□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ===== 商売.笑売.盛売。それとも少売シリーズ ===  【商売を 笑売や 盛売にするには】    □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□ ボランティアとは何と問い掛けられたら皆様は何と答えますか 大船の 松竹撮影所の修行時代に 師匠に行かされた  円覚寺の座禅会が終わると お説教が有りますが その時の話で  禅の中に 無功徳【むくどく】と言う言葉が有りますが その意味は  善行に見返りなど求めない と言う事で  自分の満足は 切り捨てろと言う教えが無功徳【むくどく】の意味で  禅 の世界では 何の見返りも求めないし 何の期待もしないで  全てを当たり前の事として 人に接していく  それが 禅の世界で言う無功徳【むくどく】の教えですが 私の様な 現在でも 煩悩が洋服着て歩いて居る人間は 禅の世界で言う無功徳【むくどく】は無関係と言うか 如何しても 何かしたら 見返りを期待してしまいます 座禅の真髄は無心の心を持つ事ですし 仏教で言う 【功徳】とは よい行いに対する報いの事ですが 功徳を得る為に 善行をしても  功徳は手に入ら無いと禅の世界では教えてますし 全ての行いも全く同じで 自我を満足させる行為は必要無いと 禅の 世界では 一刀の元に切り捨てます なぜなら 見返りを求めずに 当たり前の事として 人に優しく 先ず 相手の事を思いやる心で接する事が バテレンの言葉で言う ボランティア の真髄ですし 車椅子を坂道で押してあげたり 席を譲ったり 荷物を持ってあげたり 人助けをした時 お礼の言葉を期待するのは凡人で 良いと思うことを 無心で行動に移せる人が 本当の 大人 と教えてます 後は 自分の行動で 自分の気持ちが安ぐ事が出来たら良いのです キリスト教の礼拝も 仏教の朝晩のお経も 自分の利益の為に行うので無い行為で 打算や 邪心 下心を捨てて  無心に行う事を仏教の世界では 無功徳【むくどく】見返りを 求めない行いと言います 自分自身の 気持ちが安らぐ道を歩けたら  それだけで人として十分と思える  そんな 自分になりたいですが  凡人は無の境地なんて中々辿り着きませんね ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 以前の物お読みになります場合のバックナンバーは  http://www3.wind.ne.jp/~temis/ml/cgmmm.cgi _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/Temis Network_/_/_/_/_/ 【商売・笑売・盛売 製