□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■  【私の 回 顧 録】    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 私の葬式に 使いたいと仲間からのリクエストで回顧録 書き始めました         【私の 回顧録 23話】 ■ 阿部展久と言う美容コンサルタントとの出会い 大きな曲がり角の 出会い或る講習会に出かけていって雷に打たれたような 講師に出会った 阿部展久と言う 経営コンサルタント それ以来 自分の話を聞いてくれる共感できる世界が美容界の中に見つかり 私自身が 大きく変化していった 自分が 思っていた頭の中の物が形に出きる 当時の 展久会には3人のつわものが居た 鳴井武雄 おとなしくて理論派。顔が良く聡明な感じの講師 酒井幸造 ごつくて土木現場が似合う感じでも一番感覚が優れた男 菅原慎三 仙台出身の鈍感な講師の三人衆 展久会は 私の発案で 次から次ぎに新しい提案と 風が吹いていった 春のフラワー作戦 ファリアンウイック(かつらの事)販売合戦 私は 水を得た魚のように研究会で常にトップの座を守っていった かつらの販売は 日本電気時代の労組のコネを生かして 大手の 電気メーカー工場の労働組合を通じて生協と共同して 販売に成功して80キロも先まで販売に出向いていった 当時の 今でも同じですが 美容師の世界はお客様を待っているのが 当たり前の世界で クモの巣経営と思ってます 利口なクモは獲物が取れない場所と思えば 巣を張りかえて 獲物を待ちますが 美容室と言う クモの巣を張ったら 巣を張り替える事無く 只客の来るのを 待って居ると言う経営でした 当時の美容師さんは 美容室の外に出向いて販売などは考えて居る美容師さんは 全く居なかったと思います 後に成ってからは 店の近くに出て POP や割引券 シャンプー券 等手渡す ハンテングが 流行りましたが 80〜90kも離れた場所に 物を売りに行くと言う事は 全く無かったと思います その結果 帝人の子会社だったファリアンウイックの 全国販売NO1の 実績を上げ 売上も急上昇で登って行った その驚異的な 販売実績から 全国でファリアンウイックの販売講習して欲しいと 帝人からの依頼が入り 私が 講師活動の道を歩き始める切っ掛けと成った その後 私は伸久会の講師として 全国の美容室の講習活動が 本格的と成り この時期になると私も研究会の会員から  講師として 鳴井。 酒井。 菅原。 中村。の研究会の四天王と言われ 講師の仲間入り 日本コンサルタント協会の 試験を受けて 晴れて 日コン の講師に正式に成りました 私が 悩み苦しんで 受け入れて貰えなかった 洗い放しの髪でも 形に成ると言う事が 徐々に主流に成り 私の考えて居た 感性は 40年以上が過ぎた今でも 多くの美を商売にして居る 方達の 求めて居る物と確信して居ます そして自分が 間違って居なかった事が何しろ嬉しい事柄でした 私が 信久会で 作り上げ 発表した ノンセットパーマ セットの要らない 洗って乾かすとスタイルに成ると言う 私が求めて居た物 が 形に成って 全国に広まりつつ有りましたが 初めは 安部展久会長も 私が言う ノンセットと言う意味が 全く理解できずに 展久会長と 北海道から九州に到る講習活動の中で 街を歩いている 女性の頭を見て。美容師が手を掛けているスタイルより 如何に自分で作っているスタイルが多い事なのか。 それには チリチリに掛けたパーマではスタイルにならない事を 理解して頂き 頃は1970年代半ば展久会長を口説き。 印刷物。 チラシ。 ポスター。 全部で一軒当り38万円の販売促進料金その時代の金額としたら 破格な値段だったと思うが 私が作った ノンセット技法は 今40年以上経った今でも色褪せていないで 光り輝いてみえる企画物と思って居る その売り上げを貯めて 佳世美容室の一回目の新築に入りますが その話は24話に続けます ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 以前の 物お読みになります場合のバックナンバーは  http://www3.wind.ne.jp/~temis/ml/cgmmm.cgi _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/Temis Network_/_/_/_/_/ 【商売・笑売・盛売 製作】中村憲司 temis@mail.wind.ne.jp