□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ===== 商売.笑売.盛売 勝売 それとも少売シリーズ ===   【商売を 笑売や 盛売 勝売 にするには】    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ GNO の 中村憲司です 人が 動くのは どんな理由で 動くのか??  昔ですが  多くの仲間が 動いて頂いた企画が沢山有りました ■読売結婚式企画  と言って 結婚しているが 何らかの理由で 式をして居なかった 人の為の結婚式で 当時の 前橋の藤井市長が仲人で行いました ■愛の鐘企画 昭和30年当時に AM 8時 と PM 5時に 前橋の中心商店街で 鳴って居た 愛の鐘 復活企画で 多くの仲間が  募金活動に 懸命に動き 前橋市庁舎の 正面に 設置した  愛の鐘を鳴らす  450万円の カラクリ時計を 仲間と市民の募金で集めた お金で 前橋市に 寄付をしました ■読売デッカイバザール企画 二万人以上の 方達を 集めた 愛の感謝デー企画で 何十件の 出店店舗の方に 協力頂き 盛大に 開催してました ■子供達の夢企画 読売巨人軍の 野球選手との ふれあい 企画として 一緒に 写真を撮り サインを貰う企画でした 一回に 子供達と 巨人の選手たちと 撮った写真は 三千人が 写真を 取ってました ■ナイターバス企画 当時は 巨人の試合は プラチナチケットしたが 子供達の種に 出して居た ナイターバス 企画や ■尾瀬沼 登山バス お年寄りの 参加者が多く 一番私が 覚えて居るのが 途中で  歩けなくなった 方を 背負って 尾瀬沼まで登り 有難うね  有難うねと 背中が感謝の涙で 濡れた 記憶が 今では  懐かしい 私は  その時は 山岳連盟に加盟して居て 現役で 山登りして居た  時期でしたから 私は お年寄りを 背負って 尾瀬沼まで  登れたと 思いますが 現在は  背負って 貰う側に 自分は居ます。。悲しいですね ■前橋敷島球場の 巨人軍 オープン戦最終試合 のお手伝いも 楽しかったし 選手と話す事が 楽しかったですし  当時の巨人の 監督は 長嶋監督でしたから 傍で見られる だけで 嬉しかったです ■その他  年間を通して 遊園地 美術館 博覧会 等のチケットや 入場券の配布 等  沢山の企画で 多くの仲間が 動いてましたが  今考えても 全ての企画で 動いた 多くの方達は 全てが  商売として 動いた訳では無く 報酬を 貰う為に 動いた 訳でも 有りませんが 目に見えない 報酬を 貰って居たと 思ってます 目に見えない 報酬 それは 満足感 や 奉仕の心 や 感謝と言う 見返り と 思います  全ての企画は  読売の 前田光男さんが 頂点に居て 私は 其の子分として お手伝いしただけですが 多くの企画に参加して 感じた事は  前田の親分に 私共が 企画提案して 実行した 企画でしたが 自分が考える  夢企画提案して 親分の名前で 実行する 動き出したら 私は 陰で お手伝いするのが 私の仕事で 今考えたら 全ての企画は 参加して居て 夢の有る 楽しい 企画ばかり でしたし 全員が イヤイヤ参加して居た 企画は 何も有りません バザールも 結婚式企画も 異業種交流会も 講演会や講習会も 皆が  参加したくなり 協力したくなる様な 楽しい企画や集まりを 当時の 事務局長として 富士見の仙人 小曽根さんが 企画して 動かして居た 懐かしい 企画ばかりですし 当時から 仲間の皆さんは 目に見えない 報酬を 貰って 企画に 参加して居たと 思います 今考えても 前田の親分の 発信して居る オーラと言うか カリスマ制と 言うか それも 優しさで 人を動かして居た事が 凄いと 思い出します 人は 中身が余りない事で 集れ 集まれと 言えば 言う程 何時の日にか 参加する人は 減って行き 集まらなく 成るもので それは目に見えない 報酬を 払ってないからで  満足感や  奉仕の心や  感謝と言う 目に見えない 報酬 見返りを与えないからで 自分が 参加したい その一員で 居たいと 誇りに思う様な  企画は 最近は 中々 出会う事が 有りませんね ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 以前の 物お読みになります場合のバックナンバーは  http://www3.wind.ne.jp/~temis/ml/cgmmm.cgi _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/Temis Network_/_/_/_/_/ 【商売・笑売・盛売 製作】中村憲司 temis@mail.wind.ne.jp