□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■  【私の 回 顧 録】    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 私の葬式に 使いたいと仲間からのリクエストで回顧録 書き始めました         【私の 回顧録 30話】 ■飲ませる事の出来ないお乳の話 子供が産まれた後 普通の嫁ならか なりの期間 産前産後で実家に帰る人が多いですが 妻は実家に帰らず 嫁に来た時から この家が自分の実家ですから川崎には帰りません 何て母に 言うもんだから母は 益々有紀ちゃん. 有紀ちゃん. 有紀ちゃん 何をするにも 有紀ちゃん. 有紀ちゃん.と可愛がり又頼りにし 有紀ちゃんは 母としての元彦に掛ける愛情 妻としての手の掛かる夫の面倒 美容師としての完璧な仕事 糖尿で一生食事制限をしていかなければ成らない母の食事の世話 今考えると 有紀ちゃんが普通の女性と違う所は 何事によらず 何々だからこれが出来ない 何々だからこうなったと全て人のせいにした事が無い それは 何十年も経った今でも変わらない有紀ちゃんの凄い所で 絶対私には 真似の出来ない事です 8月に 生まれた元彦は大きな病気もせずに 3ヶ月が過ぎ 美容室にとって一年で一番大切な繁忙期の12月を向かえ 一月の15日は  成人式のお支度でてんてこ舞いの忙しさを迎える中 有る日突然 元彦の荷物をまとめ始め  明日 川崎に元彦を連れて行くからと言い出した 自分の 父母に元彦を見せに行くのだと思っていた私ですが 当分元彦を預けます 私も 母も 孫の元彦が可愛くて可愛くて仕方が無い訳だから当然反対. 色々有ったが 元彦は川崎の実家に預ける事に決まり 元彦に 毎週会う為に 私と妻の休日川崎デイトが始まった 美容室の 日曜日は特別忙しく昔の事だから 終業時間も遅く 午後の10時頃になる事も普通でした それから 走る車の中で軽い食事を食べながらの運転で 川崎に向うが 今は 高速道路が出来たので時間もかからず行けるが その当時は 川崎までどんなに飛ばしても4時間は完全に係り いつも 12時過ぎの到着 寝ている我が子を 宝物を抱くように抱きしめている妻の姿は今でも鮮明に記憶している 行きはよいよい返りは恐い いつもの事だが帰りの車の中で 妻の涙を見る事になる 実家が 鳶職のせいなのか 花町 色町の事は 子供の頃から 見て来た妻は 平気で私を 色街に行かせる 川崎の 堀ノ内と言えば 花街.色町で 昔の遊郭の町で有名ですし 当時は トルコと呼ばれて居た 建物が乱立して居たし  暗い 路地という路地には立ちんぼと呼ばれていた売春婦が 必ず立っていて 客を引いて居る 細い路地の 両側には 昔ながらの 丸窓に 顔見せの女性が たむろしていたし そんな町の ど真ん中に 色気の無い本物のマッザージ屋さんが有り 仕事の後に 運転で疲れているでしょう マッサージに行ってらっしゃいと 財布毎 私に渡して 毎回送り出す 夜中の1時2時に やっているマッサージは そんな色町の中にしかない訳だから 仕方が無いが 亭主を そんな色町の ど真ん中に 夜中の一時 二時に  行ってらっしゃいと送り出す有紀ちゃんの方が 私より大物だと痛感せられる そんな川崎デートが3年近くも続き  這い這いから 一人歩き おしゃべりをはじめる時期 そんな 一番かわいい時期を実家に預けた訳だが 一番印象に残っているのは 赤ちゃんが 飲んでくれない と 張って痛くて仕方無いそうで  子供に 飲ませたくても 飲ませる事の出来ない お乳を名前が 分からないゴムのスポイトの親分みたいな物で 毎日毎日吸い出して 捨てている それが どれ程 辛く悲しい事なのか  胸が張って 痛いのより.飲んでくれないお乳をトイレに流す時に いつもいつも涙を流していた 妻が愛おしく  その辛さが 痛さより 飲んで貰えないお乳を トイレに流す事が どれ程 母親として辛く 悲しい事なのかは  私は誰より良く分かっていたし 男の私でも 容易に理解できる事でした 従業員の 前では明るく振る舞い 暗い所など微塵も見せないでいる 有紀ちゃんを見ている従業員は 誰もそんな 心の痛みは知らなかったと思う そろそろ 幼稚園の時期が近づき元彦のご帰還が決まった その時の 本当に美しい嬉しそうな妻の顔は一生私には忘れる事の 出来ない 本当に素晴らしい 美しい笑顔でした ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 以前の 物お読みになります場合のバックナンバーは  http://www3.wind.ne.jp/~temis/ml/cgmmm.cgi _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/Temis Network_/_/_/_/_/ 【商売・笑売・盛売 製作】中村憲司 temis@mail.wind.ne.jp