□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ===== 商売.笑売.盛売 勝売 それとも少売シリーズ ===   【商売を 笑売や 盛売 勝売 にするには】    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ GNO の 中村憲司です 究極の こだわりを持つ 一話に続いて 撮影所の 結髪部で 女優さんを担当して 食ってしまう 作品では  どれ程 技術的に 優れた 作品でも  先ず  映画の世界では 通用しませんし 一流の 映画 監督に 使って頂く事は 無い事を 知るまでに 私は 三年間も 掛ったのですから 師匠にとっては 私は 最低で 最悪な 内弟子だったと 思いますし その答えは 今考えると 私の母が   成人式の 御着付けや結髪をして  七五三の 御着付けや結髪をして  婚礼の御着付けを させて戴いた時に お客様から 綺麗な打掛ですね とか  綺麗なヘアースタイルですね とか 綺麗な 御着付けですね とか  誉められると  母は 凄く落ち込んで居た事と 一緒で 師匠の教えも 母の落ち込みも 全く同じ次元の 事と思います 打掛が綺麗でも 着付けが どれ程 綺麗でも 匠としたら 失敗なんです 着て居る人が 綺麗で無ければ 母の中では 失敗でした 結い上げた ヘアースタイルが どれ程 技巧を凝らして 美しくても  その方自身が 美しく無ければ 失敗と 何時も 母は言ってました 打掛や ヘアースタイルが 美しいと 目だったら その技術は 技術が 出しゃばって居て 母の中では  最低の技術と 落ち込んで居た事を 思い出します その事は 美容の世界の事だけでは無くて 私がその後関わった 物作りの世界でも レストラン経営でも 薬剤の製造でも 花卉園芸の世界でも 全ての  ビジネスに 通用し 根幹に関わる 大切な事と 私は思ってます 師匠が 私に 教えたかった事は 技術者として 何を美しく見せたいのか 思い上がった  使う物に成らない 高独り善がりの 鼻持ちならない 慢ちきな  技術馬鹿 成らない様に  真に技術者が  求める物を 私に 分からせる為に 師匠は  三年間の 便所掃除を 一日三回させ 鎌倉の  円覚寺の座禅会で心を無にさせ お茶 お花 日本舞踊の中で 匠として何が大切なのか知る事でした 何時も 歌舞座て 歌舞伎役者に合わせて居た事 今なら 分かります 全て 師匠の持つ 匠の技術を 三年間 何も 教えなかった事に 繋がって来る事を 知るまでに  私は 三年も掛ったと 言う事です 六年後に 師匠から 一人前として 認めて頂き  認可を頂き  師匠から独立して 独り立ち 致しましたが   その時  師匠が 日頃 使って居て 一番大切にして居た 日本で 最高の 匠が作り上げた 芸術品の様な 櫛一式を この櫛一式に 恥かしくない 技術者に 成った 証として 日本髪に使う  鼈甲色に 輝く 素晴らしい 師匠が昨日まで 大切に使って居た  始めの 三年間 全く私に 触らせなかった 櫛一式を 頂きました  矢知正三郎の 内弟子として 一人前に 成った 証として 今でも大切に保管して有ります  その後撮影所に  出入りして居た 多くの 経済界の有名人に 師匠から紹介して頂き 矢地さんの 弟子なら 矢地さんが 一人前と 認めた ならと 紹介された皆様に 可愛がって頂き そんな方達から 美容薬剤メーカー を 紹介されて 三社の 薬剤メーカーの  薬剤開発のアドバイザーとして 技術開発の責任者として メーカーの 技術講師として 契約頂 薬剤メーカーの 研究者と 一緒に成って 薬剤の 技術開発をし  開発して 出来た薬剤を生かす 技術の確立をして 伝達の為に 全国を講師として  飛び回って居ました あれから 一体全体 何十年と言う月日が 経っているのに  未だに  当時私が 開発した 技術が 今でも 全国の美容室で 施術されているのです  十仁パーマとして 生き続けて居る事に 嬉しいと言うより 吃驚して居ます 新橋に有る 十仁整形病院の 医院長の 梅沢医院長が 作り上げた 十仁パーマ と言うより チオグリコール酸ベースの パーマ薬剤と 違い 亜硫酸塩が  ベースの ウエーブ用材は パーマ液とは認められず 髪に ウエーブを 定着させることが 出来ずに 何年もの間 梅沢 医院長は 困って居ました そんな時に 師匠が 私を 紹介したのです 元 日本電気の研究員と 言う事を  聞いた 梅沢医院長が 私に  十仁パーマの 技術開発依頼が 来たのですが 酸 アルカリを ベースにしない ウエーブ用材で 亜硫酸を ベースにするなら 湿度を温度コントロールしたら ウエーブが 定着するのではないかと言う  私の考えが ピッタリと 当てはまり その技法は 全国に広がって行きました 何十年も経った  その技法が そのまま 生きて 今現在でも 美容室で 施術されて 居ます事は 開発者としたら 嬉しい限りです  その他 香栄科学の 間中社長に タンパクベースの薬剤開発部長や USレッドケン社の 日本レッドケン 技術部長として動き 当時の事で 思い出すのは 日本レッドケンの技術部長として 世界大会で ラスベガスの  大きなホテルを 借り切っての 会議でしたが 世界大会ですから 全世界から 集まった 凄い数の レッドケン ファミリーが 集まり 各国の紹介や お国自慢の 紹介が有り  日本代表として 私が やった事は 松竹撮影所の 修業時代に イヤイヤやって居た 事が 役立ち  日本舞踊の 黒田節を 踊りました 日本から 持ち込んだ 紋付羽織はかまで 登場して ホール中央で 羽織を脱ぎ捨て 赤い扱きで タスキ掛けをして 日の丸の鉢巻きを締めて   はかま姿で 手には 金銀の センスを持ち アカペラで 黒田節を唄いながら 何千人と居る 世界各国の 技術者を 前に 踊りました 終わった後は ジャパニーズ サムライ と 大歓声を 受けた事を 昨日の事の様に 覚えてます   そんな  薬剤メーカー 三社の 技術 講師として 全国を 講習してましたが  そんな 講師時代に 日本ビックスリー美容ショウ 何て 大仰な タイトル付けられて  当時では 日本での美容界では 誰でも知ってる 超 有名講師の 技術者 二人と組んで  舞台に立って 居ました 新橋の 読売ホールで 一流モデルを使って 何度も 舞台に立ってましたが 私の中では 違和感が 強くて 美容のショウとは 何なのか 日本での 超一流と言われている この二人の 技術は 一体 何なのか ゴテゴテと 奇をてらった物を 付ければ 拍手  右に流しても拍手  左に流しても拍手  潰しても 拍手 膨らめても拍手   ある意味  何をしても 拍手を頂き ショウの世界とは 何なのか 迷って居た時代でした 一流の モデルですから ランウェイ を歩く時は それなりに 恰好は 付けてくれますが  私の中では 何時も 違う 何かが違うと 何時も 一流モデルを使った 美容ショウの  仕事をする時には  何時も 違う 違う 私が 表現したい事は 違う 師匠に教えられた 究極の こだわり は 違うと 思いながら 舞台に 立って居た 記憶が有ります  その違和感は ショウの世界では モデルに 似合うとか 似合わないとか 関係なく 髪が 痛むとか 痛まないとか 似合うとか 似合わないとか 全く関係なく 作った作品が 目立てば良いと 言う事で 技術だけが 出しゃばって 居て 出しゃばった 技術だけを 寄り目だたせる事に ピン スポット が当たって居た事です ファッションショウの 場合は 戦場でした ランウェイから 引っ込んだ モデルさんは 三分くらいで 着替えと スタイル変換ですから 戦場です ブラジャ何て して居るモデルは 居ないし 私達も 人形が 居ると言う 感覚で 全裸に近い はだかの一流モデルが  何人居ても 何の感情も 湧かないで 三分間の スタイル返還に 追われてました  ショウが終わって  打ち上げで 表に出た時 それまで 全裸に近い姿を 見て居た時は 何も 感じて居なかったのに 私服に着替えて スタイルの良い 一流モデルの 横スリ が深く入った 足を見て ドキッと するのですから 不思議ですね 仕事の時には 全裸に近い姿を 見て居ても 全く何も感じない 事なのに 不思議でした  私服に着替えて ショウの ヘアースタイルを 壊して 私服に 合わせた スタイルに 変える時が 私は 一番好きな時間でした モデルの私服に 合わせた スタイルを 作れる時間が 何故か 好きでした  私には モデルが ランウェイを 歩いて居る時より 綺麗に見えたのです その後は 自分が 納得出来る 薬剤を 自分が作りたくて 環境保全協会の 設立や 子供達に 夢をと言う事での 読売ジャイアンツショップの開設 レストラン マンマと言う イタリアンレストランの開設 横浜国立大学の 栗原芳江 教授から 依頼された 味覚変換植物の ミラクルの 育成から 始まった ミラクルを育てる為に 海外に 毎月 出る様に成り ワールドアグリ エンタープライズの設立と 海外に 出始めた時に 如何に沢山の 日本人が 海外に出張し 定住 して居るのか  海外に これ程 沢山の 日本人が 住んで居るなら 母の日に 御母さんに 感謝の気持ちで  送る カーネーションの 注文取ったらと  言う事で カーネーションと言う 花ビジネスに 進んで行きました 私が送るのは カーネでは無くて 究極の こだわりを持つ 感謝と言う 心を 送る  そんな考えと  気持ちで ビジネス展開が 目まぐるしく 展開して行きました  全ての こだわりは 六年間の 究極のこだわりを 持つ為の 松竹撮影所の 修業と  師匠に深く感謝です     究極の こだわりを持つ 三話に 続けます ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 以前の 物お読みになります場合のバックナンバーは  http://www3.wind.ne.jp/~temis/ml/cgmmm.cgi _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/Temis Network_/_/_/_/_/ 【商売・笑売・盛売 製作】中村憲司 temis@mail.wind.ne.jp