□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■  【私の 回 顧 録】    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 私の葬式に 使いたいと仲間からのリクエストで回顧録 書き始めました         【私の 回顧録 16話】 ■美容師インターン時代の幕開け 何とか卒業にこぎつけたが インターン先を決める時 普通の美容師より 日本髪の専門美容師なら生きて行けるのでは と 考えて 大船の 松竹撮影所に決まりましたが 一緒に 住み込みで行くことになったのが プロボクサー藤井 徒弟制度の 厳しい世界に初めて触れる同級生藤井は 納得できないと 入ってその日に師匠と大喧嘩して辞めて行った 子供の 頃から美容の世界を見てきた私ですが 一段と 徒弟制度が強い松竹撮影所の結髪部に入り 酷い徒弟制度に 従業員は皆こんな思いをしているのだと 自分が 経営者になったときはこんな事はするまいと書き始めたのが 今日に至り 商売5輪の書となり 入店一週間で 松竹撮影所の 結髪部では 一番古くなり。その後6年間に 何人の人間が 松竹撮影所の 結髪部を 出入りしてたか分からない 早い 従業員は一日で退社 良く持つ人で一ヶ月 朝は毎日6時起床 150鉢在った皐月の水まき 朝ご飯を作り師匠を起こし 結髪室の掃除 一番 酷かったのがトイレの掃除 何となんと一日3回の掃除です 便器の水は飲めるくらい綺麗にしろ トイレれの 汚い商売家は 最低と 何しろ 何時でも ピカピカの 状態にしておかないと怒られました 11時に成ると お昼の準備 4時に成ると 夜の食事の買い出しと下準備をしてからお店の掃除 毎日 必ず作るものが在った 黒ビール一本に 卵の黄身を落としてレモンを半分絞っていれる 良くかき回して一気に飲む これが師匠の日課 一回だけ 自分も作って飲んで見たが 何とも 表現が出来ないほど不味い しめ鯖は 必ず毎日作らされサバによって酢の加減が難しく 毎日 同じように文句を言われながらも作り続けた 一杯飲んだ師匠は夜の町にお出かけ  夜遅く帰ってくる師匠を 帰るまで寝ないで待っていなければ成らない 12時でも1時でもお構いなし でも 翌日は朝の7時より食事の支度は変わらない その上 酔ってかえってきた師匠をお風呂に入れて 寝かせた後が自分の時間 こんな毎日が6年間も続く 一年が 過ぎれば美容師試験が有ります 12月 1月 2月の寒い中 電気はつけるな 結髪室は 御前のために在る物ではない 全て 大切なお客様のための物 暖房は消せ ローションで濡れた手は寒さのために凍えて動かなくなり 自分の 周りにローソクをおいてまるで八つ墓村の様相を呈して勉強していたいた お湯の中に 手を入れて温めながら ピンカール(髪を丸くしてピンで止める事)の 練習が続き 年齢が 高かった私はは何がなんでも合格しなければならず 美容学校の 600人もいた同級生は脱落して試験の時は役半分になっていた 試験は 学科と実地が有り 全国都道府県の 美容師試験の中で東京都が一番受験生が多く難しかったように思う 無事美容師試試験に 合格しても私の仕事は相変わらず下働きの連続で 一人前の仕事は 中々やらせてもらえなかったが 基本が どれほど大切なのか今になって分かること 中でもいやだったのが 踊りと。 お茶。 お花の勉強は 最高に嫌だった テレビは 毎日時代劇しか見せてもらえず 毎日テレビに出た来る 時代劇の日本髪や 着る物 持ち物 所作 全てが 勉強で テレビのストリーなど全く 覚えて居ない 今になって もったいないことをしたと師匠の教育は今の時代にも 間違っていなかったことが痛感される ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 以前の 物お読みになります場合のバックナンバーは  http://www3.wind.ne.jp/~temis/ml/cgmmm.cgi _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/Temis Network_/_/_/_/_/ 【商売・笑売・盛売 製作】中村憲司 temis@mail.wind.ne.jp