
ミュージカルは「南総里見八犬伝」が原作。ジェームス三木さんが脚本、作詞、演出を手がけ、劇団影法師(東京都武蔵野市)と
劇団貝の火(同府中市)が演じる。 千葉県館山市や鳥取県倉吉市など里見氏ゆかりの地を中心に全国6ヶ所を巡る公演の1回
目を同委員会が誘致した。

 同委員会は館山市や倉吉市の人たちと連携して、2011年に「里見氏大河ドラマ実行委員会」を結成。 3万人の署名を添えて
NHKに要望した。 昨年には里見氏のルーツをたどる冊子「里見の郷再発見伝」を創刊した。 中嶋事務局長は「ミュージカル
を見て、里見氏の物語の楽しさを理解してもらい、大河ドラマに向けて盛り上げていきたい」と期待している。

 午後6時半開演。前売り2500円、当日2800円。高崎シティギャラリーや群馬音楽センター、戸田書店などでチケットを扱っ
ている。問い合わせは中嶋事務局長(☎090・1803・8868)へ。 ・・・以上上毛新聞掲載

◆2012年10月05日 上毛新聞社会面 10月5日(金)掲載
      里見の郷 歴史を発信 冊子「再発見伝」を創刊 高崎の住民グループ
 
「南総里見八犬伝」で知られている里見氏の発祥の地とされる高崎市里見地区の住民らでつくる里見の郷委員会(田中
直司会長)は里見氏の歴史を紹介する冊子「里見の郷再発見伝」を創刊した。年一冊のペースで編集、刊行する予定で、
同会は「里見の歴史と地域の文化を掘り起こして発信し“里見の郷”を定着させたい」と話している。

 A4判、16ページ。委員会や冊子の趣旨を説明した後「鎌倉時代の里見氏」「源義秀とその供養等」「新田義貞挙兵に参
加した越後里見一族」
などと題した、高校教師らによる研究論文5編を掲載した。
 メーン企画として、委員会ののメンバーで大東文化大教授の里見繁美さんが「里見氏のルーツを尋ねて」と題して、系
図や菩提寺の写真、「義貞投剣図」などを添えながら9ページにわたって里見一族の歴史をにもといた。
 自費出版で千部印刷した。一冊500円。戸田書店などで販売している。第二号は里見氏が活躍した享徳の乱や里見氏
とゆかりある長野氏を特集する予定。
 委員会の中嶋講二事務局長は、「平成の大合併で地域の歴史や文化が埋没してしまう危機感があった。この活動を通
じて里見郷をアピールし、NHK大河ドラマの誘致のもつなげたい」と話している。
                 上毛新聞社会面 10月5日(金)掲載
◆2012年09月23日上毛新聞視点オピニオン21
里見氏を大河ドラマに ◎実現へゆかりの地連携
里見氏を大河ドラマに 実現へゆかりの地連携(2012.9.23)上毛新聞オピニオン21
 来年度のNHK大河ドラマ「八重の桜」を観光振興につなげたいと、安中市は新島襄の史跡めぐりなどのまち歩き
マップを作り、放送前から準備を進めています。7月26日付の上毛新聞にも大きく紹介され、県民として大変うれしい
ことです。

 2014年度は、国内最大の伝奇小説である滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」(全98巻106冊)が1814(文化11)年に
刊行を開始してから200年に当たります。また、1622(元和8)年に里見忠義公が鳥取県倉吉市で没し、里見氏が
終焉(しゅうえん)を迎えてから400年がたとうとしています。

 そこで、里見氏ゆかりの館山市、倉吉市、そして里見氏発祥の地の高崎市が連携して「里見氏大河ドラマ化実行
委員会」を昨年度設置しました。今年5月14日には「里見氏の物語を大河ドラマに」と、3万人の署名簿を持って、
NHK放送センターのドラマ部番組部長らに会い、ドラマ化への理解と協力を要請してきました。館山・倉吉市の自治体
や観光関係者、里見氏の一族、本県の里見の郷委員会メンバーら総勢17人が参加し、この様子は館山・倉吉市など
の地元新聞等に大きく報道されました。

 戦国時代の上杉、武田、北条等の戦乱は最も人気のある歴史ではないでしょうか。しかし、この戦乱は戦国後期
であって、戦国前期はほとんど知られていません。京都を舞台にした「応仁・文明の乱」(1467~77年)に先立つ、
関東戦国の内乱「永享の乱」(1438年)「結城合戦」(1440年)の流れで発生した『享徳の乱』(1454年=享徳3年
~)は「南総里見八犬伝」の題材であり、大河ドラマの原作に十分なりうると思います。

 『享徳の乱』は、関東の覇権をめぐる鎌倉府=鎌倉公方足利氏と関東管領の山内上杉氏の全面戦争(約30年)です
。足利尊氏が設置した鎌倉府は、尊氏の次男の基氏の子孫が世襲化する鎌倉公方を関東管領が補佐する体制で
成り立っていましたが、鎌倉公方がしばしば、室町幕府と対立する中で、関東管領をも敵に回すようになったと言われ
ています。

 また、享徳3年は大災害が発生した年でもあり、11月23日に奥州に大地震・大津波があり(山梨市の普賢寺の「王
代記」より)、12月16日には鎌倉大地震(鎌倉日記より)、そして12月27日に大災害が契機になったように『享徳の乱』
が起きています。

 繰り返しますが、戦国前期の『享徳の乱』を下敷きにした作品こそ「南総里見八犬伝」であり、大河ドラマ番組部に、
原作になりうる戦乱でありますと、十二分に説明しました。
◆2012年08月08日視点オピニオン21(上毛新聞 2012年8月2日掲載)
「里見の郷」を再発見◎地域の誇りや愛着発信
「里見の郷」を再発見  地域の誇りや愛着発信 視点オピニオン21(上毛新聞 2012年8月2日掲載)
 自分が生まれ住んだ地域を第一とし、地域の独自性を重視する考え方をローカリズム=地域主義と言うそうです
。地域とは何か、共同体・コミュニティーとは何か、いま問いかけています。地域を活用し、人と人との関係性を促し
、地域を再発見できればと思います。今回は地域のささやかな企画展「里見の郷(さと)フェスティバル」と小冊子
「里見の郷再発見伝」が創刊されたことを紹介します。

 高崎市の榛名地域の里見地区は、いにしえの地「里見の郷」です。5世紀後半に原倭人や渡来人が居住したと
される「剣崎長瀞西遺跡」や鉄床が発見された「宮谷戸遺跡」(現高崎市下里見公民館)に近く、国道406号は
「古東山道」から分岐した街道でもあります。県内外で指折りの「くだもの街道」と呼ばれ、これからの季節は国道
沿いに“里見梨”(榛名の梨)“剣崎桃”やブルーベリー、プラムの果樹園の直売所が70軒近く並びます。

 この旬の時季に合わせて、今年で第4回になる企画展「里見の郷フェスティバル」を開き、地域の魅力を発信
します。毎回大好評の「梨園オカリナライブ」(会場・伜田(かせだ)梨園、運営・音響社スタージオン)、関東一円
から参加者がある「里見天神山フルーツカップパラグライダー大会」(会場・富久樹園の里見天神山、運営・榛名
パラグライダーパーク)、今回で第7回になる「里見氏に関する歴史講演会」などです。また、写真展、紙芝居、
クラシックコンサート等も予定しています。地域全体に根を張るためには5年、10年と継続的に開催していくことが
大事です。年月をかけて共感が波及していくのではないかと思います。

 国道406号を西進すると同市倉渕町です。歴史的な偉人で時代の先覚者である小栗上野介の終焉(えん)の地
であり、“道祖神・ホタル・有機農業”の里=「小栗の里」(近年建設予定の名称)です。将来的には「小栗の里」と
「里見の郷」が連動して、地域発信する企画展ができればいいなとも思っています。

 7月7日に待望のA4版小冊子『里見の郷再発見伝 里見氏のルーツを尋ねて』が創刊されました。表紙は「新田
義貞投剣図」(鎌倉倒幕の錦絵)です。里見氏関係や室田長野氏、石井氏など、郷土歴史研究者が編集。歴史
街道、里見の郷、散策地図の第2弾であり、季刊「上州風」29号(上毛新聞社刊、現休刊)に大きく特集されて以来
のほぼ書き下ろしの小冊子です。県内の煥乎堂や戸田書店などで販売予定です。

 平成大合併で旧榛名町は高崎市に編入されました。地域の歴史や文化を埋没させないためにも、「地域の誇り
と愛着」を保つ意味合いを込めて小冊子や企画展を継続することが、地域とは何かの一つの答えとも思ってい
ます。

◆2012年06月10日 視点オピニオン21より(上毛新聞 2012年06月10日掲載)
戦国武将・石井 信房◎里見氏始祖の地預かる
戦国武将・石井 信房  里見氏始祖の地預かる 

 「南総里見八犬伝」の題材は享徳の乱(1454年)≪戦国前期≫であると前回書きました。八犬伝の本家・千葉
県館山市など、意外と知られていないためか、少し反響がありました。今回も関連して、安房の里見氏の内紛を中
心に触れてみたいと思います。

 慢性的な飢餓状態に置かれた人々は“生き残るために”合戦に参加し、敵地において人や物資の略奪、殺りくを
くり返しました。一方で、長期にわたる戦乱の終結を希求し“平和をめざして”合戦に参加していました。そのため、
人々の大移動をうながし、敗戦になると、その土地に縁故ができて、上州に土着帰農したといいます。

 関東戦国史は上杉の「康申の越山」から、武田、北条、房総の里見など、最後は北条氏の滅亡、上野長野氏の
箕輪落城で武田信玄の西上野が確立し、以後、豊臣政権の全国統一まで30年間続くことになります。

 武田勢に滅ぼされた室田長野氏の家臣石井氏と里見氏について少し触れます。

 長野氏は、関東管領上野国守護、山内上杉氏の下で台頭し、業尚(なりなお)が室田鷹留城(高崎市下室田町)
を築きました。軍師、鷹留城主でもあった戦国武将・石井信房(左京大夫讃岐守)は幼名を文悟丸、いみなを義樹
(里見義樹)といいました。里見氏始祖義俊より16代目で房州稲村城主(館山市)の里見義堯(里見氏全盛期の大
名)の次男で、母は箕輪城主・長野信業の娘。信業の子、業政の養子となり(長野信房)、鷹留城主になりました。
その後、業盛が生まれたため、信房は石井城(前橋市富士見町石井)を任され、石井信房を名乗りましたが、永禄
6=1563年に鷹留城で討ち死にしました。以上は秋間系図(安中市秋間、石井泰太郎家所蔵)によります。

 では、なぜ石井信房は始祖の地西上野国を任されるようになったのか。それは、里見氏の内紛、安房の天文の
乱(天文2=1533年)に巻き込まれないためではないかと思われます。この乱は、里見義豊が叔父実堯と配下
の正木通網を殺害したことから勃発≪前期里見氏≫。父を殺された里見義堯が義豊を討つ≪後期里見氏≫とい
う里見氏内の全面抗争です。

 子孫は、秋間系図所蔵の石井家や高崎市中室田町の石井家(旧榛名町の町長を3代務める)です。関連して
「長野氏家臣録」に富沢伊八、十郎衛の名もあります。富沢氏は『群馬県姓氏家系大辞典』(角川書店)によると、
新田一族里見系で、始祖義俊とともに里見に移り住んで里見氏の武将として仕え、新田荘富沢(太田市富沢町)
を領して富沢を名乗りました。このように、地域の「戦国武将」を掘り起こし、歴史的資産として研究発信することは
、地域の一体感を醸成するためにも大切だと思っています。(上毛新聞 2012年6月10日掲載)

◆2012年04月16日 視点オピニオン21(上毛新聞 2012年04月16日掲載)
享徳の乱 南総里見八犬伝の題材(2012.4.16) 
享徳の乱 ◎南総里見八犬伝の題材
 そもそも地域づくりとは何か、いつも自問しています。多様な切り口があっていいと思います。その一つとして、
地域の歴史をきちんと見直すことが重要ではないかと思っています。「利他的な生き方」という、上野村在住の哲学
者、内山節先生の言葉があります。地域のために、人のために生きることが結局は、回りまわって地元地域のため
であり、自分のためでもあるという考え方です。人間の根本的な心情がこのようなことでなければいけないと思って
います。

 昨年、群馬県立歴史博物館で大変興味をそそる意義深い企画展が開催されました。それは「関東戦国の大乱―
享きょうとく徳の乱・東国の30年戦争・戦国は関東からはじまった」です。なんと享徳の乱を下敷きにした作品が、
里見氏をモデルとした滝沢馬琴の伝奇小説「南総里見八犬伝」なのです。今回は特にこの辺に少し触れてみたい
と思います。
 一般的戦国は上杉、武田、北条の三つどもえの戦乱と関連の上州の長野氏や房総の里見氏ではないでしょうか
。≪戦国後期≫

 では、戦国はいつから始まったかというと、従来は京を舞台にした「応仁・文明の乱」(1467~1477年)とされて
います。また、ともすると北条氏の関東制圧史と描かれることもあります。しかし、この企画展では戦国は、享徳3
(1454)年から戦乱に突入し、30年にわたって関東一円を二分した「享徳の乱」から始まったと力説していました。

 「都と鄙ひ」(京と東国)の両久く方ぼう(室町幕府と鎌倉府)の対立を背景に、鎌倉(後の古こ河が)公くぼう方足
あしかが利成しげうじ氏が関かん東とう管かんれい領(鎌倉公くぼう方を補佐する立場であったが、後で自立)上杉
憲のり忠ただを殺害したために勃発したとされています。≪戦国前期≫

 では、この関東の内乱を下敷きにした作品八犬伝について少し。物語は室町後期の安房の国の里見家の姫、伏
姫と八房の因縁によって結ばれた八犬士を主人公にしています。儒教で言う八つの徳「仁じん・義ぎ・礼れい・智ち
・忠ちゅう・信しん・孝こう・悌てい」や勧善懲悪を基本理念とした構成雄大、波瀾万丈の長編伝奇小説です。馬琴が
江戸後期に28年かけた全98巻106冊の超大作で、関東一円、甲信越、そして上州も大事な場面(妙義神社、渋川
の白井城、下仁田の荒船山ほか)に登場します(現代語訳は河出文庫版(上)(下)ほか刊行)。

 後に歌舞伎や映画、人形劇、漫画など多様なジャンルのシナリオに影響を与えたといわれています。
 このように、八犬伝は中国の水滸伝の影響もあり、遠いイメージでしたが、享徳の乱を題材にしたことで、きわめ
て近い存在であり、戦国を知る上で、大変重要な「物語」です。
◆2012年03月03日 (朝日新聞群馬版 2012年03月03日)紹介される「里見の郷」で街元気に・・と
上州 ひと 交差点 「里見の郷」で街元気に 推進実行委事務局長 中嶋講二
 

 江戸時代の伝奇小説「南総里見八犬伝」で知られる安房(千葉県)の戦国大名・里見氏、発祥の地である高崎市
里見地区
で、2008年に街おこし組織をつくった。 里見地区は、06年に高崎市に編入合併された旧榛名町にある、
生まれも育ちも里見、「合併で『里見がどうなるか』と危機感があった」
 新田源氏の流れをくむ里見の旧跡は、地区の至る所に残る初代・義俊が眠る光明寺、南北朝時代に築かれた
とされる上里見城跡
郷見神社ー。地元には子孫の家も十数件あり、幼なじみをいた。 

里見氏が戦国大名と栄えた千葉県館山市、江戸幕府に潰され大名としての歴史を終えた鳥取県倉吉市の街おこし
団体と交流。 「全国里見一族交流会、」とも連携し、歴史講演会を開い史跡の紹介活動をしたり、高崎、安中両市

などに残る旧跡の散策地図もつっくた。 09年から夏に「里見の郷フェスティバル」をスタート。 「地域に根ざした
文化活動をしたい」実行委メンバー共通の思いだ。


地区には梨農家が約100件あり、「里見梨」のブランドで売り出しいる。 梨畑を舞台にオカリナ演奏会や写真展を開
くなど活動の幅が広がってきた。 「歴史が好きでない人も楽しめないと、本当の街おこしにはつながらない」 本職は
、戸田書店榛名店などの、経営者。 里見氏や小栗上野介といった郷土ゆかりの歴史本が充実する。 2014年は
「八犬伝」が世に出て200年になる、「里見」の名が広まることを願う 
◆2012年02月23日 視点オピニオン21 (上毛新聞 2012年02月23日掲載)
 里見氏の歴史 頼朝の側近だった義成(2012.2.23)(上毛新聞リンク)
里見氏の歴史 ◎頼朝の側近だった義成
 私のテーマのひとつである「カルチャー」は、英語では文化、教養の意味ですが、原語のラテン語では、耕す
、掘り起こす等々の意味だそうです。 地域を掘り起こす意味合いを込めて、地域の歴史的資産を生かすためにも
、「里見の郷さと」を地域ブランドにするためにも、里見氏の歴史を少し振り返ってみたいと思います。

 一般的に言って、里見氏のイメージは、上杉、武田、北条の三つどもえの戦乱の時代の房総里見氏であり、滝沢
馬琴によって書かれた伝奇ロマン『南総里見八犬伝』のモデルの里見氏でしょう。
 上毛かるたにある「歴史に名高い新田義貞」の鎌倉倒幕の錦絵(新田義貞投剣図)で、中央の義貞の右脇に座っ
て、大きな弓を右手で持っている人物が6代里見五郎義胤(よしたね)です。これこそが里見氏のイメージではない
でしょうか(詳細は“里見の郷”をパソコン等で検索して、里見の郷推進実行委員会の公式ホームページのトップに
錦絵の画像があります。その他の報告もあり)。

 里見氏の歴史は、始祖の初代義俊から20代忠義まで、平安時代末期から江戸時代初期まで、約500年間続きま
した。 今年のNHK大河ドラマ「平清盛」の源平争乱は、西国の遠い舞台の戦乱に見えるかもしれませんが、源義
国や新田義重、そして、2代の里見義成が同じ時代に登場して、近い存在でもあります。  今回は、特に「義成」の
活躍について、少し触れてみたいと思います。 平安時代末期、源義国という京の武者が
東国に下りました(1150=久安6年)。その義国の子、源義重(新田義重)こそが、初代里見氏の父なのです。
 兄弟は、長子の始祖義俊や山名氏の始祖義範(山名八幡宮で有名な現高崎市山名町)、新田氏を継ぐ義兼、
後で徳川家康が自分のルーツとした(世良田)義季がいます。

 歴史書『吾妻鏡』にたびたび登場する新田義重は、寺尾城(現高崎市寺尾町)に立てこもり、自立を図ろうとした
ため、源頼朝に鎌倉に入ることは許されませんでした。  しかし、義重の孫にあたる里見義成は、京で平家に仕
えていましたが、頼朝を討つと称して東国に下り、鎌倉の
頼朝のもとへはせ参じました。このように、義成は頼朝の側近として、非常に信頼が厚かったようです。同歴史書
には、義成の死亡記事に、頼朝の寵臣(ちょうしん)(主君に特別気に入られた家臣)であり、義成の亡くなったこと
を惜しまない人はいないと記してあります。
 今年の大河ドラマは、より興味を持って見ることができます。里見氏が同じ時代に活躍した武士であることがわか
ります。
◆2011年12月29日 視点オピニオン21 (上毛新聞 2011年12月29日掲載)
 里見氏核に地域づくり 城跡の草刈りが第一歩(2011.12.29)(上毛新聞リンク)
里見氏核に地域づくり 城跡の草刈りが第一歩
 私が生まれた旧榛名町里見地区(現高崎市)は、古くは「上野国碓氷郡里見郷」と呼ばれ、全国の里見氏発祥
の地でもあり、新田義貞の誕生の地とも言われています(1154年=久寿元年、始祖義俊が里見郷を所領とした
)。 里見氏発祥の地の歴史性を生かした地域づくりをめざして、2008年に「里見の郷さと」推進実行委員会が発足
しました。 その前年から、里見氏に関する歴史講演会を開催して今回で第6回になります。今年は9月24日、地元
企業や群馬県の支援をいただき、榛名文化会館で「里見氏ゆかりの三都物語」と題して歴史フォーラムを開催しま
した。
 発祥の地・高崎市、終焉(しゅうえん)の地・鳥取県倉吉市、「南総里見八犬伝」で有名な千葉県館山市の3市関
係者が最近の活動や研究動向を報告、大反響を呼びました。200人近くの出席者があり意義深く、地域間交流
がさらに深まり無事終了しました。

 「里見の郷」推進実行委員会の立ち上げについて「きっかけ」をのべたいと思います。 もともと幕末の歴史が大
好きで、10年くらい前から、倉渕地域の小栗上野介顕彰会に参加していました。小栗顕彰会で学んだ地域活動の
経験を地元里見地域に生かせないかと考えるようになりました。
 6年ほど前、旧榛名町が平成大合併のうねりで自立か合併かで町を二分して大きく揺れ動きました。地域が
埋没し、のみ込まれてしまうのではないかという危機感があり、「地域の歴史や文化」を次の世代に伝えていか
なければと強く思うようになりました。

 あるホームページに里見城跡のことがあり「始祖義俊が築城した城跡を訪れ、草が茫々(ぼうぼう)と伸び、
荒れた城跡に失望した」という感想を読み、地元の人間として「何て恥ずかしいことだ」と思いました。歴史を語
る以前にやることがある。城跡を訪ねてくれる人に「最低限の礼儀」として、草刈りや清掃だけでも続けてやろう
と決断し、地元の里見氏一族、地域づくり団体、倉渕のNPO法人などの有志と相談しました。最初は30人近く
集まり、大がかりで大変でしたが、草刈り作業をしました。以後、毎年定期的にやっています。ここから「里見城跡
復興事業」の第一歩が始まっており、将来的には公園化されればと願っています。

 地域のあり方に対しては、評論家ではなく、少しでも行動に結び付くことをしなければと常々思っていました。
里見氏に関する講演会や地域の魅力を発信する多彩な企画展「里見の郷フェスティバル」を地域に根付かせる
ために、これからも1年に1回続けることが大事と思っています。
◆2011年9月01日 広報高崎 2011・9・1 からっ風トーク 

里見の郷フェスティバル実行委員長 中嶋講二 地域の魅力を仲間と探す 里見「再」発見伝
 江戸時代のベストセラー小説 「南総里見八犬伝」。そのモデルとなった戦国大名の安房(現在の千葉県)
里見氏は、旧榛名町里見地区が発祥の地だ。上毛かるたで有名な新田義貞もこの地で誕生したといわれている
。しかし残念ながら、市内でもその事実を知らない人が多い。里見地区で生まれ育った中嶋さんだが、もともとは
幕末の歴史が好きで、10年ほど前から倉渕地域の小栗上野介顕彰会の参加していた「里見地区の歴史や文化
を次の世代に伝えていかなければ」という気持ちが強くなったのは、高崎市と旧榛名町の合併話が持ち上がって
きたころ。 小栗顕彰会で学んだ地域活動の経験を地元を盛り上げるために生かせないかと考えるようになった。

 
そんなときインターネットで、里見氏の始祖・義俊が築城した里見城址を訪れた人の書き込みを見た、草が伸び
、荒れた城跡を訪れて失望したという感想だった。 地元の人間として恥ずかしさ感じた。 「来てくれる人への最
低限の礼儀だから、草刈だけでもしょう」。 呼びかけると有志30人ほど集まった。
 多くの仲間が集まったことで、
活動をはじめる手応えを感じた。 里見氏発祥の地として地域づくりを進めていくには知識が不可欠と必死に
本を読んだ。 活動を本活化させるには、全国にちらばる里見一族の力が必要と思い、積極的に足を運んだ。

 そして3年ほど前、一族や地元の人たちと共に「里見の郷推進実行委員会」を立ち上げる。 里見氏の歴史
を多くの人に知ってもらおうと定期的の講演会を開く。 段取り仕事は、書店の店長時代から得意分野だ。 
「続けていかないと地域に根付かない。一年に一回でも続けることが大事」と話す言葉が強い。 

地域の財産は里見氏だけではない。 100年以上の歴史を持つ榛名の梨や「地域の人」もそのひとつだ。 絵を描
く人や写真家、音楽家など、隠れた才能を持つ人もいる。 「もっともっと地域の魅力を知ってもらいたい」

 
そうした思いから平成21年に、さまざまなイベントを一緒に行う「第一回里見の郷フェスティバル」を始めた。 
里見氏に関する講演会のほか、梨園が会場のオカリナ演奏会や、写真展、陶芸展など、地域の仲間の力を生か
して多彩な催しを企画し、今年で3回目になる。 「里見氏をきっかけに榛名神社を訪れ梨狩りに遊びに来てくれる
人が増えればうれしいです」。 陰となり日なたとなり、これからも活動を支えていこうと決めている

◆2005年3月17日
●地域力アップで提案 12団体がプロジェクト ( 上毛新聞より)
里見郷復興事業の考えを熱っぽく語る 中嶋講ニ

榛名町主催のパワーアップ事業プロジェクト発表会が十五日夜、町役場で行われ、地域をよくするために自主的に取り組んでいる十二団体が、事業目的と内容を堂々と発表した。
 同事業は榛名町が本年度、県の小さな自治モデル事業の指定を受けて実施。より良い地域を目指すため、住民が自ら考え、活動している団体に町が最高二十万円の補助金を出し、支援していこうという試み。今年二月に募集したところ十二団体の応募があった。
 発表会の審査には、高崎経済大学地域政策学部の大宮登教授のほか同町助役や収入役が加わった。また、石井清一町長も出席し、住民のアイデアに耳を傾けていた。
発表会は一団体五―十分の持ち時間で事業目的、内容を説明。各団体の代表はフリーマーケットを開催しリサイクルの有効活用を推進する意見や、炭焼き窯を造って技術伝承と地域交流につなげる、町の間伐材を利用したパドルでEボート(十人乗り)をこぎ、子供たちに川遊び教室を実施した成果などを熱っぽく語った。
 審査に当たった大宮教授は「全体として榛名町の住民が自分たちの考えで、この企画に応募したというプロセスが重要であり、評価したい」と感想を述べた。 上毛新聞より


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