□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■  【私の 回 顧 録】    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 私の葬式に 使いたいと仲間からのリクエストで回顧録 書き始めました         【私の 回顧録 6話】 ■彼女の病気発覚 夏のある日 会社の道路がまがってみえると彼女が言い 会社の 診察室での検査結果 開放性の肺結核と判明, その後は 彼女の体を考えて休みのたびに海に連れて行き 松の木陰で 休まして 私は当時からやって居た ダイビングで ボンベイ背負って海に潜って サザエやエビを取ったり 水中銃で イシモチや キス 時には タコも取れたし 毎週 御満悦でした 海辺の 松の木陰で 潮風に当てておけば少しは体によいと思い 毎週 海に誘いましたが 結果的に それが結核にとっては.最悪である事を知らず 益々 結核が進行して 悪い状態にさせてしまい 病状が 悪化して 二俣川の病院に入院 両親と 病院で合わないようにしてましたのは 彼女と 付き合いだした初めた 頃の出来事ですが 今でも忘れられない事は  私にして見たら  相手の家に行って 付き合う事の了解を得る事で 男の 筋を通しいたつもりが 逆効果でした  彼女の 御両親に ご挨拶しなければと  まったくの 青二才の ガキが 筋を通すと 訪ねて行った家が  川崎の お大師様 一体を仕切って居る 関東鳶職連合会副理事の 家に乗り込んで 結婚の言葉を 出して挨拶に行けば.相手の家庭にしてみれば反対する事は 分かり切った事なのに 其の頃は なににつけても 恐いもの知らずの 若造でしたし 当時の 彼女の家は 纏いが飾って有り お兄さんは 桜吹雪が 掘って有り 目付きの 悪い 若い衆も居ましたし 結局 喧嘩別れと言うか 話し合いには成らずに終わりました 親に 迷惑掛けなくても 彼女が入院しても俺が直す そんな気持ちで  毎日に 近いほど見舞いに行きましたが 6人部屋だったので チーズ 餃子  りんご 何に付けても6名分の物を用意してゆくのは 安月給の 自分としては何とも大変な事でした 日本電気で 貰う月給が決まっている訳だから 金塊の 回収は部署が変わって出来ないし 何か 収入を考えなければならず  取あえず 便利な一六銀行と言う質屋さんに通い 背広から カメラ 靴 空手の胴衣は取っては貰えなかったが全部質屋に入れて 最後には 会社のジャンバー意外何も無くなってしまった. 一杯10円のドラムカンで煮た雑炊 今でも 川崎の駅から歩いて10分ぐらいのところに 富士見公園が 有りますが 其処で一杯10円のドラムカンで煮た雑炊を 食べて 頑張ってお金を稼いだ話は 次に致します ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 以前の 物お読みになります場合のバックナンバーは  http://www3.wind.ne.jp/~temis/ml/cgmmm.cgi _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/Temis Network_/_/_/_/_/ 【商売・笑売・盛売 製作】中村憲司 temis@mail.wind.ne.jp