□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ 【私の 回 顧 録】    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 私の葬式に 使いたいと仲間からのリクエストで回顧録 書き始めました         【私の 回顧録 4話】 ■日本電気時代の始まりです 大月君 俳優の三木のり平にそっくりで 何しろ器用な男クラリネットにギターにベー 何でもこなす性格は凄く真面目な奴 藤本君 背は低く.おせいじにも.いい男とはいえないが.生まれも育ちも. 東京は原宿表参道生まれで お洒落に三つ揃いのスーツを バシッと着こなした姿は田舎者の私から見れば何とも粋に 素敵な東京者 西山君 色が白く今の言葉でいえソウス顔の見るからに気の弱そうなやつ。. 曽田君 小太りのがっちりタイプの口数の少ない 何事にもスローモウな やつだつた。 そして 私の登場です.身長1メートル78センチ.胸囲1メートル15センチ. 恐いもの知らずの青春時代 何か 皆でやりたいねと.始めたのが 何故かハワイヤン.バンドの結成 何しろ 楽器がいじれるのが大月君只一人と言う何とも お粗末なバンドの 結成と相成りました それでも 1年も経たないうちに.自由が丘の クインビと言うキャバレーで 月 水 金の3回 会社が終わってから 一日2ステージのアルバイトを こなすまでになって居たのが不思議です 私は ウクレレ担当で キャバレーのバンドは添え物見たいな物で 私達の 素人でも何とか成りました アルバイトで 溜めたお金が確か当時のお金で50万円ぐらい あったと 記憶して居ます 日本電気の 初任給が3万7千円の時代の50万は.地球までも買えるような 気にさせる金額でした 藤本の お兄さんが横須賀米軍のPXに勤めていたため. アメリカより Cホークと言う2人乗りのヨット1艘20万円を5隻買い込み 江ノ島の 海の家で貸しヨットを 私の提案で始めました 五人全員の 休暇を足していくと一夏の海の家は開ける勘定になりまして 早速 市に供託金の30万円を払い込み 50万円の元金で ヨットが100万 供託金が30万で たして 130万円の買いもをした訳だから 都合 80万円が不足ですが 全員の保証で何とか会社の共済から 借金ができ 始めた 貸しヨットは 何しろ 当たりに当たりました 当時 ヨットは普通の人では買えない高いものと言うイメージと Cホークと言う ヨットは 二人乗りで 風さえ有れば 簡単に誰でも 操縦が出来て 乗れる簡単なヨットでした  正に 石原裕次郎全盛の時代でしたし 加山雄三の光進丸もヨットハーバーに停泊していて 何しろ 最高のシュチュレーションの中での貸しヨットは当りに当り 夏も終わり 使用したヨットは一艘5万円で.猪苗代湖の貸しヨットの業者に販売 何と何と 驚くなかれ80万円の借金を返して.残ったお金が約200万円 短い期間に 大金が手に入り 全員が 何に使ってよいのか思案です よく人生を 踏み外さなかったと思うほどの大金でした 全員協議の結果 裕次郎も持っていない様な.素晴らしいボートを買うことに決定 です 決定の理由が何とも単純 湘南の海岸で 素敵なボートを持っていれば 女の子に 凄く持てるのではないのかと言う.単純な理由で 横須賀の PXよりカタログを取り寄せ 早そうな 格好のよい女の子に絶対持てそうなエンジンが2機付いた 真っ赤な  見るからに カッコ良い ボートに決定です 横須賀の米軍基地より ノータックスで 本国から送って貰い一ヶ月後に無事到着 夏から始まった ドラマは11月に意外な結末で終ろうとしていました バンドの アルバイトから始まって.貸しヨットで苦労した一年間 頑張って貯めたお金で買った 絶対 湘南の海岸で 女の子の注目を浴びると期待して買った 真っ赤な 素敵なポートが 手に入ったのです ボートの 試乗会を箱根の芦ノ湖に決めましたが 運ぶ車が無いため. 横須賀基地のMPに頼んで運んでもらう 11月の寒い芦ノ湖 女の子に 持てるであろう 皆の夢と期待を乗せて 浮かんでいる  真っ赤なボート 2人乗りの 為初めて乗るのは じゃんけんで決め 中村と曽田に決定です 乗ったとき思った事は 船の割にはエンジンが異常に でかい事が気にはなっては居ましたが 流線形の 平べったい薄い船体 見るからに スピードが出そうな船だなと気になりつつ エンジン スターターボタンを押すと.低い腹に響くような素晴らしい音 超カッコいいボートに  痺れます ワクワク  ドキドキ 皆の見守る中 後ろの座席にそわって思い切りアクセル全開 しましたら 今で言う パワーボートと言うことなど 全く知らない 若造ですから 思い切り 重心を後ろに掛けて乗ってますから 乗っただけで 舳先が上がって居ました その状態て アクセル全開ですから ボートは前に進まず空中高くに 舞い上がり重いエンジンから落下して 水深7メートルの 湖底に沈んでいった.MPの連中も外人独特の肩をすくめて大笑い 私は 11月の芦ノ湖に落ちて 何が起こったのか全く分からず 寒さに震えて居ました もちろん その日に引き上げることはできず. 横須賀基地の アクアラング専門の兵隊に3週間後引き上げてもらったが エンジンが 全く使い物にならない ポンコツに成って居た 真っ赤な カッコ良いポート 一年間の五人の 苦労が3秒で終ってしまつた 悲しい結末  女の子に 持てる筈の夢の残骸 赤いポート .憲司20才が過ぎようと して居る  青春ど真中の 出来事でした ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 以前の 物お読みになります場合のバックナンバーは  http://www3.wind.ne.jp/~temis/ml/cgmmm.cgi _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/Temis Network_/_/_/_/_/ 【商売・笑売・盛売 製作】中村憲司 temis@mail.wind.ne.jp