□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■  【私の 回 顧 録】    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 私の葬式に 使いたいと仲間からのリクエストで回顧録 書き始めました         【私の 回顧録 10話】 ■60年安保闘争の幕開けです 電機労連 始まって以来の 若い委員長でしたが 頃は正に 1960年全国で安保反対の声が全学連や 全国の労働組合で上がり 国会議事堂に 押し寄せた安保反対.岸を倒せと集まった 全学連 と 労組の 人数は 10万人 私は 大きな電機労連の団旗を持って行進に加わる 始めは 静かに行進していたが国会が近づくにつれて 全学連の 中に混じって一番前に押し出された格好となり 第七機動隊と 第四機動隊の守る国会議事前で 衝突が激しくなり 私は 一番先頭で 機動隊と 正面から激突 鉄の 鋲が付いた靴で 蹴飛ばされ 警棒で 額を強打され 右目の上の骨が陥没して割れました 私は 確実に 右目が潰れたと思う 痛さと衝撃で 血が 前に噴き出すのは 見たのですが その後は気絶して 良く覚えて居ません 倒れても 機動隊や 仲間の学生に 踏み付けられで その痛さで 気が付き 新橋の外科病院まで どうして行ったのか 全く覚えては居ませんが 右目の 上からは 血が噴き出して 止まらずに 体半分が 真っ赤に染まる 感じで血を流してました これだけは ハッキリ覚えてます 病院で縫う時に 麻酔を打たずに 縫った事だけは 良くおぼてえます 学生の分際で  デモなんかやって これ位の痛みは我慢しろと 何か 訳の分からない 理由で麻酔は打っては貰えずに 縫った事は 初めてです 何しろ 麻酔を打たずに 縫うのですから 言葉では 言い表せない 痛みです 縫った後の 糸を引く時が 何しろ 痛い 気絶するほど 痛かった事 思い出します それから ハッキリと 覚えて居るのは放水車で水をかけられ 警棒で殴られ 鋲の付いた靴で蹴飛ばされ 近くの車は ひっくり返されて火がつけられて さながら 市街戦の様だった 何人もの 仲間が血を流しうずくまっている 今でも 何十年立っても忘れられらい名前が .カンバミチコさん  どんな 漢字なのか忘れたが 名前だけは 鮮明に覚えている この戦いで 死んでいった女性の名前である この時 国会から 出て来て 私達の前に立って 機動隊から 守ってくれた 国会議員が 一人だけ居たのです 江田 五月 さんの お父さんの 江田三郎議員でした 江田三郎さんは 昭和三十五年に 浅沼委員長のもとで書記長就任して 安保反対闘争に取組んで居て 安保反対 岸を倒せと デモ隊の 大合唱の言葉でしたが 岸内閣を 総辞職には追いつめたが、自氏党内閣は 池田内閣への たらい回しで 安保闘争の 末期の段階で 浅招委員長が右翼の暴力に倒され死亡 という 何とも 大変な動きが有った時期でした 労組で 暴れて居たのですが 凄く嬉しい事が有りました 退院まで 7年掛かるといわれた彼女が 2年半で退院. 暫くは自宅静養.何に付けても一安心の時期だった 安心したのか 会社でタマタ起こす大事件勃発は次に続けます ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 以前の 物お読みになります場合のバックナンバーは  http://www3.wind.ne.jp/~temis/ml/cgmmm.cgi _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/Temis Network_/_/_/_/_/ 【商売・笑売・盛売 製作】中村憲司 temis@mail.wind.ne.jp