□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■  【私の 回顧録 幼年期 考】 商売シリーズを書き続けて感じた事は   先ず家族にささえられて居ると言う事を強く感じますし 多くの方に助けられ      多くの方に叱られて 多くの方に教えられ     多くの仲間と楽しく遊び 多くの先輩に指導され    多くの物も失って来ました そんな 商売人として生きて来た道のりを 帳面の整理で 二千話に到達致しました  私の葬式に使いたいと仲間からのリクエストで 私の 回顧録 書き始めました    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□    【私の 回顧録 一話 幼年期】 中村憲司の 幼年期は 群馬県前橋市桑町に生を受けて 生後3ヶ月で 父と死別.父の顔を知らずに育ちました 父は 皇居を守る 近衛連隊の 騎兵で 家には 中身の無い サーベルや 勲章 馬に乗った 父の遺影の写真が有りました  父の家系は 身長も高く 皆さん美男子ですが 母の家系は 背も低く お世辞にも皆さん 美人の家系では有りません 私は父の家系で  身長は高いのですが 顔は母の家系で 残念です 自分の 人生の記憶を回想すると 初めに 思い出されるのは昭和19年に  赤城山麓の ふもとに疎開した頃から人生の記憶は始まります 戦争も末期で 榛名山に 陸軍の駐屯地が有りましたし 群馬県の  中島飛行場で 飛行機を作って居た為に 爆撃が続きました 紫電改 呑龍 零戦 懐かしい 飛行機の名前です 零戦のエンジンは現在の  スバル自動車と記憶してます 前橋は 米軍の B 29の爆撃機の 空襲が 連日続き  前橋が 焼夷弾によって焼かれ 赤く燃えているのを赤城山の 中腹から見てましたが. 夜空に ぎらぎら光る銀紙の帯が空いっぱいに降っていて 赤い炎が 前橋中に広がり綺麗だった事が.何故か鮮明に今でも思い 出せます 顔は丸く. 色は黒く.勉強よりも.魚取りや.遊びに夢中になっていた終戦後 どこにでもいた.ごくごく普通の子供だったと思います 私が 子供心の 記憶に残る 母は。 戦後 多くの家庭で見られたように 父が居ない為に母は美容師として 女手 一つで 苦労して私を育ててくれましたが そんな母には 苦労の掛け続けで ガキ大将だった私の尻拭に頭を下げている 姿しか記憶には有りません 小学校3年生に成った私は 近所の人が かわいがっていた 雄の三毛猫を川に投げ込み殺してしまい 数が少な い 三毛猫の雄を探し回っている母の姿を今でも思い出します 家の前が 住吉屋旅館と言う料亭で.料亭の池の鯉を全部池の外に出してしまい 謝っている姿や 空手を習い始め.同級生の腕を折ってしまった事や。 常に木刀を 学生服の内側に隠し持って歩き. 喧嘩ばかりしていた悪ガキの幼年時代。 一番今までも印象に残っているのは. 通って居た 桃井小学校の校庭に大きな松が3本生えて居て 今の私が見ても 何で あんな太い木に何故登れたのか不思議に思うが。 登ったまま 降りられなくなり.消防隊員のロープに縛られて降ろされ. 無論授業は 3時間の全校自習になったため 学校中のヒーロー。 小学生の私は 何しろ母に迷惑ばかりかけていたことしか思い出せない。 小中高と 同じクラスでなぜか今でも付き合いが有り  50年近くも 付き合っている兼井と言う友人 人生の 区切りを付けるところには必ず登場してくる兼井 その頃は そんなに永く付き合う事等知る由も無く  合いも変わらずの悪がき時代。          憲司が 失明かと思う事件勃発で 一ヶ月片目で過ごすは 次に続けます ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 以前の 物お読みになります場合のバックナンバーは  http://www3.wind.ne.jp/~temis/ml/cgmmm.cgi _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/Temis Network_/_/_/_/_/ 【商売・笑売・盛売 製作】中村憲司 temis@mail.wind.ne.jp