□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ===== 商売.笑売.盛売。それとも少売シリーズ ===  【商売を 笑売や 盛売にするには】    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ 1960年代  日本の歴史を動かした学生運動のリーダー 藤本敏夫さん 歌手の  加藤登紀子さんが奥さんで  藤本さんが亡くなった後に 書いたエッセイですが 読ませて頂き  考えさせられました 今私が 書き残して居る商売シリーズですが  何時の日にか  妻の 有紀 が読んだ時にどう感じるのか 藤本さんの 文章とは 比べ物に成らない 幼い文章ですが 妻の  有紀 と共に歩いた 商売人としての道のりを書き残し  有紀が 商売シリーズを読んで どう感じるのか  キット 馬鹿みたいと笑いながら読んでくれると思いますが 加藤登紀子さんの場合は 夫である 藤本敏夫 さんの残した 原稿を読んで   エッセイを書きました  私が一番感動したのは  ■夫、藤本敏夫が逝ってからの二年余り、彼がそこに  生きて存在していた時より、はるかに多く、彼との対話があった と言う 下りです   本当に  加藤登紀子さんは 妻として 素晴らしいと思うのは 男が  戦いを挑み 越えようとして居る 人生の荒波を理解して 妻として サポートして居たと言う事です 自らの生涯を、 いのちとしての実体としてよりも戦いの道筋として、 私はひとりの男のむこうに、 結局、男の超えようとする海を見ていたのだとふと思う。 この 文章を読んで藤本敏夫と言う男性を  心底  尊敬し 愛して居たのが 良く分かります 世の男性諸氏 男として 夫として 死んだ後に 妻にそこまで  尊敬され 惚れて頂く事が出来るなら 正に 男性冥利に尽きますし ほんと凄い事ですよね   私も妻に  尊敬され 惚れて貰う男に成れるよう 頑張らねばと思う 今日この頃です  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ■加藤登紀子さんの書いた エッセイの中より■ 「女は実体だが、男は現象だ。」 「女の一生はいのちだが、男の一生は物語」といえるだろうか。 ひとりの男が生き終えた時、 通り過ぎ、 ゆれ動くだけだったすべての現象が、 ひとつの歴史となって語りはじめる。 夫、藤本敏夫が逝ってからの二年余り、 彼がそこに生きて存在していた時より、 はるかに多く、彼との対話があった。   生きている限り未完の走り書きだったはずの言葉が、 今は、 はじめから全部、何度でも読み返せる 暗喩として しっかりとつながってくる。 藤本敏夫 遺稿――「歴史は未来からやってくる」   2002年7月31日、肝臓の手術から一年で藤本はこの世を去った。 この一年間の間に彼は三冊の本を書こうと奮い立ち、 結局、一冊の本の三分の一を書いただけで力尽きた。 この最後の原稿をもとに 何とか出版したのが『農的幸福論』(家の光協会)。 この中には、 彼の生い立ち、「食」を通して浮かび上がる日本人の深層、 そしてこれからのあり得べき農業への模索がある。 何より残念だったのは、 彼の過ごした怒濤のような青春時代への記述がなかったこと。 もう少し 筆を進ませていてくれたらと、かえすがえすもくやまれた。 ところが、 後になってから、彼が残した自伝らしき文章が、 他の出版社の デスクの中に眠っていたことがわかった。 たしかなことはわからないが、 2001年の春ごろ、書いたものらしい。 60年代、日本の歴史を動かした学生運動、 その中枢にいた彼は 1969年7月6日という運命の日に、この動きのすべてから離れた。 何にむかって戦い、 何によって敗れたのか。 彼の懊悩は、 自らの存在自体の中にあるどうしようもない矛盾へとたどりつき、 「地球と人間」という果てしない問答へと旅がはじまる。 私の 最も知りたかった その転換のまっただ中の彼の ほとばしる実声が、この原稿の中にあった。 私が藤本と出逢う 1968年3月以前の輝くような青春の日々も、 私たちが獄中結婚に至る1972年の少し前、 下獄までの死にもの狂いの未来探しもあった。 肝臓を 切ってから、彼が何よりとげたかった、彼自身の自伝の素描が、 すでに ここからはじまっていたのだとわかった時、 書き残すことへの 彼のただならぬ念の強さを想った。 出逢った時から 約三十五年をともに生きて、それでも見えていたのは激しく 交叉する点と線。 過剰な説明を嫌った 彼の軌跡は、決してわかりやすいものではなかった。 だから ここに「藤本敏夫 遺稿」として残された言葉は 私には本当に有難かった。 ここに彼が書き残したのは、 もちろん妻のためではない、 彼自身のためでもない。 彼の生きた 時間が消滅した後にも脈々とつづいていくはずの歴史という 未来のためにちがいない。 そう 思いはじめると、すべての彼の個人的な記述、 いやもっと言えば 彼の生きた個人史のすべてが、実は、彼自身のものである以上に、 これからを 生きる人々へのメッセージなのだと思える。 藤本という男は、 そういう風にしか自分を生きられないタイプの男だったと、 今、改めて思うのだ。 私たちの結婚についても、 彼は、「遺稿」の第五章でごく簡単にふれているだけだ。 男にとって 結婚や家族や子供というものは、その程度のものなのかなあ、 と一抹の淋しさを感じると同時に、 彼の中にあった、 いのちという実体への気恥かしさのようなものを感じもする。 自らの生涯を、 いのちとしての実体としてよりも戦いの道筋として、 通り過ぎる過程としてとらえていた。 私はひとりの男のむこうに、 結局、男の超えようとする海を見ていたのだとふと思う。 「結婚」という出来事は、 女である私にとってはそれまでのすべてを 忘れさせるほどの重大事。 新しい 生命を宿し産み育て、輝きわたる一瞬一瞬を 全身に浴びていくことだ。 「獄中往復書簡」   獄中結婚から 出所までの二年半という時間を、藤本はあえて 「遺稿」の文中に記述していない。 けれど、獄中にあったこの時期に、 はじめて いのちとしての自分とむき合っている藤本の姿があったと 私は感じている。 1972年、 結婚という出来事にはじまる「獄中往復書簡」は、 私にとって奇蹟のような宝物。 月に一度、 便せん三枚と限られた条件の中でひたすら正確な筆先で つづられた藤本の手紙は、 何か 文豪のような雰囲気が漂っていて、 「またお芝居してる」と 私は思わず笑ったりしていたが、 こうして 読み返してみると、藤本の思想のほとんどがこの期間に 築かれたのだとわかる。 一方の私。 手紙には、今という時間をただただ見つめ、 描き、 楽しんでいる女の息づかいが踊っている。 自分の書いた手紙が、 一通残らず、自分の手もとに帰ってくるというのも 滅多に望めないことだ。 受け取り人が刑務所の中にいたお陰……。 ここに存在し続ける不在の人 ここに その人がいないからこそ、 ともに 生きていると思えたこの三十数年前の二年半が、 夫の死後、 ひたすらその不在を対話で埋めようとした 苦闘の日々と似ている。 夫は もうずい分天国の階段を昇ったことだろう。 今度ばかりは 出所して帰って来ることはもうないが、 時折、 空の雲のすき間から顔を出す青い月に気配を感じ、 夏空のまぶしすぎる陽射しに幻影を見る。 「男は現象」だから、 肉体としての形が消えても、 ここに存在し続けることができるだろう。   私はそれを信じている。         (かとう・ときこ/歌手) 最後まで お読み頂いた 皆様の 感想は如何ですか  ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 以前の 物お読みになります場合のバックナンバーは  http://www3.wind.ne.jp/~temis/ml/cgmmm.cgi _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/Temis Network_/_/_/_/_/ 【商売・笑売・盛売 製作】中村憲司 temis@mail.wind.ne.jp